妹への懺悔を告白するスレ
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兄達よ。溜まりに溜まった誰にも言えない悪事をここに告白せよ。 だが、その発見から暫くは妹が小児喘息で急に入院したり、
その入院が根本的な体質改善を伴う入院として長引いたりして次の機会を待つのは1年後であった。
元々病弱な妹は過去に何回か入院しており、その診断の結果、体質改善プログラムを含んだ内容に変わって根本的に治療しようという事になった。
その後初めて外泊を許可されるのは3ヶ月後、
連泊は半年後〜1週間単位が10ヶ月後で何週間か家にいて喘息やらアトピーやらが酷くならなければ退院の運びとなるらしい。 小6の秋頃に妹は退院できたが、
その間にも妹はどんどん女に近づいていた。
入院先で年上のお姉さんと仲良くなっていて、随分とおマセさんになっていた。
度々外泊してくる度に、その小さな変化や会えなかった寂しさが心を高揚させていたのを思い出した。 入院してる間に親は妹に甘くなり、CDラジカセだの色々と買ってもらっていた。
羨ましかったが、入院して可哀相だと思っていたので我慢した。
その鬱憤はますますエロい事にはしるようになっていった。
妹は外泊とかで帰ってきたら友達と遊びに出る以外は2階に入り浸るようになり、
必然的に2階のトイレばかり使うようになった。
下のトイレを使ってくれないものかと苦心して2階のトイレに立て籠もったこともあった。 しかし、2階のトイレに立て籠もるとタイムラグがあったり、
出てきた妹に上のトイレを使ってるのになんで自分の入ってる下のトイレに来るの?と不審がられるため、なかなかトイレに近づけない。
どうしたものかとトイレで考えていたら、どんどん、兄ちゃんまた入ってるの?とガチャガチャとドアノブを回してきた。
うっせーな下いけよとばかりに無視してると、
私が出るまで大概部屋に戻るのであった。
ずっとトイレに張ってるわけにも行かないな…と考えていたら、ある事に気がついた。
2階のトイレのドアにも外から入ってます!が判る小窓がついている。
その小窓を割ってしまった事にして格子にしたらどうだろうか?なんて思いついた。
以前、ホームセンターでこういった部分の別売りパーツみたいなものが売っていたのを思い出した。 開けっ放しにしていて窓から大風が急に吹き込んできて勢いよくバタン!としまって
小窓に日々が入っていじってたら割れてしまった!自分がいじって割れてしまったので責任とって小遣いで直した!
こういう言い訳で実行した。
実際にうちの2階の窓開けっ放しなしていたらバタン!と閉まることはよくあった。 親も共働きで現場を見れず、今までのそういう状況から私の言うことを信じるしかなかったので、結果を言うとサイズを併せる工作に苦労したが、なんとか既製品っぽく仕上げる事に成功した。
ちょうど2階のトイレ(洋便器)の便座から股の部分が見える角度に調整した。
逆に中に座ってる人からは格子の外は見えない。
更にいうと、はめ込みの深さもいじれば調節可能になっていて、上の部分を押し込めばフィンの角度が便器を外れて更に下に向く形になる。 兎にも角にも、改造は完了した。
そして、その時はすぐに訪れた。
妹の万個を拝む時だ。
ある時、妹がいつも通り何食わぬ顔をしてトイレに入る。
ガチャッ………スタ、スタ、スタ、スタ、スタ、スタッ………キュッ…バタン……
妹がトイレのドアに入り、便器の蓋を開ける音がしたら、
それを見計らってソロリソロリと廊下を足音を立てずに近づく。
このタイミングでそろーりと床においてある足踏み台を使って格子を覗いた。
おお!位置がドンピシャ!
太ももと妹のY字部分が視える!…がほんの僅かしか股が開いていないため、
期待した見え方とは違って見えた。
薄っすらと毛が生えてる位しか確認できない。太もものうち肉に隠れて殆ど見えない。
よく見えないな…と暫く覗いていると、 妹は願いを聞きつけたのか、おもむろにガバっと股を開いて中の万個をまじまじと見ていました。
うわぁ…毛が生えてる…
割れ目の外側にふわっとした毛が生えていました。
妹は、毛の部分が痒いのか陰毛をこすったり引っ掻いていました。 小さい頃の無毛の時の万個は何回も見たことある。
一緒にお風呂に入った事もあるし。
自然と一緒にお風呂に入らなくなったから、久々に妹の万個を見た時の衝撃ったらなかった。
自分の妹の股間の方が毛が生え揃っていて「追い抜かされた」感じが強かった。
身長は私小6と妹小4の頃が一番近く、あと数センチで抜かされる時があって朝も毎日牛乳を飲みまくる程焦ったが、
その時以上の衝撃だった。
その頃の私の陰毛は玉の辺りに疎らにちろちろ生えていて珍棒の上の下腹部にもそろそろと毛が生え始めていた程度だったので、中学生になったのに小5の妹に追い抜かされている気分になった。 そんなこんなで妹はトイレットペーパーの方に手をやり始めたので、
いそいそと踏み台を元の場所に置いてそうっと自分の部屋に戻りました。
ジャーと水を流せば多少の足音もかき消されるので、急いで部屋に滑り込みました。開けられたら最後です。
その後、妹は何も変わらない感じで自分の部屋に戻っていきました。
上の階の洋式トイレの覗きはこんな感じでその後5年位続けました。 妹が長期療養から完全に明けたのが小6の夏の終わり頃、2学期に間に合わせる形だったので(長期入院だと近場の小学校に一時期転入になった、中学校は同じ学区だが)
その間はあんまり覗きができず、私も中学校の女子トイレをどうにか覗けないかと頑張っていた時期でした。
部活で遅くなった帰り、たまに教室に忘れ物を取りに行くんで同じ部活の友達に先に帰るように言って、
校舎の1階の奥の人気の無いトイレに完全下校の放送がかかる18時45分まで男子トイレに粘り、
たまーに現れる文化部の女子生徒や、運動部女子が運動棟近くの女子トイレが混雑して流れてくるのを待ちました。
もちろん侵入なんて事は勇気も危険性もあってできませんでしたが、
男子トイレの入り口のドアの下の隙間越しに女子トイレの入口の前にある、個室の下を狙って覗いてました。 2時間の部活動の後の下校時間のうち、友達に不審がられない頻度で月に2〜3回位をその活動に充ててました。
沢山時間をかけた割に月に2回程度機会が巡ってくれば当りでした。
その中で手前の個室を使ってくれる確率は10回に1回位。
よほどの無頓着な娘以外は大抵奥の個室や真ん中から使うので
3人位女のコ友達が連れ立って来てくれなければ機会はあまりありませんでした。
曜日や体育館の部活割当り宛日を探って、
お目当ての同級生が校舎のこの辺鄙な場所のトイレに流れて使う機会が多そうな日を探し当て、網を張ってました。
たまには、部活動の様子を探って、そろそろ最後の休憩or帰宅時間なるのわ遠くから探って帰宅する女子卓球部やバレー部、バトミントン部なんかの女子や、
美術部の女のコが流れてくる機会が多そうな日を探し当て、尾行して覗いたこともあります。
確実に友達が少なかったり1人でトイレとか行動する子を覚えてついて行って、
個室に入るのを見計らってそっと女子トイレに入って間近の下から覗き込む大胆な行動ができるようになったのは中学校3年になってからでした。
沢山経験を積めば、安全なパターンが構築出来ましたがその頃は自分もそんな事より部活に熱を入れてたりして、
夏の大会が終わって引退してちょっとした頃位でした。
受験シーズン中も衝動に駆り立てられて学校に居残ったことも極たまにありましたが。 もう絶対しないって心に決めても
パンツ脱いで待っててくるれると、つい。。。。。 脱線していらん所まで懺悔していた。
続き書きこみます。
まぁ、そんなこんなすっかり変態になった私は学校でも度々そんな事をしつつ、
家ではすっかり妹のあられもない姿を目に焼き付ける虜となりました。
学校で大胆になったのは妹に対する覗きや盗撮行為をかなりやりまくったお陰です。
当時は金田一少年の事件簿やら名探偵コナンやらが大流行だったので、完全犯罪を目指すリアル頭脳ゲーム的な愉しみ方も兼ねていた気がする。 長期療養入院から帰ってきてからの久し振りに見た妹の万個の毛は心做しかだいぶ成長して見えた。
明らかに濃い………うちの家系は毛質が太くて硬いので、
その血が陰毛をこういう風にさせているんだなと思った。
何気なく妹が読んでいた女性ティーンズ誌を眺めた時に、良くある読者投稿コーナーとかで性の悩みを受け付ける(先輩との初体験の悩みとか体毛処理の悩みとか)コーナーで貴女のアンダーヘアは何型?って特集があって
その中で逆三角形型とか無造作(俗にいうボーボー)型とか無毛型(パイパン)とか○○型分類があって、
妹はその後の生え揃い方で海苔型(股間に焼海苔を張り付けたかのような濃い長方形)になった。
小6から1年間で驚くほど毛が濃くなって驚愕した覚えがある。
万個の横のほくろはもう毛で見えなくなっていた。オレにも竿にほくろがあって同じ兄妹なんだなぁ…と除く度にしみじみとしていたのにね。 妹のティーンズ雑誌に唇にほくろがある人はほぼ間違いなく性器にもほくろがある!という投稿があって、おお!当たってるじゃん!と感嘆した事があって今も信じている。
私にも妹にも唇のどこかにほくろがあった。
当時、仲良くて私が片思いしていた美香ちゃんって子にも唇にほくろがあった。
当然、その様に妄想しおかずにしたことがある。 ある時は妹がトイレに入ってる時にドア越しに覗いていたら、
急に中から「少々お待ち下さい」と妹が言い放ち、盛大に股をガバっと広げて、指で万個を拡げた事があった。
もうその時はびっくりして、興奮で荒くなる呼吸を必死に堪えていたものの、
妹に聞こえてて覗きが感づかれたのかと思って動けなくなった事があった。今も、その時の衝撃はよく覚えてる。
やべ見つかった!怒られる!親にチクられる!終わった!
