「よし、決まり♪ さっ、上がって」
「お…お邪魔、します……」
スーツの袖を掴まれ、引っ張られた。
もう逆らえなかった。
虎穴にはいらずんば……と言うが、今はクモの巣か、食虫植物に捕らわれた虫にでもなったような気分だった。
小悪魔どころか、本物の悪魔の誘いだ。
ここまで言われても、まだ半信半疑だが……。
上がると、ぽいっと廊下の隅にビール缶の袋を置いた彼女。
玄関に他に靴はない。
鹿屋も続いて靴を脱いで、廊下に上がる。
履くことも脱ぐことも、もう二度と無かったはずの、愛用の革靴だ。
ほんの数秒、鹿屋はそれを見つめ、揃えることはせずに、彼女に続いた。
考えたら女性の部屋はおろか、誰か他人の生活空間にお邪魔することも、本当に久しぶりだった。
(おお…? ちょっ、凄い良い部屋じゃないか……。絶対家賃高いぞここ……)
白い壁と天井の、明るいリビング。
まず、圧倒的な広さ(自分のアパート比)に鹿屋は驚いた。
9歳も年下の、しかも女性。
自分と同じ様にどこかの会社で働いているに違いないが、この違いは何なんだ。
分譲の、いわゆる本物の「高級マンション」にも匹敵しそうだ。
廊下からリビングに入った途端、彼は立ち尽くしてしまった。
「お客さん来るの分かってたら、もっと片付けたんだけどね〜。特にアレ。…あ、いや、今回は別にいいのか……見せちゃうんだし……」
ぶつぶつと呟きながら、冨士谷はスーツの上着を脱いで、ぶっきらぼうにソファにかけた。
そのまま、う〜んと大きな背伸びをする。
しかし鹿屋が見たその部屋は、言葉と裏腹な、スッキリとした綺麗な空間だった。