男が男を磔にして責めるスレPart3 [無断転載禁止]©bbspink.com
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>>33
前段は傷が治れば元通りだけど。。
エイズなどの病気は怖いから、体液の接触があるプレイの方が怖いわ。 >>35
あるけど、それはSの方がMの血を触ってでしょ。 >>38
受けたい。
一応、前段のハードなのは全て経験ある。
金串は相手を信頼出来てからじゃないと流石に怖いけど、その他はやられたい。。 煙草は個人的に嫌だ
あの臭いがするとSM世界から現実世界に戻ってしまう」 俺は煙草の匂いは好き
香水の匂いは好き
女の化粧の匂いは微妙
年配男性向けの化粧品の匂いは嫌い
コーヒーの匂いは、良いと思う時と嫌な時と両方
自分が飲んでない時の酔っ払いの匂いは臭いだけ 誰かが煙草で局部を焼かれたいなんて書くからおかしくなったw SMバーで3時間連続全裸公開磔
まだ取締がなかった10年前の思い出 大昔、昭和時代の話ですが、親のトラブルで、
さらわれて。歳はじゅうごでした。
救け出される時に、契約書とか、そういうのと交換との事で、
別荘地で磔にされました。
本物の磔柱でした。 ttp://ksj.ayashiki.net/upimg/img20160602214134.jpg ttp://ksj.ayashiki.net/upimg/img20160603001859.jpg >>47
0046です。不慣れで申し訳ありません。
テスト書き込みさせて頂きます。 磔を経験した件になります。
長文になり一度には終わらなそうで
申し訳ありません。
四十年は経っている話です。特定が
怖いので ややぼかす所もあります。
じゅうご さい の五月頃でしたが、
入学して間もない
学校帰り、面識のある 年配男性に
車に乗ってと言われ。
「親」と書きましたが、詳しくは
子供がいない伯父の件で揉め事が起きていたようでした。
私は説明を受け、契約書というか、
なんかの図面でしたか、
それと、私自身を交換するので
「少し怖い目に遭うけど怖いのを
我慢するだけだよ」と穏やかに言われ、
数時間、全く知らない山に
車が入って行くと、目隠しをされました。 車に乗っていたのが数時間、
という意味でした。
車が止まりました。
面識のあるおじさんが後部座席の
私の横にいて、別に運転手もいましたが、
ドアが開いて、複数人の
大人の男の声が聞こえて怯えました。
「怖がらないで」となだめられつつも、
手を後ろにされて縛られて、
口もふさがれて、抱きかかえるようにされて
運ばれて、ドアの開閉の音とかがし、
建物の中に入れられた、と思いました。 ふさがれた口のみ自由にされると、
ここは別荘や撮影スタジオ等がある地域
で、現在、人は周りに居住してないとの
説明をされました。
別荘地だけど、地域的に周りと
隔てられてるとか、寂れてるとか
の理由だったかと。
だから逃げるのは無理だよ、と言われ、
逃げません、と必死に言いました。
ストロボの閃光や、カメラの音が
聞こえました。 特定が怖いと書きましたが、
どうも具体的になってしまいます。
他界してる人もいますし、
色々と大丈夫かと思うので書かせて頂きます。
たしか三泊させられ、4日目の昼に
取り引きの場で磔の目に遭い
その日のうちには帰路につけました。
その日までは六畳くらいの部屋に入れられ、
外からカギをかけられていました。
マンガ本が読みきれないほどありました。
制服や持ち物は全て奪られて、肌着姿でした。
頭がフリーズし震えが止まりませんでしたが
やる事がなく、マンガで気を紛らわせていました。
布団はあり、部屋内にトイレがありました。
面識のある男を仮に「A」とします。
Aはたまに部屋に来ました。
仮に「B」としますが、知らない
五十代らしき男もたまに来ました。
二人で来る事もありました。
彼らは芸能人の話題とかの雑談をして来ました。
また、電話で伯父と話す機会もありました。
親については複雑な事情がありますが、
心配してくれる家族等は限られていました。 レスくださりありがとうございます。
さきほどの続きになります。
四日目の朝食後、説明をされ、
外へ出される状況になりました。
ちなみに体を洗わせてもらったり、
着替えを与えられることもありました。
再び目隠しをされ、後ろ手に縛られました。
屋外に出たんだ、と思いました。
サンダルらしきを履かされました。
上も下も肌着でした。
車で移動しました。車内には
何人もの大人の男らがいました。
ほどいてやる訳にはいかないのだが、
それ以上の暴力は無い、と言われました。
怒鳴られるような事もなかったので
信じましたが、取り引きにあたっては
相手に衝撃を与えたいらしく、
パンツ姿も許してくれと言われました。
(パンツ姿では済みませんでしたが)
再び車から降ろされました。
目隠しを取られると、大きな家の広い庭
らしき場所でした。
かなり高い塀や竹の林などがありました。
私がすぐに気付いたのは、庭の中央に
立ててある磔柱でした。 「お兄ちゃんには、あの磔台に架けられて
もらって話が済むまで待っててもらう」
と言われました。
最初は何の柱だろう?と思いつつ、
なんとなくは分かり、
異様な予感は感じていました。
しかし、磔、架けられる、との言葉を聞き、
時代劇とかに出てくるあれか、と
血の気を失いました。
周りには大人たちは不穏で殺気立った
雰囲気を漂わせており、本気で
何か怖いことをされる、と確信しました。 相手を驚かせる、慌てさせる意図だとの事でした。
取り引きまで時間があるらしく
磔柱や縄の具合を試したり、
実際にあの子をくくり付けた場合の
見た目などをみたりしようか などと
話し合っていて凍り付きました。
軽そうだから大丈夫だろう、との
言葉も聞こえ、本当にそんな事をするのかと。
磔柱は寝かされて、私はそこに
連れて行かれました。 磔の経験の続きを書かせて頂きます。
支配、被支配の関係で数日を過ごし、
何かが麻痺していた私は、
震えるばかりで逆らえませんでした。
書かずにいたことなのですが、その日までの間、
AとBから、性的な虐待を受けたことが
ありました。
いわゆる犯されるまではされていませんが
身体を触られる、とかです。
これらの事で、私は説明のできない、
心理状態でした。
元々の性格とかで個人差はあるでしょうが、
私の場合は、思考が凍りついて言いなりに
なってしまっていました。
磔柱のもとまで連れて来られ、
言葉にすると軽くなってしまいますが、
死ぬほど恥ずかしく、怖いのです。
磔柱の上に寝かされると青空が眩しく晴天でした。
男らに押さえつけられていました。
しかし私の方は体の力が抜けていました。
横木に沿って腕を開かれ手首に縄を
かけられると、言いなりになっていた
とは言え、女性のような悲鳴がもれ
幼児のようにいやいやをしてしまい
恥ずかしく思いました。 Bが縛る役をやりましたが、
Bは人を縛るのにかなり慣れています。
腹部から上 全体を固定され
股を開かれるとさらに惨めでした。
そして男たちが大声を掛け合って
磔柱を私ごと立てていくのです。
地面にある穴に深く落とすらしく、
一度かなり高くされた後、
ゆっくりと、しかしストンと落とされ、
落下感の恐怖でゾッとしました。
そして柱を補強するような事をしていたと思います。
恐怖や恥辱に悲鳴が出そうなのを
必死にこらえ、歯を食いしばりました。
大の字に手足を開かれています。
十人近い男らに見上げられています。
びったりと磔の木にくくり付けられているのです。
股間部を乗せる台が描かれている絵や画像を見かけますが、
そのような物はありませんでした。
全身各所への縄の圧迫感があり息苦しく、
しかし、自分の体重による苦痛は、
怖れていたほどではなく、
蜘蛛の巣にでも捕らえられている
ような感覚だったように思います。
大人らは、見上げたり話し合ったり
していました。
そしていったん磔柱は地面に倒され
縄をほどかれていきました。 ある程度はほどかれたものの、
まだ手足は開かれていました。
男らが私の周りで話し合いをしています。
状況としては、
伯父の部下たちが向かっているとの
事でした。
演出が今ひとつであるような話が聞こえて来ます。
混乱しているなか、「素っ裸に…」
のような言葉が聞こえ、
うまく説明できませんが、頭が真っ白に、
目の前が真っ暗になります。
Bは、足の縄をほどくと
坊っちゃんごめんな などと言いました。
足を押さえられ、下着に手をかけられます。
ここからの心境は言葉では言い表せません。
下着を下げられ足から抜き取られました。
そうしてBの指示で男らは私の股を
開き、下半身の着衣が無いままの
私を大の字にしました。
男らは私を見おろして、この方が
向こうが焦るだろう、というような
話をしつつ、笑ったりからかったり
して来ました。
手足の縄をほどかれると、上半身の
肌着も脱がされ全裸にされました。 そしていったん屋内に入れられて、
見張られながら待たされました。
タオルなどは与えられず膝を抱えていました。
数十分か一時間以上か、途方も無い時間があり、
再び殺気だった雰囲気になり、私は
後ろ手に縛られて、外に連れ出されるのでした。 裸にされて屋内で待たされた時と
違ったのは、庭に、それまで無かった
柵が設けられていた事です。
その柵の向こう側に、少しだけ面識ある
スーツ姿の男たちが数人いて、
伯父の会社の人たちだと分かりました。
その人たちは、私を見て驚き、
そして私の周りにいる男らに激怒して
怒声を上げていました。
私は多少でも知っている人の前で
裸体を晒して恥ずかしくてたまりません
でした。
磔柱の前まで来ると、絶対に嫌だという
拒絶の感情で狂いそうになりました。
大人の背丈よりやや高い位置に自分の
足の裏が来る高さです。
たとえ着衣だとしても、惨めさに
堪えられないと思います。
逆らって怒らせたら、という恐怖心は
あったものの
縄をほどかれ、何人もに手足を取られ、
磔柱の上に寝かされると、
やはり手足が暴れてしまいましたが、
腰が抜けたような状態でして
弱々しい抵抗しかできませんでした。
押さえつけられると、全く敵いませんでした。 手首を縛られてしまうと、もうお終いでした。
大昔に刑罰に使っていたという磔柱に似せて
作ったそんな怖い物に縛り付けられる。
大変な恥辱でした。
肌に縄が触れ、裸体を柱にくくり付けられ、
だんだん身動きがとれなくなっていきました。
脚を開かれて固定されて、とうとう
大の字にされました。
男たちが見おろしてからかいました。
恥ずかしいなどというものではありませんが
言葉が見つかりません。
それどころか高く立てられてしまうのです。
ずっと頭が真っ白だったはずなのに、
その光景、心境は、所々は
記憶がおかしいのですが、
脳に深く刻み込まれてしまいました。
磔柱を立てられて、これが現実とは
受け入れ難い姿にされていました。
風がややあり、そのせいで自分が
裸であることを強く自覚してしまいます。
また、いかにも春から初夏にうつる
感じの晴天で、陽射しが身体に
じりじりしました。
青空が、自分の惨めな状態と対照的に見えて
まぶしいのでした。 伯父の会社の人たちは、狼狽したり
怒ったりしていました。
喧嘩にでもなると自分が危ないのでは
と怖くなりました。
この子の姿を見てみろ、などと
私の下で男らが大声を上げたりしました。
私は何人もの視線を浴びて堪え難い
気持ちですが、手で下腹部を隠すことも
できず、無駄なのに、
手足を動かそうとしてしまい、やはり
無駄なので空を掻いたりしました。
やがてそれも諦め、しかし羞恥の苦しみが
やわらぐことはなく、堪えられない
ながらひたすら忍耐するしかありませんでした。
男らは、トラブルの元になった、
図面の確認とかをしていたのでしょうか。
何かやりとりをしていて、
時々、口論をしていました。 磔の経験の続きを書かせて頂きます。
私はたぶん一時間未満、何十分間か
分かりませんがそうして、
磔柱に縛り付けられたままで人質になっていました。
長い間、ただ晒されていました。
たまにからかわれる以外、放置されていたのですが、
屈辱的な状況は、時間が経つにつれ、
さらにさらにダメージを与えてきました。
人格否定というか、尊厳を奪われているというか
自尊心とかプライドとかが、
毒にやられていく感じでした。
磔柱という道具の、人を屈辱まみれにする
効果は有り得ないものがあったように思います。
やはり、大の字、という姿なのが恥ずかしさの
極みでした。 また、縄、という道具も同じ効果でした。
身動きができない、というだけでは
なかったです。
罪人だとかを逃げられないようにするため
の技で縛られるのですから、
何も悪い事をしていないはずの私にとって、
やはり恥辱の極みなのです。
やはり、じゅうご という年齢も、
酷だったのではないでしょうか。
同性しかいなかったとは言え、
屈辱を与えるために裸にされています。
いちばん辛いに違いない方法で
性器が露わな状態にされていました。
また、その前年あたりから、合宿とかで
友人と風呂に入る時に妙に恥ずかしく
思うようになっていました。
陰毛が恥ずかしかったと思います。
他にも性器の変化や性欲の高まりといった
成長、性徴があり、変にそこが、
凄く恥ずかしい場所のように思えて
仕方ありませんでした。
さらには、それまで何とか堪えていましたが、
磔柱を立てられてからしばらくして、
自分でもコントロールできない状態で
小便をもらしてしまいました。
磔のまま小便小僧をしているようでした。 かなり経った頃に、たぶん
交渉?がもめたのでしょうか、
私は長い木の棒で身体をつつかれたりしました。
脇腹や腹、脚などだったと思います。
私は首を激しく振って、怖がって
声を上げました。
でも小さな声しか出ず
恥ずかしく思いました。
ぎりぎりの自尊心でしょうか、
なんとか歯を食いしばって、
我慢しようともしていました。
脚立のように登れるものが、私の
前後に置かれ、AやBが登って来て
性器に触っても来ました。
そしてひわいな言葉でからかわれました。
されるがままに歯をくいしばる
しかありませんでした。 また、お尻の穴を触られたり、
指を入れられたりもしました。
柱が邪魔なのか、やりづらいようでした。
それが何なのか分かりませんが、
指に何か付けていて、
指を入れられるとぬるぬるした感覚でした。
私はあまり性知識がありませんでした。
他人が性器に触れてくる意図が分かりませんでした。
ただ、世の中には強姦や痴漢といった事があるのはたぶん知っていました。 しかし、同性間でそのような事が起きるのは
想像もしていませんでした。
性器を触られるのは、そういう事なのかどうか、
理解が及びませんでしたが、
ひわいな冗談などを言ってくるので、
性的にもてあそばれてるのだと分かりました。
本当は裸で磔にされる時や、さらわれるその日にも
気づいていました。最初に車に乗せられた時も
尻を撫でられたりしたからです。
しかし、分かっているような分かっていないような感じでした。 細い長い棒というのを目の前で
見せられましたが、
今にして思うと淫具の類でした。
たぶん木製で、先端は男性器によく似た形でした。
これは特注だ、とか言われたと思います。
そういう器具の存在を知りませんでした。
しかしペニスの形だというのは分かりました
ので、気味が悪いと思いました。
少し真を置いて再び見せられると、
どろどろした物が塗ってあるようでした。 閉じ込められている期間、便通について何度か尋ねられていました。
その事なのか、この子はあまり
排便をしていないので
汚物が落ちてこないか気をつけろ、
といった意味の言葉などを話し合って、
げらげらと
笑ったりしていました。
淫具の使用意図が想像できていませんでしたが、
うんち がどうとか、冗談を言っているので、
肛門に何かされるのではと感づいてしまいました。
真下から、細長いその棒が触れてきました。
背後から腿を抱えられてさらに
股を開かれたりしました。 ぬるりとした異様な感覚でした。
異常な恥辱に、心が壊れたと思います。
見た目以上に淫具はでこぼこしていました。
ぬるぬるしたものは
冷たいのですが、後からかっかと
熱い感じもしました。
体の中で器具を動かされましたが、
性的な意図だと分かってしまいました。
性器も触られていました。 レスをくださりありがとうございます。
私の脳裏には青空と太陽のまぶしさが
刻み込まれています。
あまりの身体感覚に、空を仰ぐ感じで
喘いでいたのでしょう。