とか固まったまま考えた。
それ以前もドアにもたれかかった時にドン!とドアが音がなっちゃって、
妹が驚いて何!お兄ちゃん?今(トイレに)入ってるよ!って声が聞こえたり、
ドアの鍵を閉めてなくて妹が入ってるって気がつかなくてドア開けたら妹が入ってて「ちょっと!入ってるよ!」と内側からドアを抑えられた事があった。
その時は、気が付かないフリして誤魔化したけど頻度が頻度だからもしかして覗き行為をしているんじゃないかと気が付かれたのかもしれないと思った。
妹も多少は性的な事を意識するようになってる年齢だったし
兄が多少はエロい目で自分を見ているって事を薄々感じとっていたかもしれない。 兎にも角にもその後暫くは覗き行為は控えた。
今でも、あれは何だったんだろう?と思う。
わからないけど、たまーに悪ふざけする性格が案外雑で男っぽいところもある妹だったので、
こそこそ覗いてる兄を驚かそう(喜ばそう)とやった事なのか、それともただの独り言&自分の性器チェックがたまたまだったのか…。
どっちも当時の妹にあり得る行為だった。 私がが家に誰も居ないと思い鍵もかけずにトイレに入っている時、逆にガチャと開けられて「わあっ!」と驚かれた時があった。
いつも聞いてるCDラジカセ聞かないで部屋で静かにしていたんだな。
ごめんも言わずに鍵くらいしろよーと吐き捨てて下に行って下のトイレに行った時に、
そういや下でも覗けるよな!と思い出した。
そのまま急いでケツ拭いて大を流さず、
ひたひたと階段を降りていった。
実に1年以上ぶりの下のトイレだった。 いつもはいちいち下に降りていくのを私も妹も面倒くさがっているのだが、
相手が大をしていて時間がかかると判断したら下に降りていた。
大概は私が下に降りていたが、久し振りに妹が下に降りるシチュエーションだった。
間違って入ってきた時に「まだかよ」って苦い顔をしていたので、直感で「うんこ」したいんだな、と思った。
そして、この後、私の変態性を決定づける、すごい映像を眺める事になる。 家の、下の玄関部分は夕方の早い時間に増築した二階部分の高さで陰って暗くなる。10月も下旬の頃だったと思う。
その位の時期になれば暗くなるのも早い。
元平屋の店鋪だったから西側に増築したのでそうなった。今は店鋪を辞めているので玄関横のトイレは暗い豆電球みたあな明りだけ申し訳程度についていた。
よし、これだけ暗ければばれないだろう!私の心は期待と上手く見えるか不安で踊った。
中で妹が鼻をすする音が聞こえる。恐る恐る下から覗いた。 小6の妹はブルマで見るよりずっと大きく立派なお尻をしていた。
お尻の穴の部分がもごもご動いていた。
すげぇ、人間がうんこをする時お尻の穴ってこんなに動くんだとその時思った。
やがてぷす〜っと空気が抜けるような音がして(おならだ)
小さな松ぼっくりみたいなうんこがお尻の間からポロポロ落ちていく。
妹は「ん、んん」とか細い声で踏ん張っている。
硬い便なんだろうなかなか出て来なくて思わず心の中で応援していた。 お尻の穴があんなに動くものなんだと感激したのを覚えてる。
妹がこんな姿を見られたと知ったらショックをうけるだろうなと思った。
逆の立場なら恥ずかしくて死にたくなるだろうな。
そんな妹の初の後ろからの排便行為を見て野生動物の生命の行動観察を見ているようで複雑な気分になった事を思い出す。
道端で散歩中の犬がぶりぶりやる。
隠れて済ましているだけで、人間も原始時代とか大昔は変わらなかったんだ。
女も。そこいらの可愛い子や綺麗なお姉さんやアイドル、偉そうに怒る担任の女教師も皆同じなんだ。
感慨深くなった。 妹がトイレ終わるみたいなんで、そうっと急いで2階のトイレへ戻り、大を流す。
さっきの妹の野性味溢れるお尻の映像の余韻でチンポはギンギンだった。
出る時にちょうど妹と出くわす。
あ、今出たよ。と声をかけたら下で済ましたからもういいと言って自分の部屋の中に入っていった。
キュロットスカート姿の妹の後ろ姿を見て不完全燃焼だったんだろうなぁと思った。 その後は、妹のお尻の姿と、うんうん唸ってるのをちょっとやらしく改変した妄想でオナった。
オナニーした後、賢者モードの時に結構複雑な心境になったのを思い出す。
妹がただウンコしてる姿を見てオナニーするなんて………
………でも、オレはおかしいのかな…ものすごく興奮した………
そんな感じで悶々と考え込んだ。
今にして思えば普通は見ることの無い、テレビでも(擬似)セックスシーン(綺麗な女の裸)はやるけど、生々しい女の姿を見るなんて事はなかったからだ。
妹の大便姿を覗いた時。私は自己嫌悪に陥りつつ。確実に変態になったと思う。 それからというもの妹への覗き行為や盗撮行為をやりまくった。
妹の万個、お尻とお尻の穴ときて、胸も見たいと思い立って
親父が持っているハンディタイプのビデオカメラを黙ってそっと持ち出して風呂場の脱衣所の上にセットした。
妹に、さり気なく風呂いつ入るの?先に入っていい?と聞いて大体の時間を探り当て、金曜ロードショー始まる前に入るって言ったので20時位にビデオカメラのスイッチを入れにいった。
小遣いで当時の規格SVHSを個人持ち目的の為に買った。
元々は従兄弟の結婚式や運動会やスポーツ活動とか私達子供の成長の記録の為に父親が買ったものだが、
父親は私達が中学生になった後にはあんまり弄くらなくなった。
そんな目的の為のビデオカメラを私は妹の覗き行為の為に使う…罪悪感半端なかった。
だが、妹の裸への欲求の方が強かった。
自分で言うのも何だが私は、母親の影響もあってか電車でお年寄りに席を譲るなど、普段は些細な善良行動を自ら進んでやる様な男だった。
だが、そんな人間こそ、こういう醜悪な面を持っているのかもしれない。
小学校6年にして、妹のおっぱいは膨らみを帯び、大人の女へと変貌する最中の、妙なエロティックさをもっていた。
翌日、妹の胸を見た反動で兄妹のちょっかい出しの際に悪戯でパイタッチしたのを覚えてる。妹は最初目をキョトンとして呆気にとられてたが何されたか自覚したら私の股間にパンチしてやり返して来た(笑) 妹が中学に上がれば更に身体の変化は大きくなり、着るものも女の子の服装として凝るものを着て、同級生の女とあんまり大差なくなってきた。
ともすれば、身近な異性としての意識はこの頃に大多数の兄は嫌でも感じる頃だろう。
私の場合は少々早かったかもしれないが。
家での覗きは益々エスカレートして、
2階のトイレに立て籠もって下のトイレに誘導するなんて事をやるようになった。
夏休みとか大汗かきながら参考書や漫画を持ち込み、
「ズッコケ三人組」の「ハカセ」かという位だった。
もう!また漫画持ち込んで入ってるのかよ!
とイライラして下に降りていく妹。
あまりやり過ぎると嫌われるので3回に1回の割合で実行した(それでも多いだろうが) 妹が下に降りていっても油断はできない。
単に下の冷蔵庫に飲み物を飲みに行ったり、アイスを食べに行ったりしたからだ。
そういう時は大体わかる。
トイレを催す時は大抵階段を駆け足で降りていくから。 妹のお尻に汗が滴る。
和式便所の良いところは、お尻の様子がまじまじと見られる所だ。
あんな所に赤いぽっちが。ニキビかな?
お尻のほっぺに掻きむしった跡が。
こんな風に色んな表情をお尻は物語ってくれるのだ。
(冬場は冬場で乾燥して白い粉を吹いていたりする。)
汗がだら〜っとお尻の先に流れていき、落ちそうな感じで妹がじっとしている。
今日は当たりだ。
下のトイレに行っても、少様でシャアアアア〜〜チロチロ…チロッてしてすぐさま横のトイレットペーパーに手を伸ばしたらオシッコで終わるからだ。 ウンチをする日は、わりかし長期戦が多い。
妹は便秘がちだったからだ。
たがら、すんなりと、もりもりウンチが出てくる日はこちらも不思議と安堵する。
残念ながらトイレタイムも短いが。
たまーに、ギリギリまでトイレタイムを覗いて、自然を装って一階の台所に居る時もある。
喉を潤しに来た事を伝え、お前も飲む?と勧めたりする。
ありがととジュースを受け取るときもあれば、ウンコの出が悪くて不機嫌な時はお前トイレ入り過ぎなんだよ。いちいち降りてこなきゃなんねーしとか悪態をつく。イライラする理由が明快だから焦らずにああ、ごめん、トイレが落ち着くんだよねとか誤魔化す。 ちょっと2階のトイレ使っていい?って聞いてくる時はほぼ2階で長期戦でウンコをしたい時だ。
私はそんな時にあれ?今トイレ行ったんじゃないの?とワザと聞き返す。
妹は上の方がいい。とか、無視するか、
長くなるから下のだと足が疲れるって言った。
ははーん、長くなるって事はウンコするんだwと茶化すとうっせーなと怒ったりお兄もトイレ籠もってウンコばっかりしてるんだろと言い返してくる。
そうだねごめんねと言って、先に自分の部屋に戻ると後ろをついてくる妹はそのままトイレに入る格好になる。
洋式便所の時の妹の排便姿は正直股を開くまでつまらない。
本人は快適な排便なんだろうが、見ているこっちはずっとうんうん唸ってる妹の姿を見ているだけだ。
たまにおしっこのショワア〜って音や
、便器の奥底から音が反響してブビビッて排便音が聞こえるのみ。
出が悪い時の癖なのか、たまにお腹をさすったり、前のめりに体を折り曲げる事がある。その時は見上げられると格子の曇ガラスが外されて覗いてるのがバレるかもしれないので焦る。 妹の癖なのか知らないけど、排便中か後に、拭いたトイレットペーパーをまじまじと見る時がある。
自分のウンコの色のチェックなのか、はたまたふんばり過ぎて切れ痔になったのか、確かめる時がある。
洋式トイレの時は万個をやたらまじまじと見たり、毛を弄ったりする。
中1位ともなると、万個の毛はすっかり剛毛で、割れ目の周りにびっしり、黒い四角い海苔が貼られているかの様だった。
生理ナプキンを剥がした跡が痒いのか、やたらボリボリ引っ掻いてたりもしてた。 妹の排便はやはり下で見たかった。
妹が中間テスト勉強とかでストレス溜まると肘とか首とかアトピーが酷くなるので、
私がたまに和菓子を持って教えてあげたりした。
また、体質改善の長期入院とかしたらヤバいとか考えてた。
妹はすごく喜んでくれた。
和菓子にはヘルシーさと排便作用があると言われる葛切りとか、太らないからと言って持っていってあげた。
中2位になったら妹は結構ギャルちっ
くな格好をするようになったが、
性格がガサツで男っぽいところもあるのでイマイチ垢抜けない感じだった。
(書き込みでは読み手を萎えさせないように妹らしい口振りで書き込んでるけど実際はかなり口悪いです。)
徐々に体のスキンシップと称してベタベタし始めたのもこんな頃かな。
眠いからちょっと寝る〜とかいうからオレも寝る〜とか言って一緒のベットに入って入ってくるな!キモいから出てってとかマジ切れされる前まで粘ったが結局寝させてはくれなかった。
寝てる所を悪戯したりもした。
鼻先に脱いだ靴下をぶら下げたり、中学生の頃はその程度の事をやった。 もちろん、毎日が毎日そんな事をやっていた訳じゃないよ。
私も当時の友人達と交流を持っていてよく遊びにもいってたし、
妹も然り。
家は小学生からずぅっと両親が共働きだったので、友達を連れてくる事もよくあった。
妹が友達を連れてくる時は部屋でひっそりとしていたり出かけたりした。
妹の友達のも覗きたいという野心はあったが、相手が2人だとリスク大きいしわざわざ下の薄暗い方のトイレの方案内する事は無かった。
(だいぶ後になる話だが、同級生の女のは1度だけ成功した事がある。それはまた後に書こうと思う。) 妹の友達のも1回だけ覗きに成功した事がある。
上のトイレだったので一瞬だったが、妹のより薄い万毛、色白の肌、人の家のトイレだからかギュッと脚を閉じてたのが印象深い。
後ろの妹の部屋がガタガタいうので気になって最後まで集中できなかったな。
お陰で妹の友達の万個を見たのか見えたのか今でも記憶が曖昧です。
まぁ…興奮して覗いた時点で目的的に満足しちゃったのかも知れないし、
妹の友達よりも正直自分の妹の方が目がくりっとして肌も健康的にやけてて美人だったので、どうしても見たかったって後悔が薄かったような気がした。
妹はあんまり友達付き合いが上手くなかったのもあるかも、(幼い頃から入退院繰り返したり、大事な時期に長期入院したから深いつながりのある友達が少なそうだった) 色々な記憶を引っ張り出してつらつら書き込んでるから、時期の前後があやふやなところがあるなぁ…
中学生2年生まで書いたんだっけ?
私は高校生になり、帰宅時間も遅いし、もっぱら外でグループで遊ぶ事が多くなってたっけか。
えーと、下の和式の凄い体制の話はいつだったかな…? 夏か秋かって言ったら暗くなるのが早かったからもう秋だったのかな…でも何か暑かったんだよな…
ちょっと話は飛んで妹がJKルックの時の大便姿。
例によって便秘がちで排便に時間がかかってた時、
おもむろに勢いよく立ち上がったのでびっくりして慌てて出てくると思いその場を離れた。
しかし、中々出て来ないから恐る恐る戻ってそうっと覗いたら腰を高くしてがに股で自分のお尻を見ながらウンコを引っ張り出してた!
