美少女・美女を力士に改造
0001...φ(・ω・`c⌒っ2006/04/17(月) 06:44:26ID:wQvZqXuK
美少女や美女を性転換して力士にしよう
変身前(女)変身後(男)のイラストおねがいします
0204...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 19:45:22ID:A2ADkoD8
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0205...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:30:57ID:A2ADkoD8
32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/03/02(日) 17:19:28.93 ID:p/gjZgnk0
前スレ>>239
?肩にかかる程度の長さの茶髪のツインテール
?オッドアイ
?赤いセーター
?白いショートダウンジャケットを羽織っている
?青いヒラヒラミニスカート
?白のニーソックス
?二丁拳銃
?歳ぐらい
ttp://vipmomizi.jog.buttobi.net/cgi-bin/vestri/src/vestri24167.png
イメージ合ってるかな?
0206...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:31:59ID:A2ADkoD8
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なのはとティアナとヴィヴィオが合体するとこんなにも強くなるのね・・・。
私も負けないよ!
0207...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:44:27ID:A2ADkoD8
金剛型戦艦
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金剛型戦艦

0208...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:45:07ID:A2ADkoD8
金剛型戦艦

艦級概観
艦種 戦艦
艦名 山の名
前級 河内型戦艦
次級 扶桑型戦艦
同型艦: 金剛、比叡、榛名、霧島
竣工: 1913年8月16日(金剛)
1914年8月4日(比叡)
1915年4月19日(榛名)
1915年4月19日(霧島)
喪失: 1944年11月21日(金剛)
1942年11月13日(比叡)
1945年7月28日(榛名)
1942年11月15日(霧島)
0209...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:45:28ID:A2ADkoD8
性能諸元
排水量: 26,330 トン(竣工時)
32,000トン(改装後)
全長: 214.6m(竣工時)
222m(改装後)
全幅: 28.04m(竣工時)
31.02m(改装後)
主機: 蒸気タービン2基4軸
64,000馬力(竣工時)
蒸気タービン4基4軸136,000馬力(改装後)
最大速力: 27.5ノット(竣工時)
30ノット(改装後)
航続距離: 8,000浬(14ノット時)(竣工時)
10,000浬(18ノット時)(改装後)
乗員: 約1,200名(竣工時)
約1,300名(改装後)
兵装: 35.6cm45口径連装砲4基
15.2cm50口径単装砲16基
53.3cm魚雷発射管8基
(竣工時)
12.7cm連装高角砲6基
機銃多数
カタパルト1基
水上偵察機3機
(改装後)
装甲: 水線203mm
甲板70mm
弾火薬庫甲板
64mm〜102mm
(改装後)
備考: 各艦個別に若干の差異があるため、詳細は各艦の項目参照。
0210...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:47:29ID:A2ADkoD8
金剛型戦艦(こんごうがたせんかん)は、大日本帝国海軍の戦艦の艦級。
日本初の超弩級巡洋戦艦であり、また英国によって建造された最後の日本主力艦である。
太平洋戦争時には最古参艦でありながらも30ノットの快速を利して機動部隊護衛などに活躍、戦記などでは、「高速戦艦」と呼ばれることも多い。
0211...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:48:31ID:A2ADkoD8
目次 [非表示]
1 命名の由来
2 建造の経緯
3 艦型・兵装配置
4 第一次世界大戦と軍縮時代
5 金剛型の用兵思想の変遷
6 艦型変遷
6.1 第一次改装まで
6.2 第一次改装
6.3 練習戦艦比叡
6.4 第二次改装まで
6.5 第二次改装
6.6 出師前準備
6.7 大戦中の変遷
7 関係年表
8 参考文献
9 同型艦
10 関連項目
11 外部リンク
0212...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:51:42ID:A2ADkoD8
命名の由来
この頃の命名慣例によれば戦艦には旧国名が名付けられているが、本級はまず装甲巡洋艦(一等巡洋艦)として計画されたことから、同型艦全て山岳名が名付けられている。


[編集] 建造の経緯
日露戦争以降の日本海軍は、それまで英国にのみ頼ってきた主力艦を自国で建造すべく研鑚を重ねていた。
ところが1906年にイギリス海軍により画期的戦艦ドレッドノート、さらに1908年にドレッドノート同様の戦闘力を持つ「巡洋戦艦(battle cruiser)」インヴィンシブルが発表されると、従来の主力艦は軒並み”時代遅れ”となってしまった。
これは装甲巡洋艦筑波型・伊吹型・戦艦薩摩型・河内型といった国産新鋭装甲巡洋艦・戦艦についても同様であった。
これにより日本独自の技術だけでは超弩級戦艦・巡洋戦艦時代の建艦競争に勝てないことが明らかとなった。

そこで日本海軍としては英国の進んだ建艦技術を学ぶべく主力艦建造を英国に依頼、その設計を元に日本国内でも建造を行うこととし、当時「伊号装甲巡洋艦」として計画中だった艦の建造を英国ヴィッカース(Vickers)社に発注することとなった。
これが1番艦「金剛」で、同型艦はそれぞれ2番艦「比叡」を横須賀海軍工廠、3番艦「榛名」を神戸川崎造船所、4番艦「霧島」を三菱長崎造船所で建造と、初めて民間に主力艦建造が為され、同型主力艦4隻を同時に建造出来る態勢を整えた。
「榛名」と「霧島」は、初の民間による戦艦建造と言うこともあり、両社の対抗意識はすさまじく、起工は榛名が、進水は霧島がそれぞれ先を争うように進行し、竣工が同じ日となっている。
榛名の進水が遅れたことにより、川崎造船造機部長が自殺する事態になったという。

設計はヴィッカース社の軍艦設計部長ジョージ・E・サーストン卿により、当時英海軍最新鋭にして世界最大最強の巡洋戦艦であったライオン級巡洋戦艦を元に行われた。
主砲は当初30.4cm(12in)50口径砲を予定していたが、ライオン級では34.3cm(13.5in)砲を搭載すること、
及び35.6cm(14in)45口径砲なら30.4cm50口径と大きさにほとんど差が無いことなどから、35.6cm砲連装砲塔を4基搭載することとした。
また副砲もライオン級が10.2cm(4in)砲16門に対して金剛では15.2cm(6in)砲16門を搭載、しかもやや優速を発揮し、手本となったライオン級を、殊に攻撃面で凌駕していた。
さらに、35.6cm砲は当時世界最大の巨砲であり、金剛の竣工は同砲を搭載する米海軍戦艦ニューヨークよりも早かったため、誕生時にはまさに世界最強の巡洋戦艦であった。

なお、「金剛」計画時、海軍は議会により戦艦1隻・装甲巡洋艦4隻建造を認可されていたが、日露戦争以来、英海軍のフィッシャー提督の提唱と同様、
日本海軍でも「速度こそ最大の防御」とする考えが強く、結果として装甲巡洋艦(巡洋戦艦)4隻の建造に踏み切った、と言われている。

0213...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:55:43ID:A2ADkoD8
[編集] 艦型・兵装配置
本級は従来日本戦艦に多用された垂直型艦首ではなく、より凌波性に優れたクリッパー型艦首を持っている。
前甲板に1・2番主砲塔を背負式に配置、艦体中央に艦橋などの上部構造物、後甲板に3・4番主砲塔をやはり背負式に配置している。
また、左右両舷にはそれぞれ砲廓式の副砲が一列8基ずつ配置されている。
船体は上から見ると細長く流麗なデザインとなっている。

金剛設計の元となったライオン級では、3番主砲塔と4番主砲塔との間に煙突などの構造物があり、後方へ向けての射撃力は金剛に著しく劣っていた。
それで英海軍では、建造中であったライオン級4番艦「タイガー」の設計を見直し、金剛同様の主砲配置に変更する、という一幕もあった。

金剛建造当時、海戦は距離8,000m前後で行われると想定されていた。
このため、戦闘中に砲撃よりも強力な雷撃を併用することが考えられており、本級も53.3cm魚雷発射管を8門装備している。
これはそれぞれ1番主砲塔前方・艦橋・4番主砲塔・艦尾の喫水線下に側面向きに固定装備されており、このうち最前方・最後方の2対については艦幅が発射管の長さ2本分に満たないためか左右対称ではなく前後に少しズレた形で配置されていた。
但しこれら魚雷が実戦で使われた記録は無く、またいつごろ撤去されたのか、あるいは末期まで搭載されたままだったのか、明快な資料は見当たらない。
0214...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 20:59:27ID:A2ADkoD8
第一次世界大戦と軍縮時代
金剛竣工間も無く、第一次世界大戦が勃発した。
イギリスと日英同盟を結んでいた大日本帝国も連合国軍として参戦することとなり、金剛ら新鋭の巡洋戦艦群にも出撃命令が下された。
当時金剛級4隻から成る第三戦隊は世界最強とうたわれており、北海・地中海方面のドイツ海軍に手を焼いていたイギリス海軍からその一時貸与を申し入れられることもあった。
さすがにこれは断ったものの、太平洋や中国方面のドイツ東洋艦隊の動きを封じるべく活動を行った。

第一次世界大戦中の1916年5月、海軍史上有名なユトランド沖海戦が起こり、これが巡洋戦艦たる金剛級のあり方を大きく変えることとなった。
海戦自体は史上最大規模の砲撃戦であるにも関わらず主力戦艦の沈没は皆無である一方、巡洋戦艦が両軍合わせて4隻も撃沈されるというものであった。
特に金剛級の手本となったライオン級の3番艦「クイーン・メリー」がドイツ巡洋戦艦「デアフリンガー」からの唯2発の直撃弾によって轟沈させられたことは衝撃的で、
実は金剛級の攻撃力・速力の優位はライオン級よりも装甲を若干薄くすることによって得ていた(例の「速度こそ最大の防御」という考え方による)ものであったため、遠距離砲撃戦によって大きな角度で落下する敵砲弾に対する防御力の脆さは、より深刻なものと受け止められた。

一方、終戦後戦勝国の間で激化し始めた建艦競争を沈静化すべく1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結された結果、本級の後継上位艦種として期待されていた天城型巡洋戦艦が建造出来なくなったため、金剛級を改装して「ポスト・ジュットランド」型戦艦とすることとした。
まず1924年、先に事故を起こして現役を離れていた榛名を皮切りに改装に入り、霧島・金剛・比叡と続いて改装を行っていたが、1930年のロンドン海軍軍縮条約により金剛型1隻を削減することとなったため、改装の進行度が最も遅れていた比叡をこれに充てることとした。
これにより金剛・榛名・霧島は排水量29,330トン(約3,000トン増加)となり従来より耐弾性を強化したが、その代償として速度が25ノットにまで落ち込み、1931年6月に艦種類別を「戦艦」へと変更された(このとき「巡洋戦艦」という類別は廃止された)。
いっぽう比叡は、4番主砲塔及び一部の装甲と缶が撤去され排水量19,500トン、速力18ノットの練習戦艦になった。
比叡はこうして戦力外にこそなったものの、重量と任務的には余裕が出来たため、4番砲塔部に見学用の台を設け昭和天皇の御召艦を何度も務めるなど軍艦としては名誉な役回りを演じることとなる。

ロンドン海軍軍縮条約の満了期限が迫ると、各国とも条約の枠組みに囚われない艦を建造、または既存艦の改造に着手するようになり、
金剛級もまたもや榛名を皮切りに霧島、金剛と第二次近代化改装に入り、条約脱退を宣言した頃にはこれら3艦の改装もだいぶ進んだ状態にあった。
3艦の改装完了後、長らく練習戦艦として過ごしていた比叡もまた、それら3艦が二度に分けて行った改装をまとめて施し、戦艦として復帰することとなる。
なおこの際、比叡は後の大和型戦艦に導入される新技術のテスト艦となり、他の姉妹艦よりも大和に酷似した艦橋を持つことになったことが知られているが、
他にも主砲旋回部に旋回速度の速い水圧機関を導入するなど、他3艦とはかなり違った艦となった。

かくして、改装後(各艦細かな違いはあるものの)32,000トン、30ノットという快速を誇る高速戦艦として、金剛型は生まれ変わったのである。

0215...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:01:31ID:A2ADkoD8
金剛型の用兵思想の変遷
戦前の大日本帝国海軍の戦略思想は、飽くまで戦艦部隊同士による砲撃戦により雌雄を決する、いわゆる「艦隊決戦」思想であった。
この場合の金剛型の任務は、まず決戦前に戦場に展開、味方の水雷戦隊を妨害するために展開する敵巡洋艦隊をその砲火力で圧倒し、
さらに水雷戦隊や巡洋艦隊を掩護するために主隊とは別行動を取る敵戦艦を砲撃して挑発し、その速度をもって味方主隊の射程内におびき寄せる、というものであった。

ところがいざ太平洋戦争が始まると、戦いは航空戦主体のものとなった。
しかもマレー沖海戦で航空攻撃の前に戦艦が無力であることが明らかとなると、従来決戦の主役とされた長門型や扶桑型などは活躍の場を見出すことが出来なくなった。
しかしながら金剛型だけは航空母艦と行動を共に出来る速力を発揮できたため、その護衛任務を与えられることとなる。
この場合は、まずその大きな艦体で敵攻撃機の注意を空母からそらし、なおかつその搭載された多数の対空兵器によって敵航空部隊を駆逐することが期待されていた。

戦争が進みガダルカナルでの苦戦が続くようになると、敵航空基地を砲撃粉砕することが陸軍により求められた。
当初は巡洋艦・駆逐艦を主体とした作戦を実行していた海軍だったが、敵艦隊との遭遇戦が起きたり、砲撃に成功しても大きなダメージを与えられず早期に復旧されてしまうため、戦艦の大口径砲による撃砕が考えられた。
この際、敵航空機の広い索敵範囲の外から侵入して砲撃、さらに敵攻撃圏外への撤退を一晩で行える速度が求められ、高速の金剛型に白羽の矢が立ったのである。
このヘンダーソン基地艦砲射撃は一度は成功に終わるものの、陸軍側の不手際により再度攻撃を敢行することとなり、その結果、第三次ソロモン海戦が勃発、比叡・霧島が戦没した。

0216...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:04:24ID:A2ADkoD8
[編集] 艦型変遷

竣工時の金剛(1913年)
第一次改装直前の金剛(1924から28年)金剛型の艦型の変遷を記述する。
0217...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:04:46ID:A2ADkoD8
[編集] 第一次改装まで
煙突
金剛は竣工時、煙突の高さが3本とも同じであり1番煙突の排煙が艦橋に逆流する問題があった。
そのため他の同型艦と同様に1番煙突を高めた。
しかしこれでも十分でなく金剛、比叡には1924年(大正13年)ころに三日月形のキャップが設置されている。
方位盤
榛名は1916年(大正5年)2月に方位盤照準装置の試作機を装備し実用実験を行った。
これは主砲を統一して運用するためのものである。
場所は前檣トップの射撃指揮所を拡張して装備された。
その年の8月に射撃試験を行い満足の行く結果が得られたので一三式方位盤として正式採用され、金剛型を含む戦艦、巡洋戦艦、巡洋艦に順次装備された。
探照燈
1917年(大正6年)から1919年(同8年)にかけて各艦とも前檣中段に探照燈を集中配備するよう改められた。
これは夜間の水雷艇攻撃に対処するためと言われている。
1924年(大正13年)ころには前檣と1番煙突の間にプラットフォームを新設しそこに移設されている(金剛のみは1番煙突と2番煙突の間に移設)。
この時前檣には副砲指揮所、照射指揮所などが設けられ日本戦艦独特の檣楼型の前檣が形作られている。
主砲
1920年(大正9年)より各艦主砲仰角引き上げ工事を実施し従来の20度(金剛は25度)から33度に引き上げられた。
これにより射程距離が28,600メートルまで延長された。
同時に弾薬庫が改正され、1門当たりの弾数が80発から100発に増加した。
また砲塔天蓋の装甲も76mmから154mmに強化された。
係留気球
1922年(大正11年)に比叡は艦尾に気球係留装置を装備した。
これは弾着観測用の装備であったが水上機が実用化になり1926年(大正15年)ころに撤去されている。
水上機は順次搭載されていき、比叡の場合は1927年(昭和2年)より3番砲と4番砲の間に搭載された。
魚雷防御網
1926年(大正15年)ころに各艦とも魚雷防御網を撤去している。
0218...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:07:18ID:A2ADkoD8
第一次改装

第一次改装後の榛名(1931年)第一次世界大戦でのジュットランド海戦では遠距離砲戦でほぼ垂直に落下する砲弾によりイギリス艦隊に多大な損害が生じた。
この時の戦訓により各国海軍は戦艦、巡洋戦艦への水平防御の強化に迫られた。
日本海軍も例外でなく金剛型に対しても水平防御強化のための第一次改装が行われた。
0219...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:08:00ID:A2ADkoD8
実施時期
この第一次改装は榛名が1924年(大正13年)3月から1928年(昭和3年)7月30日(もしくは7月31日)まで横須賀海軍工廠で、
霧島は1927年(昭和2年)3月から1930年(昭和5年)4月16日(もしくは3月31日)まで呉海軍工廠で、金剛は1928年(昭和3年)12月1日から1931年(昭和6年)9月15日(もしくは3月31日)まで横須賀海軍工廠で行われた。
比叡については後述する。
水平防御
弾薬庫上に4インチ(101.6mm)のNVNC甲板が、また機関上には3インチ(76.2mm)のHT鋼板が追加された。
水中防御としては舷側に1インチ(25.4mm)のHT鋼板を3,4枚重ね、その外側にバルジを設けた。
これで対36cm砲弾の防御とされたが不十分だったとされている。
主缶
この改装では同時に主缶の換装も行われている。
竣工時は各艦石炭重油混焼缶を36基装備していたが技術進歩により1缶当たりの出力があがり、
榛名の場合、ロ号艦本式重油専焼缶6基、同混焼缶10基に交換された。
またその後に改装された金剛、霧島の場合は専焼缶4基、混焼缶6基と更に少なくなっている。
これにより今までは燃料は石炭が主、重油従であったが、重油が主、石炭従の形となった。
更に重油専焼となるのは第二次改装を待つ必要がある。
また外観上の変化としては缶の換装により煙突が2本となった。
これは旧第1煙突が撤去された形となった。
速力
主機のほうは交換されずそのままで変更は無い。
改装による排水量の増加、バルジによる艦幅の増加などから速力は低下した。
ちなみに改装後の公試成績は榛名25.9ノット、霧島26.3ノット、金剛26.0ノットであった。
比叡以外の金剛型各艦は1931年に巡洋戦艦から戦艦に類別を変更している。
航空兵装
水上機の搭載であるが金剛は既に改装前から搭載していた。
榛名、霧島はこの改装から搭載された。
高角砲
8cm単装高角砲4門と7.7mm機銃3挺が装備された。
0220...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:10:39ID:A2ADkoD8
[編集] 練習戦艦比叡
ワシントン軍縮条約により新戦艦の建造を凍結した各国であるがそれでも既存の艦の維持費で財政が圧迫されていた。
そのため昭和5年締結のロンドン軍縮会議では主力艦の一部破棄も決定した。
日本海軍では1隻破棄とされ金剛型の中で最後に工事中だった比叡が選ばれた。
ただし条件を満たせば練習戦艦としての存続が認められたのでそれに沿って改装された。
主な改装点は


練習戦艦時代の比叡。
装甲撤去などで乾舷が高い。
4番砲塔の撤去(主砲塔は3基を超えない条件)
魚雷発射管の全廃
舷側装甲の撤去
主缶は重油専焼缶大型2基、小型3基、混焼缶6基とし、出力は16,000馬力とする。
(速力18ノットを超えない条件)
などである。
兵装はその後に高角砲を12.7cm砲に交換するなど、練習戦艦ながらその時の最新の装備が搭載されている。

またこの当時の比叡は御召艦としても利用された。
これは元々戦艦であり更に兵装が撤去されたことにより艦内に余裕があること、また艦隊に属していないため比較的自由にスケジュールがとれる、などの理由による。
このため3番砲塔後方と4番砲塔跡に展望台が設けられている。
比叡は1933年(昭和8年)と1936年(同11年)の観艦式において御召艦を務めた。
また第二次改装終了直後の1940年(昭和15年)の観艦式でも御召艦を務めている。
0221...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:11:25ID:A2ADkoD8
[編集] 第二次改装まで
カタパルト
水上機搭載当初は水面に機を降ろして発進させていたが、その後カタパルトが実用化されると3番,4番主砲間に1基設置された。
榛名、比叡は第二次改装時に設置されている。
高角砲
1932年(昭和7年)頃に各艦8cm高角砲4門に代わり八九式12.7cm連装高角砲4基を搭載した。
また指揮装置として九一式高射装置と4.5m高角測距儀も装備された。
後檣短縮
1934年(昭和9年)頃に各艦後檣トップを短縮している。
遠距離砲戦の場合の視認性を少しでも低めるための処置である。
ただし無線アンテナを展開する十分なスペースが無くなり3番4番主砲上に空中線支持マストを新設し、アンテナ展開場所を確保している。
0222...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:14:09ID:A2ADkoD8
第二次改装

二次改装後の霧島(1938年)第二次改装は1934年(昭和9年)に榛名より始められた。
主眼は速力30ノットの高速戦艦とすることである。
このため機関の全面改装、船体延長などがなされている。
0223...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:15:19ID:A2ADkoD8
速力
主機は全面換装され艦本式タービン4基に交換された。
主缶は榛名の場合ロ号艦本式重油専焼缶11基とされ(霧島、金剛は8基)、出力136,000馬力に引き上げられた。
また艦尾を水線長で7.4m延長し船体の抵抗を減少させた。
これにより金剛型は30ノット(榛名の公試成績で30.2ノット)の高速戦艦となった。
主砲
主砲は仰角が43度まで引き上げられ最大射程は35,450mまで増大した。
またそれに合わせて前檣トップに10m測距儀(榛名は当初8m)が新設され、振動防止のサポート支柱が前檣背面に設けられた。
また後部艦橋が新設され予備方位盤が装備された。
これにより主砲を前後に分けての分火指揮も可能になった。
また弾薬庫が改造され九一式徹甲弾が使用可能となっている。
副砲
副砲も仰角が30度まで引き上げられ最大射程19,500mとなった。
装備数は2基減少して14基となった。
カタパルト
航空兵装は3番4番砲塔間の作業甲板を広げカタパルト1基を装備、航空機3機を搭載した。
(金剛、霧島は改装前に装備済み)
対空兵装
対空兵装として25mm連装機銃10基を装備(榛名は改装後に追加装備)している。
その他
注排水装置や防毒装置なども装備された。
また副錨がこの時撤去された。
(榛名は後日撤去)

二次改装後の比叡(1942年)比叡の改装
比叡は第一次改装をしていないのでその工事も合わせて1936年(昭和11年)から1940年(同15年)にかけて実施された。
取り外されていた4番主砲、舷側装甲を再装備し他艦と同じ主砲連装4基になった。
他艦が一次改装で実施した水平防御の強化もこの時実施している。
また前檣は他の3艦と違い塔型の艦橋構造物となった。
これは大和型戦艦のテストを兼ねての改装である。
主砲塔用水圧ポンプの1台も大和型に採用予定のブラウン・ボベリー式ターボ・ポンプとしている。
また比叡のみバルジの幅をさらに広げ他艦より艦幅が1m広くなっている。
0224...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/09(日) 21:16:06ID:A2ADkoD8
[編集] 出師前準備
1941年(昭和16年)に入りバルジ内部に水密鋼管の装備、舷外電路の設置などがされている。
また前檣トップ下に防空指揮所が新設された。


[編集] 大戦中の変遷

最終時の金剛の艦型第三次ソロモン海戦で戦没した比叡、霧島には大きな改装はされていない。
金剛、榛名にはこの時の戦訓により舵取装置の防御強化がされている。
その後は他の日本艦艇と同様に電探の装備、対空機銃の増備がされた。
マリアナ沖海戦(1944年6月)以降の榛名の場合、12.7cm連装高角砲6基、25mm3連装機銃28基、同連装2基、同単装23挺が装備されている。
電探は最終状態で21号1基、22号2基、13号2基、更に逆探も装備したものと思われる。
またこれらの代替重量として副砲が撤去されこの時は計8門となっている。

0225...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:20:07ID:5tAihR03
[編集] 関係年表
1911年1月17日 - 英ヴィッカース社にて「金剛」(伊号装甲巡洋艦)起工
1911年11月4日 - 横須賀海軍工廠にて「比叡」(卯号装甲巡洋艦)起工
1912年3月16日 - 神戸川崎造船所にて「榛名」(第2号装甲巡洋艦)起工
1912年3月17日 - 三菱長崎造船所にて「霧島」(第3号装甲巡洋艦)起工
1912年5月18日 - 「金剛」進水
1912年11月21日 - 「比叡」進水
1913年8月16日 - 軍艦「金剛」竣工、日本へ回航される
1913年11月15日 - 「金剛」横須賀到着、横須賀鎮守府入籍
1913年12月1日 - 「霧島」進水
1913年12月14日 - 「榛名」進水
1914年7月28日 - 第一次世界大戦勃発、8月には日本も参戦
1914年8月4日 - 軍艦「比叡」竣工、佐世保鎮守府入籍
1914年8月23日 - 「金剛」、太平洋航路警備のためミッドウェー方面哨戒出撃
1914年9月14日 - 「比叡」、東シナ海方面にてドイツ東洋艦隊に対し警備行動
1915年4月19日 - 軍艦「榛名」竣工、横須賀鎮守府入籍
1915年4月19日 - 軍艦「霧島」竣工、佐世保鎮守府入籍
1916年4月9日 - 「榛名」、青島方面警備行動のため出撃
1916年4月9日 - 「霧島」、中国方面警備行動のため出撃
1916年5月31日 - ジュットランド沖海戦、英独の新鋭巡洋戦艦撃沈される
1920年9月20日 - 「榛名」、主砲暴発事故
1921年11月11日 - ワシントン海軍軍縮条約により天城型巡洋戦艦廃艦決定
1924年3月?日 - 「榛名」第一次近代化改装着手
1927年5月12日 - 「霧島」第一次近代化改装着手
1928年7月28日 - 「榛名」、第一次近代化改装完了
1928年10月20日 - 「金剛」第一次近代化改装着手
1929年10月15日 - 「比叡」第一次近代化改装着手
1930年4月16日 - 「霧島」、第一次近代化改装完了
1930年4月24日 - ロンドン海軍軍縮条約により「比叡」工事中断
0226...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:20:58ID:5tAihR03
1931年6月1日 - 本級4隻全て艦種類別を「戦艦」に変更、「巡洋戦艦」の類別廃止
1931年9月20日 - 「金剛」第一次近代化改装完了
1933年1月1日 - 「比叡」、類別を「練習戦艦」に変更、武装を一部撤去
1933年9月?日 - 「榛名」、第二次近代化改装着手
1934年6月1日 - 「霧島」、第二次近代化改装着手
1934年9月30日 - 「榛名」、第二次近代化改装完了
1935年6月1日 - 「金剛」、第二次近代化改装着手
1936年1月15日 - 日本、ロンドン海軍軍縮条約脱退
1936年6月8日 - 「霧島」、第二次近代化改装完了
1937年1月8日 - 「金剛」、第二次近代化改装完了
1937年4月1日 - 「比叡」、近代化改装着手
1940年1月31日 - 「比叡」、近代化改装完了、類別を「戦艦」に変更
0227...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:21:18ID:5tAihR03
1941年11月26日 - 「比叡」「霧島」を含む機動部隊、単冠湾出撃
1941年12月4日 - 「金剛」「榛名」、馬来上陸支援のため馬公出撃
1941年12月8日 - 真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発
1941年12月10日 - マレー沖海戦、「金剛」「榛名」接敵出来ず
1941年12月20日 - 「金剛」「榛名」、比島上陸作戦のためカムラン湾出撃
1942年1月6日 - 「金剛」「榛名」、蘭印作戦支援のため馬公出撃
1942年1月17日 - 「比叡」「霧島」、ラバウル方面攻略のためトラック出撃
1942年2月25日 - 4隻揃って機動部隊編入、インド洋作戦
1942年3月1日 - ジャワ近海にて米駆逐艦「エドソール」を砲撃により撃沈
1942年3月7日 - クリスマス島砲撃
1942年6月5日 - ミッドウェー海戦本級4隻とも出撃
1942年8月24日 - 「比叡」「霧島」、第二次ソロモン海戦に参加
1942年10月13日 - 「金剛」「榛名」、ガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃
1942年10月26日 - 南太平洋海戦、本級4隻参加
1942年11月13日 - 「比叡」、第三次ソロモン海戦にて被弾舵機故障のため自沈処分
1942年11月15日 - 「霧島」、第三次ソロモン海戦にて米戦艦2隻による砲撃で撃沈される
1943年1月31日 - 「金剛」「榛名」、ガダルカナル撤収を支援
1944年6月20日 - マリアナ沖海戦、「金剛」「榛名」は他の戦艦と共に前衛部隊
1944年10月25日 - レイテ沖海戦、「金剛」「榛名」サマール沖で敵空母群砲撃
1944年11月21日 - 「金剛」、台湾海峡にて米潜「シーライオン」により撃沈される
1945年7月28日 - 「榛名」、江田島小用沖にて米軍機により大破着底
1946年7月4日 - 「榛名」の浮揚解体完了
0228...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:21:52ID:5tAihR03
[編集] 参考文献
雑誌丸編集部『丸スペシャルNo112 巡洋戦艦金剛型 日本海軍艦艇発達史』潮書房、1986年
モデルアート3月号臨時増刊『艦船模型スペシャルNo15 戦艦金剛型』モデルアート社、2005年

[編集] 同型艦
金剛
比叡
榛名
霧島

[編集] 関連項目
大日本帝国海軍艦艇一覧

[編集] 外部リンク
金剛型戦艦
0229...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:22:17ID:5tAihR03
大日本帝国海軍の戦艦・巡洋戦艦
創設から日露戦争終結まで
富士型: 富士 | 八島 敷島型: 敷島 | 朝日 | 初瀬 | 三笠
日露戦争後からド級戦艦まで
香取型: 香取 | 鹿島 薩摩型: 薩摩 | 安芸
筑波型: 筑波 | 生駒 鞍馬型: 鞍馬 | 伊吹
ド級戦艦建造から第一次世界大戦まで
河内型: 河内 | 摂津 金剛型:金剛 | 比叡 | 榛名 | 霧島
扶桑型: 扶桑 | 山城 伊勢型: 伊勢 | 日向
八八艦隊計画
長門型: 長門 | 陸奥 加賀型: 加賀 | 土佐
天城型: 天城 | 赤城 | 愛宕 | 高雄 紀伊型: 紀伊 | 尾張 | (駿河) | (近江)
十三号型巡洋戦艦: 十三号艦 | 十四号艦 | 十五号艦 | 十六号艦
太平洋戦争
大和型: 大和 | 武蔵 | 信濃 | 百十一号艦
超大和型: 第七九七号艦
戦利艦
日清戦争戦利艦: 鎮遠 日露戦争戦利艦: 石見 | 肥前 | 丹後 | 壱岐 | 周防 | 相模
第一次世界大戦戦利艦: トゥルグット・レイス | ナッソー | オルデンブルク
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カテゴリ: 日本の戦艦
0230...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:22:44ID:5tAihR03
榛名 (戦艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
0231...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:23:22ID:5tAihR03
艦歴
起工: 1912年3月16日
進水: 1913年12月14日
竣工: 1915年4月19日
喪失: 1945年7月28日
空襲により大破・着底
除籍: 1945年11月20日
処分: 1946年7月4日解体完了
0232...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:24:04ID:5tAihR03
性能諸元
基準排水量: 26,330 トン
29,330トン(第一次改装)
32,156トン(第二次改装)
全長: 214.6m
222.05m(第二次改装)
全幅: 28.04m
31.02m(第一次改装)
主機: 蒸気タービン2基4軸
64,000馬力
蒸気タービン2基4軸
75,600馬力
(第一次改装)
蒸気タービン4基4軸
136,000馬力
(第二次改装)
最大速: 27.5ノット
25ノット(第一次改装)
30.5ノット(第二次改装)
航続距離: 8,000浬(14ノット時)
9,500浬(14ノット時)
(第一次改装)
10,000浬(18ノット時)
(第二次改装)
0233...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:24:26ID:5tAihR03
乗員: 1,221名
1,315名(第二次改装)
兵装: 35.6cm45口径連装砲4基
15.2cm50口径単装砲8基
12.7cm連装高角砲6基
25mm三連装機銃24基
25mm連装機銃2基
25mm単装機銃23基
(レイテ沖海戦時)
装甲: 水線203mm
甲板70mm
弾火薬庫甲板
64mm〜102mm
(第一次改装時)
0234...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 04:24:48ID:5tAihR03
榛名 (はるな)は、日本海軍の戦艦で、金剛型戦艦の3番艦。

目次 [非表示]
1 艦名の由来
2 建造の経緯
3 新造時の特徴など
4 艦歴
4.1 太平洋戦争
4.2 最期
5 主要目一覧
5.1 公試成績
6 歴代艦長
6.1 艤装員長
6.2 艦長
7 同型艦
8 関連項目
9 参考文献
10 外部リンク

0235...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:06:40ID:5tAihR03
[編集] 艦名の由来
榛名の艦名は、群馬県にある上毛三山の1つ、榛名山に由来する。

戦艦にも拘らず旧国名ではなく山岳名を持つ理由は、本艦を含む金剛級は当初「装甲巡洋艦」として計画されたため、一等巡洋艦の命名慣例に従ったものである。


[編集] 建造の経緯
本艦は当初「第二号装甲巡洋艦」として計画され、1911年4月、神戸川崎造船所(のちの川崎重工業)に発注された。
本艦は、それまで海外発注か海軍工廠でしか建造されることのなかった、いわゆる主力艦として初めて民間造船所に建造発注された艦である。
一方、三菱長崎造船所(のちの三菱重工業)にも「第三号装甲巡洋艦(のちの霧島)」が発注され、工程の進捗状況がほぼ同時であったことから、両社は激しい競争意識をもって建造に当たることになる。

工事もかなり進んだ1914年、1つの悲劇が起きる。
この年の11月18日に機関の繋留試運転が予定されていたが、直前に故障が見つかったため予定が6日遅れることとなった。
本来であれば試運転が実施されるはずだった18日の朝、機関建造の最高責任者であった川崎造船所造機工作部長・篠田恒太郎(しのだ・こうたろう)が自刃してしまったのである。
遺書などは無かったが、繋留機関試験遅延の責を感じた上だということは明らかであった。
当時の軍艦建造は、それほど重大な責任感を持って行われていた。

篠田の死から半年後、巡洋戦艦榛名は、同型艦霧島と同時に竣工、海軍横須賀鎮守府に引き渡された。
これ以降、民間造船所でも主力艦の建造が行われるようになる。
0236...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:07:05ID:5tAihR03
[編集] 新造時の特徴など
主機には川崎造船所と技術提携を結んでいたジョン・ブラウン社のブラウン・カーチス式直結タービンを、川崎造船で製造したものを本艦のみ搭載していた。
これは一つのタービンで圧力の異なる複数のシリンダーに分けて出力するエンジンで、それぞれのシリンダーを推進軸に直結して1基辺り2本の推進軸を動かすものであった。

兵装上の特徴としては、主砲には従来のヴィッカース社製ではなく、国産の四一式36センチ砲(正確には14インチ=35.6センチ砲)が、本艦より採用された。

また、副砲は両舷の甲板よりやや低い砲郭に片舷8門計16門を新造時に装備していたが、第一次世界大戦以降、戦艦が主砲で撃ち合う状況では射程が短く射界の狭い小口径砲が利用される機会が激減し、後に重量軽減や浮沈対策の名目で撤去されている。
まず1932年には対空機銃増設による重量軽減のため両舷最前方の1・2番副砲を撤去、太平洋戦争中の1944年2月前後にさらに6門を撤去し、戦争後半には片舷4門計8門を残す状態となっていた。

さらに、他の金剛級戦艦同様、榛名も新造時に53.3cm魚雷発射管を片舷4門ずつ計8門装備していた。
0237...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:09:55ID:5tAihR03
[編集] 新造時の特徴など
主機には川崎造船所と技術提携を結んでいたジョン・ブラウン社のブラウン・カーチス式直結タービンを、川崎造船で製造したものを本艦のみ搭載していた。
これは一つのタービンで圧力の異なる複数のシリンダーに分けて出力するエンジンで、それぞれのシリンダーを推進軸に直結して1基辺り2本の推進軸を動かすものであった。

兵装上の特徴としては、主砲には従来のヴィッカース社製ではなく、国産の四一式36センチ砲(正確には14インチ=35.6センチ砲)が、本艦より採用された。

また、副砲は両舷の甲板よりやや低い砲郭に片舷8門計16門を新造時に装備していたが、第一次世界大戦以降、戦艦が主砲で撃ち合う状況では射程が短く射界の狭い小口径砲が利用される機会が激減し、後に重量軽減や浮沈対策の名目で撤去されている。
まず1932年には対空機銃増設による重量軽減のため両舷最前方の1・2番副砲を撤去、太平洋戦争中の1944年2月前後にさらに6門を撤去し、戦争後半には片舷4門計8門を残す状態となっていた。

さらに、他の金剛級戦艦同様、榛名も新造時に53.3cm魚雷発射管を片舷4門ずつ計8門装備していた。これは左右対称ではなく、左右でややズレた位置に、喫水線下に固定装備されている。
当時は砲戦距離が短く想定されており破壊力の優れた魚雷を併用することが考えられたためと思われるが、砲戦距離の延長に伴って本艦の発射管が実戦で使われた記録は無い。
これら発射管については後に撤去されたとも第二次改装以後も残されていたとも言われているが、新造時に装備されていた事実以外は明確な情報が見当たらないのが現状である。
0238...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:18:09ID:5tAihR03
[編集] 艦歴

1912年3月16日、川崎重工業神戸造船所で起工。
1913年12月14日進水、1915年4月19日巡洋戦艦として竣工、横須賀鎮守府に入籍。同年12月に第二艦隊第三戦隊に同型艦3隻と共に編入。

1916年、先にイギリス海軍によって導入されていた方位盤射撃照準装置(但し、試作機)を、日本海軍で初めて搭載。これは全砲門で同一目標を攻撃する際、
一括して指向・発射を行う、一種のリモートコントロールシステムである。

この前後は第一次世界大戦の最中であり、日本も連合国側として参戦していたことに従い、本艦も中国方面・北支(中国北部)方面・ロシア方面などへの警備活動を行っている。

1920年9月12日、シベリア出兵支援に備え、北海道後志支庁沖にて戦闘訓練中、1番砲塔右砲内で榴弾が破裂する「とう中爆発」(「とう」は「月」へんに「唐」)事故が発生、
15名の死傷者と船体全域に渡る損傷を負い、修理のため横須賀へと回航された。
一方、第一次世界大戦中のユトランド沖海戦の結果、遠距離砲戦中に垂直落下する敵砲弾に対して巡洋戦艦における水平防御力の脆弱性が問題視され、これを改善する必要が生じたことから、
折りしも修理のため入渠していた本艦にまずそれを施すこととなり、防御強化と主砲射程延長などが行われた。
改装中の1921年にワシントン海軍軍縮条約が締結され、本艦を含む金剛級の代替艦と考えられていた天城型が建造中止を余儀なくされ、金剛級を近代化して第一線の戦力維持を図ることとし、
ちょうど改装を一時終えて練習役務艦として現役を離れていた本艦は1924年より引き続き近代化大改装を施されることとなる。
結果的に榛名は、第一次近代化改装を最初に施された艦となった。
これは従来の石炭・重油混焼缶から重油専焼缶への換装や、上部構造物と船体の大幅近代化が含まれる改装であり、それまで低い司令塔と高い櫓の組合せであった艦橋が、
後に日本戦艦の特徴と言われる重厚な”城郭型檣楼”(パゴダ・マスト)に改められたのも、本艦が最初であった。
なお、この改装によって重量が増したため速力が25ノットに低下、このため後の1931年6月1日付で姉妹艦3隻と共に巡洋戦艦から戦艦に艦種変更された。
また、金剛級全艦とも混焼缶を専焼缶へ全て換装予定であったが、予算の都合で本艦のみこの時点で混焼缶を一部残していた。
これら一連の改装の結果として、本艦は日本海軍では異例の8年もの長期に渡って現役を退いていた。
0239...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:18:46ID:5tAihR03
一連の改装が完了した1928年、昭和天皇即位を記念してその年の12月4日に挙行された大礼特別観艦式において、本艦は天皇が座乗する御召艦を務めた。
ちなみにこの年の観艦式は明治以来最も参加艦船が多く、外国からの参列艦も多かったと言われる。

1931年11月8日、天皇による熊本行幸の際にも御召艦を務めている。

満州事変により日中の緊張が高まり、1937年日中戦争に発展していく過程にあっては、本艦もしばしば中国方面への警備活動を行っている。

その様な情勢の中、折にふれ対空・航空兵装などの細かな追加改装を行いつつ、1933年9月、海軍軍縮条約失効をにらんで二度目の大規模近代化改装が施されることとなり、今度もまた同型艦では本艦が最初となった。
丸1年をかけたこの第二次近代化改装では、動力部の刷新と船体・上部構造物の近代化改装が行われ、出力を新造時の倍としたことで速力も30ノットを超える高速戦艦(公式類別は飽くまで「戦艦」だが、
これ以降の金剛級戦艦は一般にこう称される)として生まれ変わった。
近代化改装が最も早かった本艦では砲戦距離延長に伴って高くなった後部艦橋を後部煙突と隣接させているが、その排熱の影響が大きかったことから、後に改装された霧島などでは後部艦橋を後方に傾斜させて排熱を避ける工夫を施しており、
この点が本艦と姉妹艦を見分ける際の大きな特徴の1つとなっている。
なお、金剛・比叡では主砲側面が角張っているのに対し、榛名・霧島では主砲側面が丸みを帯びていることも、金剛級各艦を見分ける特徴とされている(本艦は2本の煙突間の空間が他の同型艦よりもやや広いのも特徴)。

もはや対米戦争が避けられないと判断された1941年10月頃、出師準備として磁気誘導魚雷をかく乱する舷外電路と、バルジ(被弾による浸水を防ぐため舷側水線下に着けられた突出部)への水密鋼管充填などを実施した。
0240...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:23:19ID:5tAihR03
太平洋戦争
太平洋戦争開戦時は高間完(たかま・たもつ)大佐を艦長として第一艦隊に属し、三川軍一中将率いる第三戦隊に僚艦三隻と共に配属、同型艦金剛と第一小隊を組み南方作戦支援に回された。
1941年12月4日馬公を拠点に出撃し、陸軍の馬来上陸作戦支援を皮切りに、比島上陸作戦・蘭印(オランダ領東インド=現インドネシア)攻略作戦などを支援した。
この間、シンガポールを出撃した英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ・同巡洋戦艦レパルスを中心とする英国東洋艦隊を迎撃すべく邂逅を図るも果たせず、同艦隊が日本軍航空隊に壊滅させられるという一幕もあった(マレー沖海戦)。

1942年2月には真珠湾攻撃などを終えて回航された南雲機動部隊と合流、同型艦4隻が揃ってインド洋作戦に従事、3月1日にジャワ島近海でオーストラリア方面へ遁走する米駆逐艦エドソールを僚艦と共に砲撃により撃沈、3月7日にはクリスマス島砲撃を行った。

同年6月5日ミッドウェイ海戦では、霧島と共に機動部隊の護衛に当たるが味方空母部隊は全滅、奮戦のすえ攻撃を受け炎上する空母飛龍の乗員を救助するが、榛名自身も至近弾を受けて損傷した。
本海戦帰還後、高間艦長(5月に少将昇進)が第四水雷戦隊司令官へ転属、6月22日、後任として石井敬之(いしい・たかゆき、または、けいし)大佐が艦長に着任した。
また、7月14日には所属を第二艦隊(戦艦部隊を主力とする)へ移し、金剛と共に第三戦隊を再編成した(比叡・霧島は第十一戦隊を編成して第三艦隊に編入)。

同年9月、激戦化したガダルカナル方面の戦闘に参加するため前進部隊本体に編入され、トラック島へと本拠を移した。苦境に立った陸軍の要請により10月13日、金剛と共にヘンダーソン飛行場を砲撃で一時使用不能にしたことは、よく知られている。
ちなみにこの折、航空支援の無い艦隊での航空基地攻撃に難色を示す第三戦隊司令官栗田健男中将に対し、山本五十六連合艦隊司令長官は「金剛・榛名が行かないと言うのなら、自分が大和・陸奥を率いて実行する」と強く説得したと言われている。

同年10月26日、ガダルカナル島を巡る一連の戦闘の1つである南太平洋海戦に参加するが、空母艦隊同士の航空戦に終始し、また主力空母部隊とは別行動であったため、戦闘の機会も無かった。

同年12月24日に第三戦隊は第三艦隊(再編された空母機動艦隊)に編入、翌1943年2月ガダルカナルからの撤収作戦(ケ号作戦)を支援する。
その後いったん内地へ戻り修理や細かい改装などを施し再びトラック島へ向かうが、5月にアッツ島玉砕など北方戦局の悪化に伴って再び内地へと帰投待機し、翌月トラック島へ戻った。
この間、6月14日に艦長が森下信衛(もりした・のぶえ)大佐へと移った。
以降年末までトラック島やブラウン環礁方面で活動していたが、特に戦闘などは起きなかった。

1944年1月25日、戦艦大和艦長へと転任した森下艦長の後任として重永主計(しげなが・かずえ)大佐が着任。
反攻作戦によりサイパン島に上陸した米軍及びそれを支援する米艦隊を撃滅すべく計画された「あ号作戦」が発動され、同年6月19日マリアナ沖海戦に参加、戦艦大和など前衛部隊の一艦として出撃するも、主力空母部隊は大損害を受け敗退、榛名も直撃弾2発を受けて損傷する。
この損傷は意外に深手で、修理完了後も全速力を出すと艦尾が振動するなど「榛名」の戦力発揮に影響を与えた。
損傷修理と併せて舷窓閉塞など浮沈工事や対空火器の大幅増強が行われている。

同年10月フィリピン・レイテ島に上陸した米軍に対し発令された捷一号作戦に参加、本艦は栗田中将指揮の第一遊撃部隊の一艦として上陸中の米陸軍部隊を砲撃すべく進撃を続け、
25日サマール島沖にて発見したスプレイグ少将指揮下の第77任務部隊との交戦、いわゆるサマール島沖海戦では米艦隊を追撃したが、前述の艦尾振動の影響により「金剛」ほどの戦果を上げることができなかった。
混乱する戦局の中で栗田中将より撤退命令が下され、榛名も帰途スル海(フィリピン西方海上)において米軍の追撃により至近弾を受け損傷する。
このため内地に帰投、呉にて修理を行った。
同年12月20日、高雄警備府参謀副長へ転任した重永艦長(10月15日少将昇進)に代わり、軽巡洋艦矢矧前艦長・吉村真武(よしむら・まさたけ)大佐が着任するが、吉村艦長指揮のもと出撃する機会は二度と無かった。
0241...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:26:04ID:5tAihR03
竣工時の金剛(1913年)

第一次改装直前の金剛(1924から28年)

第一次改装後の榛名(1931年)

練習戦艦時代の比叡。装甲撤去などで乾舷が高い。

二次改装後の霧島(1938年)

二次改装後の比叡(1942年)

最終時の金剛の艦型
0242...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:29:23ID:5tAihR03
最期
1945年に入ると敗戦続く日本では艦船を運用する燃料にも事欠く状態となり、レイテ沖海戦を生き延びた本艦も修理を受けた呉で停泊するのみとなった。
2月には呉鎮守府の警備艦となり、1945年3月19日、呉海軍工廠前(工廠内とも)に停泊中、ミッチャー中将率いる米第58任務部隊の艦載機による爆撃を受けたが、このときの被害は軽微だった。
4月になって予備艦籍に入ると、マリアナ沖海戦後の改修で大幅に増設された対空火器や、副砲の大半及び対空指揮装置などを陸上防衛に転用のため撤去されてしまった。
6月22日にB-29により直撃弾1発を受け、防空砲台となるべく呉の対岸・江田島小用沖に転錨、結果としてそこが最期の地となった。
7月24日と28日の呉軍港空襲により今度はマッケーン中将率いる第38任務部隊による大規模な攻撃を受け、同様に燃料も無く為す術の無い状態の航空戦艦伊勢・日向や航空母艦天城らと共に停泊していた榛名は、
2番砲塔の砲側照準による3式弾射撃などによって激しく抵抗を行ったものの20発以上の命中弾を受け浸水、大破着底した。
このとき前部主砲や対空兵装の一部はなおも使用可能な状態であったというが、もはや本艦に戦う機会は無く、そのまま終戦をむかえた。
なお、最期の姿は主砲塔などに縞状の迷彩を施し、艦橋には網を使ったカモフラージュを行っていたが、これらはほとんど意味を為さなかったと思われる。

呉停泊中に榛名が受けた命中弾は米戦略爆撃調査団によると、3月19日に1発、6月22日に7発、7月24日1発、7月28日に7発、他に至近弾多数というものである。
残された写真では後部に大きく傾斜しており、正面からの写真では艦首左舷も大破しているのが見て取れる。
右舷側は江田島に近かったことから左舷を中心に攻撃を受けたことが伺える。
上記本文と米戦略爆撃調査団による命中弾数が異なるのは、日米において命中弾・至近弾の認識の違いによると思われる。

1945年11月20日除籍、1946年5月2日浮揚解体作業着手、同年7月4日解体完了。

戦艦榛名は開戦時すでに艦齢26年の老朽艦であるにも拘らず最前線にあって主要海戦の多くに参加しており、しばしば損害を受けた。
その姿は、開戦直前に完成して最前線での主要海戦でもほとんど損害を負うことが無く「幸運の空母」とも賞される空母瑞鶴と対照的であるが、この2艦は駆逐艦雪風などと共に「日本海軍の武勲艦」と評されることが多い。
また日本戦艦で最も多くの海戦を生き延び、その終末を解体という形で迎えたことから、諸書には「戦艦榛名は戦後復興のための資材となった」旨の感慨深げな記述がしばしばされている。

0243...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:30:02ID:5tAihR03
江田島小用沖で爆撃を受ける榛名(1945年7月28日)

大破着底した榛名(1945年10月8日)
0244...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 05:30:41ID:5tAihR03
主要目一覧
主要目 新造時
(1915年) 1次改装後
(1928年) 2次改装後
(1938年) レイテ沖海戦時
(1944年)
排水量 常備:27,384t
満載:32,306t 基準:29,330t
常備:31,785t 基準:32,156t
常備:35,600t
全長 214.6m ← 222m ←
全幅 28.04m 31.02m ← ←
吃水 8.218m (常備)
9.419m(満載) 8.65m 9.18m
主缶 ヤーロー式混焼缶36基 ロ号艦本式専焼缶4基
同混焼缶10基 ロ号艦本式大型3基
同中型6基
同小型2基 ←
主機 ブラウン・カーチス式直結タービン2基4軸 ← 艦本式タービン4基4軸 ←
軸馬力 64,000shp 75,600shp 136,000shp ←
速力 27.5ノッ 25ノット 30ノット
航続距離 8,000海里/14ノット 9,500海里/14ノット 10,000海里/18ノット
燃料 石炭:4,000t
重油:1,000t 石炭:2,500t
重油:3,250t 重油:6,678t
0245...φ(・ω・`c⌒っ2008/03/10(月) 10:48:08ID:3qwBqyl6
ウゼー
0246...φ(・ω・`c⌒っ2008/07/18(金) 16:24:39ID:E/6NY/W2
こんにちは。美少女ブログやってます
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0247...φ(・ω・`c⌒っ2008/10/24(金) 01:32:16ID:pbh6gzhw
↑ブラクラ
0251...φ(・ω・`c⌒っ2014/06/23(月) 22:14:30.61ID:OU1sbbkC
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