◆◆◆オレはM母はS そんな体験◇◇◇
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僕はM男です。
それは中学のころ、母に受けた体験による影響からです。
風呂上りに、完全包茎を母に見られ、母は
「ちゃんと剥いて洗わなきゃ」と言いました。
「自分でやると痛いんだもの」と僕が言うと、
母はスイミングスクールに通っている水着を着て浴室に入り、
全裸の僕のペニスを洗い始めました。 「ああっ?!」
「卑しいマゾに相応しく、処女だったお尻を犯されたままイくのよ。さあ汚らしいマゾ液を思う存分撒き散らすがいいわ!!」
「あううーっ、イくっ、イきますううううううううっ!!」
勃起し続けだったペニスはついに縛めを解かれ、淫らに痙攣する。
その直後、佳紀の数倍はある逸物に肛腔を渾身の力で突き上げられ、美少年は女のような悩ましい嬌声を上げながら精液を噴き出し続けたのだった。
「ああ・・・・・・・ママ・・・・・・・七菜華様・・・・・・・もっと・・・・・マゾ奴隷の佳紀にお情けを・・・・・」
(佳紀・・・・・母親のわたしに哀れな格好で犯されながら賤ましく逝ったのね・・・・・・いいえまだよ、もっと屈辱的な快感を、これからその身体に教えてあげるわ・・・・・)
自身もまた絶頂に達し、Sの喜悦の余韻に子宮を疼かせたまま七菜華は我が子を見下ろす。
いつまで続けることができるかわからない、危うい関係。
だが必然の道を辿り始めた二人に後悔はない。
男と女、サドとマゾの甘く蕩ける修羅は、まだ始まったばかりだった。
この後佳紀は家の中で飼育され、さらなるマゾ調教を受ける。
そして夏休み、七菜華は有閑マダムとなっていた昔の女王仲間を山荘に呼び集め、実の息子であることを隠し奴隷として佳紀を披露する。
大勢のサド女王に責め嬲られ、佳紀は悶え啼きつつ悦びを深めた。
しかもその後七菜華が昔勤めていた秘密クラブに連れて行かれ、ホモ紳士たちのオークションにかけられてしまう。
恐怖に怯える息子を見て冷たく微笑む母、七菜華。
はたして本当に彼女は息子を売り飛ばしてしまうのか!
しかしそれはまた別の物語であり、本章は母子の新たな契りを持って終わることにしたい。
ご愛読に感謝。 いいなー。なんてったって母親だもんね。
全てのツボを心得た調教をしていくんだろうな〜。 息子なのは昨日までよ…今日からは奴隷になってもらうわ。 >>176 はいはい 殺す殺す できない事は やめましょうね >>2
なんだよ。俺なんか小2のとき母親にやられたぞ。
すげえ泣いたけど、どこの家もお兄さんはみんなやらされるって説明されて、もう耐えるしかないって諦めた。
うちの母親は一見優しそうで過保護に育てられてると思われてたけど、それは機嫌のいいときだけの話で、機嫌の悪いときは酷かった。
まあ、機嫌の良し悪し関係なく、兄の俺は厳しい躾を受けた。躾されるときは涙が枯れるまで泣いた。なのに弟がそんなことされた記憶があまりない。
うまく逃げ回ったのもあると思う。俺は母が躾の作戦を練ってるとき、なぜか自分から母のそばにいた。弟はヤバい気配を感じてどっかに消えてた。
とにかく弟はやんちゃ坊主でよく悪さをする問題児で体格も俺より良かった。
当然あちこちで悪さをしては母に怒られたが、何もしてない俺も一緒に怒られることが度々あった。
そんなときは、何もしてないって訴えても無駄。弟と一緒に殴られた後、俺だけ本気で一発殴られた。そういうとき、すげえ泣いて暴れた。「お兄さんでしょ。我慢しなさい」
ものすごい悔しくて、大声で泣いてると「いつまで泣いてるの」と、また殴られた。
そんなことが数え切れないくらいあった。だから、いつも母に気に入られる努力ばかりしていた。
母の決まり文句が「お父さんに教えるよ」だった。父は実際はあまり躾に干渉しなかった。性器の躾も完全に母親が仕切っていた。
そういう訳で、お兄さんだからやらなきゃいけないと言われて、素直に信じてしまった。 俺が弟と違うことの一つに、生まれつき皮膚炎を患っているというのがあった。
おまけに、躾の厳しさで俺だけオネショが直らなかった。オネショに関しては母に怒られた記憶がない。ただ、オネショかぶれにかかって、皮膚科病院に通った。
皮膚科は通い慣れていたが、引っ越した関係で通い慣れた大病院ではなく、皮膚科専門の医院だった。そこの病院では中の待合室に入る前に入り口で全裸になる決まりだった。
混んでるときは小一時間全裸で過ごすことになり、オネショかぶれという恥ずかしさもあって、待合室に忍び込んだ弟に散々笑いものにされた。母は母で看護婦さんに薬塗りする時のちんちん剥きと肛門指入れをどうしますかと聞かれて、あっさり同意。
俺は3歳のときの嫌な記憶が蘇ってきた。看護婦さんに隣の部屋に連れていかれ、ぞっとした。なぜかいつの間にか母は消えていた。
年上の子供たちがパンツ一枚に裸足で整然と並び、器具でへそ穴をグリグリされていた。
俺はすごい逃げ出したかったが、看護婦さんにかごを渡されると素直にパンツ一枚になった。
自分の番が来ると、吹っ切れたようにワザと泣きをした。小さい子供だと分かったら中止してくれるかと期待したが、甘くなかった。
終わるとなぜか母が待ち構えていて、「やらなきゃいけなかったの。堪忍して」と謝った。いまだにあの施術は謎のまんま。
それはともかく、母が喜んで同意したちんぽ皮剥きは看護婦さんが優しくしてくれた。
それから1年後に俺のちんぽに突然襲った、亀頭ズル剥きタワシ摩擦。それはかなり酷なものだった。
俺は母にズル剥き洗いされた後、言いつけられた亀頭洗いを徹底してやらなかった。なんかトラウマになったかもしれない。
ただ、ズル剥きは毎晩布団の中で時間決めてやっていた。でも完全に剥けたのは小5だったと思う。それからしばらくして精通が来た。
母の検査はたまに抜き打ちで来た。海水浴に行った帰りに、海水パンツの中に入った砂を取ろうとしていたのを見つかって、走行中の車の中でフリチン検査されたこともあった。
最後の検査は精通後だったか。オシッコが変でチンチンがおかしいと母に言って、速攻フリチン検査。翌日泌尿器科に連れてかれた。
泌尿器科の先生に「大人のおちんちんになりかかってますよ。お母さんも心配しなくて大丈夫」と言われて、母も検査しなくなった。
父親と風呂に入り、脱衣所で母親にバスタオルで拭いて貰った、
そのあと母親は父を拭いた。当り前普通だと思ってた。
一人で入浴するようになっても、毛が生えても
あがると母に拭いてもらってた、
俺がつらかったのは、小学生で丸坊主にさせられた経験かな。
うちの母親は、長男は厳しい躾をするのが当然と思ってて、俺なんかどんなに行儀良くしても1日一度は泣くまで殴られた。一学年下の弟はどんなにふざけても口で叱られる程度。代わりに俺が殴られた。
近所では優しそうなお母さんで通ってたから、毎日響く俺の泣き声と叫び声のせいで、俺は優しい母親を怒らせる相当な問題児と思われていたようだ。
そんなある日、小5になったからそろそろ坊主にするように言われた。
近所に住む親友のクラスメートが坊主にして、うちの子もさせなきゃと思ったらしい。
俺はとっても良い子だったので母親に気に入られようと素直に床屋に行った。床屋のおじさんは気の毒そうにして、とりあえずかなり短めに刈っておこうかって。
そしたら、親友は青刈りにして家に遊びに来てしまった。「凛々しいわね。うちの子もちゃんと坊主にさせないとね。」と母親。
それで仕方なく五分刈りに。シャンプーは必要ないから石鹸で洗いなさいって言われたときは泣いた。