すごい格好だった。パンツは脱いだのか下半身マッパで一生懸命鼻の奥から、
んふぅ、んふぅーと深い吐息の様な格好だった。
おそらくトイレの前の壁に手をついて、片方はお腹をさすってた様に思う。
その姿はAVで観る立ちバックの突かれる女側みたいな格好だった。
ものっすごいウンコしてるのにエロい格好だった。 たまにお尻を上下に振ったりして、
ゆっくり硬そうな便がお尻の穴の所に来たらトイレの紙で掴んで取っていた。
その都度鼻の奥から吐息がふぅーっ、って漏れるのでとてもエロかった。
時々しゃがみ込んで休んだりして、30分位はそれやってたのかな?
3回か4回目位に固い便がスポンと抜けて、ビビビビビとおならが出て、ぁ、ヤバいとか呟いて急いでしゃがみ込んだら、
ミチッ、ミチッ…って音でものすごい太い便がお尻の穴から大量に出始めた。
外にいる私にも聞こえるくらいのミチミチした音だった。
時折んんん〜〜!って超ガンバってる声が聞こえて超エロかった。
時折、ウンコを踏ん張る時に万個の方からもプシャー、プシャーと尿が散発的に飛び散った。
凄まじい状況に当時もう、なんでもありだなと思った。
こんな姿を見られたと妹が知ったらショックで首つるかもしれんとも思った。
そして、妹のこんな姿を見てるオレは幸せものなんだと感動した。 太いのが何本かボトボト出てたり、
ブブブブブブブゥと派手な音のおならが続けて出た後、
ブリュっとした明るい色をした柔らかいウンコが出た。
当時お菓子食いまくってて、太ってきてたからものすごいドカ食いしてたんだろうな。
そして、覗いてる間凄く臭くて、その臭さが私のチンポを激しく刺激したのを覚えてる。
JKになって着飾ってる癖に。化粧とか頑張っちゃってる癖に。
匂いとか8&4とか気にしてる癖に。
部屋の香料買うのにずっと悩んでて母親の早く選びなさいの声ですっごい喧嘩してたのに。
こんな臭いウンコ兄の前で放り出してるんだぜ? それから、おしっこが出始めたのでまた妹はしゃがんだ。
ショオオオオオォ〜とうんちが大概出きったせいなのか、
最後のおしっこがやたら長かった。
途中力強くショォォォオ(↗)と勢いが増したりして、出し切るつもりで力を入れたりしてるのが自分の事のように観察できたのが感慨深かった。
その後、やべッ、すごいいっぱい出た、とか独り言言って立ち上がったのを覚えてる。そうだな、いっぱい出たよなぁ。笑いそうになった。
私はこの時、さっきの途中で逃げた時にどうやってあの格好したのか見れずに悔やんだので、
今度はギリギリまで見てみたい衝動を抑えられずに端っこのギリギリの所までずれてじっーっと見てた。
どうせ、見つかりゃしないし、ともタカを括っていたのかもしれない。 妹はガラガラガラとトイレットペーパーを腕に巻きつけて
太ももについたおしっこを丁寧に拭ってた。
それからお尻を何回も何回も拭いた。紙にウンコがついていないか確認もしてたと思う。
よいせっとと声に出して立ち上がって、給水タンクかどっかに乗せていた自分のパンツを掴んで広げて片足ずつ、便器に落ちないように履いていた。
カニみたいな足の上げ方して履いてたのでカニを連想した。
パンツを履いた所で水をごばぁぁぁと流した。
どれ位出したかわからないけど今思うと詰まらなくてよかったと思う。
うちのトイレで詰まって水と中身が溢れてきたら私は大惨事だったと思う。 制服姿で入った筈なんだけど…って思ってたらどっかに載せていたスカートを取り出してきて履き始めた。
そろそろ出るな…と見極めようとしたら妹の目線が一瞬こっち見たような気がしてやべっ!ってなって一目散にステルス逃げた。
その間は心臓バクバクで見られた!とうとうばれたか!としつこく眺めていたのを後悔した。
見なくても苦しいし、見過ぎてバレたらと思うと苦しい。
今だったらスマホとかデジタルアイテム駆使できて快適だと思うけど、30年も前の大昔の話だ。
緩い時代だったが、何事もリスクを取らないと実利を得られない時代でもあった。 とにかくその日はもう部屋から出たくなくて、
晩飯もいらないとか母親が呼びに来たときに言ってた気がする。
とにかく部屋でゴロンとさっきの妹の恥ずかしい格好を思い返しては何回もオナニーした。
高校3年生だった私はその頃ようやく正しいオナニーの仕方(竿を握ってしごく)を覚え、中々イケなくてちんちんギンギンなのに精子が出たくて出たくてたまらなそうにしてて、股間が凄く熱くて痛かった。
妹が中々便が出ない姿を照らし合わせて、凄く切ない心境を重ね合わせて
自分勝手に妹と繋がってると勝手に思い込んでオナニーしてた。
もはや片思いに近かった。 翌朝、学校行く前に妹と顔を合わせまいとしていたが油断して時間ずらしてたが、洗面台で顔を合わせてしまった。
私はその時思わずガン見していたと思う。
妹が目を見て何?って言ってきた。
ちょっとしどろもどろになりながらおめー最近太ったな〜とかごまかしたと思う。
気にしてるらしく体重増えた〜痩せなきゃ〜とか返してきたと思うんでバレてないと安堵した。
だけど、やっぱ怖くてちょっとの間は下の覗きを控えた。
見つかったらどうしようとか、
バレたらもう仕方がないとかあいつの下半身見まくってやるかなとか昨日の夜は考えてたのに。 あの時、妹のお尻は大きくて魅力的だったように思う。
高校3年ともなると、部活が終わってかうちに友達が遊びに来る回数が増えた。
私は普通の交友関係を築きつつも、
妹のトイレ覗く回数減ったなぁとか時折、残念に思ってたが。
そんな折、私達の男子グループで、連休中にどっか遊びに行く話をしていた時に女子のグループが相乗りでどっか行きたいと行ってきて、
ディズニーランドに行くかって話になった。
うちが共働きで溜まるのに都合が良くてうちで計画立てる運びとなった。
まぁ、半分は興味本位で遊びに来た感じかな?そんな事があって、ジュースやら何やら出してなんやかんや学校生活の事やら気に入らない奴の悪口言ったり2〜3時間くっちゃべってたと思う。 そんなこんなで長居されてたが、女子グループの1人がトイレどこにあるの?と聞いてきた。
男の家で我慢してたけど限界が近づいたらしい。
私も私もって流れになった。
3人は多いので1人が下にもトイレないのか聞いてきて、
一応あるけど、古いよ?和式だしといったが構わないというので案内した。 手を洗うところを教えて、サンダルに履き替えてねと言うと私はさっさと離れた。
同級生の女子は私が離れていくと同時にトイレに入った。
ちょっと間をおいてから急いで覗きに行った。妹の豪快なトイレパターンは、把握していたけど同級生はよくわからない。
妹とは違う小ぶりな、色白い、お上品と表現したほうが自分の中でしっくりくるお尻が露わになっていた。
そのまましゃがみ込んでてチ〜〜〜っと可愛らしい音を立てて一筋の線が便器に落ちていった。
お尻の穴は丸見えだけど、あそこの方は暗くてよく見えなかった。同級生女子が着ている服のせいもあって暗かったし角度的に厳しい。
力を入れる度に小さなお尻の穴がすぼまったりしていた。
同級生のおしっこの姿に興奮して勃起はしたけど、頭の脳裏に妹の浅黒い大きなお尻の映像が過ぎって見比べていた。
何か迫力に欠けるなぁと物足りなかった。
この同級生Tはマイペースなメガネっ娘。
顔も地味な感じであまり男ウケする顔じゃない。私的には妹のくりっとした目やはっきりした顔立ちの方が好みだった。
どうせ見るなら他の2人…スラッとしたUと明るいNの方が良かったな〜と思っていた。
と、Tおしっこの勢いが急激に弱まってきた。
お、そろそろ終わると思ったので急いでその場を離れる。
その後アリバイのために冷蔵庫からそっとファンタのペットボトル持ちながら上に上がる。
途中で上のどっちか覗ければいいなと考えていたが、その2人のうちの1人のUがトイレの前で待っていた。
あれ?どうしたの?Nは?と聞くと今入ってるよって言って指差してた。
中から、もう出るね〜って同級生の男がいるのに呑気な返事。
私はその声を聞いて内心UがいるんじゃN覗けないなと凄く残念だったが、
あ、失礼。と軽く流して通り過ぎた。
通り際Tは?とUが聞いてきたので、
登って来てないならまだ下のトイレに入ってるんじゃない?とトボけた。
やっぱり待ってるか…活発で明るいNは3人の中で一番好みだったから今でもNの万個見れなかったのは凄く心残りです。 同級生のを家で見たのはこれで最初で最後かな…
全くこんな覗きに関しては神がかった家なのに(住むのは不便だった。)
その後3回位は同級生の女子グループ遊びに来た事をあったけど、いずれも機会が無かった。
散らばってトイレ行けば部屋から抜け出せないし、1度うちの間取り知ってれば動く機会無いしで凄く残念だった。
でも、Tのお尻を見られたのは凄くやったぜ!って高揚した気分だった。
Tと話しててもお前の穴見てやったぜ〜って謎の優越感あったし。
ただ、妹のあられも無いトイレ姿を見た後だから、正直物足りなかった。
物足りない理由は他にもあった。
触れないから。
話は半年前に遡る。 JKの妹とは仲は悪くなかった。
ベタベタする事は割とあった。
妹も触んないでよ、とかくっつき過ぎ〜
とか口で嫌がってはいたけど強い拒否はしてこなかった。
まあ、頻度と節度を調節はしてたけどね。
冗談言いあっててひどいことを言ってきたら悪乗りして腹の肉引っぱったり、ケツ蹴ったり、そんな風な事をしていた。
だけど、悪ノリが過ぎた事がある。
JKの妹が家から帰ってきた時、よくうたた寝していたのをいい事にスカート捲ったりしてパンツみたりしていた。 妹が起きそうになったらスカート戻したりしてたけど、
ある時バレたけど、悪戯程度の認識でエロ糞兄貴とか言われて蹴られた程度で済んだ。
その後も相変わらず寝てる間にそうっと悪戯した。
ボディタッチの頻度も上がるとさすがの妹も警戒したりするので隙をつくのが難しくなった。
妹と当時の私には恋愛感情はない。
ただただ私の身近な異性である妹の身体への興味だ。 JK時代後半、ちょっと過激にお触りすると「はい、お痛はここまで〜」とやんわり躱してくる事が多くなった。
ここまではまあ許せても、ここからは駄目だよ?っとやんわりと言っているかのようだった。 妹に恋愛感情なくても身近な女体として興味ありありだからな
俺も中二から三つ下だけど成長が早かった妹のまんこを見ようと色々計画練った
トイレじゃなくて脱衣場がない風呂場だったけど 年頃だと第二次性徴期の妹を見るとむらむらする時期が必ずある。 妹の身体は年月が立つほど女らしくなっていった。
私が妹に“女”を強く意識したのは妹が5年生、私が中学生の頃。
前述の通りあまり柄の良くない同級生がその親の隠し持ってた裏ビデオ(洋ポルノ)を家に持ってきて皆で衝撃の観賞会やったり
夏休みな拾ったエロ本が超マニア向けだった事、
そしてそもそも私がムッツリスケベだった事にある。
妹は小学校の頃は入退院を繰り返すほど病弱で細かったが、
高学年になるにつれ丈夫になった。
身体も性徴期を迎え、胸も出始めた。
体質改善プログラムの長期入院後は入院する事も無くなった。
そもそも医者も大きくなれば小児ぜんそくも酷くなくなり、
アトピー等も体質改善の生活習慣を続ければ良くなると言っていた。
(その為の長期入院だった)
入院先での集団生活(他にも10人位入院して共同生活を送った)で年上のお姉さんと相部屋になった事で
色々と女っぽさの影響を受けたのだった。
特に5〜6年生の時の急激な変化は、家に居なかった事もあって私の妹に対する認識の変化に大きな影響があったと思う。 そんな訳で私の性欲は元々強いが、変に意固地でカッコつけたがりの私は
どエロなのを周りに知られたくない様なムッツリスケベ…
覗きや盗撮(もちろん個人鑑賞限定)に奔るのも無理は無かった。
見つかるか見つからないかのスリル自体もそれに拍車をかけていた。
(勿論現在はそんな犯罪行為はやっていない。) 妹のお風呂覗きは、脱衣所に父親のビデオカメラを仕掛けた事に始まる。
妹の裸は、昔見た低学年の時のガリガリでちんちんが無いだけの身体ではなかった。
カメラは脱衣所からお風呂に入ったあと仕掛けた。
昼の段階で仕掛け場所と映り具合を念入りにリハーサルしていた。
何十分か脱衣所の映像が続いてから、お風呂から出てきた時の映像で、
腰回りは丸くエロティックに映り、母親のように股間に陰毛が生え、
胸も多少膨らんで、何より乳輪が私の知ってる裸の頃より広がっていて、
それに乗っかっている乳首がツンっとすましてて生唾ものだった。 今はもうどこに行ったか知らないが、
妹の脱衣所の裸の映像は飛び飛びで小学生〜高3位までの映像を撮って一本のテープにまとめた。
そこには妹の赤裸々な身体の変化が刻まれていた。
身長などは当たり前だが、時を追うごとに腰回りの丸みは成人女性に近づき、
括れ具合(妹はバトミントン部に入って腰回りは引き締まってた)
何より乳輪が年々大きくなっていくのは目を見張った。
あまり乳輪がぶわ〜っと広がってるのは好みじゃない(美しくない)から
美乳枠ギリギリに乳輪が広がるのが収まったときは安堵した。
乳首の発達も年々エロさを増した。
美しい、私好みのおっぱいに育った。
………もしくは、私が妹のおっぱいに好みを合わせたのか。
後々、これが私を狂わす。
あと、どきりとしたのが、背中が案外逞しかった。スポーツと元々いかり肩だからだろう。(小さい頃喘息で呼吸が苦しくてゼーゼー肩で息をしていた)
うなじ…スポーツしていたので短髪だったが刈り上げていないので風呂上がりの妹の首筋は襟足がまとまってて色気があった。
家にテレビとビデオの一体型モデルがあったから編集は容易だった。 風呂場の中へはビデオカメラ持っていけないし、仕掛ける場所もない。
今の世の中で当時の年齢だったらスマホとか仕掛けていたかもしれない(そしておそらくバレてえらい事になっただろうね)
シャンプーで髪を洗ってる時にきっちり閉まってない蛇腹ドアをそおっと開けて、
間近で妹の背中とお風呂マットにペタッとついたお尻を鑑賞した。
流れるシャワーのお湯に沿って妹の背中にうっすらと生えてる産毛がまとまって若々しい肌が水を弾きながら流れていく様に
風景写真を眺めるかのような美しさを感じたものだった。
成功した数はそんなに多くなく、
洗髪中に潜入するタイミングを外したり(共働きといえども夜は親がいる訳で)
蛇腹ドアがきっちり閉まってて、そうっと開けてもカチャッて音がなってしまい、頭を洗ってる最中だから助かったが「お母さん?」って聞いてきた事があって速攻退散した。
きっちりしまりきってないと蛇腹ドアって浴室が暖まったりするとちょっとの隙間で開く音がする時があるので後に誤魔化せて助かった。
あと、きっちりしまってないと浴室の冷気を背中に感じるのか、
手を伸ばしてしっかり閉めに来たことが
何回かあった。
妹は何も言わなかったがその時、覗いてるのに気がついてないと今でも思うが… お風呂系列での話でいうと…
だいぶ後になって妹がJDの頃はバイトとか遊んできて21時とか22時とか夜遅くに帰って来る様になる頃
お風呂は深夜帯になる頃が多々あった。
深夜帯ともなれば朝の早い親はさっさと寝てしまう為(うちは親も私達兄妹も2階で寝る)
お風呂場を覗くのは容易だった。
ただその頃にはお風呂場を覗くのはリスクの割には面白くなく、
それ以前のトイレタイム(大の確率多い)や脱衣所のアングルに凝ったり、
脱衣所のドアを大きく開け放って遠くの居間からレースのカーテンの後ろに隠れて直接的に覗く方が多かった。
多かったといっても私は私で学生生活堪能したり、社会人になってからは家にいる期間は短かったが。 妹は脱衣所のドアが開け放たれ、家族が寝静まった真っ暗な1Fに不安を覚えてそそくさと脱衣所のドアを締めに行くので、
締めに行く間の数歩分の妹の濡れた全裸、
たわわに揺れる胸を堪能できた。
残念ながら私が他の女性と付き合うのはそのもうちょい先、
20代半ばだった為、その間は全力投球で妹が性欲対象だった。
自分好みの女性が中々居なかったのと、
その条件に合致する女性の要素のうち、
妹がその要素を占める割合は案外に多く、
恋愛感情こそ無いが、妹とヤってみたいと割と真剣に悩んでしまった悶々とした時期だった。
妹も油断なのか女として見られるのが内心快感なのか、悪ふざけの挑発なのか。
私が深夜テレビ見てる横でバスタオル1枚で座ってドライヤーかけたりした時もあった。
勿論私が本気で襲って来るとは思っていなくてそういう無防備を晒して来る訳だが。 お風呂から出てくるタイミングで居間の隣の和室に隠れてると、
風呂上がりにバスタオルテレビを見ながら爪を切ったりする時があって、
片足を大きく上げて足の爪を切ったりすた。
私はテレビ台のガラスのキャビネット越しに妹のセクシーな姿を堪能したりした。
その後、和室から廊下を出て階段から寝つけなくて降りてきた風を装い、
おいおい、嫁入り前の娘がなんて格好だい、といいながら水を汲んだコップを2つ持っていって
風呂上がりだから飲むだろ?と手渡しで
コップの水をありがとねと飲む妹の姿を楽しんだ。
妹も兄にそんな姿を見られるのを最初こそちょっと抵抗あったみたいだが
面倒くさがりな性格の為、
その後何も構える事はなく無防備な姿を曝け出していたりもした。
まあ、その時の妹の気分次第なところもあったが、その頃には私に裸を少し見られても極端な拒否反応や抵抗は無かった様に思う。 和室に隠れてると、爪切りの他にも陰毛を整える時があった。
おもむろに股を広げ、股間を弄り始めたからだ。
何本かパンツからはみ出る毛を抜いていたように思う。
和室からは後ろ姿しか見えなかったが。
正直、ドキリとしたのを覚えてる。
妹に彼氏が出来たか?先を越された?
