1911年の辛亥革命によって清王朝は滅亡。
1912年溥儀は退位したが、袁世凱との合意のもと「大清皇帝」の尊号を与えられ、紫禁城の内廷で生活。
1915年に袁世凱が中華帝国を宣言。皇帝を称するが短命に終わる。
1917年袁世凱の死後、張勲の復辟によって溥儀は再び皇帝となるが、10日余りで失敗。軍閥時代へ。
1923年溥儀は紫禁城内の宦官の解雇を命令(7月16日)。地方出身者には後日解雇帰郷手当支払。
1924年直隷派軍閥の馮玉祥が国民軍の名前で北京で軍事クーデター。溥儀が紫禁城を退去(11月5日)
1925年溥儀を日本領事館が保護。孫文死去、蒋介石が中国国民党政府掌握へ。
1928年国民党の北伐。
1930年中原大戦で国民党勝利。
1931年満州事変(9月18日)。
1932年満州国建国(3月1日)。溥儀が皇帝に。

だいたいここらへんぐらいまでが辛亥革命のどさくさ。
紫禁城の内廷は紫禁城の奥三分の一ぐらい。外廷は中華民国が管理。
今でも外廷から内廷に入ると建物の表示に満州文字が加わる。(外廷は袁世凱が中華帝国宣言時に漢字だけに取り替えた。)
1923年に1000人いた宦官が7月16日の追放令で一時は約40人(43人という文献あり)に、しかしそれでは宮廷内が回らずに一部を呼び戻し1924年の溥儀追放時には500人ぐらい(これも文献によると523人)に戻っていた。
解雇帰郷手当支払まで時間がかかったので、地方出身の宦官はしばらく北京市内の雁翅楼というところにに身を寄せていた。