一時期2ちゃんでも活発になった

ポルノや創作による犯罪の誘発という意見には根拠が希薄で適度に発散せずポルノや性表現に厳しい国の方がむしろ裏での暴力性の発露や犯罪が多く日本は世界的に草食で特に少ないとか
(親告が少ないとか捜査が厳格に行われてないという問題提起には制度やプロセス論で別個でちゃんと厳しくやれば良いし非親告罪化や厳罰化は少し進んだんだっけ)
道徳的、倫理的抽象論で規制や検閲をし出したら歯止めが効かなくなるとか

そういう事実関係の問題意識をミソジニーや女叩きと摩り替えてフェミや女性に寄り添い取り込むという振る舞いをしたところで
欧米だろうが日本だろうが過激ラディカルフェミの感覚的嫌悪感や気に入らないものを排除したいという強烈な欲求は全く止められていないと思うけどな
いずれにしても気に入らない表現は気に入らないし要求は際限なく続く
ウヨを仮想的としてレッテル貼って立ち位置論争したところでそこに実効性や現実性があるんだろうか
方法論として日本の創作界隈はそれで具体的手応えや成功を手にしてきたのだろうか