沼正三とその作品
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代表作「家畜人ヤプー」と「ある夢想家の手帖から」をひっさげ、
日本にマゾ文学の金字塔を打ち立てた沼正三。
著者と作品について語ろう。 >>36
芳野氏に沼正三の言説の真偽を問うのはお門違いというもの。
彼に訊くなら、奇クに「硝子便所」を投稿したとき、高校生だったという
設定の真偽だろう。
検閲が現在よりも厳しかった当時、「奇ク」が高校生の投稿を歓迎した
とは思えない。彼が、実際には成人であることについて、編集部との間
で了解があったのではないだろうか。
まあ、芳野氏も、そんなことを訊かれてまともに答えるとは思えないが。 このスレ見てるんじゃないの
>書店で「奇譚クラブ」(曙出版)に会いました。
昭和27年12月号「孤独なファンタジー」が処女作です。
昭和28年4月号で 『家畜人ヤプー』の沼正三先生から「芳野眉美君に――神の酒(ネクタール)を手に入れる方法」をいただきました。
お手紙もいただいております。
故鬼六先生や「奇ク」の恩師の皆サマからは、「『奇ク』出身の作家」と言われました。 >>38
>手を踏まれて(36章)も実話を装っているが、いかにも嘘っぽい
・・・確かに、そうだね。
「終戦一、二年後の東京の電車の朝夕の混雑ときたら
経験した人でなければ想像もつくまい。
少しでも収容力を増すために、混んでくると座席の上にも土足のまま
二列に人が立つのが当たり前だったころ、昭和二一年の暮の話である・・・」
という書き出しだが、そもそも話の前提となる状況の信憑性も怪しい。
座席の上に土足で立ったりしたら座席が汚れて傷むし、
不安定でつり革も使えないので、電車が揺れたら危なくてしようがない。
もしこの状況設定自体が架空だとしたら、
その点を突っ込まれれば忽ち窮するような話をなぜ書いたのだろうか?
仮に、当時はそういう風習だったとしても、座席に上がった令嬢に、誤って
手を踏まれ、令嬢は十分間も気づかないままだった、という状況も、ありえないだろう。
実話と銘打った創作が横行した「奇ク」らしいエピソードだといえるだろう。 >>33
沼氏から芳野氏への私信は昭和28年1月付けだから、
当初は私信のつもりだったけど、それを取り次いだ編集者が
後に奇クへの掲載を図ったのではなかろうか。
だから沼氏としてはマゾヒスト協会が初投稿と認識している、
というのが一つの解釈。 だったら本人が自分の作品と認識しているということだろ? 元々は私信だったので、投稿を意図したものではなかったというのが一解釈。
私信の形式をとっているが、当初から投稿作品だったというのも一解釈でしょう。
当人がマゾヒスト協会を初投稿と称しているので、前者の解釈が浮かんだまで。 >>47
意図してなくても掲載されれば投稿でしょ? >>38
>辻褄合わせるなら、同時に投稿したけど掲載号が違ったということか
・・・それはないと思う。
「マゾヒスト協会」は、「奇ク」1953年5月号に「足舐め小説 マゾヒストの會」として
掲載されたものだが、元の雑誌記事では文中に、
「・・・他方ウロラグニストとしての実践からどうしても抜け去ることができなかった
(四月号の芳野君への手紙参照)」
と記されている。
( )内を読むと、まず「ネクタール」が四月号に掲載され、それを確かめた上で
「マゾヒストの會」を投稿したことがわかる。
ちなみに、「手帖」所収の「マゾヒスト協会」では、「(四月号の芳野君への手紙参照)」と
いう文言は削除されている。
「手帖」で「マゾヒスト協会」の文末に追記として
「本稿は私の《奇ク》誌への初投稿であった」と記されているのは、これにつづく
「『「まえがき』はそのつもりで読まれたい」を言うためであって、
便宜上、実際には初投稿だった「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」を無視
したものと思われる。 沼正三が「奇ク」に本格的に登場した、1953年5月号「足舐め小説 マゾヒストの會」
は、注意深く読むと、沼を研究する上で、中々面白い材料を提供してくれる。
たとえば、「まえがき」の第一段落、第7文目に
「私は、在外中、捕虜になった時、相手の司令官夫人から訓練を受けて生まれもつかぬ
マゾヒストとして復員してきたのであるが」
という文言が見え、沼正三は、最初からこの虚構(つくり話)を身の上として採用して
いたことがわかる。
また、本格的初登場でいきなり巻頭(グラビアを除く)に掲載されており、沼の記事が
「奇ク」の編集者から高く評価されていたことが覗われる。 「ある夢想家の手帖から」は、ネットにアップされており(http://tecyo.x.fc2.com/)
「マゾヒスト協会」も「付録・E」として収録されている。
ただし、単行本化にあたって、「奇ク」の投稿記事に多少修正が加えられていたりする。
例えば、「奇ク」の「足舐め小説 マゾヒストの會」では、「まえがき」に
「三年前に今の家内と結婚した。(中略)所が結婚と同時に公務員アパートに入ったが、…」
とあり、筆者が「1950年頃に結婚し、公務員だった」という設定であることがわかる。
一方、1976年出版の「ある夢想家の手帖から」では「ところが結婚と同時にアパートに入ったが」と記され、「公務員アパート」が「アパート」に書き換えられている。
http://tecyo.x.fc2.com/07huroku/07-e01-20120401/skd-443.jpg
「奇ク」投稿時は、「公務員であることを明かしても差し支えないだろう」という判断で、
そこには、「公務員といっても、まさか裁判官とは思うまい」との判断もあったのかもしれ
ないが、後に単行本化するに際して、やはり「公務員」という正体は秘匿する方が賢明だ
と考えたのであろう。 理屈っぽくてつまらん
司令官夫人が虚構なら公務員だって虚構だろ >>52
理屈っぽいのはそうだろうが、沼が公務員だったら
何か都合が悪いことがあるのかい? >>52
>司令官夫人が虚構なら公務員だって虚構だろ
…勿論、一般論としては、その可能性もある。
それを顧慮して「設定」という言葉を使ったのだ。
その上で、もし公務員という設定が虚構であるなら、単行本化にあたってわざわざ
「公務員アパート」を「アパート」に書き換える必要が生じないから、
翻って、公務員という設定は虚構ではないだろうと考えられるのである。
>理屈っぽくてつまらん
…そうおっしゃるなら、理屈っぽくなくて面白い「沼正三とその作品論」を
ぜひ書いてくださいな。期待していますよ。 >>54さんには沼氏の作品リストを作ってもらいたいな
それだけ沼氏について詳しいんだったらオレたちの知らない作品もご存知だろ
個人的には氏が翻訳したマゾッホの作品リストが欲しい >>55
>54さんには沼氏の作品リストを作ってもらいたいな
…沼正三の作品は、ただ二つ。
@「ある夢想家の手帖から」と
