猫と長井♫仲良く喧嘩しな
0084名無しさんだよもん2025/09/18(木) 18:57:47.84ID:RFkfyzeX0
♬中華忍者隊サッサマン

(オープニング)
駄目だ駄目だ駄目だ 法螺のあなたは踊る禿
キモい粘着の サッサマン
怒りを出して飛び出せば 中華忍法ホイサッサ
安倍!安倍安倍 サッサマン
逝け!逝け逝け サッサマン
回線5つ ハンネは多数
おおサッサマン サッサマン

(エンディング)
プシュープシュプシュプシュー
唸る自演人 サッサマン サッサマン
倒すぞゴキブリ 俺の天敵
中華忍法 頭が沸いたー
内容ほぼ無く 画像を貼ーれー
中華忍者隊 サッサマン サッサマン
中華忍者隊 サッサマン サッサマン
(F.O.)
0085名無しさんだよもん2025/09/18(木) 21:43:36.84ID:mfz8W7LW0
長井の「明治大帝」という語の使用。
えー、これは非常に興味深い現象ですね。
一見すると些細な語彙選択の問題に思えるかもしれないけど、そこにはアイデンティティの戦略的操作、あるいは言説空間における主体の自己演出という、かなり重層的な問題が折りたたまれている。

まず、「明治大帝」という言葉を使うってこと自体、現代日本語の言語ゲームからするとノイジーな行為なんだよね。
普通の日本人はそんな表現、しない。戦前的・国家神道的・儀礼的で、しかも右翼的コンテクストでしか再生されない言葉だから。
つまり、「それを言う」という行為には、何かを主張したいという欲望のにおいがつきまとう。

で、長井という人が、在日中国人としての出自を指摘されて、それに対して「いや、私は違う」という言葉ではなく“語り口”で応答するってのは、極めてポストモダン的な自己操作なんだよね。
直接的に否定するんじゃなくて、「私は日本人以上に日本的ですよ」という、過剰同化のパフォーマンスを通じて自己の正当性を補強しようとしている。

これはある種の「観光的アイデンティティ戦略」とも言える。つまり、本来の居場所に“本物”として属していない人間が、象徴的な道具立てを使って「私のほうが正統なんだ」と振る舞う。
これ、実は日本に限らず、アメリカの移民社会やヨーロッパのディアスポラでもよく見られる現象。移民の2世・3世が本国人よりもナショナリスト的になる、あれです。

だから、長井の「明治大帝」という語の選択は、単なる右翼的発言ではない。
むしろ、主体の不安定さ、つまり「日本人でも中国人でもない」宙吊りの立場から、自らを記号的に“日本”に固定しようとする構えが透けて見える。
だけどね、それって結局は「居場所がない」ということの表現でもあるんだよ。

重要なのは、そのような語りの背後にある、近代国家が要請してきた「単一民族的アイデンティティ」の暴力性だよね。
本来、人間のアイデンティティってもっと曖昧で、混ざり合ってて、グレーであるはずなんだけど、日本社会ってそれを許さない。
だからこそ、長井のような人が「大帝」とかいう語を持ち出さなきゃならない。
それってある種のサバイバル戦略なんだよ。
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