本人は本人として、キャラはキャラとして好きになってってことでしょ?
ゲームをやってる最中はキャラを愛して欲しい、ゲームを紹介している最中はそれを演じている役者の機微やそれを形作る役者本人のエッセンスを愛して欲しいと
これをわがままに感じるなら相当心が狭いし、キャラと役者本人を同一視することでしか評価できない「三下」なんじゃない?