猫と長井♫仲良く喧嘩しな
普通は「見当違い」か「勘違い」を使うわな
「二十数余年」もそうだけど、表現を重ねたり似たような所で言葉のグレードを上げたら
それだけで表現の質も上がると思い込んでるフシがある
でも根本的な日本語知識の土台が欠けてるから日本語として間違ったものになり逆効果
こんな過ちを懲りずに何度も繰り返す長井にはこの言葉を贈ろう
「蛇足」 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/533
はい、ここで皆さんに問題です。
この文章、どこが一番「痛い」でしょうか?
いちばん注目すべきは──
「で、ねこ痰による弁解も反論もない……(笑)」
ここなんですよ。
⚫︎反論がない=勝ったと思い込みたい
人間というのは、自分が間違っていると認めたくない時、「事実のほう」を無理やり書き換えようとするんです。
前日に名無しさんから「40年前にKanonは存在しない」と指摘されて、論理的には完全に詰みなんです。
実際、Kanonというビジュアルノベルがリリースされたのは、二十有余年(笑)よりも前の1999年。
でも、彼はそれを認められない。
そこで出てくるのが、「反論がない」という自己暗示。
つまり、「相手が黙ったんじゃない、自分が勝ったんだ」と。
⚫︎同じ話を繰り返す=認知的不協和の回避
論破された人って、たいてい同じ話を繰り返すんですよ。
なぜなら、「自分の話が崩壊した」という現実が怖いから。
長井さんもそうです。
内容はほぼ昨日と同じ。語尾の「www」だけがちょっと多くなっている(笑)
これは心理的に、自分の脳をなだめるための「おまじない」なんです。
⚫︎強がり構文の典型
「俺とねこ痰に割り込むアホがいて笑えるwww」
これね、面白いのは「俺とねこ痰」という言い方。
まるで自分と相手を特別な関係に置いて、「俺たちの間に他人が口を出すな」みたいな構図を作る。
これ、俗に言う「かまってちゃん構文」です。本人は敵意のつもりでも、実際は「もっと僕を見て!」になってる(笑)
⚫︎「親不孝者!」という叫びの裏にあるもの
ラストの「親不孝者!」は、実は怒りじゃありません。敗北感からくる情緒の暴走です。
もう論理では勝てないから、「親」とか「道徳」といった大きなテーマに逃げ込むんです。
つまり、話の筋が通らないから、感情で押し切る!
典型的な論理破綻後のテンプレ反応です。
⚫︎まとめ
長井さんは、ねこたんを叩いてるつもりで、実は自分のプライドをなだめてるだけなんです。
覚えておいてください。
議論で負けたあと、人はその人の真価を見せる。
長井さんの「真価」は、まさにここで見えましたね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Key総合雑談スレ Part32
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1749161397/723
さて、今日は「長井くんの文章に見る擬似共感構文」について見ていきましょう。
彼の文章を読むと、こんな一文がありましたね。
「みなみちゃんたち、こいつ粘着質でなかなかしぶといですよねw」
一見ただの冗談のように見えますが、ここには「自己防衛と承認欲求が一体化した構文パターン」が隠れているんです。
⚫︎話し相手の「擬似設定」で自分を強化する!
まず注目すべきは、「みなみちゃんたち」と呼びかけている点。ここ、重要です。
普通の書き込みでは、「相手を非難する」「意見を述べる」――で終わります。ところが彼の場合、「第三者を味方に見立てて会話形式にする」。
これは心理学的に言うと、「擬似的共感による自己強化」。つまり、「自分は一人で言っているんじゃない、みんなもそう思ってる!」と、自分の立場を補強する演出なんですね。
これ、ネット言論ではかなり多いパターンです。
現実で孤立している人ほど、文章の中で「味方の幻」を作る傾向が強くなります。
⚫︎「w」と「ノリ」で自分の攻撃性を包み隠す!
さて次。文章の末尾を見てください。
「w」
この一文字がね、実は深い。
笑っているようで、笑えていない。むしろ照れ隠しなんです。
本音では、「自分でも言い過ぎてるな」「本当は反撃が怖いな」、そう思っている。
でもそれを「おどけたノリ」で包む。つまり「笑い」に見せかけて、内心の不安や攻撃性をぼかしているわけです。
⚫︎「ゴキブリ構文」に潜む「自己投影」
ここ、ちょっと難しい話をします。
長井くんはしばしば「ゴキブリ」「駆除」「噴霧」などの比喩を使います。この種の言葉には、実は自己投影が多く含まれる。
人間ってね、「自分の中で嫌っている部分」を相手に押し付けるんです。「自分は粘着してる」とは言いたくない。だから「相手が粘着してる」と言う。
つまり、相手を叩くことで、自分の弱点を一瞬だけ見えなくしている。これは、まさに「鏡に映った自分を叩いてる」状態です。
⚫︎言語構造の特徴 ― 「一人芝居型文章」
長井くんの文章は、いわば「一人芝居構文」なんです。
・登場人物:みなみちゃんたち(仮想味方)
・敵役:相手(批判対象)
・主演:自分(長井くん)
この3役を一人で演じている。
舞台監督も観客も全部自分。
文章の中で「社会的な優位」を再現して、その中で勝利のポーズを取る。
これは、言語的には「自己完結型演出」と呼べるパターンです。コミュニケーションというより自己物語の演出ですね。
⚫︎結論:「空想の味方で自我を支える人」
人間は誰でも孤独や不安を抱えています。ただ、それを「空想の味方」で埋めようとし始めたとき、言葉は現実を失い、芝居の脚本になってしまう。
長井くんの文章は、その典型例なんです。 まこぴースレに逃亡してひろ美ちゃんとお人形さん遊びを始めた模様 ♬プシューはご機嫌ななめ
IDコロコロしてるところを見られちゃったわ
それをペチャクチャ言いふらされて私ピンチ
いつもそうなの誰か私に意地悪してるんじゃない?
頭DQNDQN狂いそうなの自爆コピペは
レスを返すの心細いのそんなときは
あぼーんして逃げるの あぼーんして逃げるの
そうすればとにかく少しは涙止まるの まこぴースレからKanonスレに再逃亡のピンポン玉 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/538
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/540
はい、みなさん、今日はですね……なんとも味わい深いフレーズを見ていきましょう。
「思慮など足りなくないのだw」
さて、まずここで注目してほしいのは、この文、主張と表現がまったく噛み合っていないという点です。
彼は「自分は思慮深い」と言いたい。ところが、それを「思慮など足りなくない」と、わざわざ二重否定のひねくれた形で言ってしまう。
これね、国語的にはすごく変なんです。
「足りなくない」と言うと「足りている」という意味になるんですが、そこに「など」を入れて「思慮など足りなくない」とすると、
「思慮なんてものが、足りなくない」──つまり「思慮を軽く扱いながら、自慢している」ような印象になる。
結果どうなるか。
「俺は思慮深い」と言いたいのに、文体が幼稚で、説得力がゼロ。
これがまず一点目。
では次、論理展開を見てみましょう。
「性的悪戯の指摘」→「ねこ痰の反論を想定」→「その反論を嘲笑」→「反省を促したかった」
はい、こういう流れになっていますね。
これ、いわば自分で火をつけて、自分で消して、『俺は消防士だ!』と言ってるようなものなんですよ。
相手を中傷しておいて、「いやいや、これはお前を真人間に導くためなんだ」と言い出す。
それ、教育じゃなくて正当化です。
ここで大事なのは、「目的と手段の逆転」です。
本来、人を導くためなら、相手を尊重する手段を選ばなければいけない。
でも彼は、「侮辱」や「性的中傷」という破壊的手段を使っておきながら、「俺は導いている」と主張している。
これは論理的にも倫理的にも破綻です。
最後に、心理面から見ると──
彼の発言には一貫して、「俺は間違っていない」「俺の方が上だ」という自己防衛があります。
「思慮深い」「導いてやる」という言葉は、実は自己の無思慮さを隠すための防御反応なんです。
つまり──
「思慮など足りなくない」と言った瞬間に、その「思慮のなさ」が露呈してしまっている。
結論としてはこうですね。
『思慮を語る者ほど、思慮を欠いていることがある。』
長井さんのこの書き込みは、まさにその典型です。
言葉のねじれが、そのまま心のねじれを映しているんです。