ただ、作者が描きたいのは家族愛が暴力的な性愛によって壊される姿でありということや、
それは家族愛の尊さや強さを理解しているが故に、本物の愛を壊され、偽りの愛を本物と勘違いさせられたヒロインの姿と傷付く家族の姿は、創作でしかあり得ないからこそ描きたいのでは、という結論自体はその通りだと思う。
作家という人種の多くは歪んでると聞くので当然かもしれんが。

論理のルートが少し違うだけだね。