オタクのミソジニ―性やヘイト体質は絶対に改善されねばらないが、
それを以てフェミニストがオタク敵視を和らげてくれるなどと相手に甘えてはいけないと思う。
たとえフェミニストが意見を変えずともミソジニーとヘイトは撲滅されるべき
文体だけを一見すると別の奴っぽく見えるが、相手の文章の文意を読み取れなかったり時には自分の文章の文意すら理解していない論理構成からするとテンプレ社長と全レスは同一の奴だと俺は判断してる。
0957名無しさん@初回限定2017/08/25(金) 13:58:06.19ID:rHhMU+Jf0
// burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp/2009-08-18
日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。
・・・B「高貴なる自由」───「承継の原理」
●「放縦の自由」と社会改造
J・S・ミルの『自由論』の「自由」は、日本では自由の定義として普及している。しかし、ミルの「自由」は、第一に、英国を社会主義国家に改造する(=穏やかに革命する)手段としての「偽りの自由」である。
一般通念上の“英国民の自由”という意味の「正しい自由」とは全く関係がない。ミルは「自由」を、「唯一の確実な永続的な(社会)改造の源泉」とみなした。
ミルが「自由」に期待した第二の役割は、ハリエット(テイラー夫人)との同棲生活をその夫テイラーと同居しながらなす(現代日本風に言えば、不倫3Pとでも言うのか?)という、
破廉恥で反・道徳的な自らの人生の選択(自己決定)に対する世間の非難や糾弾に抗して弁明するレトリックとしてであった。
すなわち、『自由論』が史上初めて展開した「自己決定」という四文字の下での「自由」とは、次のように身勝手な論理であった。
すなわち、他人の自由に迷惑をかけない限り、個人は自らの「主権者」であるから、何事にも「自己決定」できる「自由」があるというのである。
このミルの自由論は実は、一人の妻と二人の夫の同居という前代未聞の不倫家族を弁明する理屈でもあった。「自由」に関するミルの第一目的、英国の社会主義への改造について考慮したい。
ミルは、個人が「自由」に行動すれば、現在は社会全体を拘束して「人間の進歩への不断の障害物」となっている「慣習の軛からの解放」を促していくから、ついには慣習が粉砕され社会は改革され進歩する(=社会主義化する)、と考えた。
多くの個人が一斉になす「行為」によって社会を改造する方法は、ドイツのフランクフルト学派以降の社会学の目的(狙い)と同一で、その先取り的な理論でもあった。
ミルは、『自由論』のキー・ワードの一つとして、「個性」を、「自由」や「自己決定」とほぼ同義語的に用いている。
「個性」が人間の幸福の要素であり、社会の慣習つぶしと社会の進歩の有効な手段と考えたからである。「慣習=悪」に対する「個性=善」の二項対置において、「慣習を打倒せよ!」「個性を尊重せよ!」と煽動するのである。
0958名無しさん@初回限定2017/08/25(金) 13:59:25.97ID:rHhMU+Jf0
・・・ミルは言う、「他人の伝統や慣習が行為を規律するものとなっているところでは、・・・・実に個人と社会との進歩の最も重要な構成要素が欠けている。」
「単に慣習であるがゆえに慣習に従うということは、人間独自の天賦である資質のいかなるものをも、自己の裡に育成したり発展させたりはしない。」
しかし、ミルのこの言説は全くの謬論である。なぜなら、慣習の枠組みに人生を委ねることと、自らの資質が向上することは、相互に何ら関係がない。
エドワード・コークもエドマンド・バークも、ヒュームもアダム・スミスも、その他多くの優れた人々は、伝統や慣習と共存し因習や権威に服従し、生まれ出たのである。
「欲望と衝動」をも「個性の発展」だと是認して、「放縦の自由」を勧めるミルは、ルソー教徒である。「恩師」ベンサムと同じく、道徳否定論を継承した思想家であった。ミルは、「正しい自由」と「偽りの自由」の区別ができなかった。
中世の「古き良き法」の「法の支配」のもとで初めて“自由”が擁護される原理を英国が発見したごとく、“自由”とは、伝統と慣習が大切に「相続」されている社会のみにおいて顕現される。
“伝統と慣習に従う自由”は実存し機能するが、ミルの主張する「伝統・慣習から解放された自由」は、自らその淵源を絶って自壊する。このことは、フランス革命の「自由」が後者であったことで証明済みである。
また、道徳と自由は、伝統と慣習の土壌から成長したものでコインの裏表である。若きトックヴィルが洞察したように、「道徳の支配なくして自由の支配をうちたてることはできない」。
つまり、自由と道徳は不可分の関係にある。自由をスローガンにしながら道徳を否定する、ミルの倒錯した主張はマルクスの『共産党宣言』と同じである。
だから道徳を「ブルジョア思想」として排撃したレーニンの共産ロシアにおいて、自由もまた同時に一掃されたように、ミルの「自由」は必ずレーニンの「自由」と同じになる。
ミル(1873年没)より約一世紀前のバーク(1797年没)こそは、この道徳と自由の不可分性を、最も体系的に論じたのである。
バーク曰く、「人間は、自らの欲望に道徳的な鎖を巻きつけて抑制しようとする精神に正確に比例して、文明の自由を手にすることができる。」
このスレは島耕作のような重婚マチズモ野郎が現実に居たら擁護するのか。
そんな風潮だと男性の暴力性がいつまでったっても改善されない。
草食系男子も出てきている中でオッサニズム勢力は最後のあがきをしているんだろうが。
大人しくなると言っても全員が完全に大人しくなるって程では無いだろうけどね
「ミソジニー傾向やレイシズム傾向が大きく低下すれば」
という状態は、あくまで大きく低下しただけであって、完璧にミソジニーやレイシズムがなくなった状態ではないのだから
そりゃフェミニストの人達が完全に大人しくなるなんて事がある訳ない
でも今より大幅に大人しくなったなら、それでも十分に価値がある事だ
だからミソジニー傾向やレイシズム傾向を大きく低下させる事を目指す事には価値がある
無論、「オタク男に対する悪口を減らす」という価値以外にも
社会の人権意識を向上させるという正義を達成する事の価値もある
なんだここは…エロゲの規制について語り合うスレじゃないのか
0969名無しさん@初回限定2017/08/25(金) 20:14:09.31ID:zg8O1Fbe0
0970名無しさん@初回限定2017/08/25(金) 20:17:00.94ID:zg8O1Fbe0
>>968
そうだよ、それで間違いない
つまりオタクは2次元表現規制がフェミニストやリベラルによって行われていると考えているのでこういう流れになる
この国からフェミニズムを一掃すればオタク文化は安泰だと信じてるんだから放っておけばいい ここはエロゲとはほとんど関係ないよ
風が吹けば桶屋が儲かるを地で行くスレ
0972名無しさん@初回限定2017/08/25(金) 21:00:18.37ID:zg8O1Fbe0
0975名無しさん@初回限定2017/08/25(金) 22:19:43.87ID:zg8O1Fbe0
2次3次問わず規制してきたのは自民党を筆頭とした極右や保守なのに
何故か共産党や社会党やリベラル層やフェミを叩けばオタク業界は守られると信じ込んでいる
日本のオタクたち
マスコミや一般人はオタクバッシングをやめろ!と
言いながら苛烈な女叩きやマイノリティ叩きを行う日本のオタクたち
不思議な国だ
島耕作みたいなゲス男とエロゲーマーを比べてエロゲーマーの方がゲスと言われてたが、
違う。
もし島耕作のようなマチズモ男が現実に存在したらの仮定だが、
島耕作は複数の女性と同時に関係を持ってるわけで、そこには必ず傷つく女性がいる。
一方エロゲーマーは隠れてこそこそやってる分には他者との関係は無い。
ただしエロゲ産業の存在が女性を傷つけるといわれたら、まあそうなのかなと思う
現実に存在しない島耕作と現実に存在するポルノ中毒なら
ポルノ中毒のが有害だね
というか下衆と下衆を比べてまだマシとかいうのが汚いんだな
下衆は下衆だ
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