負けた側の心を癒すための物語はそれはそれで必要だからなんとも。
平家物語みたいなもので、全否定はすべきじゃないと思う。

柴さんとか当時の人たちはあれこれ(西南戦争への態度でも千差万別だったし)あっても
遺恨を乗り越えてヌホンのために協力するようになったのに
当時を知らない人が悲劇の美談を聞かされて「今、自分が体験したような気になって恨みを持ち」
癒えつつあった傷を上から引っかくようになるのがなぁ…。

>>658
攻め寄せた政府軍側の指揮官がご存知、板垣退助だったんだけど、
攻め手と守り手がほぼ同数で、もしも会津の民衆が鍬でも鋤でも持って軍勢に加わってたら
絶対に勝ち目がないって覚悟してたんだけど、
当時の農民たちにとってはやっぱりまだ戦=武士の仕事で逃げるだけで加勢しようとしなかった。

これからは士族だけで戦っていては当時の弱肉強食の国際社会では生き残れない、
商人から農民まで国を挙げて戦う意思を作らねばいけない
そのためには、全ての人に同じ国民としての権利を与えて国を守る動機を持たせねばならない
っていう発想から、板垣退助が自由民権運動に人生をささげることになったんだけど
その辺のいきさつ全然学校で教えないから「板垣退助=自由民権運動」って暗記にしかならないんよね…。