典生がゆっくりと怒りを沈めながら、居間に戻らず台所でビールを飲みながらぼんやりと老父のことや自分の将来に思いを馳せていると、
トイレの戸が開く音、哲生が2階へドスドスと上がる音、そしてしばらくして急かしげな別の足音が耳に届いた。
「……ッ!」
台所に現れた妻 百々子はそこにいた典生の姿にあからさまに驚いた。そして何も言わず、踵を返しトイレへと戻っていった。
居間に戻っていた典生に向かい、どこかから「まだビールいるー?」と百々子が問いかけて来たのは、それからしばらくしてからだった。
典生は、心の隅から散らせない靄のせいで返事ができずにいる。
「……いい。もう寝る」
TVも飲みかけのビールもそのままにして、典生は寝室へと立った。なにか嫌なことに気づいてしまいそうな予感を振り払うように。
「……ごめんなー」
百々子の謝罪の声がどんな響きだったのか、布団を被ってしまった典生にはもう判断できなくなっていた。