例えば、SMのサディズムのDSMの定義は、Wikipediaに出ているのを引くと
A. 成人早期までに現れ、全般的に残酷で、品位がなく、攻撃的な行動パターンで、以下のうち少なくとも4つがくり返し起こることで示される。
人間関係における優越感を得るために、身体的虐待または暴力を用いたことがある(単に、何らかの非人間関係的目的を達成するためではない、例:強奪するために誰かをなぐる)
他人の目の前で人を辱め、けなす
自己の支配下で、誰かを非常にきびしく扱いきたえたことがある(例:子供、学生、囚人、患者)
他者に精神的または身体的苦しみを与えること(動物を含む)を楽しみ、喜ぶ
他者を傷つけたり、苦痛を与える目的で嘘をついたことがある
他の人達をおどかして、自分のしたいことをやらせる
親しい人間関係にある人々の自律性を制限する(例:連れなしでは配偶者に外出させない、または10代の娘に人の集まる所に出ることを許さない)
暴力、武器、軍事、傷害、または拷問に魅せられる
B. Aの衝動は1人の人物だけ(例:配偶者、1人の子供)に向けられてもいないし、単に性的興奮のためだけのものでもない。
要するに、規律への強い憧れや、他者を鍛錬することもサディズムなら、殴る蹴る、人の面子を潰す、脅すと言ったこともサディズムだ。
前者は社会的に許容されやすいが、後者は社会的には指弾されうる。
でも、定義というならどちらも入る。
医学的な定義ですらこれほど広いのに対して、ここで言っている日本語のSMは医学的な定義にスカトロも入れば、アナルへの執着などの性行為の様々なバリエーション、さらにはフェティッシュな装いへの強い関心まで入るとても広い概念だ。
自分が信じたいSMをのみをSMの定義だというのは傲慢で不適切ということになる。
このクラブではお金でSは自分のSプレイをして、M嬢はそのお金でそのプレイを受ける。
Sがそのお金でできる内容はM嬢が決める。
それで何も問題ない。