ただ柱があったので、後頭部が
ごつごつと当たっていたように思います。
喘いでいた、といっても、快感があったわけではありせん。
屈辱と嫌悪感しかなかったのですが、
性的や意図で刺激をされると、
どうしても射精しそうになりました。
最後には射精をさせられてしまいました。
気持ちいいなどとは感じませんでしたが、
生理的にはそうなってしまいました。 それからしばらく学校を休みました。
そして不登校になりました。
磔の件から、数ヶ月した頃、
AとBの二人とばったり会いました。
たぶん私が歩きそうな所で探していたのでしょう。
もう一人知らない男がいて、「この子が例の子か」などと
言って、三人はニヤニヤしていました。
彼らは私が写っている恥ずかしい写真を持ってました。
別荘地の事を言い、またおじさんと
遊ぼう、などと言われました。
私は断れませんでした。
そうして車に乗せられました。
車は以前に行った山の方に向かいました。
彼らの自宅?に連れて行かれた事もありました。
一方的な長文になり
申し訳ありませんでした。
これで話は以上になります。 ありがとうございました
ただ磔柱から降ろされる場面の話も聞きたかったです >>80
後日談で連れられた山では磔はなかったんですか? レス頂きありがとうございます。
大変嬉しく存じます。
えげつない事でしたので、書いて
引かれないか心配でした。
磔柱から降ろされる時の話や
後日談について書かせて頂きます。
記憶違いを訂正したいので、
前後して申し訳ありません、
先に後日談についてお話しします。 後日談の部分は、記憶違いがありました。
その日は、山の方でなく、あまり
遠くではない住宅街に連れて行かれ、
知らない家に連れて行かれました。
その家には、SMの設備がありました。
A、B、C、の三人の男たちでした。
Aはずっと前から少しは知ってる地元の人です。
他の二人は同じ趣味の仲間なのだと思います。
そこには大きな磔柱ではなく、床に足がつく
大きさの十字架やX字架などがありました。
SMという言葉は知らず、拷問部屋だと
思ったので、恥ずかしいのですが、
パンツ一枚でそこに連れて行かれると、
また小便をちびってしまいました 大きな四角形の枠の四隅に手足を
固定するような形で、X字型に手足を
開かれて、そうすると背後に柱がないので、
尻をいじられたりされました。
鳥居みたいな形なのです。
磔の仕方によっては尻が突き出てしまいます。
何度もそこで、縛られては性器をいじられたり、
舐められたり、または肛門に指や淫具を
入れられたりしました。
別荘地での磔ももう一度されました。
大きな磔柱を立てるには人が要るのですが、
前と違って全員が私に性的な興味が
あったようでした。
十人くらい人がいて、磔柱に寝かされて
縛り付け終わると、寄ってたかって
身体を触られたりしました。 ところで、初めて磔にされた日の話に戻ります。
私は自慰をすごく恥ずかしい事だとその頃
思っていました。隠れてしていても
恥ずかしいのに、人前で射精をさせられて
言葉にできない状態でした。
異物で串刺しにされたまま放置されました。
しばらくしてから異物を引き抜かれました。
お尻には異様な違和感があり、じんじんする感覚でした。
そんな事は望んではいないのに、恥ずかしい事に、
射精後少し経つと勃起してしまい、からかわれました。
自宅や学校で、自慰をしたくなるのと同じ
疼きが起きてしまいました。
肛門の疼きもあり、うんうんと悶えてしまいました。
再び性器を触られ、握られると、もう射精を
見られたくないので、いや、いや、
などと言いましたが、
しごかれると あー、などと声が出てしまいました。 もう一度射精させられると、
もう話が済んだのだから降ろしてやれ、
などと怒鳴り声が聞こえました。
確か、立てる時も倒す時も、磔柱自体に
何本かロープをつけていたと思います。
金具が複数付いていました。
磔柱よりもさらに高い所に、ワイヤーか
鉄の棒かが渡してあって、
滑車とかで引っ張って磔柱を立てる補助が
出来たのではないでしょうか。
よくは分からないのですが。
磔柱を倒す時も、脚立に人が登ってきたり
かなり手間がかかっていました。 磔柱が地面に倒されました。依然、素っ裸で大の字に
縛り付けられたままなので屈辱は続いていました。
人の顔が近くなるので、やはり性器が
恥ずかしいのでした。
しかも失禁や射精の後です。
勃起している時に、体液や、
精液の残りのようなのが垂れたりし、
陰毛や陰茎が濡れていたと思います。
その時も、まだ勃起はおさまりきっては
いませんでした。
足から先に縄を解かれると、一人に脚を開かれて、
オムツ替えのようなかっこうにされました。
一人にトイレットペーパーで
肛門を拭われました。
血は出てないと言われました。
汚い物を見られるのが恥ずかしくて
たまりませんでした。 その後の順序は忘れましたが、
手が自由になるとすぐに性器を手で隠しました。
すると、ちんちんがやっぱり恥ずかしいか、
などとからかわれました。
手足はおおむね動かせるようになりましが、
縄が全体に緩んだだけで、
身体に縄がまとわりついていました。
それらをさらに解いていく時に、
縄が肌を撫でていく感じになります。
縛られる時も近いものがありますが、
解かれる時はその感覚が強く自覚され、
屈辱感がありました。
私はまだ全裸でした。自力で立ち上がれず
本当は嫌でしたが、人の手を借りるほか
ありませんでした。
抱えあげられて、屋内に入りました。
風呂に入って良い事になりましたが、
力が入らず震えが止まらないので、
全裸のまま布団に横になっていました。 AやBは、なおも裸や性器を見ようとしたり、尻を撫でて来たりしました。
いいかげんに勘弁してやれ、などと
誰かに言われていました。
そうしてしばらく ぐったりした後、
しかし、風呂に入る気力もなく、
新しい肌着を与えられて服を着ました。
その日は伯父の家に泊まりました。
以上になります。 結局SMプレイで借金棒引きという取引なのかな・・・・ レスくださりありがとうございます。
Mに目覚めたか、といいますと自分では分かりません。
自分から、そういうプレイをしたいと
考えたり行動した事はないです。
経験談のような目に遭ったのは
じゅうご の時ですが、友人らと話していて、
自分は子供っぽいと思っていました。
友人らに比べて、エッチな事への
興味や欲がかなり薄いらしいと
自覚したからです。
しかし、思春期の初め頃から、大浴場やプール
といった場面で、やたらに恥ずかしがるようになってしまい、
友人らにからかわれていたので、
性への意識はあったはずです。 経験談に書いたような辱めに、
悦びや快楽などは一切ありません。
しかし勃起したり濡れたり、
実は触られる前から、微量の射精(?)
のような事が起きたのも現実です。
その時はただ驚き戸惑い、
その恥ずかしさは言い表せません。
マゾヒストなのか、といえば、
そうなのでしょうが、
好きでそうなったつもりがないので、
自分では訳が分かりません。
元はと言えば、大人同士の事業(?)のトラブルが
発端でしたが、
例えば金の貸し借りとかが、
チャラになるほどの価値はないはずです。
最初の磔のしばらく後に要求され、
SM部屋に連れられていた頃、
実は前々から自分が目を付けられていた事を
知りました。
いつの間に目を付けられていたのか分かりません。
エロいことをしようと計画していたとして、
なぜ仕事のトラブルに巻き込んで、
大がかりな事をしたのかは
最後まで分かりませんでした。
以上になります。 借金の踏み倒しの抑止として
子供を拐って脅しの道具に使ったって事なんだろう
殴ったり蹴ったりすると証拠が残るが
裸にして磔なら証拠が残らない
アイデアを出したのは
エロい事目的の奴なんでは
男の子供の身体に興味無い奴からしたら
子供拐って脅すまでしか思いつかない >>101
たしかにその通りですね。
その時も、なぜ裸で磔、などする
必要があるのか、という意見も出ていた
ように思います。
この辺りは記憶があいまいですが、
結局、裸の磔を実行するのかどうか、
さらった事だけ伝われば良いだけなのか、
あるいはパンツくらいはかせて
やれば良いのか。
素っ裸にした方が相手が驚くのか…。
そんな話し合いをそばで聞くのは
苦しいものがありました。
こちらはブルブル震えているのに、
パンツだとか、ふるちん、だとか
話し合ってるのですから、
たまったものではありませんでした。
縛られていた箇所が一部内出血したと思います。
ただ、暴行の痕というほどでは
なかったでしょうし、
徐々に薄れていきましたから
確かに長く残るようなものではありません。 前スレに書き込みしたトゥルンです。
中学の頃からオナニーに耽っていたので、性器睾丸は発達し、液の量は半端ないです。
中学高校大学と水泳部で、先輩達の穿き古した汚い競パンでオナニーしていました。
大学時代はミナミのクラブで可愛がって貰いました。
部室にある誰も穿かなくなったクタクタの競パンを穿いて行くのがお約束でした。
猿轡を咬まされ、競パン一枚で磔にされ、お客さん達にテント責めにされました。
先端は先走りでヌルヌルになり亀頭をあらわにされました。
パンツは競り落とした人が剥ぎ取って持って帰ります。
剥き出しにされた性器を責められ何度も精液を搾り取られました。
ビデオに撮られ売られたものもあります。
忘れられない思い出です。 よく見たら磔が一か所出ているな
存在感なくて見落としたorz 小学生の頃の戦隊モノごっこでいつもピンク役やってて、最初に負けては毎回人質になってジャングルジムに磔にされてた
それで味方の子たちに助けてもらえるまで改造手術受けるんだけど、途中から仲間も洗脳されて敵になって、全員から責められるってのがパターンだった
役割としては女の子の立場だったから女の子みたいなセリフで負けないわ!とか言いつつ、全裸で大の字に縛られて女の子相手には出来ないような事をいろいろやった
動けない状態で習字の筆で身体中を撫でられたり物差しでバシバシ叩かれたりこしょばされたり舐められたり、ナメクジを捕まえてきて何十匹も這わせたり
ピンクレンジャーには何をしてもいいって感じだったし、敵に捕まったら他にどんなことされるだろう?と話し合って出てきたアイデアを片っ端からさせられた
負けました、許してください、もう止めて!と敗北宣言すると女の子にはとてもさせれないような恥ずかしい罰ゲームをしなきゃいけないから必死に耐えてた
実は僕のポジションをやってみたい子は他にもいたっぽいんだけど、子ども特有のカッコつけたいプライドで言い出せなかったみたいで、最後までピンク役はひとりだった
あと、ジャングルジムは秘密基地っぽいけど後ろから弄りにくいから鉄棒や雲梯の方がオススメ 戦隊ごっこは全国共通でみんなやってたと思ってたけど、そうでもないのかな?
基本鬼ごっこや警ドロではまめごだったから、戦隊ごっこでは普通にピンクになってた
それで最初から捕まる役目をやってたんだけど、まめごだと鬼に無視されることが
よくあったから、捕虜役は逆に遊びの中心になれて楽しかったよ このスレの人は丁稚部屋と言うゲイSMのイラストと小説のサイトがあったことをご存じだろうか
作者は病気で亡くなり更新ストップしてそして消滅したけど、作者のブログはまだ残っている そのサイトの看板小説に柊二という若い男が悪徳弁護士によって
奴隷調教所に送られ厳しい恥辱の調教を受けて奴隷になってい話なんだけど
主人公の柊二が本格的な奴隷調教を受ける前に不特定多数の人が行きかうところで
全裸で磔にされるシーンがあった
しかもチンポにはクリップで柊二の個人情報が書かれた紙が吊るされて
悪徳弁護士の解説によると、まず全裸で性器を大勢の前に晒すことによって
奴隷になる自覚を促すのに効果的とのこと
更に全裸磔のまま小便もさせられる 丁稚部屋のアーカイブも以前は存在してた。今は知らん
ただそこもイラスト表示にJAVAなどを使用してた関係か
見れるものと見れないものがあった
>>130の柊二が全裸で両手を吊られ足を大きく広げた人の字状態で磔にされているイラストはアーカイブでも見れてた
もう一つJAVAアプレットのジグゾーパズルで柊二が調教所で全裸で
長時間磔にされている一枚絵と解説があったけど、それはアーカイブでは見れなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています