いっそすっきりとした表情で、男は靴を脱いだ。そして遺書の一つをその傍に置く。
改めて覚悟を決めるまでも無い。
なるべく一般の人の迷惑にならないよう、彼は大きな川、それも深夜を選んだ。
電車もビルの屋上も、自宅も、関係ない大勢の人の迷惑に……トラウマになってしまう。
川なら警察か、海に流れて海上保安庁のお仕事だ。
寂しいが、一人静かに行く。
こんな時でさえ他人に気をつかう自分に、自分でも笑ってしまう。だが、最後まで自分らしく、これはこれで良いだろうと彼は思った。
男は靴を脱いで、きれいに揃えた。
目を閉じ、深呼吸。
最後の空気は湿っぽかった。
そして勢いをつけ、欄干を乗り越えようとした……のだが、彼はふと、思い止まった。
……誰も居ないんなら、最後にこのくらい良いだろう。
と、思い付いた事があったのだ。
す〜っと、彼は胸に息を吸い込み、そして
「部長のバカ野郎ー! しにやがれー!! あんな会社、潰れちまえーーー!!」
「同期の○島ァ! 年下のかわいい嫁さん貰ったからって、毎日毎日惚気てんじゃねぇー! 写真見せ付けるんじゃねぇー! 精神的な殺人だぞコラァー!!」
「ほ、他に…… ほかにも…… ううぅ…… うあぁぁ……!」
嗚咽が、涙があふれる。
彼の叫びは、星の見えない夜空に吸い込まれて消えた。
普段無口なせいで、もっともっと罵倒したくとも、言葉が出てこなかった。
おとなしい性格が、最後の最後まで……。