「ふぅ…。しかしホントかよ……。 んん……いいのか……。しょ、初対面だが……」
 
 あまり簡単に名乗るので、偽名の疑いを持っていた鹿屋だったが、予想外にちゃんと「FUJITANI」と表札が出してある。
 本当に久しぶりの、女性の部屋……。
 冥土の土産と思っていたのはどこへやら。
 この期に及んで二の足を踏む、真面目な鹿屋であった。 
 対照的に、冨士谷の方は全く変わらず、上機嫌な酔っ払いのままである。

「ん〜? 初対面じゃあ無いですよ? 私たち」
「え……」
「カノさん、だいたい毎朝顔を見てるのに、覚えてない? ひどい人ですなぁ」
 
 慣れているからか若さのおかげか、ここまで登っても冨士谷は全く息が上がっていない。
 軽い口調で言いながら、彼女は部屋の玄関を開けた。
 そして一気に明かりを灯す。
 ……玄関と、その先の廊下だけ見ても分かった。
 結構広い部屋だ。
 若い女性の一人暮らしには、少々不釣合いな。
 そしていつの間にか、男の愛称は勝手に“カノさん”となっていた。

「見てる? ちょっ、いや、知らないぞ。大体あんた……富士谷さんも、私の名前知らなかったじゃないか」
「まぁまぁ、細かいこと気にしない。…で。 入る? 入らない?」
「……え、ええと」
「んもう。……いいの? 入りたくないの? …私のうんち風呂。いっぱい出してあげるよ?」

 もし周りの住人に聞かれたらどうなるか、さらっと凄い台詞を発する。
 にやっと、挑発的な瞳だった。
 明るくなった玄関を背に、両手を腰に。
 少しだけ顔をかしげ、小悪魔的な……。
 鹿屋は言葉を失う。

「……」

 本当に?
 夢にまで見た、あれを?
 彼女のその一言に、彼女の表情に……。ごくん、と鹿屋は生唾を飲み込んだ。
 彼は無言のまま一歩、前に足を踏み出す。
 それで十分だった。