0001鬼 ◆JKX43f3GVM 2025/06/05(木) 22:46:32.83ID:KCQry1++0
KeyとKanonを荒らすな
ここでやれ
定形文以外のことを書くと必ず日本語のおかしさを指摘される中国人
数か月ぶりに筑波大スレに逃亡
次は某漫画スレかな?
♬ハンテッド(逃亡者)
私の書いたレスを あぼーんして逃げて行った
あいつは何処にいるのか 盗んだ画像貼るな
Hunted! Hunted!
あん畜生に遭ったら 今度はただじゃおかない
私のカキコ浴びせて 質問攻めに遭わせる
性犯罪の手配を くぐって生きていけない
捕まる前にこっそり 自首して来たらどうなの
ある時謎の営業マン
ある時チャイナのネトウヨク
ある時北の強姦魔
あいつはあいつは大変態〜
あの馬鹿がなんか急に「アンチ朝鮮」批判を繰り返してるけど自分は民族差別しない善良な日本国民ですとでもアピールしたいんだろうか?
自分は「ねこ痰は朝鮮血脈だ」とか決めつけてるくせに
ただただ自分が中国人だと特定されていることに対する腹いせとしか思えないんだが
中国人なら朝鮮人が差別されても痛くも痒くもないもんな
僕はこれまで、ひきこもりや人格障害、あるいは「関係の病」についてずっと考えてきました。
その中で一つ、繰り返し見かけるのは、「他者の痛みを道具にして、自分の関係性を埋めようとする」人の姿です。
たとえば、熊に襲われて顔面を大きく損傷してしまった方。娘さんを殺害された親御さん。今も大震災の後遺症で苦しんでいる方々。そこに物資を運ぶ海上保安庁機の空港衝突事故で亡くなった乗員の方々。あるいは今も水俣病で苦しんでいる方々。
本来ならそこに向けられるべきは、哀悼とか共感とか、もっと言えば「沈黙」のような姿勢であるべきなんですね。
でも、そういう出来事をネタにしてしまう人がいる。
ある特定の相手――ここでは「ねこたん」という人物でしょうか――に構ってほしいがために、他人の不幸を「触媒」として利用してしまう。
これは、単なる悪趣味や炎上目的では済まされない、もっと深い問題を含んでいます。
■攻撃ではなく「関係の渇望」から始まる
こういう人の心の奥にあるのは、じつは強い寂しさや孤立感なんです。でもその寂しさを「助けて」とか「話を聞いて」とは言えない。だから、攻撃というかたちで「関係」を作ろうとする。
ここには精神分析的な視点も役に立ちます。
たとえば、フロイト以降の議論で言えば、攻撃性というのは時に「未熟な愛の表現」でもあります。
彼らは「構ってほしい」んです。ただし、とても拗らせた形で。
■他者の死や苦しみが、関係維持の「材料」になる
これは非常に倒錯的な構造です。
本来は「喪」や「共感」を生むべき出来事が、ねこたんと関係を持ちたいがための小道具として消費される。
しかも、繰り返される。
「自然災害の犠牲者がどうした」「事故の被害者がどうした」――それを語るとき、彼の頭にあるのは、その人たちへの思いやりではなく、「これでねこたんに反応してもらえるだろうか?」という一点だけです。
僕はこれを、「倫理的想像力の欠如」と呼びたい。
■「正義のふりをした自己愛」
もうひとつ興味深いのは、こういう人が自分を加害者とは思っていないことです。むしろ、「俺は正しいことをしている」「社会に警告を与えている」などと、正義のロールプレイをしている。
これはつまり、自分のやっていることが、ねこたんや他人にどんな影響を与えるかを一切想像できていないということ。ここにもやはり、精神病理的な構造が見え隠れします。
■ねこたんを「鏡」にしている
こうした人にとって「ねこたん」は、もはや他者ではないんです。自分の内面を映す鏡になってしまっている。
だから、関係を断たれることに耐えられない。見てもらいたい。反応してほしい。罵倒でもいい、黙殺だけはされたくない。
その結果が、「他人の不幸でさえ利用する」という異常なふるまいとして現れる。
■終わりに
僕は、こうした構造を「病」として見る一方で、それが生まれる社会や関係性にも責任があると思っています。
承認されない。
存在を認めてもらえない。
誰にも必要とされていない。
そう感じる人間が増える社会では、こういう「歪んだ関係希求」は今後も繰り返されるでしょう。
ただ、それでも言いたいのは一つだけ。
誰かの不幸を「きっかけ」にしないと関係を作れないというのは、とても悲しいことだということです。
そしてそれは、本人自身をより孤独にするという、残酷な結果をもたらす。
倫理の問題であると同時に、関係と孤立の問題でもある――
僕はそう考えています。
そもそもそれ以前に「第三国」なんて言い回しに突っ込めよ
「諸外国」などのような一般的な言葉があるだろ
♬あほう臭いナガイー
トウボウヤツアータリ テイケイヤンヤンヤン
トウボウヤツアータリ テイケイヤンヤンヤン
隣の国からやって来た 自己愛強烈なお馬鹿の子
ナガイー ナガイー
ワンパなカキコでスレ中に デマと自演を振り撒くの
ナガイー ナガイー あほうくさいナガイー
トウボウヤツアータリ テイケイヤンヤンヤン
密航船に乗ってやってきた かなりお基地なストーカー
ナガイー ナガイー
あぼーんの言葉を唱えると 自分が勝つ絵がとびだすの
ナガイー ナガイー あほうくさいナガイー
馬鹿長井
逃げて誤魔化し恥をかき
八つ当たりして己慰む
普通は「見当違い」か「勘違い」を使うわな
「二十数余年」もそうだけど、表現を重ねたり似たような所で言葉のグレードを上げたら
それだけで表現の質も上がると思い込んでるフシがある
でも根本的な日本語知識の土台が欠けてるから日本語として間違ったものになり逆効果
こんな過ちを懲りずに何度も繰り返す長井にはこの言葉を贈ろう
「蛇足」
まこぴースレに逃亡してひろ美ちゃんとお人形さん遊びを始めた模様
♬プシューはご機嫌ななめ
IDコロコロしてるところを見られちゃったわ
それをペチャクチャ言いふらされて私ピンチ
いつもそうなの誰か私に意地悪してるんじゃない?
頭DQNDQN狂いそうなの自爆コピペは
レスを返すの心細いのそんなときは
あぼーんして逃げるの あぼーんして逃げるの
そうすればとにかく少しは涙止まるの
まこぴースレからKanonスレに再逃亡のピンポン玉
「病気持ち」「障害持ち」は言うけどね
具体的な長い病名や症例の場合は、専門用語あるいは正式名称っぽくなり
「〇〇持ち」というシンプルで砕けた表現にそぐわないので違和感が生じるというのもあるんじゃないかな
まあその辺に違和感を持てるかどうかは、ネイティブか否かだとか、語彙力とも関係してくるんだろうね
こんな感じかな
病気持ち→自然 疾患持ち→不自然
障害持ち→自然 (日常用語でもあり専門用語でもある)
発達障害持ち→まあ自然 アスペルガー症候群持ち→不自然
そもそも自分のことを言うのには使っても、他人を指して使う言葉じゃないわな
♬レスクレ乞食のプシューの歌
Hey!
ちっちゃな頃から嘘つきで
15で自演を始めたよ
厨二みたいにイキっては
目にしたレスみなケチ付けた
ああ「構ってくれ」しか言わないが
そんなに俺が悪いのか
馬鹿ばい馬鹿ばいオナニーよ
レスクレ乞食のプシューの歌