>>321
古代の神話的表現の話なら大昔は神様とか超自然を表す様式がなかったので
量的に表現するしかなかったというだけで別にサイズフェチは関係ない
古典的な神話に巨人が出てくるのも古代の壁画に巨人が出てくるのも同じ理由だし
上古の出雲大社がやたら大きかったのも普通の家屋との違いを表現する様式がなくて大きさで表すしかなかったという同じ理由

近代文学の話でいうなら稲垣足穂もその上に連なる宮沢賢治も当然に象徴派の影響が直接的
彼らも含め日本の近現代詩人はそれを萩原朔太郎や堀口大學の訳詞から間接的に学んでるの
ボードレールやマラルメ、ランボーは古代のように神秘性を表す様式が制限されてたわけでなく
擬人という象徴的手法で表現したに過ぎず原典への回帰という事もない
手法としても部分的に過ぎない