妹に彼氏が出来てもおかしくない年齢だし、その事については不思議でもなんでもなかった。
妹はルックスは悪くないからだ。
しかし性格が恋愛には奥手なタイプだったと思う。
妹に彼氏が出来たとして、嫉妬はわかなかったと思う。
ただ、ただ、純粋に行く末は他人の男の手に渡るという事実の寂しさと
当時は恋愛でも性的な意味でも先を越されたという焦りと悔しさはあった。
まあ、彼氏が出来たというのは杞憂で、
その後友達と旅行に行くというオチだったが。 同時期、全裸にバスタオル1枚で階段を上がって自分の部屋にいく所を下から覗き込んだ時があった。
1回目は感づかれないで下尻と何か黒黒としたアンダーヘアが一瞬だけ見えた。
見てやったぜ!という高揚した、してやったり感を得て勃起して満足した。
2回目は、途中で視線を感じたのか振り返りバレて「ちょっと!!」って感じにお尻を抑えてこらっ!って感じに睨まれた。
この頃になると妹の身体への興味は時折隠さなくなってた。
妹も免疫できてたのか流し方が手慣れてきていた様に思う。
勿論、今まで散々覗き行為を働いてきた事は口に出してないし、
向こうも気がついていなかったと今も思う。
知られていたら、とてもじゃないがこんな兄妹仲では居られなく、
最悪なものになっていたと思う。 風呂覗き関連&湯上がりのエピソードは大体こんなものかな?
後はお互い社会人になって実家に帰った時のマッサージ話位な感じかな。
あ、調子に乗ってビンタされた話まだだった。
風呂上がり妹がバスタオルのまんまで一緒にTV見ていた時、
色々と話に夢中になり1時間位たって「お前、何時までその格好なの、そろそろ何か着れば?」てな事を聞いて
「暑い〜」「眠い〜」「面倒くさい〜」みたいな事を言ってた。
もう意識もウトウトで当時の私も段々調子に乗って普段聞きにくいことや過激な発言とかした。 ・彼氏はいるのか?→居ない
・友達とか周りは付き合ったりしてる奴いるだろ?
→兄ちゃんも知ってる○○とかもう彼と付き合ってるよ〜○○はね〜(中略)〜なんだって(わりかし生々しい話をさらっとされてリアクションに困った)
・お前はつくらないのか?
→今はいい、面倒くさいし学校やバイトあるから
・羨ましくないのか?
→羨ましくないかと言ったら羨ましいけど〜友達とかと遊ぶ方が今は楽しい
・実は男に興味無い?
→無い訳じゃないけど…お兄みたいなエロ男が身近にいるからー(やり返されて胸にグサリw)、男とかまだいいや。 ・男はエロいものなんだぜ?エロくなきゃ人類は滅ぶとか、なんたら
→まあそうだよねー女だってエロいときあるよ
・お前そんな格好でそういう事を言うな
→はいこんな姿でごめんねー(TVや腕の毛をチェック)
・(それ見て)お前うちの家系らしく毛が濃いもんな〜肌焼いてる?のもその為?
→そーなんだよ処理大変でさ〜全身の毛濃いんだよ〜、肌は日焼け以外やってないよ…(段々ウトウト)
・(ちょっとデリケートな話題で会話に詰まって数分立つ)………寝た?
→寝てないよ…(明らかにうつらうつら) ・おい、そんな格好でそのまま寝たらさすがに(夏場だった)風邪引くぞ?
→(ウトウトしながら)その前に部屋行くから少し休ませて〜
(寝るんかい!)
…とまあ、記憶もおぼろげだし、正確ではないが、おおよそこんなふうなやり取りしてたと思う。多少盛っているかもしれん、すまん。
妹がバスタオル1枚でうたた寝…
仕方が無いのでそのまま暫くTVを観ながら…うたた寝する妹の身体チェック、
風呂で腕や脇のムダ毛処理した後らしく、脇毛は生えてない。
股はキュッと閉じて足先揃えてお姉さん座りなので、覗けなかった…
と思いきや時折姿勢を変えたりしたので
…Yゾーンちょっと見えた時もあった。
割れ目までは見えなかったが。 上半身は突っ伏してる時に脇毛チェック、剃り跡チェック。
横顔や生乾きの髪やうなじを見ていたら
なんかムラムラドキドキが加速してきた。
こりゃたまらないし間違いを犯すかもしれないと、「おい、そろそろちゃんと寝るぞ」と揺すった。
部屋へ連れてって〜と甘えたことを言うのでお前の体重重すぎてムリたから目を覚ませと言うもまだグズるので
最終的には肩を貸す形で階段まで行く事にした。
ほんのちょっと興味があったのでお姫様抱っこやってみたが無理だった。 お姫様抱っこする時に何とか立ち上がらせて、尻の方を抱え込んだ。
当時肉体労働系の会社に務めていたから力はあったが何分バスタオル1枚の相手なので掴み場所に困った。
お前…案外に良い体してるよな…
とか、お尻が大きいよな、とか
胸も以外とあるんじゃん?とかエロい事をさり気に調子に乗って言っていた。
妹もエロ兄貴、スケベな事考えて変な所触んなよとかムニャムニャいっていたと思う。
その、お姫様抱っこで抱えたが抱え方がアンバランスで後、やっぱり重くて崩れて下にドタって畳に倒れ込んだ。
そのときに時にバスタオルが少しはだけて
股の部分がひらっと広がった時に黒黒とした股間のアンダーヘアが露わになって「あ。」と声を上げてまじまじと見てしまった。 痛たた…と言っていた妹がようやくハッと目が覚めて急いで下半身を隠した。
あ、あ、事故、何も見てないなんて誤魔化しの言葉をかけるも赤面して見てない?見たでしょ!
というので毛は一瞬だけ見えちゃったかもだけど具は見えてない!と正直に弁明。
やだ、最低!みたいな事を言って下を押さえて立ち上がったら今度は上の部分がハラリ、反応して脇で挟み込むもバスタオルを折り込んだ部分が外れたので胸が開けてしまう。
妹のおっぱいは私の好みのおっぱいだ。
あ、あ、ちょっとやだ!と言いながら開けていくエロコメディみたいな展開と
美乳な乳首と乳輪と10代ラスト?な張りのある弾力性が伺えた妹のおっぱい。 とうとうムラムラが限界に来て、隠して赤面する妹に近寄って、
大丈夫、恥ずかしがること無いじゃん兄妹だから大丈夫とか当時よくわからない慰め方して、
あーこんなエロ兄貴に貧相な胸見られたー最悪ーとかいうので、
お前のおっぱい結構大きいと思うよ?
乳首とかきれいだと思う。自信もっていいよ
とか勃起しながらなんか肯定する事を言っていた気がする。
実際、妹の膨らんだ胸を直で見たのは別にこれが初めての事ではない。
前にも何回か(覗き以外で)着替えてるところを遭遇してしまったとかあって
その都度恥ずかしさからか自分の身体を否定的に言うので、
変なスイッチ入っちゃった私はとうとう
妹の後ろに周り、バスタオルの上から胸を掴み、
おら、やっぱ大きいんだよお前のはさ、こんなに!
自身を持てよ!少なくとも俺は触りたいと思うぞ、ほらこんなにと
褒めてるのが免罪符とばかりに強引に触りにいった。 妹は最初え?って反応だったが、やめて!と言って座り込んだ。
私は興奮してここぞとばかりに触りに触った。
バスタオルの中に手を入れ、乳首を触りにいった。
調子に乗って指でちょろちょろ乳首を転がして「お米が立ってまーす」と
その時持っていたエロバカギャグ漫画の台詞を言ってみた。
バスタオル1枚という心細い格好の妹の当時の心境たるや、実の兄にほんとに襲われるとは思っていなかったと思う。 襲うといっても、流石に妹とセックスしようとまでは当時の私は考えていなかったと思う。
胸からあわよくばアソコと、勢い任せてで触る所触りたいと思っただけだったろう。
膝を抱え込んで、座り込んで胸を触る私の腕を力いっぱい掴み、時折爪を立てたりして妹の強い抵抗の意思を感じて我に返る。
うつ向いて無言の抵抗を続ける妹に対して、すまん、つい魔が差した〜だの、
お前が否定的すぎるんだよ、俺、お前の見たらこんなに触りたくなったし、
自身を持っていいよ。彼氏もすぐできるんじゃんこんな胸ついてるなら。
とか、とにかく褒めちぎった。
とにかくゴメンよ…今回はホントに調子に乗り過ぎた。
いい胸すぎて冗談がエスカレートしちゃったんたとか謝り倒した。
ちょっと時間が経って妹が落ち着いてから、触り心地…最高だったぜ…とかまた冗談でダンディ気取りで言った時だったと思う。
おもむろにビターーン!と思いっきり手を振り上げてビンタされたw
当時物凄く痛かったのを覚えてる、
涙目で妹が睨んでもう一発見舞ってくるのが分かったけど、あえてもう一発食らった。バトミントンで鍛えあげた振りだった。ほんとに火を吹くほどに痛かった。
ふざけんな調子にのんなエロ猿兄貴とか
散々に言われたが、
大声で叫ばなかったのは妹なりの優しさだったのかなと今は思ってる。
その気だったら上で寝ている親だって呼べたろうに。 それからまぁ、妹は私が居る所ではバスタオル1枚でずっと居るって事はしなくなった。
ちゃっちゃと化粧水やら肌ケア(肌が弱い)済ませてドライヤーかけたら、すぐに上に着替えに行った。
まあ、当然の話だね。
ただ、妹なりに自分にも隙があったと認識してたんだろうなと思う。
昔から自己責任意識が強いやつだったし。後日確かにそのやうな事を言った覚えがある。
こっちも気まずくて暫く距離をとった。
なんだかんだ2〜3ヶ月ぎこちない感じだった。
何とか自然に会話できるようになるまで半年位かかったかな?
ずっと気になっていて、なんとなーく
あの時はゴメンと謝ったら
蒸し返すのはよそう、とか、私もあんなだらしない格好だったし、あれは褒めてくれたんだよね、とか伝わる部分は伝わっててジ〜ンとなった。
まあ、あれ以上されてたらマジ警察呼ぼうとか思ってたらしく、そこは怖かった。
自己嫌悪もあり、当時の仕事が単調で嫌にもなり、
このままじゃ本当に駄目な兄貴になるなぁとか、
地元の友人が色々と生活に変化があった事の刺激を受けたりして、
自分も転職を機に実家を出る決意をしたのだった。
まあ、駅3つ先位だったけど。 妹に激しいお痛をする事はそれ以前にもあった。
私が高校3年、妹が高1の頃だ。
この頃は妹はまだ純粋で、兄妹ケンカでケツを蹴り合ったり(私は手加減してたが妹はわりと本気で) 寝落ちしてしまった…
コタツで蹴り合い、玉潰しや電気あん摩をお互いにやったりしていた。
まだ子供のときのちょっかいが通じていた。
その関係が悪くなった出来事があった。
前述で妹がうたた寝している時にスカート捲ったりした時があったと書いたが、
それがエスカレートし過ぎて、
バレないうちにお触りとかやり始めた。 うたた寝しているうちに最初は、顔や耳とかそっと撫ぜたり、
鼻先に脱いだ靴下(妹自身が帰ってきてから脱ぎ捨てたルーズソックスだよ)
を鼻先にぶら下げたり…
おふざけもエロにはしり、ブルマやパンツの上からサワサワ…としたり
それが股間に集中したり。
それでも起きない事をいい事に、股間に顔を近づけたりもしてみた。 そんな事を楽しんでいたが、
ある時ついに気がつかれた。
目を開けると顔を自分の股間に目一杯近づけてさわさわとしている兄を見て、
さぞかし驚いた事だろうね。
え?…ちょっと!とか叫ばれた気がする。
何やってんだよ!とか何したの!?
とか言われたから何もやってねーよ!と言い訳になっていない言い訳をした。
確かに軽く服(パンツやブルマ)の上から触ってはいたが、
中に手を突っ込むと気づかれると思い自制していたのに何かやったとは何か!と
憤りを感じた。 それでも疑惑を向けて罵ってくる。
しまいには親に言うからね!とか言ってくるので遂に逆キレた。
まだそこ迄変な事やってねーっつってるだろ!?
やってほしいんなら触ってやるわ!
って言ってその日はブルマ履いてたから固いゴムで締め付けられたブルマの中から手を突っ込んだ!
手を突っ込んでパンツの上から妹の、
女のアソコを初めての触った。
衝撃の感触だった。 パンツの上から指先に温もりや割れ目の形が手触りでわかる、
陰毛の縮れたざりざり感もたまらなくなり、
ここまで来たらパンツの中にも手を突っ込んでやる!とブルマの中で手を下腹部
の上に摺り上げて、
パンツの飾りリボンみたいなやつを探り当てパンツをめくってとうとう指を滑り込ませた。 パンツの中に滑り込ませた手はジョリジョリな陰毛のジャングルを掻き分け
(我ながらエロ小説みたいな表現だな)
とうとう生暖かい割れ目に到達した。
ここがクリトリスかな?
ここらへんがおしっこの穴のある部分かな?こっからいつも覗いてるのあのおしっこが出てるのか…と感慨深く記憶の映像と照らし合わせる。
正直、初めての女のマンコの感触は、
ナメクジやかたつむりを触ったときの様な少しぬるっとした感触を連想させた。
妹のマンコは少し湿ってはいたが、
濡れているとは言い難かった。
そんなマンコの割れ目に指を這わせ、陰核を乱暴に弄れば痛みをともなう。
痛い!いや!やめて!触るな!
スケベ!変態!
言う!絶対に言うから!ふざけるな!
…とまあ、こんな事を繰り返し叫んでいた様に思う。 妹は腰を引いて、一生懸命後ろに下がって逃げながら両手で私の触ってる方の腕を全力で掴んでやめてやめてと叫ぶ。
夕方だったが親はその時まだ帰ってこない。
いつもどおりなら後30分は帰ってこないだろう。
妹の部屋の奥がベランダで、洗濯物を取り込むのが早く帰ってきた時の日課だった。
私は片腕で妹の腰を巻きつけて抑えて、
もう一方の利き腕をパンツの中に忍ばせて全力で触りに行っていた。
触れば触るほど興奮し、我を忘れ、
親にチクられるならもうヤケだ!と自暴自棄な心境になっていたと思う。
もう痛いほど勃起していて、
おあいこだぞ!と、それを妹に触らせようと妹の太ももに押し付けたりしていた。 妹の万個を指を使って広げようとしたが全力の抵抗もあってなかなか上手くいかなかった。
中指を万個の割れ目の中心に沿わす位までやったと思う。
痛い痛い痛いやめてほんとにやめてと叫んだ。
流石に耳もとであまりに痛いを連呼するので手を止めた。
すると、私の心の中は罪悪感と後悔が一気に広がっていった。
仲良くしていた時の妹の笑顔、いたずらしたりちょっかい出しあったり仲睦まじい妹との記憶、
これらが一気に壊れたと思った。 妹は両手で顔を覆って震えて泣いていた。
………やり過ぎた………とんでもない事をしてしまった………
その時の後悔と罪悪感は半端なかった。
ごめん!ほんとにごめん!
興味本位で触りたくて仕方がなかったんだ!と全力で謝った。
お前が最近なんかすごく女っぽくなってきてお前の身体を触ってみたくなっちゃってさ、
いたずらしたりしてたのは事実だけど
こんな事する気はなかったんだ!
お前が直に触られた訳でもないのに
触られたから親に言うなんて言うから…
とまぁ、正直にありのままを、こんなふうな事をひたすら弁明していたと思う。 妹はしゃくりを上げて涙目できっと睨んで、
絶対に親に言う!ふざけんな!とか繰り返すので
もうやらないから!絶対に触らないから!変な事しない!
だから親には言わないで下さい!
お願いします!
とかひたすら連呼して謝った。
ケーキ奢るとかハーゲンダッツあげるからとか好きなもの買ってやるとか
お前が最近かわいいからちょっとやり過ぎた!ごめんもうしない!とか
土下座して凄く謝った。 妹は凄く怒ってて許さない!出てけ!を連発したので、
出ていくから許してください!お願いします!
親に言われたら生きていけない!
とか情けない事を言いながら妹の部屋を出ていった。
もう、その夜は妹がいつ親に言って親が私を呼びつけるだろうとビクビクしていた。
妹が部屋を出る度にビクビクした。
流石にその日は、覗きをやろうなんて思わなかった。
部屋から夜遅くになるまで出られなかった。 途中、母親が部屋の前まで来て部屋をノックした。
ビクッとなった。が、ベットに潜ったまま何も言わなかった。
「○○(私の名前)、寝てるの?ご飯は?」と言ってきたがひたすら寝た振りして固まっていた。
その後も2回位呼びに来たがいずれも無視した。
親が23時位にガラガラと二階の和室(親の寝室)に入った後、腹が減ったのでこっそり食べ物を食べに下に行ったら
テーブルの上に御飯と、おかずのコロッケと焼き魚とサラダをお盆に乗せ、
ラップをかけて置いてあったのを見て
思わず情けない自分の姿と
妹から顛末を聞いたのかわからないか母親の何も言わない心遣いに情けなくて涙が出た。 その日からしばらく、1ヶ月位妹とはギクシャクした。
私が妹を避けていた。
妹も何も言わないし、お互いに距離を置いた。
そんな感じて1ヶ月過ぎた頃。
何かの用事でどうしても妹と会話しなきゃならなかった時。
確か私の友人が妹の友達の兄妹だった事でなんか聞く用事だったと思う。
で、何かの用事を済ましたあと、ちょっと沈黙があって、
あの…あんときはほんとごめんな、と切り出して謝ったら、
反省した?と聞いてきて一応許すから2度とすんじゃねーぞ。と言ってきた。
わかった。と返事をして部屋を出た。 妹は許してくれた。
親も何も言ってこないってことは、
親にも多分言っていなかったんだと思う。
当日も部屋を出て下に行ったが、ご飯とお風呂ぐらいだったと思う。
親と長々と話している気配もなかった。
母親は気遣いの人だったが、父親は超短期ですぐに手が出るタイプの人だったので、
もし言っていたら何もなかったとは考えられなかった。
妹も兄に大事な所を弄られたと言い出し悪かったと思う。
以上の事もあって、妹は親には報告しなかったと今でも考えている。 妹がJKの年頃ともなると、なにかしでかしてから許してくれて元のような感じになるまで何ヶ月かかかるから、
その後は露骨なボディタッチは控えた。
この事が原因で彼氏をつくる事に抵抗があったのなら、兄として最低なトラウマを妹に与えてしまったと思った。
それなのに、社会人になってまたつい妹の胸を直に揉むとか責任もとれないのにやってしまったりして、
自分もいよいよ本当に妹離れしなきゃな、とも思い転職を機に家を出た。
ずっと家に居るのは当時は近所の目線が恥ずかしかったし
好き勝手出来なかった、神なトイレはあるけど相手は殆ど妹のみだし基本的に古くて住みにくい家だったのもある。
一人暮らしの友達アパート遊びに行って近代的で悠々自適で羨ましく思ったのもある。
妹が会社の同僚と付き合ってるらしいと母親つてに聞いたのはそれからだいぶ経った後だった。 当時私は3年位付き合った女とまあ婚約する事を実家に報告しに行ってて、
その時にお茶を持って妹が一緒に応対した。
その日彼女が帰省するんで私は久々に家に泊まったが、その日後から散々興味本位に色々と聞いてきて、
それが刺激になったのかわからないがそれから半年もたたない位の頃に母親から夜遅くに「男に送られて戻ってきた」
「帰ると携帯から家に連絡入れて待っていたがなかなか帰ってこず心配して外に居たが遠くに見知らぬ車が止まった」
「近所の人の車じゃないので何か感づいて近づいてみたら妹が男性と見つめ合って話したりしていた」
「二人とも母親に気づいたら慌てふためいてご報告」
だったそうだ。 聞くところによると、随分と歳下らしい。(彼氏は24歳、妹が27歳位)
歳下ながら優秀な男のようで、母親曰く「初対面はブサイクであまり気に食わなかった」らしいw
我が家は目や鼻立ちがクッキリしていて黒髪直毛、スラッとした体型だったわけで「お前達二人は見てくれは綺麗に産んで育てたのに、相手は残念な感じだ」ったそうだ。
母は案外に陰では毒舌なんだなと笑った覚えがある。 まあ、その彼氏とは多少長く続いたらしいが転機が訪れた。
夜は空前絶後の2008年の大不況。会社が親会社のグループ会社と統合やら紆余曲折がありその出来る歳下男は統合先の会社の辞令で海外(アジア圏)に行くことになった。
妹の会社(事業所)の人間は勤務地が遠くなったばかりか、その後大半の役職者は遠くの地方や海外転勤や早期退職を迫られ、
殆ど辞めてしまったそうだ。
連帯感ある居心地のいい会社だったらしく、退職制度で皆で辞めちゃおうってノリになったらしく、
転勤やらに応じる人間以外はほぼ居なくなったらしい。 妹は彼氏についていく選択肢はあったが、そのアジア圏に不安があり、ついていかなかった。
つまり別れを選んだわけだ。
その後も派遣会社に登録し、契約派遣社員としてあちこちの会社に行ったが、
ある会社は陰湿な虐めの環境があって馴染めず、
またある時は、会社が求めるスキルと合わなくて更新を機に別会社転属とかになったようだ。
実家を出る様になったのもこの頃。
妹はもう30代になるので実家での父親との確執やら見合い結婚の話を勝手に持ってきたりされた様で
嫌になったらしい。
妹は元々体が弱く体調に不安があって日本や地元に居たのだが、
この頃になると実家の方が負荷が厳しいみたいだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています