某大学2号館のロビーは閑散としていた。
その日、阿部真佐樹は午前の授業をさぼり午後の選択科目から大学に来ていた。
「マサキ……」
階段を上りかけた真佐樹の背後からずんぐりした体格をした女学生が声をかけた。
卑屈に周囲を気遣うそぶりの女生徒は、その態度も相まって周囲に溶け込んでしまいそうな程人目を引かない存在だった。
そして、その声は真佐樹に届いていなかった。
「……阿部、君?」
意を決したような表情を見せると今度は少し大きな声で呼びかけた。
「マサキー」
絶妙なタイミングで発せられた透き通った美声を青年の耳が捉える。
その声に振り向いた真佐樹の柔らかい瞳は美声の主に向けられる。
アイドルのステージ衣装……まではいかないものの、この落ち着いた雰囲気の大学にに不釣り合いなあか抜けた印象の女学生は体当たりする勢いで真佐樹の腕にしがみつく。
「芽依、お前なんで……」
真佐樹の大学では1・2学年は郊外のキャンパスで授業が行われた。
そして3学年に進むとこの都心のキャンパスに移る。
「へへっ、マサキに会いたくて午後の授業さぼっちゃった」
吉川芽依は真佐樹と同じ大学の1学年であり本来は郊外のキャンパスにいるはずだった。
「よく言うよ、朝まで一緒にいたろが」
苦笑いを浮かべながらも真佐樹の肩に寄り添うように頭をつけた芽依を見下ろす目は穏やかだった。
「そんな日だからこそマサキに会いたくなっちゃうんだよぉ」
少し上目遣いになると少し甘えたような声を出す。
「お、おい」
一瞬芽依に向けた視線を外すと周囲に目を向ける真佐樹。その視線は特定の誰かを捉えることはなく、自分と芽依以外の数人の他人がそこにいるということだけの認識しか真佐樹は持たない。
「いいじゃん、別に。あたしたち付き合ってるんでしょ?」
天性の甘え上手とった芽依のそんな態度も真佐樹は嫌いじゃなかった。