A「家畜人ヤプー」だけです。
(ちなみに、「奇ク」に「あるマゾヒストの手帖から」の連載を始める前に投稿した
「神の酒(ネクタール)を手にいれる方法」と「足舐め小説 マゾヒストの会」も、
潮出版社版「ある夢想家の手帖から」に収録されている)
「家畜人ヤプー」改訂増補決定版(1972年)あとがきには(そして、同書の文庫版である
角川文庫版「家畜人ヤプー」あとがきや、幻冬社アウトロー文庫版「家畜人ヤプー」
第5分冊あとがきにも)
「一度は捨てた沼正三の筆名が、『ヤプー』と『手帖』の単行本の著者名として残るなら
本望だ。これが出版を承諾した時の偽らぬ心境であった。(今後も、私は、これ以外のことに
この名を使う気持ちはない)」
と記されている。
「今後も、私は、これ以外のことにこの名を使う気持ちはない」という潔さは、マゾを
ネタに飯を食っているわけではない「アマチュアマゾ」たる沼氏ならではですね。
(もっとも、「代理人改め二代目沼正三」氏には色々な作品があるようだが、二代目氏の
作品にはあまり関心がないので、どんなのを書いたのか、よくわかりません) >>55
>個人的には氏が翻訳したマゾッホの作品リストが欲しい
…潮出版社版「手帖」第6巻には、付録として、マゾッホが書いた「后妃の復讐」と
「黒女皇」の抄訳解説が掲載されている。
(51で言及した「ある夢想家の手帖から」のウェブ・サイトでは、
目次http://tecyo.x.fc2.com/shirote-01.html から、
第6分冊 黒女皇 付録 F 公妃の復讐 G 黒女皇 を選択してください)
なお、同分冊の「索引」の「マゾッホ」の項には、沼が「手帖」で言及した二十余のマゾ
ッホ作品が列挙されています。
(上記サイトでは、第6分冊 付録 L 索引 l 14 17ページ
http://tecyo.x.fc2.com/07huroku/07-l04-20120502/skd-557.jpg を参照) 沼正三といえば、ドイツ語の達人というイメージが強い。
「ある夢想家の手帖から」の冒頭、「第一章 夢想のドミナ」の題辞では、マゾッホの
「女新聞社長」からの一節をドイツ語の原文とともに引用しているし、「手帖」で論じる
文献も、クラフト=エビングの"Psychopathia Sexualis"(病的性心理)やアルフレッド・
キントの"Weiberherrschaft"(女天下)など、ドイツ語のものが多くを占める。
「ヤプー」のヒロイン、クララ・フォン・コトヴィッツも東独の名家出身との設定だし、
沼自身、まだ外国旅行が規制されていた時代にドイツに渡航(留学)している。
このようにドイツ語に親しい沼だが、「奇ク」に本格登場した1953年5月号掲載の「足
舐め小説 マゾヒストの會」(Une societe de masochists)は、フランスの小説の抄訳・紹介
である。しかも、英語訳や独語訳等からの重訳ではなく、仏語から直接訳しているようだ。
「手帖」第105章「わがドミナの便り」には、森下高茂氏の仲介で知った英伊混血の
白人S女性と文通したいばかりにイタリー語を勉強したエピソードが記されている。
英語は勿論、ドイツ語も堪能。さらに、フランス語やイタリア語までと、沼さんはホン
トに語学が好きだったんですね。 フランス語については、倉田卓次氏が、彼の最晩年に出版された「続々裁判官の戦後史」
という著書の「『家畜人ヤプー』事件」と題する章で、面白い話を披露している。
その章の最後の5ページは「ヤプー」のフランス語版・中国語版の話題だが、その中で倉
田氏は、フランス語版「ヤプー」を読んでおかしな箇所(といっても、実に些細な誤りな
のだが)をみつけ、
「Aに連絡して訳者に注意するよう助言しておいた」
と述べているのだ。
これを読むと、ドイツ留学の語学試験に通るほどドイツ語に堪能な倉田氏が、フランス語
の読解力にも長(た)けていたことがよくわかる。
ちなみに、Aとは天野哲夫氏のことで、ここでは彼がまさに「代理人」の如く扱われている。
それにしても、倉田氏は、取るにたりないような些細なことを、なぜわざわざ、かなりの
紙幅(約1ページ)を割いて記したのだろうか?
「『家畜人ヤプー』事件」は、表面的には、「『ヤプー』を書いたのは天野氏であって自分
ではない」と釈明する内容のように読めるが、よく読むと、「真の作者は、実は私なのだよ」
というメッセージを送っているように思われてならないのである。 >>60
>もっとちんぽ勃つ話キボンヌ。
…そうだね。ぼちぼちそんな話もしたいね。
といっても、ここは沼正三と彼のヘンタイ小説「ヤプー」、ヘンタイ随筆「手帖」のスレ
だから、たとえば、こんな文章(↓)にちんぽ勃つ人限定だけど。
「ニューマが後肢を伸ばして身を起し、首をその足台の上に伸ばして、真っ白な彼女の足の甲を舐めた」(「ヤプー」第2章 円盤艇の中で 第4節 狩猟犬訓練)
「肉足台に載せた足の片方を上げて、犬の舌が足裏にも届くようにしてやりながらポーリーンは自己紹介し・・・」(「ヤプー」第3章 驚くべき真相 第1節 自己紹介) >>59 基本的な構想はすべて卓ちゃんによる、と考えていいのかな? >>61 のつづき。
「ニューマが後肢を伸ばして身を起し、首をその足台の上に伸ばして、真っ白な彼女の足
の甲を舐めた」
さすがは沼さん。「彼女の足を」じゃなくて、「真っ白な足の甲を」ってのが秀逸だね。
白人女性の足元に犬のように這い、「真っ白な彼女の足の甲」に接吻したり、「真っ白な
彼女の足の甲」をペロペロしたりを妄想などして、妙に昂奮したものだよ。
そうしたことが実現するようになってからも、その行為に及ぶたびに「真っ白な足の甲に
唇を押し当て」とか「真っ白な足の甲を舐め」なんてフレーズが脳内を飛び交い、感激と
興奮はいよいよ昂まるのであった。
…とまあ、こんなところが、道具としての「ヤプー」の使い方ではあるまいか。 沼正三が「奇ク」に本格的に登場した、1953年5月号「足舐め小説 マゾヒストの會」。
その「まえがき」によると、沼は結婚後にこの小説を読んで足舐めに興味を覚え、新妻を
相手に実践してみて、足舐めの妙味を知ったという。
足舐めにはネクタールとは又異なった味があること。無念無想に舐めていることによって
精神の浄化まで期待できるのではないかと思えるほどであることを読者に体験から断言で
きる。
さて、かように「足舐め」というものの効用を、或いは酔心地を知ってから世間のマゾヒ
ストを見ると、どうも皆さん、この妙味をご存じない方が多いようである
と述べている。(「*ネクタールって何?」って人は、>>33を見てね)
「無念無想に舐めていることによって精神の浄化まで期待できるのではないかと思える」
とは、これまた巧いことを言うね。実際、綺麗な女の人の足を一心に舐めていると、浮世
の憂さは綺麗さっぱり忘れて、心スッキリだよ。
まだ未経験のマゾの皆さんは、ぜひ試してみよう! >>63 基本的な構想はすべて卓ちゃんによる、と考えていいのかな?
