お仕置き [無断転載禁止]©bbspink.com
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かなり昔(13年前)のコピペです。妄想だと思いますが、初めて読んだ時は興奮しました。
小さい頃、お仕置きで浣腸されていた。妹もいるんだけど、浣腸のお仕置きは私だけ。
喧嘩した時も「お姉さんなんでしょ」の一言で一方的に私だけお浣腸のお仕置き。
妹が見ている前で、パンツを降ろしお尻を突き出す。
浣腸された後、お尻丸出しのまま立たされ、何十分も我慢させられる。
小学生の間ずっとだった。流石に中学に入ってからは浣腸のお仕置きはなくなった。
でも、高校の時にちょっとしたことで妹が憤慨し、母のところに連れて行かれ、
昔のようにお仕置きが必要みたい、と言った。信じられなかった。
妹の前で土下座して何度も謝らせた後、「私はして良いことと悪いことの区別がつきません。
悪いことをしたら浣腸して体で思い知らせるしかありません。」
とまで言わされた。母が見てる前で妹に「お仕置きの浣腸をお願いします。」と言わされた。
私は高校2年の時。だから妹は中学3年の頃。パンツを脱ぎ、お尻を妹に突き出す屈辱。
そして妹から浣腸。昔と同じように下半身裸のまま立たされ、妹から散々お説教された。
そしてやっと解放されトイレを許された。それからというもの、妹の機嫌次第で「お仕置き」をされた。
「妹からお仕置きを受けるなんて情けなくない?」「でかいお尻」とか「豚みたい」とか言われました。
また、我慢している姿を笑われもしました。「高2にもなって、善いことと悪いことの区別もつかないの?」
しかも、声が小さいだの、もっとはっきりだの言われ、何度も何度も言わされました。
妹は結婚して家にいないので、お仕置きされることはもうありません。
ですが、それまでは大人になってもお仕置きされていました。
お仕置きはずっと嫌でした。今でも嫌です。なんで他人にあんな酷いことができるのか私には理解できません。
浣腸以外には土下座させられたり、お尻を叩かれたりしました。 1にこんな長いの書くな。
あと、これオレが書いたヤツな。 これもコピペだけど面白かったから貼ってみる。
母は私を女手一つで育てていたが、私が3歳の時に病気で亡くなった。私は父に引き取られた。
父は結婚していて、妻と5歳の娘がいた。私は父のいわば隠し子だった。
妻の手前か、父は私を認知せずに養子縁組という手続きを取った。
養母となった人の躾はとても厳しかった。
返事は「はい」のみで食事の準備や後片付け等は幼い頃からやらされていた。
成長すると掃除や買い物も加わり高校生になる頃には家事全般が私の担当になっていた。 私が何か失敗をすると養母にお仕置きをされた。2階に納戸があり、そこが私の「お仕置き部屋」だった。
「お仕置き部屋で待っていなさい。」
養母にこう命じられたら、私は納戸に行き正座して養母が来るのを待っていなければならなかった。10分位で来る時もあれば、2時間近くも待たされる時もあった。階段を昇る足音が聞こえてくると私の心臓はドキドキした。ドアが開いて養母が入って来ると、私は土下座した。
「浣腸のお仕置きをお願いします。」
「準備をしなさい。」
養母の私に対するお仕置きは浣腸だった。イチジク浣腸をされるのだが、年齢やした事の内容に応じて、個数と我慢させられる時間が変わってくる。 私は立ち上がりスカートとパンツを脱いで、養母にお尻を突き出した。
「さあ、お仕置きよ。」
そう言って、養母はイチジク浣腸を私の肛門に挿入して容器を潰した。お尻丸出しで立ったままウンチを我慢させられるのだが、小さい頃は大抵お漏らしをしてしまった。そうすると、お尻を出したまま排泄物の掃除をさせられた後、
「もう1度浣腸のお仕置きをお願いします。」
と言わなければならなかった 3回漏らしたら、一晩中お仕置き部屋に閉じ込められた。トイレにも行けないので、当然お漏らしをしてしまう。朝養母が竹の物差しを持って来る。
「この子ったら、またお漏らしをして。」
と叱られて、四つん這いの格好をさせられて、お尻を物差しで100回叩かれた。痛くて泣き叫んでも止めてくれなかった。
高校生になっても1回目はお漏らしをしていた。高校生がお尻丸出しで浣腸のお仕置きをお願いする姿は、今思うと異様だが当時の我が家では見慣れた光景だった。2回目か3回目で「合格」するが、トイレに行かせてくれず、養母の見ている前でバケツに排泄させられた。 養母は実子である義姉には浣腸のお仕置きはしなかった。浣腸はあくまで、私だけのお仕置きだったのである。
高3の時養父(実父だとこの時は知らない)、養母から以下の事を言われた。
・お前は養父の隠し子で母親は家の女中だった
・女中の子供であるお前を高校にまで行かせてやった
・今後お前はその恩を返すべきだ
・高校を卒業したら女中としてこの家に仕えろ
・使用人になったら今まで以上に厳しくするし、家族としては扱わない
・嫌なら高校卒業と同時にこの家を出て、2度と戻って来るな 無一文で追い出されても行く所がないので、私はこの家の使用人になった。
養子縁組は解消されて、養父はご主人様、養母は奥様、義姉はお嬢様になった。それまでの子供部屋から地下の使用人部屋にウ移された。
朝早くから夜遅くまで働かされて、些細な事でお仕置きをされた。もちろん浣腸だが、イチジクではなく、イルリガートルで洗面器一杯の浣腸液や薄めたお酢だった。
「お前の母親にもこうやって浣腸をしたものだよ。」
ある日、奥様は私に浣腸をしながら言った。衝撃だった。浣腸は使用人を躾ける為の手段だったのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています