>>75
八百万の考えですね、生命万物全てに神様は宿りあらゆるものには何かしらの加護がある……私はそう見ています
その加護を踏まえたうえで穢れや邪気がどう存在するか、ですか
(勇は悠依の話に同情こそしたものの『穢れ』の存在に異議を唱える)
そうですね……人は元来より劣悪な感情や陰と呼ばれる不純物を抱きながら生を受け、一生を生きるうちにその不純物は常に堆積し続けるものです
水瓶に少しずつ溜まる水のように人によって量は違えど必ず不純物は生きていれば溜まっていきます
絶対にそうと言い切ることはできませんが多くの人はその『不純物』はなるべく多く抱かないように生きていきたいと思っているのでしょう、私がお祓いをした人たちもきっと……
(何かを思い出すように左腕の火傷跡や隠すものなど何もない露になっている秘所に触れて悠依は語る)
いくら神様の加護があるとはいえそういった不純物はいずれ穢れとなって自身の心を蝕んでいくことでしょう
神様の加護が水瓶とするのであれば溜まっていくものが穢れ、やがて亀裂や用量を超え溢れ出てしまったものを宮守の家では邪気と呼びます
その水瓶を労り慰める、溢れ出て完全に水瓶が役目を果たせなくなる前に穢れを取り除くことが私の役割です

流し雛という風習がありますよね、雛祭りの最後に行われる子供の成長を祈るための儀式
雛人形に厄を込めて川に流す……そうすることで子供は無事健康に成長していくとされています
それの人身御供を私は役割として与えられているのだと思うのですよ
人々の穢れを請け負い、無事を願って役割を全うする……その行為をお祓いと私は呼びます
(幼い頃よりそう教えられてきたのか、もしくは自身の境遇からそう考えるのが妥当だと思っているのかは悠依の口ぶりから想像することは難しいが彼女はこれを自身の役割だと思っている)
(平然と自身を犠牲にすることを躊躇わずに悠依は話していた)

先程神様の加護についてのお話をしましたね、水瓶にたとえた加護のお話
宮守の家で妹として生まれた私の水瓶には人の穢れを受け入れる役目がありますが、それを貯め続けた私が果たして清らかと言えるでしょうか
(自嘲的に笑いながら彼女は話を終える)

私の考えを簡潔にまとめるなら穢れとは不浄の証、依り代に込めて自身からなくすことはできてもこの世から消えることはない永劫のモノでしょうか
勇さんは穢れと不浄についてどう思います?
(悠依は自身が裸体であることや異性に見られることに今は一切の感情を抱かず、勇との会話に熱中しているようだった)