【ラブドール】アマゾンでラブドール 41体目 [無断転載禁止]©bbspink.com
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
アマゾンで、ラブドールを購入する・購入した人の為の情報交換の場です。
アマゾン以外への誘導は基本的にスルーでお願いします。
また、楽しく有意義な情報交換の場となることを願っています。
テンプレがあればよろしくお願いします。
▼荒らしや煽りは徹底的に放置
・異なる意見も尊重する事
・業者、関係者、工作員、社員等のレッテル張りは放置
・購入前に過去ログの内容に良く目を通すこと
・荒らし、煽り等に対しては専用ブラウザのNGワード機能等で各自自衛する事
・SHOP批判、ドール批判は荒れる原因になるので慎重に
次スレは>>970が立てる事
前スレ
【ラブドール】アマゾンでラブドール14体目(40体目)
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/lovedoll/1530111234/ 塩を振ったような顔色と梅干しのような乳首ってことか まさか、塩梅(あんばい)が分からないなんてことはないよな?ネタだよな? >>842
釣られるなよ
いい歳して塩梅が読めなくて塩と梅の照明??とか言う奴が存在するわけないだろ。
無教養のロールプレイしてるんだから合わせてやれ ネタにマジレスカコワルイという古の言葉があってだな 華奢な女子が好きなんだけど
ドールは総じて首が太いんだよね
アマゾンで写真見てても軒並み太くて残念 >>845
スマホのフリック入力にありがちなミスだよね 重さと色移りを解決すればブレイクスルーになるだろうな
というか解決しないと市場規模は頭打ちになりそう ソフビこそ色移りやばいんだがwww
しかも取れないぞ
DDやアゾンの60cm台の球体ドール持ってればわかる ソフビこそ色移りやばいんだがwww
しかも取れないぞ
DDやアゾンの60cm台の球体ドール持ってればわかる 流れてきたわけじゃないけどね汗^^:
色素が素材に染み込むからどうあがいても完全には取れないよ Pornhubでdoll bukkakeで検索して流れつきましたよろしくお願いいたします。 xhamsterはカテゴリをゲイにしてdoll検索するといっぱい出てくるぞ ちゃんと私たちに顔みせてから来なさいよ
礼儀なってない
https://imgur.com/6HXT2ai 当時旧校舎の忘れ物入れで発見した
ブルマーはすでに亀頭の当たる部分を中心に多量の精液で汚されており
、このブルマーで10年間こつこつ着用中だし射精して再現してみました。
まだ遠く及ばないですが私のコレクションのなかで最も近い状態です レンタルブルマーも受け付けておりますが、
純粋に精液でブルマーを汚していただける場合のみ
受け付けさせていただいております!
昔のブルマーつまり旧校舎の体育館前忘れ物入れで発
見した当時のブルマーはあまりにも衝撃的で興奮しま
したが、定期的にそのブルマーで射精してブルマーの
状態を把握している男子生徒が多数いると思われたた
め、非常に残念ながら回収しませんでした。
また、中学高校当時の寮の男子トイレには精液まみれ
のブルマーや女子水泳部の水着、使用済みの生理用品
やエロ本などが放置してオナニーに使いまわされる環
境にあったため、もったいないですが回収するほどの
関心は無かったものと思います。
今思えば非常にもったいないことをしました レンタルブルマー希望の方、同志の方
汚してブルマーを処分したい方、ブルマー買取希望の方
ca1t0r1maxあっとじーめ
までお気軽にご相談くださいませ。 配達の仕事してるんだけど最近ドールであろう荷物の扱いが増えてきた
若い女性スタッフ達が人間入ってたりして、とか冗談言ってるけど
女の勘はまんざらでもないな レンタルブルマー希望の方、同志の方
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までお気軽にご相談くださいませ。 こいつが長年いろんな思いを溜め込んで
復讐心が主だったにせよあれだけ本心を書き溜めて死んでいったわけや
それなのに死んでから一週間もしない間に記事は全削除された
ホンマ残酷な話やと思うで 卒園間近の時に、俺がダンボールの家で遊んでると上からドンっという衝撃が来て、
それと同時に、「お前には色々恨みがあるんだ!」という声も聞こえてきたことがあって、
…要は、誰かがダンボールの家の上に乗って、俺のことを攻撃しているんですね。
まあ、そういうことがあったから、なんか客観的に見れば、
底辺な幼稚園生活だったんだろうね。はい。
それでまあ、何で俺が攻撃されてたのかというと、俺がそいつに付きまとっていたからなんですよ。
付きまとっていた理由は、あれです。
その人とはあんまり話したことがなかったんだけども、
なんかの拍子の時に俺に話しかけてきてくれて、
俺はそれが嬉しくて嬉しくて、「また話しかけてきてくれないかなー」という意図で、付きまとっていたんです。
だから俺が悪いんですね。 あと、俺だけお昼ごはんがお弁当だったのが劣等感でした。
でも別になんか、静江さんは「給食にする?」みたいな質問を俺にしてくれていたんだけども、
その度に俺は、首を横に振っていたんです。
でもお昼ごはんの時になる度に、
俺以外にお弁当を食べる人がいないかキョロキョロしてたんです。
一体何なんだろうな、俺って。 みゆきさんとはその…、俺を妊娠している静江さんの隣りにいる松本さんが産んだ子供です。
それでまあ、みゆきさんのフルネームは松本みゆきと言うんだけども、
みゆきさんは瞳さんと同級生で友達だったんですね。
そして、松本さんとは家族同士で仲が良くて、みゆきさんによく遊んでもらっていたんです。
だいたいまあ、小学校3年生くらいまでだけど。
あと、ぶりぶり王国の秘宝は健さんと見ました。
確かなんか、俺が夢幻三剣士を「おもしろい。おもしろい。」と1週間くらいずっと言っていたら、
健さんが「そんなに面白いのか?という感じに興味を持って、
一緒に見に行くことになったんですね。
でもなんか夢幻三剣士の公開は終わっていて、
代わりにぶりぶり王国の秘宝がやっていたんです。
それでまあ俺と健さんは、仕方がないからそれを見たんですけども、
なんかこんな映画で笑うやつは子供だみたいな事を思って、
ぶりぶり王国の秘宝のギャグで笑わないようにしていたのを覚えています。
あと、14番目のターゲットは、
…その頃に、勇さんが友達から名探偵コナンの単行本を借りて来て、
その時に俺も読んだんですね。
そしたら俺、名探偵コナンに嵌って、
それでどうしてもその時やっていた14番目のターゲット見たくなって、
もうその頃は静江さんは駅の清掃員の正社員だったから、
静江さんは寝るために家に帰ってくるみたいな生活をしていて、
なんか凄く勇気がいったんですよ、「映画を見に行きたい」と言うのを。
…まあそれだけです。 …だから大体、1992年から〜1998年くらいまでなんだろうね。
俺が静江さんと一緒に買物とかに出かけていたのは。うん。
なんか、あれなんですよ。
静江さんって俺が小1の頃の1995年に駅の清掃員のパートを初めて、
それで1997年には正社員になったから、
その影響でしょうね。
★床屋に通い始めた。
床屋に通い始めたのはこの頃です。
それで俺はずっと、同じ床屋に通っていました。
…えっと、2004年7月くらいまでです。
理由は、2004年10月に高校中退して引きこもりになってからは、
バリカンを買って、自分でボーズ頭にしていたからです。 それで、俺が幼稚園の頃から高校生の頃まで通っていた床屋は↑です。
で、まあ、幼稚園生の頃から小学校3年生くらいまでは良かったけども、
思春期くらいからは、なんか床屋の大きい鏡に映った自分の姿を見るのが嫌で嫌で仕方なくて、
だから床屋に行くのが本当に嫌でした。
で、基本的に髪型はスポーツ刈りで、
床屋のおじさんとは全く話さなかったです。
あと、3ヶ月に一回くらいくら位に床屋に行っていたけども、
その度に静江さんにお金を強請る必要があったんですけども、
それも嫌でした。 ★健さんと仲良くなり始める。
まあ、タイトル通りなんですけど、幼稚園の頃に健さんと仲良くなり始めたんです。はい。
仲良くなったきっかけは、それまでは俺、静江さんと一緒に寝ていたんですけども、
ある日、「一緒に寝ようぜ」と健さんに誘われて、健さんと一緒に寝るようになったんですよ。
でもそれだけだったけども、なんかすごく不思議な感じがして…。
何故かと言うとそのー、俺の家6畳2間なんだけど、
今までは静江さんと瞳さんと勇さんと俺が一緒の部屋で寝て、元さんと健さんが一緒の部屋に寝てたんだけど、
それが変わって、なんか世界が変わる感覚だったです。
それでなんか健さんは俺に、「勇のアザの大冒険」という、
勇さんの尻にあった蒙古斑を主人公にした話をしてくれたりして、
そういうのが楽しかったんです。
ただ、この頃からもう健さんは中学校を不登校気味だったし、
そういう意味においては、俺が家族の中で健さんと仲良くなったことは、
悪影響だったかも知れないです。 それで、俺が小5だった時の1999年5月に健さんは自殺したんですけども、
なんだかんだ言って、俺が小学校3、4年生くらいまで仲よかったですね。
俺が小学校1,2年の頃は、夏休みの時に早朝に出掛けて、
健さんとクワガタを取りに行ったこともあったし。
それでその時は確か、3匹くらいは採れた気がします。うん。
それでクワガタ採りをした数日後くらいに健さんが、「図書館で昆虫図鑑を借りてこい」と言ったんですよ。 でも俺、図書カードを持っていなくて、だから図書カードを作らなければいけないんだけども、
図書カードを作るためには身分証が必要になるんですね。
それで一応健さんは俺に身分証を持たせてくれたんだけども、
その身分証が俺の学校の連絡網だったから、
受付のおねーさんが凄く困っていたのを覚えてます。
でもその時は、恐らく特別に図書カードを作ってもらえて、
だから昆虫図鑑を借りることが出来ました。はい
俺が小学校2,3年になると、土日とか夏休みとかに、
周りが暗くなるまで自転車で遠くに出かけたり、自衛隊のお祭りに行ったりしたのを覚えてます。 あと、よくここで遊んだ記憶もあります。
ここはトイザらスとかもあって、あと、無料で見れる映画館とかもあって、
そこでラピュタを観た記憶があります。
…確か、↑の場所によく行っていた理由は、
近くに職業安定所があって、そのついでに行っていた気がしますね。
だからまあ、職業安定所とかにも一緒について行ったりしたんだけども、
当時の俺は、そこがどういう場所かはわからなかったです。 あと、よくここで遊んだ記憶もあります。
ここはトイザらスとかもあって、あと、無料で見れる映画館とかもあって、
そこでラピュタを観た記憶があります。
…確か、↑の場所によく行っていた理由は、
近くに職業安定所があって、そのついでに行っていた気がしますね。
だからまあ、職業安定所とかにも一緒について行ったりしたんだけども、
当時の俺は、そこがどういう場所かはわからなかったです。 あと、ここのアパートの屋上に忍び込んで、花火大会を見たこともありました。
…まあ、楽しかったですよ。健さんに遊んでもらうのは。
あと、健さんの影響で、たまっていうバンドが好きになったりもした。
でもそのせいで、売れている音楽に劣等感を抱くようになって、
学校生活に多大な悪影響を与えたと思います。
あと、これは俺が幼稚園に入るかどうかのときだけども、
カセットデッキの録音機能を使って、遊んだことも合ったの。 …まあ、多分俺が3歳位、健さんが小5、勇さんが小2のときだと思います。
★電マオナニー中毒になる。
幼稚園生の頃に、おばあちゃんの家に行った時にそこに電マがあったんですね。
それでまあ、勇さんと電マで遊んでいて、その時に電マオナニーの快楽を知ったんです。
…で、家に帰ってきたんだけど、家にも電マがあることに気が付いて、
そこからほぼ毎日電マオナニーをするようになったんですね。
当然静江さんの前でも何度もしたけども、俺から電マを取り上げることはしませんでした。
それで大体まあ、電マオナニーは幼稚園生の時と小学3年生の時にしまくったんだけども、
その弊害が今でもあって、それが何なのかと言えば、あれなんですよ。
性的興奮を余りしなくなったことです。
…要はオナニーって、性的興奮して勃起してシコシコピュッ、じゃないですか?
でも電マオナニーって、ふにゃちんに電マ押し当ててブブブブブですからね。はい。
しかも、性的快感も数十倍はあって、ほんと全身が痺れるくらい気持ちよかったんです。
…それでまあ、勃起したら電マオナニーは出来ないから、
中2くらいの時まで、勃起したら気持ちよくなれないと勘違いしていたんですね。
例えば、テレビとかでエロシーンを見てオナニーをしたくなった時は、
俺は取り合えず勃起したちんこを鎮めるために冷静になって、
それでふにゃちん状態になったちんこを人差し指でグルングルン回すオナニーをしていたんです。
しかも中2くらいまで。
それで流石に今は普通のオナニーをしていますけども、
そのフニャちんオナニーのせいで、エロいものを見ても性的興奮しなくなったんです。
すごく虚しいです。
ちなみに、俺が性的興奮して勃起してシコシコピュッのオナニーをしたのは、 だけど確か、10回位使ったけど罪悪感から捨てちゃって、
それ以降は、性的興奮して勃起してシコシコピュッのオナニーはしてないです。
★健さんが中学校に行かなくなる。
健さんは1980年生まれだから、93年94年95年が健さんにとっての中学生時代なんだけども、
…だからまあ要するに、健さんは、俺が年中組年長組小1の時に中学生時代だったわけです。
それで健さんは別に、普通に中学校に通っていた時期もあるんですね。
だって健さんは剣道部で、家に竹刀があったし。
だからいつ健さんが中学校を不登校になったのかは、俺にはわからないです。
…それでまあ、ある日の朝、元さんと静江さんの言い争う声で目が覚めたんですよ。
俺はその言い争う声が怖くて布団の中で固まっていたんだけど、
嫌でも言い争う声は聞こえてくるから、
言い争いの原因が、健さんの不登校のことだということはわかったんです。
俺は健さんと一緒に寝ていたんだけど、
静江さんが元さんに「元からもなにか言ってよ!」的なことを言ったから、
俺が寝たふりをしている布団の上に元さんが座って、健さんに説教し始めたんですね。 俺は、ちょっとでも動いたら自分も説教されるんじゃないかと怖くなり、
だからずっと固まっていたんです。
最終的に元さんは健さんにビンタをして、健さんは家を飛び出して行ったんだけども、
俺は、静江さんが「もう大丈夫だよ」と俺に声をかけてくれるまでずっと固まっていたんです。
…で、元さんにビンタされたことがきっかけになったかどうかはわからないけども、
健さんがね、家で暴れ始めたんですよ。
健さんは奇声を発しながら、隣の家の塀に食器を投げて割ったり、ドアのガラスを割ったり、
箪笥を倒したり、俺のランドセルにボールペンで傷を付けたりしたんです。
俺が家に居る時にも普通に健さんは家を荒らしていたんだけども、
その時にたまに健さんが、「危ないから外に出てて」と俺に言って、俺を外に出したこともあったんです。
その度に俺は、暗くなるまで自転車で近所を走っていました。
健さんが酷く家を荒らした時は、元さんが警察を呼べと言っていました。
確か、食器棚のガラスを割った時だと思うけども。 上の画像の食器棚のガラスがないのわかるかな?
あとなんか、健さんが家を荒らしてる時に、
静江さんが「大丈夫だから。大丈夫だから。」と呟いていたことが、印象に残っています。
健さんはいつごろ暴れるのをやめたのかな?
あんまり良く覚えていないけど、気がついたらやめていました。
★歯医者に通った。
まあそれだけです。 俺が行きたいといったわけでも、特に虫歯が痛くなったわけでもないけれど、はい。
まあ、多分、静江さんが小学校に進学する前に、俺の虫歯を治しておきたかったんでしょう。
でも静江さんも治療していたから、俺がついでだったのかも知れないです。 俺が小学生だった頃のこと
1995年4月〜2001年3月
★小学校生活のこと。
小学校3年生くらいまでは普通に楽しい小学校生活でした。
普通に放課後とかでもクラスメートと遊んでいたし。
だから俺の学校生活が曇り始めたのは4年生前後ですね。
それで6年生に進級してからは、暗い小学校生活でした。
理由は、俺の住んでる家は平屋の家なんだけど、その事をクラスメートに知られるが嫌で、
意識的にクラスの人と仲良くならないようにしてたからです。
それにプレステも64もなかったので話題もなかったし、
服もお下がりか静江さんが買ってきた服だったので常に劣等感を抱いていて、
だからどんどんコミュ症になっていったんです。
だから小学校5.6年になる頃には、休み時間をどうやって過ごすかが悩みになっていました。
しかも小学校4年生の頃に、掃除の時間も休み時間になるロング昼休みという制度が毎週水曜日に出来て、
だから水曜日は特に憂鬱でした。
でも大抵は、みんながやっている鬼ごっことかにさり気なく混ざってうまくやり過ごしていたんだけども、
本当に何もすることがない時は、学校の廊下を休み時間が終わるまで歩いてたり、
トイレの個室で時間を潰したりしました。
あと、小学校生活において1番傷ついたことがあるんだけども、
市川清美という女子が「だる(俺のあだ名)って気持ち悪いよね、みんな言ってるよ?」と、
友達同士で話しているのを聞いたことです。 あと、小6の時に授業でホームページ作ったのを覚えてる。
https://web.archive.org/web/20020709070912/http://www.cabinet-cbc.ed.jp/school/es/007/6-3/komainnu2/komainnu2.htm
↑
これ
…まあ、基本的に俺の小学校生活はこんな感じでした。
★小学校の学校行事のこと。
毎年5月くらいに、小学校から歩いて20、30分位の場所にある大きな公園に全校生徒で行く学校行事がありました。
その学校行事は確か、小6と小1、小5と小2、小4と小3とで班を作って行く学校行事なんですね。はい。
それで、俺が小1の時に同じ班だった人は勇さんの友達で、
だから勇さんが、「あたり(勇さんの友達の名前)だから大丈夫!」と静江さんに言っていた記憶があります。
で、実際楽しかった記憶があります。
それで、なんだかんだ言って、小5まではなんとかなったけども、
小6の時は、同じ班の小1の子とうまく意思の疎通が取れず、凄く気まずかったのを覚えてます。
運動会は別に普通だったかなー。
…ただ、小学校高学年になると、静江さんと一緒にお昼ごはんを食べるのが恥ずかしくて仕方なかったです。
あと確か、俺が小6の頃のことだと思うけど、
俺は静江さんに、「運動会のお昼はコンビニのおにぎりで良い」と言ったんですけど、
そしたら運動会のお昼の時に静江さんが、コンビニ袋に入ったままのコンビニのおにぎりを俺に渡してきて、
俺の向かい側にいた親子連れのお母さんに、目をまん丸にして驚かれたんですね。
だから俺、すっげー気まずい思いをして、
「何でお母さんは弁当箱に詰めて持ってこないんだよ…」と思ったのを覚えてるの。
俺がイメージしていたのは、
コンビニのおにぎりの封を切ったやつをお弁当に詰めたやつだったんだけども、
…まあ、俺が悪いのかな?
あと、小学4年生の頃のなんだけども、
担任だった熊谷先生が、冬休みにクラスメートみんなで神社に初詣に行こうと企画したの。
それで、任意参加だったけども参加率が3分の2くらいで俺も行ったんです。 それでその帰りにマクドでハンバーガーを食べた記憶があるんだけど、
その時になんか、マクドに行こうと提案した人かどうかは覚えてないけども、
誰かが「別に学校じゃないからいいんだよ。」と言っていたのを覚えてます。 それと、小学校6年の時に林間学校に行きました。うん。
それでどこに行ったのかと言えば、大房岬少年自然の家です。
…俺はあんまり行きたくなかったです。
だってもうその頃には孤立気味だったし、
何より、その頃にはもう、ふにゃふにゃ状態のちんこを人差し指でくるくる回すオナニーしてたからちんこが黒くて、
それをお風呂の時間にみんなに見られるのが嫌だったんですよ。
陰毛も生えてたけど、それは割とどうでも良かったです。
だから、林間学校の半年くらい前から入念にちんこをゴシゴシ洗っていたんだけども意味なくて、
結局、林間学校が終わったあとに別のクラスの君塚くんに、「お前ちんこ弄り過ぎwww」とバカにされました。
でもその時は、「イジってないよww」と誤魔化したけども…。はい。
…あとなんだろうな、キャンプファイヤーの時に「WAになっておどろう」が流れていたことと、
帰りのバスの時によって、隣の田中くんのエチケット袋にゲロを吐いたくらいかなー。
林間学校で覚えていることは。うん。
ちなみに俺は超絶車酔いする体質で、
小学校2,3年の頃までは車に乗る度にゲロを吐いてました。
あと小学校最後の学校行事といえば卒業式だけど、
なんか、卒業式終わったあと、そそくさと1人で下校した記憶くらいしかない。うん。 ★仲よかったクラスメートのこと。
小学校の6年間で1番仲良くなったクラスメートは吉原くんですね。
小学校1,2年の頃は、毎日遊んでいた気がする。
仲良くなったキッカケは、俺が小1の時に、同じクラス吉原くんが学校を休んだことがあって、
それでなんか、「吉原くんの連絡帳を家に届けてほしい」みたいなことを先生が言ったんですけど、
俺は、吉原くんとは組は違ったけど同じ幼稚園で学区内も一緒だったから、
何となく吉原くんの家の場所を知っていて、だから俺が立候補したんです。
それでまあ俺は、吉原くんの連絡帳を手に持ちながら下校したんですけども、
取り敢えず家にランドセルを置いてから吉原くんに連絡帳を届けようと思ったんですね。
それでまあ家に着いて、そしたらなんか静江さんが「手に持ってるものは何?」と聞いてきたんですよ。
だから俺は、「吉原くんの連絡帳を届けることになった」と説明したんですけど、
そしたら何故か静江さんは連絡網で住所を調べ始めて、一緒に届けることになったんですよ。 ぶっちゃけ俺、この建物に吉原くんが住んでいるということしか知らなかったんですね。
だから静江さんが付いて来てくれて助かりました。
でも俺、静江さんに知ったかして「ここから登るんだよ!」と言いながら、
非常階段から吉原くんの住んでいる階まで行ったんです。
そしてまあ普通に、吉原くんに連絡帳を届けることが出来たんですけども、
非常階段のある場所は鉄の扉の向こうにあって、だから明らかにどう考えても非常階段なんですけど、
静江さんは吉原くんのお母さんにヘラヘラしながら、「ここまで登るの大変ですね〜」と言っていたんです。
馬鹿ですよね。
…それでまあ、この出来事がキッカケになって吉原くんと仲良くなったということです。はい。
吉原くんと仲良くなって一番良かったことは、
俺はそれまで自転車に乗ったことがなかったんですけども、
吉原くんは自転車を持っていて、その自転車を使って自転車に乗る練習が出来たことです。 練習した場所は↑の画像のグラウンドです。
それで自転車に乗れるようになったら、やっぱり次は自分の自転車が欲しくなりますよね。
だから俺、静江さんに「自転車欲しいー」と何度もねだったんですよ。
そしたら買ってくれたんです。
…で、その時のエピソードなんですけど、
近所にあるオリンピックというホームセンターに、歩きで行ったのか車で行ったのか全く覚えていないんだけども、
静江さんと元さんと俺の3人で行くことになったんですね。 練習した場所は↑の画像のグラウンドです。
それで自転車に乗れるようになったら、やっぱり次は自分の自転車が欲しくなりますよね。
だから俺、静江さんに「自転車欲しいー」と何度もねだったんですよ。
そしたら買ってくれたんです。
…で、その時のエピソードなんですけど、
近所にあるオリンピックというホームセンターに、歩きで行ったのか車で行ったのか全く覚えていないんだけども、
静江さんと元さんと俺の3人で行くことになったんですね。 …で、自転車を買いに来たんだから当然、自転車売場に行ったんだけども、
俺、たくさんある自転車の中から気に入ったマウンテンバイクを見つけて、それにまたがって「これ足つくよ!」と、
静江さんと元さんに叫んだんです。
静江さんと元さんは、何故か苦笑いを浮かべながら顔を見合わせていたんだけども、
なんだかんだ言って買ってくれました。
確か値段は、2万3000円くらいしました。
その自転車は確か、小学校4年くらいまで使っていたと思います。
あと、これは吉原くんは別にそんな関係ないんだけども、
俺にとっては凄く印象的な出来事だから書きます。
俺が小1か小2くらいの時に、健さんが突然「今日大地震が来るから逃げたほうが良い。」と言ったんです。
でも俺は最初全く信じなかったんだけども、あまりにも健さんがしつこく言ってくるので、
なんかだんだん怖くなってきて、「近所にあるグラウンドに逃げなきゃ!」と思うようになたんです。
それと同時に、「吉原くんにもその事を伝えなきゃ」と思い、吉原くんに電話したんですね。
吉原くんは、俺が「今日大地震が来るから逃げたほうが良い。」と言っても、
殆ど相手にもせずに、「ふ〜ん」と言う感じで対応してたんですけど、
でも俺は、「とにかく近所にあるグラウンドに逃げたほうが良い」と強く言って電話を切り、
その後すぐに俺は、自転車で近所のグラウンドに向かったんです。 グラウンドに着いて、取り敢えずグラウンドの真ん中ら辺にいようと思い、
そこまで自転車で向かい、着くと自転車から降りて、…まあそこで20分くらい地震が来るのを待っていたんです。
当然地震も来なかったし、吉原くんも来なかったんだけども、
なんか俺、グラウンドの真ん中にぽつんと1人で立ちながら、
「この世界ってなんなんだろう」とか、「この出来事って前にも経験したよな?」みたいな、
不思議な感情に浸っていたんです。
…まあそれだけなんですけど、妙に記憶に残ってる出来事なんです。
あと吉原くん関連で言えば、
これは小学校2年生の頃の話なんだけども、万引き癖がついたんですよ。はい。
キッカケは、吉原くんとダイエーのおもちゃ売り場で遊んでいた時に、そこにカードゲームのUNOがあったんですね。
それで俺、そのUNOを見ながら、幼稚園の頃によく健さんと勇さんと俺の3人でUNOで遊んだなーって思い出して、
それが凄く楽しい思い出だったから、なんかUNOが欲しくなったんですね。 それでそのことを吉原くんに話すと、「取っちゃえば?」と言って俺を唆したんですよ。
…まあ、もしかしたら吉原くんは冗談で言ったのかもしれないんだけど、
俺、真に受けちゃって、万引きしちゃったんですよ。
どうやって万引きしたのかと言うと、服の下にUNOを入れて脇で挟んだんです。
UNOって意外と大きいからポケットには入らないし、バックも持っていなかったからそうしたんです。
それで、UNOを脇の下に挟んだまま歩くと、どうしても変な歩き方になるんだけど、
その様子を店員のおばさんが笑って見ていて、俺は「やばい」と思って愛想笑いしてやり過ごしたんですね。
…で、まあ、そうやってUNOを万引きした俺だけども、
もうその頃には健さんと勇さんは仲悪かったし、静江さんは駅の清掃員のパートで家にいないし、
まあ、要するに、俺は一度もそのUNOで遊ぶことはなかったです。
ちなみにそのUNOは、「中学校の修学旅行の時に遊ぶから」という理由で、勇さんに取られました。
…で、まあ、ここからが本題なんだけども、UNOを万引きしてから俺、万引き癖が付いたんですよ。
なんか当時の俺は、お金を払わないと商品を外に持ち出せないと思っていて、
だから、お金を払わなくても商品を外に持ち出せることが、大発見のように感じたんですね。 俺は色んなものを万引きしました。
コンビニでジュースとかお菓子とかを日常的に。
あと、近所の小さい文具屋で36色の色鉛筆も万引きしました。
その時も吉原くんはいたと思うけども、やり方はUNOの時と似ていて、
服の下に36色の色鉛筆を入れるやりかたです。
で、外に出るまではスムーズだったんだけども、
服の下に入れた色鉛筆のせいでうまく自転車の乗れず、モタモタしたんです。
ふと店内の方を見てみると、俺がモタモタしてる様子をガラス越しに店員が笑って見ていたんですよ。
俺はヤバいと思って、UNOを窃盗した時と同じように愛想笑いで誤魔化して、
自転車にまたがったまま足で地面を蹴って、必死にその場から離れました。
その36色の色鉛筆は学校で使いました。
…と、まあ俺は、そんな感じで万引きを繰り返していたんだけども、
そりゃーいつかは捕まりますよね。
何で捕まったのかというと、
俺が自転車を買ったオリンピックというホームセンターで、
ラジコンを万引きしようとして捕まったんです。はい。
ちなみにその時も吉原くんはいました。 どういう経緯で捕まったのかというと、
おもちゃ売り場は店の奥の方に有ったんだけども、その近くに裏の出入り口があったんですね。
それでその出入り口前には、警備員がいたんです。
俺と吉原くんは、警備員がお客の対応をしている隙に、
ラジコンの箱を開けて、ラジコンが入っている発泡スチロールを取り出しナップザックに入れて、
ラジコンの空き箱をカモフラージュのために棚に戻して、
走ってその出入り口から外へ出たんです。
そしたら警備員が追いかけてきて、…で、子供が大人にかけっこで勝てるわけもないですから当然捕まって、
俺と吉原くんは、事務所に連れて行かれたんですよね。
その途中になんか、
「あんな小学生が万引きするなんて嘘だろーw」みたいなヒソヒソ声が聞こえて来て、
…まあ恐らく、店員がヒソヒソしていたんだろうけども、
俺は不快だったです。
事務所につくとそこには誰もいなくて、俺と吉原くんはしばらく俯きながら突っ立っていました。
しばらくすると店長?が事務所にやってきて、かるく説教した後に俺の家の住所と電話番号を聞いたんです。
俺は俯きながら罪悪感に耐えるのが精一杯で、だから基本的な対応は吉原くんがしていたけれど、
住所と電話番号を聞かれた時はきちんと答えました。 俺から家の電話番号を聞いた店長は、俺の家に電話しました。
俺は、家には多分誰も居ないから誰も出ないだろうと思っていて、
だって、静江さんは昼間は駅の清掃員の仕事をしてるし、元さんも昼間はタクシーの運転手の仕事をしてるし、
瞳さんも家にはほとんど居なかったし、健さんも中卒ニートだったけど昼間はどっかに行っていたし、
勇さんも友達と一緒に遊んでいるだろうし。
それでまあ俺の予想通り電話には誰も出なくて、
だからその日は、俺のナップザックを人質にして後日お母さんと一緒に謝り来ますという約束をして、
帰ることが出来たんですね。
ちなみに、店長は吉原くんの家には電話しなかったけども、
主犯は俺だったから、吉原くんはうまく自分に火の粉が降ってこないように立ちまわったんだと思います。
俺は、「万引きして捕まった」ということを静江さんに伝えなければいけないんだけども、
なかなか言い出せずに数日経ってしまいました。
そのうちに、「このままやり過ごせないかな−」という甘い考えも芽生えたけども、
店長には、俺の名前と家の電話番号と住所と通っている学校がバレているから、
もし店長が学校に連絡してきたら、先生にも静江さんにも滅茶苦茶怒られるだろうな−と怖くなり、
でも直接静江さんに言う勇気もなかったので、「オリンピックで万引きして捕まった」的な内容の書き置きを、
いつ、どこに置いたのかは忘れたけどもしたんです。
その書き置きを読んだのは勇さんでした。 俺は勇さんに家の裏に呼び出されて、そこへ向かうと、そこには勇さんの友達もいて、
勇さんとその友達に、「この書き置きなんだよw」という感じに問い詰められたんです。
俺は、とにかく吉原くんを庇わなければいけないという思いから、同じクラスの深山くんの名前を出しました。
そしたら勇さんとその友達は、「マジでww」と騒ぎ始めたんですね。
何故かと言うと、深山くんのお母さんかお父さんが、勇さんの通っている中学校の先生だったからなんだけども、
だから俺は「やばい!」と思って、また別の同じクラスの人の名前を出してなんとか誤魔化したんです。
そういう押し問答を5分くらいしていたら、
やっと勇さん達は俺を問い詰めることに飽きて、俺は勇さんから開放されました。
書き置きを勇さんに読まれてから数日経ったくらいに、
また俺は静江さんに書き置きしたんだけど、そしてその書き置きはなんかなくなっていたんだけども、
静江さんは俺に何も言ってきませんでした。
もう書き置きしても無駄たと学習した俺は、直接手紙を静江さんに手渡そうと覚悟しました。
それで、静江さんは駅の清掃員のパートを俺が小1の時から始めていて、
そのパートの仕事は夜型の仕事だから、静江さんはいつも朝の10時くらいまで寝ていたんだけども、
だから俺は、寝ている静江さんを起こして手紙を渡したんです。 俺はその間、静江さんなら怒らないかも知れないという淡い期待と、
怒られたらどうしようという不安が入り混じった感情が溢れだして、ニヤニヤしていました。
俺の期待とは裏腹に、手紙を読み終えた静江さんはみるみる不機嫌になって、
俺は、静江さんの怒りが収まるまで、ずっと泣きながらごめんなさいと謝り続けたんですね。
そして色々一段落が付いたあと、静江さんと一緒にオリンピックに謝りに行ったんです。
オリンピックに着き、静江さんはまず店員に話しかけていました。
そして俺と静江さんは、その店員に案内される形で事務所へ向かいました。
事務所に着くと店長がいて、
静江さんは店長に、「こういう書き置きをしてたんです。」みたいなことを言って頭を下げていました。
それでなんか店長も、「まあまあ子供がやったことですから…」みたいな対応をしながら、
ナップザックを静江さんに返してました。
俺はその様子をずっと見ていました。
その帰り、俺と静江さんはスーパーのマルエツに寄りました。
その時になんか、商品を袋に詰める時に静江さんが、俺に1000円をくれたんです。
当時の俺は「とても悪い事した俺に1000円くれるなんて、静江さんはとても優しい」と思ったんだけども、
今冷静になって考えてみると、俺は毎月のお小遣いを貰ったことが無かったので、
俺が万引きをしても仕方なかった状況だと思います。 あと、俺が万引きをして捕まって静江さんと一緒に謝りに行くまでに1週間くらいの間があったんだけど、
その間に瞳さんが、
「万引きがどうのこうのって電話が掛かってきたけどはぐらかしたw」と俺に言っていたような記憶があるので、
オリンピック側は、俺に逃げられたと思っていたと思います。
あと万引きして捕まったあと1度だけ、
クレヨンしんちゃんのボードゲームのルーレットを動かすためのボタン電池を、
セブンイレブンで万引きしました。 それ以降は万引きはしていません。
違法ダウンロードはしてるけど。
…で、話は変わるけども、
吉原くんと同じクラスだったのは小1と小2の時だけで、(もしかしたら小3と小4の頃も同じだったかもだけども…)
それで中学校も同じだったけども同じクラスではなくて、
でもなんだかんだ言って、中2くらいまではたまに一緒に下校するくらい仲よかったけども、
なんか一緒に下校してる最中に、俺はふと「今ここで吉原くんにビンタしたらどうなるのだろう…」と思ってしまい、
その好奇心に耐えられなくなって実行しちゃったんですね。
そしたら吉原くんは怒って、俺から離れるために早歩きになって、
それから学校とかで会っても無視されるようになったの。うん。
…まあ、完全に俺が悪いね。
吉原くんの次に仲良くなったクラスメートは、新井くんです。
新井くんは小学校3年生の時に転校して来たんですけど、席が俺の後ろだったんです。
なんか俺、その当時は人見知りしないタイプだったのかはわからないけども、自分から新井くんに話しかけたんですね。
それで気がついたら、なんか新井くんの家で遊ぶことになったんです。 それで新井くんの家はこのマンションなんだけども、
俺は新井くんと一緒に下校して、新井くんの住んでいるマンションと部屋の階を教えてもらったんですね。
それで、このマンションはオートロックなんですけども、
だから新井くんは、オートロックの扉の近くにある機械に自分の部屋の数字を入力して、
マイクに向かって「開けて−」と叫んで、それでお母さんにオートロックの扉を開けてもらって、
マンションの中に入って行ったんですね。
俺はその様子を、「そういう風にするんだー。」と思いながらずっと見ていたんです。
…で、まあ取り敢えず家にランドセルを置くために家に戻って、
それで自転車で新井くんのマンションに向かったんです。
マンションに付き、俺は新井くんと同じように、
オートロックの扉の近くにある公衆電話みたいな機械に新井くんの部屋の番号を入力して、
それでマイクに向かって「開けて−」と叫びました。
そしたらスピーカから、「開けてって言われても…」みたいな女の人の声が聞こえてきて、
その瞬間俺は間違いに気が付き、新井くんの友達で遊びに来たということを伝えて、
オートロックの扉を開けて貰いました。
新井くんとは、家ではぷよぷよとかキングオブファイターとか、
外ではインラインスケートとかで遊んだ記憶があります。
それで新井くんとは、小4の頃には自然と遊ばなくなっていった気がします。 新井くんの次に仲良くなったのは、蓮沼くんです。
でも俺は蓮沼くんがあんまり好きではなかったです。
蓮沼くんと仲良くなった理由は、なんか、土日になる度に蓮沼くんから電話がかかってきて、
それで断る理由もないから、なんかダラダラと遊んでいただけです。
それでなんだかんだ、中2くらいの時まで遊んでいた気がします。
蓮沼くんとの一番の思い出は、東京ゲームショー99に行ったことかなー。 東京ゲームショー99は9月18日と9月19日が一般公開日だったんだけども、
なんか前々から「東京ゲームショーに行こうぜ」と蓮沼くんに誘われてて、
でも俺ずっと行きたくないなーと思っていて、
だから9月18日の朝に蓮沼くんの家に行く約束を俺は破ったんですよ。
そしたらその日のお昼ぐらいに蓮沼くんから電話かかってきて、
色々なんか俺に対しての文句を言ったあと、「明日もあるから絶対来いよ」と蓮沼くんに釘刺されたんです。
だからまあ俺は、9月19日に蓮沼くんと一緒に東京ゲームショー99に行ったんです。
それで覚えてることは、ナポレオンというゲームボーイアドバンスのゲームをやったことと、 東京ゲームショーの人にアンケートを書かされたことです。
その時に、俺の家には99年当時もpsも64も無かったから、凄く劣等感を刺激されたの覚えてます。
…まあ、蓮沼くんとの思い出はこんなもんです。
…で、小5小6の頃に仲良くなったクラスメートは、ぶっちゃけいないです。
その頃にはもうすでに俺の心は半分閉ざされていたからね。
だから、友達と思える人はいなかったんです。
でも一応、放課後とか遊んでいたクラスメートはいて、それが、高井くんとか亀水くんとか木村くんとかでした。
高井くんとは、幼稚園の頃に同じ組だったから、小学校に入学してからも割と仲よかった人です。
一緒に下校していた記憶もあります。はい。
それでなんか俺が小5の頃は、木村くんの家でスマブラをよくやっていた記憶があります。うん。
でも確か俺は、人数合わせで誘われてた気がします。
そしてその木村くんも小6に進級する時に転校したから、
俺が小6の時には、放課後にクラスメートと遊ぶこともほぼなくなった記憶があります。
…まあ、俺の小学校生活ににおける友達付き合いはこんなもんです。 ★家族のこととか。
俺が小学校に入学するとほぼ同時期に、静江さんが駅の清掃員のパートを始めたんです。
西暦で言うと1995年辺り。
そのパートは夜型のパートで、大体俺が小学校から家に帰ってくると静江さんは仕事へ向かう準備をしていて、
家に帰ってくるのは大体23時位でした。
だから静江さんは昼ごろまで寝ていました。
でもなんだかんだ言って俺が小2くらいの頃までは、
朝ごはんを作ってくれていた覚えがあります。
俺が小学校3年生くらいになった1997年くらいになると、
静江さんはパートから正社員になり、家を出る時間が13時頃になりました。
家に帰ってくる時間はパートの時と大体同じです。
だからつまりは、1997年前後が、
俺が学校から家に帰って来ても家に誰も居ないことが当たり前になった時期なんです。
確か朝も基本的には寝ていました。
あと、静江さんがパートの頃までは、土日になると静江さんと一緒に俺は買物に出掛けていたけども、
静江さんが正社員になってからは、静江さんの仕事の時間的に考えてそれが無理になっていきました。
静江さんは、2016年の今でも駅の清掃員の仕事を続けています。 1996年には勇さんが中学校に入学して、
そこから一気に健さんと険悪な雰囲気になり、家庭内冷戦みたいになりました。
…例えばその、
俺の家は6畳2間の小さな平屋の家なのに、
お互い出来るだけ顔を合わさないようにピリピリしていたんです。
でも、その1年前には健さんと勇さんと俺と勇さんの友達の吉井くんと一緒に、
元さんの実家がある沖縄に行くくらい仲良かったんです。 …でなんか、公園で缶蹴りしたりプールに行ったりして楽しかった覚えがあります。
ちなみに俺が小3の時も行ったけども、
その時は1人だったからあんまり楽しくなかったです。
たしかその時は、純子さんという元さんのお姉さんが1週間くらい家に泊まったんです。
それで何故か、健さんと俺と純子さんで後楽園遊園地に行った記憶があります。
で、その数日後に純子さんに連れられて、元さんの実家に行った気がします。
…まあ、何度でも言うけども、正直楽しかった記憶は全く無いです。だって1人だったし。
どれくらい楽しくなかったのかと言うと、窓のふちに溜まっていたホコリを指先でつまんで、
「これを食べてもどーせ死なない」と思いながら食べるくらい楽しくありませんでした。
あとなんか、元さんのお兄さんにトイザらスに連れて行ってもらって、
プラモデルの戦車を買って貰った記憶もあります。
そのプラモデルの戦車は有線のコントローラーで動かせるやつで、
だから割と複雑な奴だったから小3の俺は手間取って、結局は元さんのお兄さんが完成させたんですけど、
でも別に俺は、元さんのお兄さんに手伝って欲しいとは言ってないのに、勝手におせっかいを焼いたんです。
その様子を周りの大人がニヤニヤ眺めていて、なんか俺は納得できなかったのを覚えています。
あとなんだろう、お昼の時たまに弁当だったんだけども、
その弁当が食べきれずにゴミ箱に捨てたら、元さんのお兄さんに見つかって、
なんか長い定規で尻を叩かれたなー。
…まあ、そんなもんです。 あと帰りの飛行機の時に、アニメソングが流れてるラジオを見つけて、
それを聞きながら口ずさんでいました。確か、葛飾ラプソディーが流れていたかな。うん。
それでその時に、俺の隣りに座っていた俺より3歳くらい年上の女の人に、
俺の口ずさむ声が聞こえてないかドキドキしていたのを覚えてます。
それでまあ、空港につくとそこには元さんと静江さんがいて、元さんの運転する車で家に帰ったんです。
…でまあ、無事に家に着いたんですけど…その、あまりの家の狭さに驚いたんですね。
ほんとに素直に「まるで物置小屋だな」と思ったもん。
…で、勇さんの話に戻すけども、
だからその、勇さんが中学校に進学した1996年からは、
俺は勇さんが怖くなって、家の中でも徐々に感情を表に出せなくなったんです。
例えば、テレビを見て声を出して笑うことが出来なくなったんです。
でもそれはお互いそうで、勇さんも基本的には声を出して笑うことはなかったです。
でも勇さんの友達が家に遊びに来た時とかは、普通に笑ってました。
俺はビクビクだったけども。
あとなんか、エレキギターを買ってよく練習してたから
それがうるさかったです。 それで勇さんは、俺が1999年の3月に中学校を卒業したけれども、
高校には進学せずに、そのまま中卒ニートになりました。
だけど確か、静江さんのお兄さんのコネかなんかで、
一時期ペンキ屋の仕事をしていた気がするけども、
いつの間にかやめていました。
1997年くらいには瞳さんが家を出ました。
だけど、瞳さんとは歳が12歳離れていたからなのか、
あんまり思い出という思い出もなくて、だからまあ、そんな感じです。
ただ、瞳さんの友達のみゆきさんとはすごく仲良かったので、その話をします。
…う〜ん。
何から話せば良いのかよく分からないけども、
家族ぐるみで仲よかったんですよ。みゆきさんというか、松本さん一家とは。
…で、元々は瞳さんとみゆきさんが仲良くなったんだろうけど、
その流れで、静江さんとみゆきさんのお母さんも仲良くなったみたいで、はい。
だから俺が幼稚園生の頃とかはよく、静江さんに連れられてみゆきさんの家に遊びに行っていたんですよ。
それでその時に、みゆきさんが俺と一緒によく遊んでくれたんですね。
ちなみにみゆきさんにはけんちゃん(フルネームは分からない)というお兄さんと、明(あきら)さんという弟がいて、
そのふたりともよく遊んでもらえたけども、1番遊んでくれたのはみゆきさんなんです。
またちなみだけど、明さんは健さんと仲が良かったです。 それで確か俺が小学校に入学してからは、
土日になる度に俺、みゆきさんの家に電話していた気がします。
勿論、みゆきさんに遊んでもらいたくて。
それである時、みゆきさんの家に泊まることになったんですね。
理由は、俺が小2の時くらいまでは、土日になるとたまに静江さんと一緒に駅周辺に買い物に出掛けていたんですけども、
それで、辺りも暗くなって家に帰るかという時に、静江さんが何故かみゆきさんの家に電話したんです。
それでなんかいきなり静江さんが、「みゆきちゃんの家に泊まる?」と俺に質問してきたんです。
俺はいきなり意味不明な質問をされたから気が動転して、でも取り敢えずなにか答えなきゃと思い、
「みゆきちゃんがそう言ってるんだから断ったら失礼だよw」と、なんか凄くわざとらしい声で言ったんです。
そしたらなんか静江さんは、ちょっと真顔になって2秒位何かを考えたあとに、
「仁も泊まりたいと言ってるので〜」と、電話の相手に話していたんですね。
それでまあその日は、みゆきさんの家に泊まったんですけども。
それでなんかその日を境に、
みゆきさんと遊んでる時にたまに、「今日家に泊まる?」とみゆきさんが質問してくる時があって、
その度に俺は、みゆきさんの家に泊まっていた記憶があります。
ただ、泊まって何をしたのかとかは、全く記憶に無いですね。はい。 それでまあ、そんなみゆきさんとも、俺が小3の頃には疎遠になっていったんだけども、はい。
理由は、みゆきさんは幼稚園の先生を目指してる人だったんだけども、
俺がみゆきさんの家で遊んでいる時に、
みゆきさんが自分の受け持つ幼稚園の園児の子供の名前を覚える勉強をしてたんですよ。
あとなんか、みゆきさんと歩いている時に「みゆき先生だ!」と小さい子供が声をかけてきたことがあって、
みゆきさんは先生として対応していたんだけども…。
そういうみゆきさんの姿を見てから、なんとなく俺はみゆきさんに距離感を感じて、
「なんかもう、遊んじゃ駄目なんだなー」と思ったんです。
…あとその時期に、蓮沼くんと遊ぶようになっていったから、
そういうこともあって、自然とみゆきさんとは遊ばなくなっていったんですね。
はい。
1999年5月には健さんが自殺しました。
でも俺は健さんとは仲良かったけども、あんまり悲しくはなかったです。
なぜなら、俺が健さんと仲よかったのは1998年くらいまでだからです。 …うん。
なんか、健さんは1993年に中学校に入学したんだけども、
入学してすぐ不登校になって、そのまま高校にも進学せずに、まあちょこちょこバイトをしてた時もあるんだけども、
だって一緒に職業安定所とかも行ったことあるしね。
でも基本的にはずっとニート状態だったんですよ。
それでまあでも、健さんはよく俺と遊んでくれたので俺は健さんのことが好きだったんだけども、
1998年くらいに健さんが精神科に通い始めて、なんか薬を服用し始めたんですよ。
そのせいでなんか健さんの雰囲気が変わって、
それから徐々に健さんのことが嫌いになっていったんですね。
なんか、被害妄想っぽくなっていったというか、
その、俺の学校のプリントに「死ね」と落書きしたものがあって、
それを健さんが見つけて「これ俺のことだろ」と因縁をつけてきたり。
その時は俺は、何度も「違うよ」と言ったのに、健さんは「じゃあ誰だよ」と食い下がってきて、
でも俺がプリントに死ねと落書きした理由は、
ただ単に「死」という文字がなんかかっこよく感じていて、だからなんとなく「死ね」と落書きしただけなんだけども、
なんか余りにも健さんがしつこく食い下がってくるから、面倒くさくなって「じゃあ健でいいよ」と言ったんですよ。
…まあ、そういうこともあって、 だから俺が健さんが自殺したと初めて知った時も、「…あっそうー」みたいな反応でした。
…えっとその時は、その…、俺は小5だったけども、
学校が終わって家に帰って、それでいつもの様に一人でテレビを見ていたら、
玄関の引き戸をガラガラと開ける音がしたんです。
俺は、「勇さんかな?」と思って気にも留めなかったんだけども、
俺の部屋の扉がガチャっと開いたもんだから、俺はその音にビクッっとなって扉の方を見たんです。
そしたらいつもは深夜に帰ってくるはずの静江さんと元さんが居て、
俺は、こんな時間に帰ってきた静江さんと、普段見ることのない静江さんと元さんの2ショットに頭が混乱して、
しかも静江さんは「ごめんねごめんね」と泣いてるから、ホント意味が分からなくて、
でもなんとか今の状況を把握しないとと思い頭をフル回転させて、
「お母さん仕事でも首になったのかな?」と俺が思った瞬間、「健が死んだ」と静江さんが言ったんです。
それでその時の俺の反応が、「…あっそうー」だったんですよ。はい。
ぶっちゃけ、ほんとどうでも良かったし。
むしろ、健さんが死んだ分、家が広くなるので嬉しかったです。
葬式の時は、とにかく俺、親戚と合うのが嫌で嫌で仕方なくて、
特に、狭い俺の家に親戚一同が集まったりしてたのが死ぬほどイヤで、思い出したくも無いです。
…で、まあ、基本的には葬式会場で葬式をするんだけども、
その葬式会場はそこそこ広い畳の部屋で、奥には5段くらいの雛壇があって、
その雛壇の上段には健さんの中学校の卒業アルバムを引き伸ばした遺影があって、 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。