──眠れぬ。
何度も親久は寝返りを打ち、滅びゆく武田一党のことだけを案じていた。
「三郎太。寝たか」
控えの間の三郎太を親久は呼んだ。
「お呼びでしょうか」
襖を隔てて三郎太が返事をする。
「目が冴えてしまった。久々におまえの笛が聞きたい」
「お望みとあれば」
三郎太は親久の枕元で静かに蘭陵王を奏じた。
美しすぎるかんばせを恐ろしげな面で隠して戦場を駆け巡る陵王は親久にこそ似つかわしいと常々思っていたのである。
三郎太の笛は城中で知らぬ者がないほどの上手であった。
しかし、槍働きのできない彼は、己のふがいなさにいつも歯がみする思いだった。
最も愛するものを力強く守ることもできぬ。
できることはただ心を込めて忠義を尽くすことと、笛の音で親久の乱れた心を鎮めるだけだ。
親久はしばらく目を閉じて横になったまま陵王の曲を聞いていたが、だしぬけに言った。
「三郎太。いままで苦労であった」
笛をやめよということかと思い、三郎太は吹くのをやめた。
「もう武田家は滅びる。私は武将として主家とさだめを共にするつもりだ。
しかし、おまえは身分も軽い。明日、ここから出て好きなように生きるが良い」
「今、なんとおっしゃいましたか」
三郎太の声は震えていた。
「今までよく働いてくれた。私の手回りの品で何か望むものがあればなんでも取らせる。
望みのものはあるか」
「私が今まで親久様に、何かものを呉れと頼んだことが一度でもありましたか!」
いつも穏やかな三郎太が怒気を発したことに親久は驚き、目を開けた。
それを合図とするかのように、三郎太がいきなり覆い被さってくる。
貪るように口を吸われ、男の手が乳房をまさぐった。
かろうじて唇を引き剥がし、親久は「放せ」と何度も命じたが、三郎太は親久を強く押さえ込んだままだった。
どれだけそうしていただろう、ようやく三郎太は身体を僅かに起こした。
「ご無礼を……つかまつりました……」
そう言って涙をこぼすと、それは親久の頬に落ちた。
月光が強く部屋の中に差し込み、三郎太の顔を照らしていた。
親久は三郎太の頬に手を延ばした。
幼い頃は丸々としていた顔が、今ではきりりと引き締まり、すがすがしい眉の下に切れ長の涼しい瞳があり、次々と涙が流れ出ていた。
「私が望みか」
「そのようなことではござりません……。
ただ、幼少のみぎりにお会いしたその時から、恐れながらお慕い申し上げておりました」
そういう三郎太の顔を、親久は初めて美しいと感じた。
人生の最後に、ひとたびだけでも女に還り、この男に抱かれたいと強く思った。
親久はまっ白な腕を三郎太の背に回して引き寄せた。
そして耳元でそっと「私を抱いてほしい」とささやいた。