坊主にしたら、憎さ倍増したらしく、母親の体罰がさらにエスカレート。
学校でもかなりキツいイジメが始まり、地獄のような日々が続いた。 >>200
世間的には美人じゃないかな。
中学でやべえくらいエロフェロモン発してる新任の女教師(新体操部顧問)から一方的に好かれたんだけど、俺の母親に嫉妬心燃やしてたなあ。
「あの、(モジモジ)こないだお母さん見たわよ!もう、スッゴい美人なのね。全然知らなくて、もう、わたし恥ずかしいわ、ねえ、うふふ」
日頃新体操部員をしごきまくってるくせに、俺の前では可愛い女なんだよな。
なんか男性教師にも肉便器扱いされて気の毒だったな。
中学に入ると俺の母親は急に放任主義に走ったもんだから、俺は突然女子からモテモテになった。
女だけど、母と姉がエホバの証人で
悪い事したらベルトで尻出されて叩かれた。
暴れたら姉に足押さえられた。
書き逃げ 23歳ニート&ネット中毒&トラブルメーカーのクズ息子・鮫島を
ハマーン・カーンの声で怒鳴って殴って蹴って回線を引っこ抜く母親
↓
鮫島vs鮫子‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2312116 たえこは、顔騎します!
シックすナインも
もちろん、エッチします!
(夜に騒音にならないように流さないでいた)便器についたのなら舐めたことが・・・
味は覚えてない 母は昔SM嬢だったらしいのだが、ことの起こりは高一の時に、粗相をしてしまって、お仕置きでお尻叩きを受けた時に勃起してしまった事がきっかけ。 M性を見抜いた母は父親がいないことも相まって、段々とエスカレートし、十年たった今、包茎短小の自分は性行為すら許されず、童貞のまま、母曰くM奴隷の最下層である人間便器にされた。 >>239
同居してるんなら日常的につかってもらえるのかな。
それともプレイ?のときだけ?
今日はあとで便器にしてあげるから夕飯は抜きね、とかあるのかなー
食事は、母の気分次第で、機嫌が悪いと、聖水と黄金だけしかいただけません。 家では基本、全裸に首輪です。これが、最下層奴隷の制服だそうです。お互い仕事があるので、休みの日と家にいる間、便器として生活しています。 >>235
同じ事をやってる人いたんだな。
でもきっと気づかれてるよ。
俺が夜中にしこってたときのこと。
母が怒った顔でこっちみてるのに気がついた。
「またへんな本読んで!」
びっくりして起き上がりかけた俺の顔を張り倒して母が顔をまたいできた。
「あんたが夜中にトイレなにしてるか知ってるのよ」
「妹のおしっこなんか舐めてこの変態、女のおしっこ飲みたいんならあたしが飲ましてやる!」
どうやら母は妹の尿を舐めていたとおもってたらしかったが、俺はそのままだまって言われるままに母の股の間に寝転んだ。
そのあとわざと見つかるようにしこってると「さっさとすまして勉強しなさい」といって俺の顔の上でスカートをまくってくれるようになった。
そんな感じでときどき母の便器にしてもらえるようになった。 実母に関してはM女スカトロ系ばっかだなぁ
S母尿ものの情報がほとんどないよな
だれかもっと体験談きかせてくれー
昨日、バイトから帰ったら部屋を掃除されて、隠してあった女王様物や、近親相姦物のAVを見つけられてた。だから、「本当は、お母さんとエッチしたり、SMをしたりしたい。」と言ったら、泣かれたけど、「変な女に捕まるくらいなら」といって、騎乗位で犯してくれた。 隣は、母子家庭だから期待していたが、自分がやりました 実は実母
聖水まである
ttp://www.hina-soft.com/kuro_hina/chijoyakata/index.html 母だけじゃなく父もSだったけど。とにかくそんな両親のもとで育った。
