森喜朗降ろしはちょうど20年前の首相時代のえひめ丸事故と重なるな。
あの頃も野党とマスコミがとにかく森喜朗に一方的な集中攻撃を浴びせて辞めるまで追い詰めていたな!ただでさえ気に入らない憎き敵を撃ち落とすなら今がチャンスと言わんばかりに異常な空気を作り上げていた。
誰もが森リンチに無我夢中で、えひめ丸で犠牲になった被害者の死を悼む者など皆無だった。

森喜朗は平成以降左傾化した日本を立て直そうと、政治、経済、外交、防衛などの国家の方針を真っ当な方向へと戻していった。
それが中共朝鮮の傀儡と化した野党やマスコミに狙われ、尋常ではないバッシングに終始された。そこにとどめを刺されたのがえひめ丸事故。自民党内からも左翼野党マスコミと同調して反旗を翻し、森降ろしに荷担して手柄を手にしようとした卑劣な奴らも出てきた。
結局森は総理を辞任した。その後を継いだのは小泉純一郎だった。
小泉は「聖域なき構造改革」を掲げ、わかりやすいワンフレーズを乱発し、外務大臣に当時人気があった田中真紀子を起用し、盛んに大衆世論に訴えていくことで支持率が歴代最高になるまで押し上げた。
どこか前時代的だった森との違いを鮮明にアピールすることで、国民だけでなく、野党やマスコミからも一定を評価を認められるまでになった。

だが国家としては果たしてどうであったか?小泉は「構造改革」で国有機関の民営化、規制緩和、経済学者の竹中平蔵と組んで徹底的な緊縮財政を含めた「小さな政府」を目指し、日本型経営が柱の資本主義から市場原理主義経済への変革を唱えた。
外交では歴史教科書問題や靖国神社参拝問題は、日本の立場をまるで中共朝鮮に譲歩するかのように崩していった。
肝心の外相が田中というのが大きな痛手で、靖国参拝も野党はもちろん与党内からも反対が相次ぎ、田中もまるで中共の政府要人かと勘違いするほどだった。
そこに日本の国益を死守するという概念は眼中に無い。
小泉も「8月15日靖国神社公式参拝」を公約だと断言しておきながら、結局国内外の圧力に屈して、8月13日に前倒しで私的参拝という形を取った。
更にこの時靖国神社と別の代替として、無宗教の国立追悼施設建設の提案や、いわゆるA級戦犯の分祀案が浮上し、国民が動揺した。

そして2001年9月11日。米国で同時多発テロ事件が発生する。小泉はいち早く米国に同調してテロを非難し、米国主導の対テロ戦争を支持すると明言した。
その2ヶ月後テロの実行犯とされるアルカイダの創設者ウサマ・ビンラディンを匿っていたアフガニスタンのタリバン政権に対する制裁として報復攻撃が開始。日本は自衛隊を後方支援という形で派遣した。

後にイラクのサダム・フセイン政権が、大量破壊兵器の開発・貯蔵してると疑惑の目を向けられ、国連の査察入れさせるも、決定的な証拠を発見できないとなっても、米英は国連決議を無視してイラクに宣戦布告した。
小泉はこの時も米英を支持し、国内の反対の声も無視し、イラクへと自衛隊を派遣してしまった。
フセイン政権は倒れたが、イラクから開戦の大義であった大量破壊兵器はとうとう発見されず、それどころか証拠の捏造・改竄した事実まで明らかになり、完全に誤った戦争となった。
フセインは米軍に捕らえられた後死刑が執行され、数百万人が犠牲になったイラクは泥沼化し、安定する兆しは見えなくなった。ビンラディンもその後米軍の部隊に殺害されたが、対テロ戦争が完全に終結は未だにしていない。

小泉に変わって、日本は構造改革により貧富の格差が拡大し二極化していった。GDPは中共に抜かされ転落。歴史認識で中共朝鮮に妥協した結果、両国で反日運動が過激化。
北朝鮮は拉致を認めたが、全員帰還は未だに実現せず、核ミサイルの開発まで成功させてしまった。台湾とも中共に配慮し円滑な交流ができていない。
対米間ではアフガン、イラクと日米同盟の従属関係が強化され、憲法改正も自主独立も遠のくばかり。米国から毎年突きつけられる年次改革要望書に沿って郵政民営化を実現。
一連の改革が米国の要望に応えるものであることがハッキリした。
その後安倍晋三が政権と共に構造改革路線を引き継ぎ、途中民主党政権を挟んで、再び安倍そして菅義偉に至る。
悪夢と言われる民主党政権時代も、小泉以降の閉塞した状況に辟易した国民が自暴自棄で選択してしまったのであり、自民党に責任は無いと言えない。
この流れを作った最大の原因は一体誰か?あの時森を降ろして正解だったか?当時の人間は誰も知るまい。