…いいとも! >>65 のつづき。
もともと女性の小水が大好きな沼さんだったが、結婚後引っ越したアパートが水洗便所
だったので、小水を密かに採取することができなくなり、がっかりしたんだと。
「…ウロラグニーの方は流石に家内にもいえない。隠れてネクタール採集するしかないの
であるが、足舐めであれば隠れてはやれない。と同時に、ウロラグニーと違って、家内を
そこへ誘導することは何でもない。殊に私の家内などは素質もあったのであろうか。小説
の女主人公と同様、これの愛好者(舐めさせる方の)となった」
確かに、マゾが足舐めの妙味を知るのと同じく、女性の方でも足を舐めさせる快感に目覚
めることがあるようだ。私のニューマごっこの女主人も、これがすっかりお気に召したよ
うで、「もっと上」「そこ、そこ」「もっとゆっくり!」なんて命じつつ、畜人犬の舌を心ゆ
くまで堪能するのでありました。 足舐めファンは結構いるようだね。とあるSNSの「足舐め」サークルに投稿された、自己紹介。最近1ヶ月以内の記事から…
・彼女とのHの最中にあえぎ声がうるさいと言われ口の中に足を入れられてから足をご奉仕するのが好きになりました。(7月9日)
・神戸の舐め犬です。 足が大好きです。(7月18日)
・女子大生や30代まで幅広く 舐め犬をしています^^ 大阪でサラリーマンしています(7月19日)
・大阪市内の22♂です!!女性の足を裏から指の間、指先まで綺麗に舐めたいです。
踏まれながら舐めたりしたいです。犬になったみたいな舐めたいです (7月24日)
・足を初めて舐めさせられた時は、お詫びの印としてで、始めは嫌だったのになんかドキドキしてました。
舐めさせられるのにドキドキしちゃいますね。舐めさせてくれる方いないかなぁ。(8月2日)
どれも、足を舐めたくて舐めたくてたまらない気持ちが溢れているね。
それにしても、5つのうち3つが阪神。足舐めファンは阪神に多い?
「とりわけ、綺麗な白人女性に足を舐めさせられたりすると、頭ん中が真っ白になります」
なんて香具師、いないかなあ。 沼さん、リンはあれで幸せなのかい?
男として間違っちゃいないかい? >>69男として間違っちゃいないかい?
…大間違いだよ。その大間違いに昂奮するのが、Mってものなんだろうね。
>>68の「足を初めて舐めさせられた時は、お詫びの印としてで、始めは嫌だったのになん
かドキドキしてました」なんて話もそうだけど、「オレは男として間違っているなあ」って
いう後ろめたさが、ドキドキ感につながるんだと思う。 >>70
お詫びの印に……
始めは嫌だったのに……
という所が、オレ的には最重要ポイント。
個人的な事だが、ご褒美や恵みとしての足舐めは白ける。
侮辱行為として、舐める事を強制される、舐め「させられる」という部分が肝要。 >>71
>68 = >70 だけど、全面的に賛成・同感・異議なしだね。
「足を舐めさせられる」なんて、人として最低の屈辱だ。女性に強制されて、その屈辱を
無理やり受け入れさせられるってところに、Mとしてのときめきのツボがある。
沼さんも「手帖」の「第4章ナオミ騎乗図」で、谷崎の「痴人の愛」を評価しながらも、
クライマックスの「愛の馬」シーンで、主人公の譲治の方からナオミに頼みこんで馬にし
てもらうって筋書きが、インドの「ネンダ王説話」で王が王妃へのお詫びの印に王妃の馬
にさせられるっていう話に比べて、物足りないと言っている。
「…一方では支配しているのは『馬になる』男の意志であり、他方では、それは男を『馬
にする』女の意志である。 前者ではマゾヒストが、後者ではサディスチンが主役である。
そして私たちは、後者にこそ、より強いマゾヒズムを感じるのだ」
つまり、同じ足舐めでも、「足を舐めさせてください」って頼むよりも、「私の足を舐めよ!」
って命じられて、嫌々ながら舐めさせられるっていう状況の方が、遥かに昂奮するもんだ。
それにしても、>>68の、男に「お詫びの印として私の足を舐めなさい」って迫った女性っ
て、実に素晴らしいね。 >>71 のつづき。
ご褒美や恵みとしての足舐めは白けるけど、ご褒美や恵みとしての足接吻はありかも。
「…黒奴のほうを向いたドリスは微笑み、
『さっきはご苦労。接吻を許す』
蛇のお礼だ。黒奴に対して白人貴族が接吻といえば、もちろん足接吻のことである。
B2号は両膝ついて長靴の先に唇を当てたが、破格の栄光に震えて歯がガチガチと鳴った。
賤しい飼育係の黒奴にとって今日は生涯の最良の日となるであろう。お嬢さまの靴に接吻
した日!」 (「ヤプー」第17章 畜舎のドリス 第4節 恋人から女主人へ)
普通は、屈辱の極みのはずの靴への接吻が、ここでは「ご褒美や恵み」となっている。
それも、「生涯の最良の日となるであろう」ほどの。
つまりは、それほどまでに相手を崇めているってことで、確かに、美しい白人令嬢の靴に
接吻を許されるなんて、夢のようなご褒美・恵みだね。
(…で、そんな風に考えた途端、激しいM的感興が…つまりチ○ポが×つのであった)
ここでも、あくまでも美しい白人令嬢から、ご褒美・恵みとして与えられたのであって、
黒奴がおねだりした結果ではない、ってところが、大事なポイントだね。 >>74
>終りか?
…まだまだ。でもおまいらもガンガン投稿しろよ 小説本は、文章だけでなく、挿絵や装丁も大切な要素だ。
「ヤプー」は、この作品に惚れこんだ三島由紀夫が、出版化に向けて尽力したからこそ、
世に出ることができた。「ヤプー」初の単行本は1970年2月に出た。挿絵は宮崎保之。
しかし、三島は、宮崎の挿絵が気に入らなかった。寺山修司との対談でこう言っている
「挿絵は、もっともっとリアリスティックでなきゃいけない。
変に抽象化しているが、あれでは作意が生きないよ。(中略)
少年雑誌みたいなリアリズムが『家畜人ヤプー』みたいな小説には
必要なんだ」(「潮」1970年7月号)
宮崎には気の毒な感想だが、三島としては、本作りを編集者任せにしていたら、考えてい
た趣向とは違う挿画・装丁となり、がっかりした、といったところだろうか。
このとき三島の頭には、「リアリスティックな挿絵」を描く画家として、村上芳正が浮か
んでいたはずだ。村上はかねてから三島の舞台のポスターや本の装丁を手がけていた、
最初の単行本と同じ年に同じ出版社から出された「改定増補限定版」では、村上が挿画
を担当している。
なお、この「村上ヤプー本」が出た11月のその日、三島はそれを見ることなく死んじゃった。
「改定増補限定版」は、後に角川文庫になっている。もちろんカバーも挿画も村上の絵だ。 (>>77のつづき)
これまで、さまざまな画家や漫画家が、「ヤプー」の世界を表現してきた。でも、その中で、
「ヤプー」が主題とする「白人女性の凛とした美しさ」を見事に描いたものといえば、
何といっても村上芳正だろう。
村上の描く白人女性の、気品に満ちた、冷ややかな美貌ときたらどうだ。そのケのない野
郎だって、思わず跪いて、真っ白な足に接吻したくなるんじゃなかろうか。
その村上芳正の原画展を、弥生美術館というところで、9月29日までやっている。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
「ヤプー」の原画を中心に、彼の様々な作品が展示されている。
特に白人女性の絵は、どれも、沼のいう「白人崇拝思想」の持主ならタマらんよ。
美術館の場所が、三島や沼が若い頃法律の勉強に励んだ東大の裏だってのも、粋な巡りあ
わせだね。 ヤプーいいね
M男向けやS女向けの漫画や本おしえて >>80
>以前も東京で個展やってなかったか?
…これまで2回開かれているよ
「村上芳正の世界展」(2010年11/6〜13@高輪「ギャラリーオキュルス」)
「家畜人ヤプーの世界 ― 村上芳正原画展」(2011年9/15〜10/28@神楽坂"artdish g")
1回目は小さな画廊、2回目はレストラン付属の画廊だったけど、今回は本格的な美術館
で開かれている。
ただ、ヤプーの原画について言えば、2年前の神楽坂の方が、近くでじっくり見れた。
今回はガラス越しで、距離があって、細部はよくわからない。
どの個展も、熱心な村上芳正ファンの働きかけで実現したようだ。
村上芳正ファンのHP「薔薇の鉄索」http://barano-tessaku.com/
初の個展が開かれた2年前、村上さんは88歳。ぎりぎり間に合った感じだね。
こうした個展が開かれないと、彼の素晴らしい「ヤプー画」も散逸していたことだろう。 >>79
…M男向けやS女向けの漫画や本おしえて
いっぱいありすぎて紹介しきれないだろうね。
漫画については、沼も「手帖」で「第38章 漫画の効用」という章を設け、
「…現代日本の漫画家の作品は、マゾ・ガイガー管を備えたマゾヒストにとっては、一大
鉱脈というに値する。名の知られた漫画家には、多かれ少なかれ、なんらかのマゾ的感覚
が見られるのである」
って言ってるよ。
別の章では、古谷三敏の「ダメオヤジ」(「手帖」第26章 妻による夫の虐待)や、
ジョージ秋山の「ゴミムシくん」(「手帖」第133章 スクビズム)を、実際のマンガ入り
で紹介している。
「漫画の効用」は、もともと、沼が「あるマゾヒストの手帖から」第一回目(「奇譚クラブ」
1953年6月号)に「第四 漫画家のマゾヒズム」として発表したエッセーだった。
連載エッセーの最初に漫画家の話をもってくるあたり、沼さんも相当漫画が好きだった
…というか、「眼からのマゾ的刺激」に敏感だったんだね。
個人的には、小池一夫・叶清作コンビの「マギー'S犬(マギーズドッグ)」「マギー'S犬Jr.」
がよかったと思う。
叶の描く白人女性は秀逸だ。ただ、マギーさんはちょっと(というか、かなり)下品なのが難だけど。 足舐め譚のつづき
マゾの皆さん、足舐めに励んでるかな?
沼が「奇ク」に本格的に登場した、1953年5月号の「足舐め小説 マゾヒストの繪」には、
小説のヒロイン、21歳の令嬢ソフィアが、彼女に求婚する30歳の青年ジャンに、足舐めの
技巧を仕込むくだりがある。
「…二本の趾(あしゆび)を一緒に口に含んで、よく吸ってきれいにしてから、気をつけて舌
をその二本の間に入れるの。さっぱりした感じがするようにして。そう、そうやって吸っ
て…おしゃぶり貝みたいに。
…それから足の裏だけどね。くすぐったくないように気をつけるのよ。歯でもってたこを
けずってごらん。痛くしないようにね。初めに舌でうるおうまでなめて、それから歯で少
しづゝ静かにけずるのよ…」
なお、足舐めの技巧としては、このほかに、一本の趾を口に含み、趾の腹を歯でしごいたり、
土踏まずを強く吸ったり、5本の趾の上や足の甲を舌先でゆっくりとワイプしたり…等々。
ミュールを履いたドミナの、足裏と中底(インソール)との間に舌を挿し入れたりなどするのも、
楽しい。 >>83 のつづき
沼が紹介した「マゾヒストの繪」の描写や、>>70-73あたりの議論のように、ノン気男が、
のっぴきならない事情から、S女に足舐めを強いられ、最初は嫌々舐めていたが、
やがて足舐めの妙味に酔うようになる、なんてのが理想でしょうな。
でも現実には、女性の足を舐めたい男の欲望がまずあって、性戯のひとつとして実行して
いるうちに、女性の方でも男に足を舐めさせる悦びに目覚める…っていうパターンが多い
んだろうね。
沼がそうだったように。
>>67にも引用してるけど、沼正三は、「足舐め小説 マゾヒストの繪」まえがきに
「足舐めであれば隠れてはやれない。
と同時に、ウロラグニーと違って、家内をそこへ誘導することは何でもない。
殊に私の家内などは素質もあったのであろうか。小説の女主人公と同様、これの愛好者(舐
めさせる方の)となった」
と書いている。
まあ、最初はどちらの主導でも、結局は、男が女の足を舐めるっていう、女性上位な性愛
技巧によって互いに悦びをえるのだから、よしとすべきなんでしょうね。
それにしても、世のM男性は、いったいなんで、女性の足を舐めたいなんて思うんだろう? >>84 のつづき
沼は、「足舐め小説 マゾヒストの繪」まえがきに、足舐めを始めた動機も書いている。
「足舐めもコプロ・ウロラグニーもいずれもピカチズム現象として共通の面がある。
そこで私はウロラグニーの代償物として足舐めを始めた」
コプロ・ウロラグニーは糞尿愛好。ピカチズムは汚物嗜好。ウロラグニーは尿嗜好。
つまり、沼は、飲尿ができなくなったので、その代わりとして足舐めを始めた、足舐めは、
飲尿と同じく、ばっちいものを口にするから、性的に昂奮するんだという。
ばっちいといったって、犬の糞ぢゃあだめだ。綺麗な女の人の小水や足を口にするから、
チ○ポが×つのである。
沼は、そんなマゾヒストの心理を「対象神格化」という言葉を使って説明している。
「恋愛感情は相手を理想化する。これは普通のことであるが、マゾヒストの場合は極端な
対象神格化を生じ、その結果汚物嗜好を生じるのであると考えられる。対象神格化(アポ
テオーゼ)とは、相手を女神のように崇拝することである。その反射として自己卑下に陥
る。両者は盾の両面である」(「手帖」第43章 対象神格化の心理)
彼女の身体の汚い部分や、身体から出る汚いものを口にできる。そんな自分を振りかえる
と、昂奮する、ってわけ。
でも、この説明では、相手との関係で自己卑下に陥ったら、なんでチ○ポが×のか、また、
>>70-73あたりの議論のように、自分から「舐めさせてください」と頼むよりも、女性に
強制され、無理やり舐めさせられる方が昂奮するのは、なんでなのかは、わからない。
それを、うまく説明したのが、遠藤周作だ。 >>85 のつづき
彼女の小水を飲まされたり、足をなめさせられたりするとチ○ポが×つ、マゾヒスト。
その奇妙な心の働きについて、遠藤周作は、「恋愛とは何か」というエッセーで、
「マゾヒズムとは、相手から全く支配されたい、思い通りにされてみたいという願望だと
いえるでしょう」
と書いている。
相手からぶたれたり、辱められたりしても、怒る気持、嫌な気持も持てぬほど、相手の意
のままになりたい、という気持がマゾヒズムであって、そこには、「愛する人にすべてを所
有されたい」という恋愛の感情が極端な形であらわれている。それが肉欲となって姿をみ
せたのが、マゾヒズムなのだ……と遠藤は言う。
小水を飲まされたり、足を舐めさせられたりするのは、人として最悪の屈辱だ。女性に強
制されて、そんなひどい屈辱を無理やり受け入れさせられたとき
「オレは彼女に征服されて、完全に彼女のモノになったんだ…」
なんて考えて(実際には考えないかもしれないが、その歴然たる事実に)、性的な昂ぶりを
感じるのが、マゾヒストなんだね。
「沼正三とその作品」というテーマからは、チョットはずれたけど。 >>82
サンクス
ゴミムシくんは手に入らないんだよねー
読みたいんだけどさ
マギーズはもっていた
あの人のかく絵いいよね
他にもあればよろしくー >>87 狐狸庵先生は立派なマゾさんですwww
…Korean、じゃなかった、Korianは、サドの研究家で、「堀辰雄覚書 サド伝」って本も
書いてるけどね。
ただ、沼は遠藤のマゾヒズムを評価していた。遠藤の初期の小説には、しばしば、沼のい
う「白人崇拝思想」に通じるものが流れているからね。
『手帖』第12章「象徴としての皮膚の色」
http://tecyo.x.fc2.com/01bun/012syo-20110813/012syo.html
なんか、丸々、遠藤作品に見られる「白い肉体への劣等感」についての論評だ。
ちなみに、沼は「白人崇拝」と「白人への劣等感」とを区別して使っていた(というか、
区別して使うようになった)。チ○ポが×つかどうかが、区別点だ。
「…旧稿では、日本人の白人崇拝という表現を用いたため、吾妻氏から私の本意とはやや
くいちがった批判を受けたので、今回は、日本人一般の問題としては劣等感という言葉を
用い、白人崇拝は日本人マゾヒストの問題として扱うことによって誤解を避けたい。(『手
帖』第11章「西洋人への劣等感」附記第一) >>88
>ゴミムシくんは手に入らないんだよねー
>読みたいんだけどさ
…S女さまに命じられて「ゴミムシくん」探しの旅に出たことがありましてな。「まんだら
け」で見つけたよ。全5巻のうち、第1・3・5巻だけだったけど。
3巻・5巻は全く期待はずれだった。1巻も、M的にはそう大したものではなかった。
多分第2巻が面白いんでないかい。2巻4巻は見てないから何ともいえないけど。
>他にもあればよろしくー
◆安達哲の『Kira Kira』はどうかな? 単行本第6巻に収録のNo.59-61のM描写は秀逸。
第4巻収録のNo.46の扉絵や内容もよかった。
この作品といい、『お天気お姉さん』といい、作者はきっとMじゃな。
◆澤井健の『華族な人々』も、召使願望のMには楽しめる。
◆『池上遼一 耽美コミック傑作選 肌の記憶』所収の『魔都』という作品は、沼のいう
「侍童願望」http://tecyo.x.fc2.com/01bun/021syo-20110829/021syo.html
の持主にはタマランだろうね。
◆あと、ベタだけど、喜国雅彦の『月光の囁き』は、マゾ男性必読の感動巨編。 >>90
ありがとう
ゴミムシくんはチェックしたい
よく昔は少年がよめていたとおもう
お天気お姉さんは持っているが最高だね
その作品もチェックするわ!
あとは知らないのばかりだ!
最後のやつは小説なんだろか
長編だと読むの大変
まあいろいろあると楽しくなってきた! >>91
>ゴミムシくんはチェックしたい
…「大体こんな感じ」っていうのは、沼さんが「手帖」第133章 スクビズム
http://tecyo.x.fc2.com/05bun/133syo-20120311/133syo.html
の最後の2ページ
http://tecyo.x.fc2.com/05bun/133syo-20120311/skd-345.jpg
http://tecyo.x.fc2.com/05bun/133syo-20120311/skd-346.jpg
に載せてるのを見ればわかるよ。
>最後のやつは小説なんだろか
>長編だと読むの大変
…漫画だよ。
ネットには、Google(グーグル) http://www.google.co.jp/ っていう便利なサイトがあって、
空欄に「月光の囁き」って入力して、「検索」ってボタンを押すと、「月光の囁き」につい
て教えてくれるサイトがいっぱいでてくるよ。訊く前に、まずはグーグルで調べてみよう!
>>90 に挙げたのは、チョット古い漫画が多いね。誰か、最近の作品で面白いM漫画を知らないかな?
◆最近のでもないけど、石ノ森や江川の「ヤプー」は、原作を知らなければそれなりに楽
しめたのかも。原作を知ってるとゲンナリだけど。
◆三山のぼるの女王様マンガ「麗羅」ってのもあったね。女王様マンガの割には、M的感
興は薄かったけど。
三山は恐ろしいほど綺麗で卒倒するほど気品のある白人女性も描ける作家なので、個人的
には「ヤプー」は彼に描いてもらいたかった。 >>93
サンキューです
ゴミムシくんは、絵柄はエロさはあまりないが、
内容は明るいものの、えぐいかんじですね
麗羅も知ってはいるが中身をあまりくわしくないため考えてみます
家畜人ヤプーは本を持っているが、漫画は集めなかった
石の森のセクサロイドとかいう漫画も面白そう
あとは、コミックマゾやSMスナイパーかなにかに連載してるのとかもよさそう
コミックマゾはなかなか手に入らないし、
画像も全部は手に入らないよね
お元気クリニック、または女豹のイブの作者や、
監獄学園やダミーオスカーも絵柄はいいですよね >>94
>ゴミムシくんは、絵柄はエロさはあまりないが、
>内容は明るいものの、えぐいかんじですね
…「女は人間、男は家畜。女のウ○チが男の食べ物」という設定のほかにも、裸やウ○チ、
オシッコのオンパレード。もともと1972-73年に「少年チャンピオン」に連載のマンガで
すからね。小学生にこんなの読ませて委員会!? まあ、大らかな時代だったんでしょうね。
もっとも、それを言えば、思春期の男の子が、「痴人の愛」や「ヤプー」読んでヘンタイ街
道一直線、という事態も考えられるわけで、でも、「ヤプー」はともかく、「痴人の愛」は
閲覧規制なんてできないでしょうね。
>お元気クリニック、または女豹のイブの作者や、
>監獄学園やダミーオスカーも絵柄はいいですよね
…「お元気クリニック」「女豹のイブ」も乾はるかのマンガですね。
そういえば、乾には、「女王様ウォーズ」っていう作品もありましたね。
「監獄学園」は知りませんでした。
「ダミーオスカー」は「マギーズ犬」と同じく、作画は叶精作でしたね。
叶には、「ヤプー」の名場面をイラストにして欲しいものです。石ノ森や江川みたいに、
マンガ作品にしなくていいから。 >>95
叶がヤプー書いたらすばらしいだろね
暗藻ナイトの作品もすき
監獄学園は絵柄がすき
グラマラス
マッドブルやマッドブル2000もすき
よんだことないが森薫の作品などもいいらしいね
最近のコレクション本にあるバニーガールとか
痴人の愛はしらないが、これからもいろいろ教えてね
沼のヤプーは幻冬社だかのをもってるが、
なんか他にも、誰誰バージョンやらいろんなバージョンがあるが、
違いやオススメはある? >>95
女王様ウォーズ、売る女(全巻ではない)はもってるよ
ガンダムの作者のマラヤという漫画や、
警視総監アサミや、名前はわすれたが、
お礼はみてのとおりだか、なんとかとかいう女刑事の漫画や、
サイレンサーにでる女刑事もいいかも
ちらほらあるが金蹴りや玉握りで苦しめる作品あるといいんだがね 97だが、花園メリーゴーランド、いぬ
女性漫画家らしいが、M作品っぽいよね
花園のほうは、筆下ろし田舎地域の風習を題材にした民族学や文化論で、
いぬは、フェチみたいだし、いずれもクオリティ高いといわれてるよね
他の姉三人、弟の題材もエロい姉がでてよかった記憶ある >>96
>痴人の愛はしらないが、これからもいろいろ教えてね
…「痴人の愛」は、谷崎潤一郎っていう文豪(えら〜〜い作家)の書いた文学作品だよ。
沼はアングラだけど、谷崎は表の世界の人だ。日本のマゾヒズム文学者の絶頂で、言って
みれば「日本のマゾッホ」だね。
沼も谷崎を高く買っていて、「手帖」にも谷崎の話がとてもたくさん出てるよ。(ちなみに
「手帖」は、「家畜人ヤプー」と並ぶ沼のただ二つの作品、「ある夢想家の手帖から」のことだよ)
「痴人の愛」は、そんな谷崎の代表作だ。沼も、全部で140章からなる「手帖」の第4章
をまるまる「痴人の愛」の論評に割いている。「ナオミ騎乗図」ってタイトルだ。
http://tecyo.x.fc2.com/01bunnew/004syo-20120506/004syo.html
そんなエラ〜〜い作家の大した文学作品だから、内容がヘンタイでも、まさか閲覧規制な
んてできないよね・・・ってのが>>95に書いたイミだよ。
>沼のヤプーは幻冬社だかのをもってるが、なんか他にも、誰誰バージョンやらいろんなバ
ージョンがあるが、違いやオススメはある?
…「ヤプー」は、もともと「奇譚クラブ」っていうヘンタイ雑誌に連載された小説で、
1970年に単行本化されたんだけど、そのとき大幅な加筆や訂正がされている。その後も
加筆や訂正があったけど、1972年に出された「改定増補決定版」と、その文庫版である
角川文庫版が最高だろうね。もう絶版になって長いので、中々手に入らないけど。
その後は、沼の代理人だった人が「沼正三」を名乗って続編を書いたり、その二代目沼正
三やら編集者やらが正編にもくだらん加筆をしたりした。それが、幻冬舎アウトロー文庫版だ。 >>98
「花園」で思い出したけど、「森園みるく」っていう女性漫画家の「Beehive―蜜蜂の巣」
は、SMクラブに勤める現役の女王様が執筆した本が原作だ。
タクシーの運転手さんが、女王様(沼のいう「職業的女主人」)に見出されて
専属の奴隷になって、云々って話だったよ。 >>100
それしってる
ただ絵はあまり好みではない
いいサイトみつけた
あとではるよ
沼のヤプーはタツミ出版とかもあるが、
中身はほぼおなじ?
全面的降伏だかなんとか見出しがあるんだが
あと90にある安達哲のとこにある収録No.はなんのこと? >>101
>沼のヤプーはタツミ出版とかもあるが、
>中身はほぼおなじ?
>全面的降伏だかなんとか見出しがあるんだが
…>>99で言ってるのは小説の話。辰巳出版のは、その小説を原作とするマンガ本
>90にある安達哲のとこにある収録No.はなんのこと?
…「Kira kira!」は週刊少年マガジンに連載された。その連載の各回にNo.を振ったもの。
ちなみに、単行本第1巻にはNo1からNo11までが収録されている。 >>82
ダメおやじはオレも好きだった。
ただ惜しむらくは、鬼婆がデブスな事だ。
妻を美人にして、萩原一至あたりにリメイクして欲しい。 ゴミムシくん、ずっと探してるんだけど見つからないんだよね。
あのシチュは子供の時に読んでも興奮した。 >>102
サンクス!
アマゾンみるとタツミ出版やら、他の出版でもポーリーン編やらいろいろあるからわからないんだよな
コメント欄みてもないし
芋虫という本や漫画いいらしいよ
アマゾンでもあった http://impression.vc/butabenki/index1.html
ここにヤプーのセッチンに特化した小説が投稿されてる
中年男が女性に拉致された上に四肢切断などの改造を受け
便器の中に埋め込まれる >>107
でしょ? 俺的にはロリ要素が余計だった 俺はSなのだけど、沼のヤプーはSの視点から読んでも面白いよ。
因みに今、自宅に住み込ませてる若いメイドには、「キミコ」と名付けてる。
入浴後のご奉仕内容はヤプーとほほ同じ。
ただ家事全般もやらせてるから、或る意味ヤプーより過酷かw さて、漫画の話も一段落したところで、足舐め譚のつづき。
というか、ここで話題に上った漫画にも、足舐めシーンが結構見つかる。
◆「女王様ウォーズ」(by乾はるか)では、足舐めはスレイバーの大好物という設定。
◆「Kira!Kira!」(by安達哲)では、美少女が素足でケーキを踏んづけて、少年に舐めさせる
◆「蜜蜂の巣」(by森園みるく)では、大学教授がヒロイン洋子のハイヒールを舐める
◆「月光の囁き」(by喜国雅彦)は、足フェチ少年が主人公だけに、感動的な足舐めシーンが点在する
足舐めは、一番手軽にできるSMだ。鞭も縄もいらないし。第一、彼女がSじゃなくても、
普通の前戯の一環として、違和感なく実行できる点がありがたい(多少の違和感はあるか
もだけど、まあ、セーフの範囲内だろ)
それにしても、なんで、M男性は、女性の足を舐めたがるんだろうね…という話をしてた
ら、途中で漫画の話にいっちゃったんだよね。 >>110のつづき
>>85沼は、「奇ク」への本格的な初投稿、「足舐め小説 マゾヒストの會」のまえがきで、
足舐めは、飲尿と同じく、ばっちいものを口にするから、性的に昂奮するんだって言った。
なるほど、素足で歩いたりすると、足裏には床の塵などついて、ばっちいのは、確かだ。
だけど、よく考えてみると、足裏も石鹸で丁寧に洗ったら、ばっちくはなくなる。
そんな「衛生的な足裏」でも、それが美女の足裏なら、舐めさせられるとやはり昂奮する。
それに、足裏だけでなく、足の甲を舐めさせられても、同じように昂奮する。
つまり、女性の足を舐めて喜ぶMの心理は、「足裏はバッチイから」というだけでは説明が
つかない。
沼も、このことに気づいたのだろうか、別の理屈を考えた >>111のつづき
女の足を舐めたがる、Mの心理。
それだけでなく、マゾヒストの抱く様々な願望をまとめて言い表すために、
沼は、「スクビズム」ということを唱えた。
わかりやすくいうと、「女性上位願望」ですな。
沼によると、「スクビズム(M男性の女性上位願望)」は、
「正統マゾヒズム願望の諸相(肉体的重苦は、それ自体としてはこれに属さない)を、
すべて−三者関係を除いては−説明できるのである」(『手帖』第133章「スクビズム」)
沼は「スクビズム」を大きく五類型に分類。足舐めは、第二類型、「肉体的下部」に属する
という。
(ちなみに、第一類型は「肉体的下位」で、女性の馬になりたい、椅子になりたい、という願望を指す)。
『手帖』を引用すると…
U 肉体的下部 文字通りの相手の肉体の下部つまり下半身への関心であるが、特に、足
および足の下半分への執着である。典型的には足部狂崇(フート・フェチシズム)であるが、
転じて靴狂崇(シュー・フェチシズム)にもなるし、靴下や足袋、足趾の間の汚れへの連
想から、足を舐める存在としての犬願望もこれに属する。足で蹴られること、踏まれるこ
と、踏まれる存在としての敷物や靴脱ぎ台への変身願望など、この第二類型はマゾ空想の
非常に広い分野を占める >>113のつづき
「U 肉体的下部」についての、沼の主張を、言い換えると…
脚や足は、人体の中で一番下にある、もっとも賤しい部位とされる。
仮に物理的には汚くはなくても、穢れた部位なのである。
「足舐め」はその賤しく穢れた部位である足や脚に、
人体の中で最も上にあって、普段は清らかなモノにしか触れ得ない、
口唇や舌への接触を強制されるから、
Mはチ○ポが勃つのである。
『手帖』には触れられていないが、土下座だって同じだ。
Mが女性に土下座させられて、チ○ポが勃つのは、
人体の最も上部にあって、個人の人格と同一視される、
高貴なる「頭部」を、
女性の(本来は賤しいとされる)足と同じ、低い位置に移すことを
強いられるからだろう。
ましてや、その高貴なる「頭部」が、女性の足よりも下位に置かれると、
つまり、土下座した頭を踏んづけられたりすると、
彼の尊厳が文字通り踏みにじられたことになり、
既に土下座で勃っていたMのチ○ポは、
極限まで硬度を増すのであった。 土下座した頭を踏まれるシーンは、「マギー's犬」「 同 Jr.」(by叶清作)にも描かれているよ。
ドジを踏み土下座して侘びるジョーの頭を、飼い主のマギーが踏んづけて、ジョーをなじ
るんだけど、そういうことをするマギーが、いかにも下品で、正直、M的感興はあまり湧かなかった。
頭踏みは、『ヤプー』にも登場するね。
こちらは、「懲罰」ではなく、主なる白人女性さまからの、一種の「恩寵」として与えられる設定だ。
胸番号F1の青年黒奴が彼女の前でひざまずいて挨拶した。額の金輪が床に接触していた。
「F1号と申します。どうぞ御足(おみあし)を」
クララがどうしていいかわからずにいると
「足項礼(フット・ネッキング foot-necking)といってね。ここを踏んでやるの。
強(きつ)いほど喜ぶのよ」
と、ポーリーンがささやいて靴をちょっとあげて彼の項(うなじ)を指した。
「こう?」
クララは、右足を平伏している黒奴の後頭部に載せ、靴の踵を金輪にかけて支点にし、
爪先の方で項をギュッと圧迫してやった。
(『家畜人ヤプー』第11章 別荘到着第一歩 第3節 足項礼(フット・ネッキング)
なんと美しく、エロい場面だろう。思わず写生したくなるではないか。
目も眩むばかりに美しい白人女性さまの脚許にひれ伏し、頭に高貴な白人女性さまのお靴
を戴き、お靴のつま先で、うなじをギュッと圧迫され……(*´Д`)ハァハァ >>115のつづき
「足項礼」の場面なんて、ストーリーを進める上ではなくても全然困らない、
いわば枝葉末節ですね。
でも、『ヤプー』って小説は、こういうシーンを描くことで、M読者(&作者自身)の
チ○ポを勃たせるために(沼の言葉を借りると、「自己の性向に応じてのカタルシスの
ために」)書かれた。
だから、こういった「枝葉」の、エロうつくしい描写こそが、『ヤプー』の一番おいしいところで、
ストーリー展開やイースの世界観は、そのための「背景」に過ぎないともいえる
(エロ小説は大抵そうだろうけど)。
もちろん、「背景」自体、作者が本来想定したような読者にとっては、凄くエロいし、
また、そうでない読者にも、奇想天外なストーリー展開や、イースの奇怪な世界観が
面白がられたから、『ヤプー』は生き残ってこられたんだけど。 ちなみに、「足項礼」の場面、「アウトロー文庫版」では、
「(クララは、)
奴隷制当時のアメリカでもこんなことはしなかっただろうにと、内心驚きながらも、
(右足を平伏している黒奴の後頭部に載せ…)」
なんて、小賢しく無粋で愚劣な一文が挿入されていて、流麗な文章の流れが台無し。
盛り上がったM的感興も、一気に萎える。
元・代理人氏だか、名物編集者だか知らんが、困ったことしてくれたもんだ。 >>118 家畜人ヤプー全然読み進まねえww
…正直だね。ていうか、読者の大半が、そうじゃないかと思うよ。
『家畜人ヤプー』を、昂奮しながらさくさく読める香具師って、
白人令嬢の足許にひれ伏してご挨拶し、返礼に頭踏んづけられる黒人奴隷F18号や、
白人マダムの真っ白な足の甲や足裏を、ペロペロ舐めさせられる畜人犬ニューマを、
「羨ましくてたまんね〜〜〜」
なんて素直に思える、
ドエムで白人ヲタなヘンタイぐらいなんでしょうね。本来は。 >>119 のつづき
誰でも『ヤプー』を買えるけど、
誰もが『ヤプー』を楽しめるわけぢゃあない。
「書物は読者に選ばれるものであるが、読者もまた書物に選ばれている」
って、沼正三も、『家畜人ヤプー』改訂増補決定版 あとがき に書いてるよ。
「この小説は元来厳しく読者を選んだ・・・・・
というより、前記のように、初めからごく少数の、イース世界を逆ユートピアではなく
真ユートピアと観ずるような同好者のために書かれたものである」(『家畜人ヤプー』改訂
増補決定版 あとがき)
ところが、意外にも、本来想定してなかった読者にも大受けで、正ちゃんもびっくり!
「それが、刷を重ねて万を越える読者に選ばれたという、その事実に、正直のところ、
私は当惑している」(同)
由紀夫・芳夫・哲夫のお陰だね!
*ところで…
>>78 弥生美術館で開催の「村上芳正 原画展」
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
明日までだよ〜〜ん こんなスレあったのか。
普段、ヤプーとは全く関係ない漫画やアニメを見てても
「このキャラをヤプーにしてみたら萌えそう」と思うことがよくあって
こっそり妄想を書き綴ったりしているけれど
あまりにも誰得なイタいWパロでしかないので、鍵つきサイトでこっそりやってる。
こんな奴って俺だけ? Wパロって一般的には、双方の原作ファンに嫌われる両刃の剣だろ
同人者は好きみたいだがね >>124
確かにそうかもしれないが確実な需要はあるな >>126
いや、ないだろw普通のファンにはボロクソに叩かれるだけだって
>>127
亡くなってるよ >>129
覆面作家の死亡日がはっきりわかっていたら覆面じゃないだろw >>131-132
前スレ(?)どっちのSMショーpart2-マゾッホvs沼正三
http://pele.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1028908359/
の>>964-のリピート。
>>127、>>129も沼正三が好きでネットつながってんなら
沼正三の正体ぐらい自分で調べて見ろよ。
Wikipedeiaつー所に書かれてる沼候補は殆ど死んでると思うがな。
自分で調べて、「沼正三は天野哲夫だったんだ!」と思うなら、それも自由だ。 >>133
>>131-132なんて、見え見えの疑似餌に、あっさり釣られましたな:
こんなのは、無視するのが正解。まじレスした時点で釣られ確定〜〜〜。
ま、俺も今日は暇だし、ちょいと釣られてみますか。
沼正三を「家畜人ヤプー」の作者だとすれば、彼は死んぢゃあいないよ。
荒俣宏が、太田出版版「ヤプー」の解説(アウトロー文庫版「ヤプー」第4巻にも収録)で、
「ヤプー」の作者は「正体不明、かつ存命中」っていう設定だから、「ヤプー」は完結を拒
否する小説だって指摘している。
つまり、誰でも、「俺は沼正三だ!」って言い張れば、「ヤプー」のつづきを書くことがで
きるってわけだ。
だって、沼正三は、正体不明かつ存命中だから、誰もそいつが沼ではな
いとは言えないだろ? >>134のつづき
「ヤプーは現に書き足されている。」って、荒俣は「解説」にハッキリ書いてるね。
つづけて、
「いまや、『家畜人ヤプー』は沼正三氏の意向を越えて独り歩きする異端の生霊である」
と言っている。
流石は荒俣! 続編なるものは、元の作者の意向を越えて、勝手に書き足された代物だっ
て、ちゃんと見抜いてる。
で、そんな書き足しを、「沼正三」の名前で発表することが許されるなら、キミやボクが
沼正三を名乗って書き足しを発表してもOKってことになるわな。
アマノだけがOKで、他の香具師はNGだっていう理屈は、どこにもないもの。 >>135のつづき
>そんな書き足しを、「沼正三」の名前で発表することが許されるなら、
>キミやボクが沼正三を名乗って書き足しを発表してもOKってことになるわな。
>アマノだけがOKで、他の香具師はNGだっていう理屈は、どこにもないもの。
…そうは言っても、年齢的なものはある。
沼の「奇ク」への初投稿は1953年で、記事の内容からして、当時少なくとも20歳は越え
ているはず。
とすると、彼がいくら正体不明といったって、「ボクは沼正三です」と言い張るには、現在
80歳を越えた爺さんでないと、辻褄があわないわな。 >>136
ま、どうせ覆面で顔出しなしなんだから、年齢も「86歳だ」と言い張っていればOKだね。
さて、>>114あたりの足舐め譚のつづき。
女性の足(脚)を愛でる足(脚)フェチの心理を、沼は「肉体的下部」、つまり「足は、女
性の身体の一番下にあるから」と考えた。
脚や足は、人体の中で一番下にある、もっとも賤しい部位とされる。
仮に物理的には汚くなくても、穢れた部位なのだ。
「足舐め」はその賤しく穢れた部位である足や脚に、
人体の中で最も上にあって、普段は清らかなモノにしか触れ得ない、
口唇や舌への接触を強制されるから、
Mはチ○ポが勃つのである。
でも、足(脚)フェチが足(脚)に惹かれる理由は、
単に「足は、女性の身体の一番下にあるから」だけではないでしょう。 >>137のつづき
足(脚)フェチが足(脚)に惹かれる理由は、沼が言う「足は、女性の身体の一番下に
あるから」だけでは説明がつかないと思う。
「女性の足(脚)が、造形として美しいから」といった要因も、大きいはずだ。
脚の美をアートとして表現する、「レッグ・アート」なんてものもあるぐらいだから。
そういえば、『ヤプー』にも、「言葉によるレッグ・アート」みたいな表現がある。
「麟一郎を惑わせたのは、女のまばゆいばかりの脚線美であった。
彼の眼前一尺ぐらいに踏み開いた双脚は、そのまま金色の産毛(うぶげ)の光る
二本の象牙にもたとえられよう」(第2章 円盤艇の中で 第1節 読心家具)
実に巧いね!
「彼の眼前一尺ぐらいに踏み開いた双脚」という描写が、まずM心をそそる。
「女のまばゆいばかりの脚線美」を「二本の象牙」に喩えたのも、絶妙だ。
しかも、「金色の産毛の光る」なんて描写が、凄くナマナマしくて、超エロい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています