>>kanon 381
「謝罪すれば、ちょっとは話を聞いてやるつもりになるかもしれない」
見た目はそれっぽいけど、日本語としては非常に不自然な言い回しですね。
❶態度が定まらない「グラグラ構文」
この文章、何がいけないのかというと、とにかく話し手の立場が定まっていない。
たとえば、「話を聞いてやる」。
これは明らかに上から目線の言い方です。
ところが、そのあとに続くのが、
「つもりになる」→ 気分の話
「かもしれない」→ 推測の話
つまり、「聞くぞ!」という断言から始まっておきながら、最終的には「…かも?」と自己否定に近い曖昧な語尾で終わっている。
これ、例えるならこんな感じです。
「先生、明日絶対やります!やるつもりっす。…たぶん。」
こんな返事をしたら、僕だったら間違いなく言いますよ。
「やるの?やらないの?どっち?」
そう、行動を示唆しておきながら、気分レベルの予測で逃げてるんです。
この文も同じです。
「聞いてやる」→ 態度を見せる
「つもりになるかもしれない」→ 態度を撤回する
このグラグラ加減が、日本語としてとても不自然なんですね。
❷結局、伝えたいことが分からない
この文の一番の問題は、伝えたいことが伝わらないという点。
謝れば聞くの?
いや、聞かないかもしれないの?
そもそもその気があるの?
こういう不明瞭な態度表現は、大人の日本語としては信頼されません。
本当に聞く気があるなら、
「謝れば話ぐらいは聞いてやるよ」
「まず謝れ。それから話を聞く」
など、明快に言えばいいんです。
逆に、聞く気がないなら、
「謝ったところで聞く気はないね」
と、言い切った方が潔い。
日本語というのは、特にこういう「他人との駆け引き」の場面では、回りくどさよりも態度の明確さが重視されます。
これ、覚えておいてください。
結論
「謝罪すれば、ちょっとは話を聞いてやるつもりになるかもしれない」
この文が不自然なのは、
・態度を見せたようで見せていない
・決意を語ったようで語っていない
・上から言ってるようで逃げ腰
つまり、言葉の重みがゼロだからなんです。
言葉っていうのは、自分の思考と覚悟が透けて見えるもの。
曖昧な語尾、責任をぼかした表現は、結果として相手に何も伝わらないんです。
「言うなら言う」「逃げるなら黙る」。
日本語では、このくらいの“態度の潔さ”が大切です!