父親に孕まされそうな女性集まれーーーー!
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はじめまして、きぬと申します。
私の父の野望がまさに実の娘に赤ちゃん、それも男児を産まそうというものです。
こういう実例があるんだよ、と父はとある地方銀行の経営一族の話をしてくれたことが
ありますが、それは私も知る「華麗なる一族」のエピソードで、子供を産ませるのは
息子の嫁、つまりは他人であるところがもう根本的に違っているのですが、石ノ森章太郎の
作品にも父親が娘に子供を産ませる話があるとかどうとか・・・。
これに関しては確認ができていませんし、父の勘違いの可能性が高いと思っています。
私が父と性的に結ばれるきっかけになったのは、ありきたりの話ですが母の死でした。
祖父の事業を継いで何倍にも大きくした父は女性関係も派手で、母の死は交通事故死
だったのですが、伯母(母の姉)に耳打ちされたところでは、消極的自殺というのですか、
その可能性があるとのことで、原因は父の女性関係なのか、私の後に子供ができない
ことを責められた挙句なのか、当然ですが遺書の類もなく、今では知る由はありませんが、
こうやって父と、男と女の関係になって、最終的に父が私に男児を産ませようとしていると
知ってからは、後者なのかなと思う次第です。
ただはっきりとしているのは、母の死以降の父が女遊びのほとんどをやめてしまったことです。
父の友人は皆、口を揃えて心を入れ替えたと父を讃えてくれています。
それでも、男やもめで、加えて小学生の娘を抱えてとなると、女手がなしではどうにもならぬ
とのことで、初めてみえた頃で三十路そこそこだったのでしょうか、きれいな女性が家内の
手伝いをしてくれることになりました。
その方と父とどこまでの関係なのかは未だにベールに包まれているというか、私の立場でも
少しも見えてこないのが不思議でなりません。
高校の頃ですが、私が父を射精に導くのが面白くてたまらない時期がありまして、毎日のように
私が口で処理していたのですが、それは同時に、お手伝いさんと父との関係を探る手でもあり
ました。
逆説的で変な話ですが、父との関係が一番おっくうだった時期でもあり、口で処理することに
よって、結果的に挿入は防ぐことができることが一点と、お手伝いさんとの深い仲が確定できる
のなら、いっそ再婚してくれればいいとの思いでした。 私が小学生の頃の話に戻します。
お手伝いさんが来るまでは伯母が何かと世話に来てくれていたのですが、当時は知りません
でしたが、血を分けた姉妹としては妹の死の原因がその夫にあると疑っていることもあったのか、
お手伝いさんが来るようになるとだんだんと疎遠になりました。
あまり関係のないことを書いていますね。略します。
これもまた俗っぽくてよくある情景なのですが、私の誕生日にも深夜に帰宅する父は、プレゼント
だけは豪勢で高価なものを抱えていて、お手伝いさんはもう自分の車で帰った後、暑いぐらいに
温められたリビングに私を抱き運び、何かお酒をくゆらせてソファに深く沈み、
「さあ、裸になって全部見せてごらん」と至極当たり前のことのように言うのです。
私とて何の違和感もなく従いました。今でも変わらないことですが、私の中で父の占める割合は
70から80パーセントを超えていて、よもや逃げ出そうなどと思ったことはなく、先のフェラの話も
そうですが、+に転化させることを旨とするのが身に着いてしまったと言うか、父に求められて抗う
という発想自体が皆無でした。
私の体つきに変化が現れると、病気じゃないかと心配するふりをして歩み寄り、髪に触れ、やがて
乳房に触れ、発毛に気が付くと、お守りになるとかかんとか、長いのを探すからと言ってベッドに
横たえさせられたら、今思うともうアウトですね。
百戦錬磨というほどでもないとは思うのですが、ちょっとずつ快楽の淵に誘い込まれて、まだ小娘
ですらない私は父のなすがままでした。
一番先に快感を覚えたのは乳首の先端への刺激でした。
全体を軽く吸われて、ちょっと意識が遠退き始めると思ったところへ舌先の強めの押しやこすり、
そんな波状攻撃に私は夢心地でした。
「本当は後継ぎの男の子が欲しかった父」
それは子供なりに薄々感づいていましたし、それがあったせいで、今私は初めて父から求められて
いる存在なんだとの歓びすら満ちてくる心地でした。 やがて唇を重ねるようになると、これは大人の男と女がすることだと気付きましたが、時既に遅しと
言いますか、キスから来る官能はどうやら下半身のと直結しているようで、今までは、やはり排泄の
場所だとの認識が強くて、無意識のうちに力を込めてしまって拒んでいたのが嘘のように変わり、
自分から足を絡めていって、
「おしっこじゃない、何かヌルヌルしたもので満たされているよ、ここ」
なんていう白々しい台詞も、一番初めの「さて、おっぱいでるかな?」とか、もう、素だと笑って呆れる
ような言葉が私をどんどん白痴にさせ、ついには「煙草の臭いが嫌!」などと、それはそれで本心
でしたが、まるで男女の駆け引きみたいな域に達している感もありました。
父は私の、まだ私自身にもよく解っていない場所を丹念に愛撫し、私は毎晩その時刻を待ちわびて
風呂に入り、父のことを思いながら局部を洗っていると、それはもう自然に軽いオナニーの状態に
なっていて、私は何度も仰け反って、風呂の壁に頭をぶつけて瘤をこさえたこともありました。
おそらく私の体はもう来るべき日に備えて発育のスピードを限界まで上げていたでしょうし、日々の
行為の全てがそれを後押ししていたのでしょう。
春になって学年が変わってすぐに校内で初潮を見ました。予備知識はあまりなかったのですが保健の
先生が上手に対処してくださって、詳しく説明を聞いているうちに、ああこれでママに代わってパパの
子供が産めるんだと小躍りしたほどでしたが、もしこれが声に出ていて保健の先生の耳に入っていたら
どうなっていたでしょうか。
父もすこぶる喜んで、いつもよりかなり早く帰ってきて、それはお手伝いさんの帰るのを心待ちにする
ほどで、私がお風呂の前にもう「診察」が始まりました。
父が指に被せていたのは、当時は知りませんでしたが、今思うと間違いなくコンドームでした。
父はその指でわたしの中に何度も挿入を試みたようですが、私のほうに覚悟も心得もない訳ですし、
痛いばかりで上手くはいきませんでした。
変な話とも言えますが、初潮を迎えると知識は倍々ゲームで増えていくのです。
まず、先に経験している「先輩」があなたも今日から仲間ね、みたいな感じで来てくれて、色々と教えて
くれるのです。 それはそれは生理用品の選び方からデオドラント対策から男子に気付かれたりからかわれたりしたら
どう対処したらよいのかなどと、とにかく多岐に渡っており、今まで文字通り父の玩具だった私に微かに
光が射したかにも思えました。ある日とうとう、オナニーする?そんな話になり、私は反射的に否定してしまい、
彼女たちから壁を作ってしまいました。
ここも私としては分岐点だったのかな、と思っているのですが、既に初潮を迎えている子たちにしてみれば
父親と一緒に入浴していることがもう常識外れで、それはありえない前提条件と言え、私は取り立てて何の
疑問も抱かぬまま、ある意味無垢なままで思春期に入っていったのです。
父も、これはある意味バカではないからとも言えるのですが、ピロートークではなく、食事の後の真面目な顔を
してする話の中で、本当は間違っている話なんだけど、パパは絹にパパの子を死んでしまったママの代わりに
産んでほしいんだ、と打ち明けました。
こんなことをシリアスに言われて12やそこらの娘は何と返せばよかったのでしょうか?
その日を境に、私は甘えて快楽を求める存在としてだけではなく、精神的にも父の妻になった気がします。
それも、自分で選択した形でです。
父の言う具体的な「作戦」は、ちょっと私には間抜けにも思えました。
父の会社の誰か若い者を私の偽装結婚の相手として選び、その相手との結婚生活つまりは性生活はなしと
して、代わりに父が私に種付けを行い、妊娠に成功してそれが男児だと判明すれば即離婚。男性には金でも
掴ませるのでしょうが、そんなことが果たして可能でしょうか?
女の子であればの仮定話ははぐらかされましたが、まさか堕胎せよとまでは言わないはず、その男性と仮初の
結婚生活で育てながら次の機会を窺うのでしょうか。 !!!!!!!!!!!!!!!
承知しました
ああぁ・・・・ちょっと古いですね 父と私が最後の一線を越えるまでには、思いの外月日を要して、私の16の誕生日、夏の夜のことでした。
もう普段から、父に身を任せていると、私の中へは何が入っているのかさっぱり・・に近い状態が続いていたので、
無言のまま体を寄せらてれて、特に痛みもなく、神経を集中させると互いの陰毛が絡み合っている様が感じられた
ので、あ、記念日だしとうとう入れられてるとの実感が少しずつ来て、そうすると私の手は自然に父の背中へと
回り、澱みのない目で見つめてくる父が「パパが入っているの判る?」みたいなことを聞いて、肯くか肯かないかの
タイミングで父が抜き差しを始め、そうなると私にも快感を得られる瞬間があって、こういうのは「調教」なんて
言われていると薄々知っている、父に教えられた通りに「締め」で対応してみたりと、こうなったら射精でジ・
エンドの男性と比較して、なんと女のポテンシャルの高いことか、などと我ながら感心することもあって、そんな
中で父が大袈裟に呻いたのが本当にフィニッシュで、子宮口に浴びせられるのを感じたなんてことは一つもありません
でしたが、ああもう数時間したら妊婦になるのかな、そんな想像だけが先走って、あ、初めから私って全裸にならずに
セックスしてしまってと苦笑い。着衣を直してからは記憶がないので寝てしまったのだとは思いますが、行為の
後処理は全部父がやって、その先はやはり真っ白。
翌朝目を覚ましてると、下着がエライことになっていて、替えた後も生理用品を使って対処したのですが、これら
全部が討ち死にした父のちっちゃな兵隊なんだと思うとちょっと哀れでもあり、なんせ17年弱の昔には、私の半分も
兵隊の一人だったことは頭で理解でき、兵隊目線になると親が子を討つのかなどと、もう訳が解らなくなって、
とにかく夏休みでよかったと思いながら、高校生にもなったら前日に彼氏と中出しセックスする子がいても何ら
不思議はなく、それでも妊娠は避けたいだろうからお風呂場行って必死に洗い流そうとするのが普通かなと巡らせると、
私ってもう父の子を産む前提で動いてる? ひょっとして夏休み中だから、の私の誕生日で、そこの都合が違っていれば父の誕生日でもよかったかな?との
思いは、やがて具現化してというか、最低年2回、父の誕生日と私の誕生日には必ず中出しのセックスが常となって、
それは生理でも強行され、スケジュールの呑気さと父の意志の強さといった真逆に近い同居がいつも不思議でした。
生理の始りが必ずしも子供を産めると=で結ばれないとすると、16歳での初種付けは私の体そのものサイズやら諸々が、
父にとってようやく子供を産むにふさわしい状態になったのか、私としてはぼんやりとではありますが、来年に2年生
として高校へは通えるのかな、いずれ中退するのか・・・とか、妊娠ありきの現実的な未来と、民法上では確かに親の
承諾で結婚できるとしても、父の会社に高校生の妻を娶らせる「仮初の夫」役の人なんているのだろうか、との思い
でした。
中2の頃だったか、別クラスの女の子が、訪問販売員にレイプされて妊娠したので転校なんていう噂が流れて、そんな
わけないでしょと思っていましたが、これは父が挿入を急がなかったことを好意的に肯定していると同時のことでした
が、ほんの2年ほど前の絵空事が、日常の大きな変化もなくやってきていることに私としてもっと抗うべきなのかどうか
考え始めるきっかけにはなりました。
新学期が始まって、私は父にアルバイトをしたいと申し出ました。
ファストフードとか、高校生に可能な接客業が希望でした。
何度も断っているのに定期的に告白してくる同級生が、絹ちゃんだと制服似合いそうだなあって言ったのがきっかけ
でしたが、父が許すはずがないことは想定済みでした。
「じゃあパパの会社で雇ってよ」
「・・・うん」
あと、金には不自由させてないだろうとか私に聞こえるか聞こえないかの声でぶつぶつ言っていましたが、父のそういう
部分は嫌いじゃないので耳ダンボ(母がよく使っていた表現です)にして素知らぬふりを装いながら聞いていました。
父の会社に潜入して、潜入というほど大袈裟じゃないか、とにかく知りたいことがいくつかありました。 今思うと私は生き急ぎ始めてたのかな?
本心としてはファストフードのお店で働いてみたいと思っていたように思います。
父の会社は発送業務を全て自社内で行っているので素人でも可能な雑用的作業には事欠きませんでした。
私の目的の一つには、第一線の営業部に入りこむことが必要と思えるものがありましたが、さすがにそれは叶わない
かと思っていましたが、営業マンが自ら車に積んで納品する製品も少なくなくて、そうなると自分の完成品の進捗状況
を知るために、下っ端ほど頻繁に顔を見せるってことが解ってきました。
私の目的の一人は常務取締役営業部長という肩書なので、高校生の私にも父の会社の規模ならば五指、ひょっと
したら3本でも入りそうだと容易に理解できましたが、直接に接触せずともすぐ近場に有力な情報保有者がいました。
9時4時で勤務されている女性の主任である田中(仮名)さんは、正社員なのかパートなのか、結婚出産子育てでの
中抜け期間があるせいで雇用形態が特殊になっているだけで、それなりの古株さんであるには違いなく、それでいて
お局的な雰囲気を一切まとっていない気さくな人でした。
田中美保主任は「常務取締役営業部長」のことをタケルさんと親しげに普段から呼んでいました。
勘の鋭い方はお解りかと思いますが、タケルさんとは父の弟です。そのくせ、会社の外だけのことかもしれませんが、
驚くほど父とは疎遠で(と私には思えた)正直言うとタケルという名だということも私には曖昧で、年齢差が5つほどだと
いうことも田中さんに聞いて初めて知りました。タケル=仮名
タケル叔父さんと田中さんの前で繕って呼んでみますが、もちろん初めてのことです。
私にとってタケル叔父さんは、母の葬儀に顔を出したのかどうかもよく覚えていない存在で、さすがに母の存命中と
いうか、物心がついて知ることになったのには違いありませんが、どうも名前を出すことが我が家でのタブーであると
感じるように知恵がついて、父と二人になってますます触れることができなくなっていました。 母方の親戚はこっそり私にだけ近況を聞いてきて関わりがあるのですが、父方と言えば事実上はホームにいる祖母だけ
になってしまっているので、叔父のことは常日頃から気になっていて、遠い日の記憶、学校帰りの私を車で遠くから
見つめている父・・・・に似た人?
あれは夢だったのか。
母も一年未満であったとは聞いているのですが、かつてこの会社に在籍していて歳の頃なら父よりもタケル叔父に
近いような。
それにもまして田中さん、娘さんは私より5つも年上ですが、見たところあなたがドンピシャじゃないですか!
先に切りだす話題を母にすべきか叔父にすべきか迷っているところへ、田中さんのほうから先に、私に一枚の写真を
見せてくれました。
「これ私よ、信じられる?」
砂浜に水着姿の男女が6人、前列の中央を指差して田中さんが口を押さえて笑う。
その横、向かって左が母だ。
後列センターは・・・。
「あ、これこれ」と指差す私。覗き込む田中主任。
「それお父さんと思った?違う違う、残念それはタケルさんよー」
「じゃあこの写真撮った(カメラマン)のが父ってことですか?」
「いやあ・・・」
田中さんは遠い目をして首を傾げてしまった。
「・・・その時は社長じゃなかった気がするなー。誰か通行人の人に頼んで撮ってもらった気がする」
実は、その時の私は、父がカメラマンだったかどうかはどうでもよかった。
気が動揺していて、それを隠すために無理やり田中さんに質問をぶつけてみただけだった。
というのも、若き日の田中美保主任を挟んで、母の反対側に写っているのは、おそらく間違いなくお手伝いさんに
間違いなかったからだ。
その上、ビキニ姿の彼女の肩、水着の紐の上に置かれている手は指の並びから見てタケル叔父のに間違いないと思えた。
母の左肩にも手が添えられていて、母の上段に写っている男性は腕組みをしてるから、これも必然的にタケル叔父の
手だと判断するほかなかった。 この頃モテてモテてと楽しげに笑う田中さんの話は私の中に一つも入ってこなかった。
一体これはどういうことなのだろう。
心を落ちつけて、ここからは冷静に探りを入れてみよう。
「母がいなくなってからずっと、家事とか結構大変でした」
「あら、絹ちゃんが全部一人でやってたのね。タケルさんは今でも独身だし、ひょっとしてソッチ系?(手のひらを
反っくり返らせて甲のほうを頬にあてる仕草)はは・・だけど、社長はそういうの(家事)からきし駄目そうね。じゃあ
ずっと大変だったわねえ」
田中さんの態度には、上手く表現できませんが、この子、母親のことを聞いてくるの?それはちょっと・・・。
そんな忌避の気配が間違いなく感じられて、逆にそのせいで他のことについては忌憚なく話してくれそうだ。
お手伝いさんことについては、もう5年近くうちに来てもらっているのに田中さんは全く知らないようだ。
なのでさらに聞く。
「こっちの人はタケル叔父さんの彼女だったんですか?」
「ん、荒木さん?タケルさんが私に言い寄らなかったのは誓って嘘じゃないけど、荒木さんがタケルさんとねえ」
どうやら主任の叔父に対するホモ疑惑は冗談だけではなさそうだ。私の質問に関しては首を傾げるばかり。
(荒木さんもイニシャルだけ考慮した仮名)
「そんなとより・・・」
田中さんには自身で興味のあることがあって、それを私にぶつけてみたいようだ。
「・・・昔さ、あなたと同じぐらいの頃合の娘さんが突然アルバイトに来たことがあって、今も同じようなもんだろう
と思うんだけど・・・」
確かに人の行き来が増えた気がする。社長の娘が来てるらしいぞ、どんな子か見に行こう!そうなるのも必然か。
「・・・会長の隠し子じゃないかって噂が流れたのよ。そう思って見に行ったら確かに似てる気もするし、そういうの
聞いたことない」
「あ、いや・・・何年ぐらい前のことですか」
「何年ぐらい前だったろ、下の子がもうお腹に入っていた気もするけど、その子が来て、その翌年は来なくて、
そうこうしてるぐらいに会長亡くなったような・・・」
祖父が会長という地位にいた時期があるってことすら私には初耳だった。 続けなさい
オリジナルの人とは違う気もするが・・・ 私の既存の知識では、祖父が社長として現役バリバリで、そのまま突然亡くなったので、後継者選びにはちょっとした
揉め事があったと聞いたが、これを誰に聞いたかも今でははっきりしないし、父を後継者として選んで自分は会長職に
形だけかもしれなくても退いていたとなると、いろいろ組立てが違ってくる。
父と叔父が不仲だという前提に立っても、今までなら社長の椅子を巡っての争いが発端とする根拠が薄れてしまう。
私はタクシーで通勤するアルバイトだった。バイト代よりタクシー代のほうがはるかに高額だが、そこは父が譲らな
かった。田中さんが帰って2時間、それが私の定時で、その時間を過ぎるとタクシーが事務所の前で待つことになって、
そうなるとまた変な形で私の存在はクローアズアップされるだろうし、雑談するのならと田中さんも定時後に私に
付き合ってくれる好意を見せてくれたけれども、周囲に聞かれてはいけない話は結局昼休みにするしかなかった。
私の高校が、あれ、こんなにも会社に近かったっけと思ったのもバイトを始めてからだが、ひょっとすると学校選びも
巧いこと父の掌の上で踊らされてたか。
私は基本的に荒木さんが怖い。
私としても注意は怠っていないつもりだが、月に2回の割でベッドを乱せば、いくら偽装をしたとしても彼女には
バレてしまっていて不思議はない。
というか、バレてもいいとの態度に父は見えた。
そんなこんなで荒木さんには私は絶対にプライベートな質問はできないと考えていた。
父はお世辞にも精力絶倫タイプではない。
私が口で抜いたなら、その夜に2回目はない。
なので私が抜きにかかると、まだこの歳で身ごもりたいはずがないのも無理はかろう、まだまだ遊びたいだろうし、
と理解(?)を示してくれるようでもあった。
後継ぎに切迫していないのは、まだ自身がバリバリやれるとの自信に満ちているからなのかもしれない。
バイトを始めてから初めて父に迫られた夜、処女でなくなってからは初めてなのかもしれないが父のを口で抜いた。
悔しそうな父が可愛かった。
おそらく一番弱い状態の父にキスを求める。
精液を口に贈り返してやろうとまでの意地悪をするつもりはなかったが躊躇いを見せる父を見るのはちょっと爽快。 養父×養女でセックスの経験ある人 その2スレで
お尻が赤くなっているのは…スパンキングの痕です(笑)
今日、珍しく早く帰宅出来たので、
upした上記画像を見ているとムラムラして…そこに娘も帰って来て…お願いしたら、
お口と指でスッキリさせてくれました(笑)
・ ・ ・ などと平気で吹聴してる鬼畜JDパパ を宜しく ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています