野球界の事件簿 [無断転載禁止]©bbspink.com
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野村貴仁氏が10年前に語り、これまで封印してきた証言を公開する。今回は、清原が「グリーニー」を使用していたという証言だ。グリーニーとは、アンフェタミン(覚せい剤取締法で規制を受ける覚醒剤に指定)系興奮剤。
使用すると興奮状態となり集中力がアップするといわれるが、反動も大きく、強い依存性、食欲減退、不眠などを引き起こすとされている。現在は日米球界ともに禁止薬物に指定されている。 私が巨人に移籍した1998年頃は、グリーニーは一部の選手の間だけでしか知られていないものでしたが、2000年には他の選手の間でも広まっていました。
皆「危ない薬かな」と思いながらも、その頃は罪悪感がなかったというか、痛み止めの薬であるという程度の認識しかありませんでしたからね。
私が巨人でグリーニーに出会ったのは1998年、ある外国人選手からもらったのが最初でした。彼が「眠れない」というので、睡眠薬を分けてあげたんです。すると「お礼に」と、緑のカプセル剤を渡されました。 1999年、開幕直後にケガをして二軍落ちし、なかなか完治せず焦っていた時には、また別の外国人選手から「痛み止めになる」と数カプセルを譲り受けました。
飲むと本当に膝の痛みが消え、二軍で好投でき、一軍に呼ばれました。もう二軍には落ちたくない。だから今度は自分で取り寄せるまでになりました。
その外国人選手に相談すると、「母国に野球道具を寄付してくれれば、入手の便宜を図ってあげる」といわれ、少年野球用のバットやグローブを寄付し、60錠のグリーニーを入手できました。 それ以降も私はグリーニーを独自に入手し、飲み続けていましたが、どこから噂を聞きつけたのか、私の元には日本人選手たちが「薬を分けてほしい」といってくるようになりました。
2000年の時点では、多くの現役選手がグリーニーを飲んでいたのではないかと思います。
グリーニーはカフェインとの相性が良いので、コーヒーに入れて飲むことが多い。選手が飲み始めるきっかけとしては、中には二日酔いを覚ましたいからという人もいましたが、多くは連戦による疲れを払拭するためです。
外国人選手も、痛み止め感覚で持ち込んでいたようです。 常用していたある外国人投手は、先発した試合が延長戦にもつれ込んでも150km近く出ていた。球威がまったく落ちないと思っていたら、8回くらいにベンチ裏でコーヒーを飲んでいました。スポーツドリンクや水ならまだしも、普通は試合中にコーヒーなんか飲みません。
仲間の外国人選手が「寒いだろう」なんて言って、試合中に飲ませていたこともありました。もちろん使っていたのは投手だけではありません。野手の間にも広がっていました。 清原さんは私ではなく、別ルートから仕入れていました。2000年は試合前には必ずといっていいほどコーヒーに入れて飲んでいたし、自分が試合に出ていない時など、試合中にも先発している後輩投手のために、
「力が落ちてきたな。こりゃ作ったらなアカン」
と、グリーニー入りのスペシャルコーヒーを作っていた。
後輩思いの先輩なんですが、照れ隠しから「オレはコーヒー係かよ」と作りながらボヤいていました。後輩の選手もそれを飲むと、即効性があるのか「フーン!」と鼻息まで荒くなっていました。
それを見ながら清原さんが「効いとる、効いとる」と喜んでいたのを覚えています。 向こうでは簡単に手に入るからね
別に巨人庇うわけでもないが、これは全球団に広まってたらしいし、当時は合法やったから クラーク(中日→オリックス)が飲んでたアンフェタミンもアメリカでは簡単に手に入る抗精神剤 ちなみに日本ではアンフェタミンは麻薬
アメリカでも高校生とかが手に入れやすい覚醒剤として問題視されてる >>13
まぁしゃーないわな
良い悪いは別にして合法ならした方が得や 最近見つけたちょっときになるブログ
僕は契約金0でプロ野球になった選手です
http://blog.goo.ne.jp/naoko_018 オリックスの小瀬の自殺は直近の母親の死亡が原因説が強い >>21
赤星と鳥谷やなw
殴ったんやなくて腕相撲挑まれて完膚なきまで叩き潰したんやw >>18
オリックスが昔やったやつかと
結局楽天にいった中島くらいしかほとんど一軍にいかなかったが 和田監督嶺井に詰め寄り事件
普段怒らん和田監督やから余計に怖くて震えたわアレは 宮内オーナーの本に近鉄合併の裏がちょっと書いてあった
やはり宮内オーナーも合併は否定的やったらしい ラミレスも現役時代グリーニーやってたんよな
性病の治療でという釈明やったが みんなやってるならそれ使ったら成績上がるとわかってたらなぁ
薬は難しいわ ラミレスが乱闘してはいけないと森本に忠告したスタンリッジとゴンザレス >>51
普段おちゃらけてるラミレスが迫真で
ひちょり、あいつらなんかやっててくっそ強いから当てられてもマウンドに行ったらあかんで
とか言ったらしい 江川事件(えがわじけん)とは、1978年のドラフト会議前日に
プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動である。
江川問題(えがわもんだい)、江川騒動(えがわそうどう)、空白の一日(くうはくのいちにち)とも言われる。 グラッデンの乱闘騒ぎ
1994年5月11日のヤクルト対巨人戦、西村龍次からの執拗なインコース攻めを巡って巨人のダン・グラッデンが激怒し乱闘に発展
これがきっかけで危険球退場のルールが見直されるきっかけとなった。 横浜スタジアム審判集団暴行事件(よこはまスタジアムしんぱんしゅうだんぼうこうじけん)は、1982年8月31日に横浜スタジアムで行われたプロ野球セントラル・リーグ(以下「セ・リーグ」)
の横浜大洋ホエールズ(以下「大洋」)対阪神タイガース(以下「阪神」)の試合で発生した阪神側による審判員に対する暴行事件である。
名称については、「定まった」と言えるものは見当たらないが、「暴虎事件」等とも呼ばれている
後述のとおり、刑事事件に発展し、日本のプロ野球に根強い暴力への「甘さ」とスポーツでは珍しい「審判軽視」の風潮の表面化もあり
日本社会の広い範囲から注目を集めた事件である。 石橋事件のせいで未だに広島が地元出身高校生をドラフト指名しないってマジなん? どうなんやろ
応援団かなんかから圧力かけられたとかだけか >>62
調べたらずっと二軍やが最後何故か9になったとかみたいやな 他県民の広陵卒とかは取ってるけど純粋な広島県民はとってないよな
田口とか堀とか 石橋文雄
広島・広陵高では、同期に定詰雅彦が、1学年下に本原正治、2学年下に金本知憲がいた。1984年、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。
高校通算30本塁打というスラッガーであり、ウエスタンリーグではクリーンナップを打ち高打率をマークすることもあったが、一軍では出場機会に恵まれなかった。プロ入りした1985年から1993年まで背番号52で、1994年のシーズン前に主力級の背番号9となったが同年はわずか3試合の出場に終わり、同年限りで現役を引退。
引退後は、スポーツDEPO福山店に勤務している[1]。 >>68
日米野球で捕手「ジョー」で出てたヤツってイメージしかない バレンタインきっかけの国内国外オールスターみたいなのってキャッチャーがどうにもならなくてデブとかが務めてたな 結局バレンタインが日本大使になるとかいうのはどうなったんやろか? なくなったんじゃないの?
最近出たバレンタインの記事もオルティスの自叙伝でレッドソックス監督時代のこと批判されたからそのことについてインタビュー受けたぐらいやな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています