台風行っちゃったね、あした休みになるかと思ってたのに残念ー
(屈託のない笑いと共に、前の座席に腰掛けた彼氏に話しかける)
(結婚を目前にした私たちは先月から同棲を始めた。待ち合わせ、一緒に帰る家のある幸せ…)
(アパートの名はノーブrハイツ。新婚向けに耐震、防音が完璧だという大家さんの眼が意味深で)
(契約書にサインする彼の後ろでただひたすら赤い顔をして俯いて)
(「ここは前の入居者さんが階段に手すりを付けられましてねえ…」部屋の説明も上の空で聞いてたんだっけ)

あっ、ごめん…急に揺れたからびっく、っ
(と、車体が不測の動きをして、身体が前につんのめりそうになる)
(彼氏に覆い被さる寸前であわてて吊革を掴み直し、ずり落ちたカバンを掛け直したその時)

「……できんだよ」
(氷のような冷たい声が鋭く耳を掠めた)
(何が起こったのか分からないまま微かに振り向いて見ると、眼が合ったのは芸能人のような男)
(あれ?この人どこかで見たような…確かどこかで……)
(会ったのは…茶屋?それとも温泉?それとも……記憶を辿りながらまた彼氏の方に向き直る)