元々母親はスキンシップ多めで、さらに俺をからかって遊ぶような接し方だったのが
中学から性的ものに変わった。父はそれを見てる事が多かった。
体を舐めさせられたりキスされたり、オナニーを強要されたり射精管理的なこともされた。
女装や露出もさせられた。特に女装+露出は母のお気に入りだったみたい。
命令に逆らうと、縛られてペニスやアナルを責められたり、延々とくすぐられたり、
普段より過激な露出とか飲尿をさせられるとか色んなお仕置きがあった。
命令に逆らわなくてもテストの点が悪いなど何かと口実をつけて責められた。
他にも俺の部屋を少女趣味な感じに改装されたり、壁に恥ずかしい写真貼られたり
部屋に女性下着を大量に干されるといった地味な責め(?)もあった。
母の命令が原因で学校では虐められるようになり、さらに母が虐めに便乗してきた。
中3の頃は学校でも家でも誰かに虐められるために生活しているようなものだった。 >>265
とりあえず適当に書くよ。
母は色々命令してくるけど、高圧的ではなくおっとりした人だった。
女王様より痴女って感じ。俺が逆らうのも含めて楽しんでいたと思う。
両親のことは「パパ」「ママ」と呼ばされて、一人称は「僕」を強要された。
子供っぽくて恥ずかしかったけど逆らえば罰が与えられた。
いつからこうした関係になったか正確には覚えていない。
元々ベタベタしたりキスすることが多い人だった。それがディープキスするようになり、
俺の隣に座って抱きつきながら体を弄られたり、おっぱいを舐めさせられるようになった。
大抵は母が暇な時に、家のソファで座りながらされることが多かったけど、時にはベッドで
横になってキッチリ奉仕させられたり、立ってる母の足を舐めさせられた。
オナニーを覚えて少しした頃にはエロ本が見つかって散々からかわれた。
母の見てる前でオナニーするように言われ、逆らったら後ろ手に縛られペニスをしごかれた。
イキそうになると止められまた扱かれを繰り返され、以後勝手に射精しないと誓わされた。
母の気分次第で女装もさせられた。服だけ女物って時もあれば、化粧する時もあった。
寝巻きを女子用パジャマやネグリジェとか、キャミソールとパンツだけにされた日もあった。
母の指示で、髪は短いワンレングスみたいな女子の髪型にされたし、たまに学校へも母の下着や
俺用の女性下着を着て行かされた。
これが原因でオカマ扱いされて虐められるようになった。
当時の一日の例を示すとこんな感じだった。
学校では殆ど友達がなく、休み時間や放課後はいじめっ子にからかわれて過ごす。
たまに服を脱がされたり色々と恥ずかしいことをさせられた。
家に帰るとまず「お帰りのキス」をして私服に着替える。この時、女装させられることもある。
母は俺の隣に座り、その日の学校生活を報告させる。特に虐めの内容と俺の気持ちを入念に聞かれた。
その状態でキスをされ、体を弄られペニスをしごかれる。ただし絶対に射精はさせてもらえない。
一通り俺の体を弄って満足したら母は夕食の用意を始めたりする。
ここから自由時間だけど裸や下着で過ごすよう命じられたりもする。夕食は父が帰宅してから全員でとる。
夕食後、片付けの手伝いをしながら家事が一通り片付くと、また母とのスキンシップタイムになる。
夕食後は俺の奉仕の割合が多かった。また、なぜか後ろ手に手錠、開口ギャグをされる事が多かった。
そんな状態で母のオッパイ舐めやクンニの他、閉じれない口に足を突っ込まれたりした。
この時、母の機嫌を損ねてたりすると、父へのフェラタイムとなるためちょっとした恐怖の時間だった。
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