等身大ぬいぐるみ ラブドール 6
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私たちの体をはじめ、すべての物質は原子から成り立っている。
「量子」とは、原子やそれを形作る電子、陽子、中性子、
さらに小さなニュートリノやクォークなど、
私たちの暮らす世界とは異なる法則が働く粒子のこと。
その法則は「量子力学」と呼ばれ、物理学の中でもとりわけ難しい分野とされる。
量子力学の扉をいきなりノックする前に、まずは物理学が積み上げてきた歴史や、
量子の発見が世界に与えた衝撃に目を向けてみよう。
目に見えない量子たちのイメージが頭の中で動き出したとき、
世界の見方が変わるはずだ。 シュレディンガー方程式」は、量子力学の基礎方程式です。
量子力学は、分子や原子、電子といった小さな世界の物理現象を記述する学問です。
肉眼では捉えられない小さな世界の話ですが、身の周りは量子力学でなければ
説明できないものばかりです。
太陽は光を発します。物を燃やせば、炎が辺りを照らします。
おそらく太古の時代から、こうした経験を通して、光の存在は人びとに認識されていたはずです。
17世紀になると、光の正体を探ろうと、アイザック・ニュートンをはじめ、
名立たる科学者が実験を重ねましたが、決定的な確証は見つからないままでした。
物体がなぜ光を発するのか。これが説明されたのは、1905年に「量子力学」が誕生してからのことです。 私たちの暮らす世界の仕組みを表す最も基本的な方程式は、
ニュートンの導き出した「ニュートンの運動方程式(ma=F)」です。
物理は意思のない〈もの〉を扱います。
人間のように意思を持ち、自由に動きを変えるようなものは扱えません。
〈もの〉の持つエネルギーと運動量から、ある時間がたったあとに〈もの〉が
どこに移動しているのかを記述するのが運動方程式です。mは〈もの〉の
質量、aは速度の時間変化を示す加速度です。
たとえば、時速60キロメートルというのは、1時間後に60キロメートル先にいることです。
当たり前のことに思うかもしれませんが、視点を変えれば、方程式は
「未来を予測する」ものであるともいえます。過去に起こった〈もの〉の
ふるまいもわかります。たとえば、ビックバンの起こった時点を起点にして、
その後に起こる動きも予想できるのです。
1900年に量子が発見されるまで、運動方程式はどこでも成り立ちました。
運動方程式を使えば、惑星やロケットの打ち上げ、車の走行など、
いろいろなものの運動が説明できました。ですが、原子の世界では、
この方程式が成り立たなかったのです。これは物理学における大問題でした。 理学には、粒子性と波動性という概念があります。
運動方程式でものの動きを考えるときには、
粒がここからここに動くというように、〈もの〉を1つの粒として考えます。
これは粒子性の考え方です。
波動性は、粒子や場の振動が伝播する現象です。
波は固体としては存在しませんが、波がどんなスピードで、
どこを通過するのかは観測可能です。3次元の位置と時間を決めれば、
波がどこから来て、どこに行くかを説明できるのです。
地震の震源地を特定できるのは、こうしたことを示す波動方程式をもとに解析しているからです。
では、光は波か、それとも粒子なのか。この問いを巡って、過去に大論争が起こりました。
はじめは波だとする主張が優勢でした。回折現象(A)が起こるからです。
ところが、1888年にヴィルヘルム・ハルヴァックスが「光電効果」という現象を発見しました。
1905年には、アルベルト・アインシュタインが「光電効果理論」を発表し、
物理学者たちの認識を大きく変えることになりました。 量子は、あるときには波のように形がないものに見えるし、
また別のときには点のように見えるという両面性を持っている。
「さまざまな条件によって、波のようにふるまうこともあるし、
粒子のようになることもある。観測されるまでは、
波のようにふるまっていると考えてもいいと思います」 量子の世界を理解するうえで、シュレディンガー方程式の他にもう1つ、外せないのは
アインシュタインの「相対性理論」です。これは物理学にとって、とても重要な理論です。
私たちは(xyz)の3次元の世界に住んでいます。物体ならば、幅、奥行き、高さという3つの指標です。
ところで、次元とはなんでしょうか。みなさんはどのように理解していますか。
人との待ちあわせを例に考えてみましょう。3次元で位置を指定すれば、待ち合わせ場所は指定できます。
でも、それだけでは不充分です。大切なのは「時間」です。会う場所を決めても、日時が違えば、
相手とは出会えない。言い換えれば、3次元の場所と時間さえ決めれば、
必ず落ちあうことができるのです。 量子を扱う場合も同じです。2つの原子がぶつかったときの反応を調べたい。
それには、待ち合わせの例と同じく、(xyz)の座標と時間の情報が必要なのです。
そこで、アインシュタインは(xyz)の座標に4つ目の次元、時間tを入れて、方程式を立て直したのです。
私たちは、どんな場所、どんな状況でも時間の流れは一定だと思っています。
これは絶対時間と呼ばれる考え方です。古典物理学の方程式はこの考え方にもとづき、
3次元座標だけが違うとして考えていたのです。
相対性理論は、時間は相対的なものだと考えます。
物体が止まっていれば時間の流れは同じだけれど、動いているときには3次元座標だけでなく、
時間の流れ方もそれぞれ異なっているという考え方を導入しました。
これは、物理学の常識を覆す発見でした。
量子力学では、原子の動きをより正確に記述するときに、相対性理論と量子力学とをあわせた
相対論的量子力学を使います。シュレディンガー方程式に相対性理論を組みあわせれば、
さらに新しいことがわかる可能性を秘めているのです。
これはすでに、「Dirac(ディラック)方程式」で表現できることがわかっています。 粒子が伴う性質は、質量や速度、エネルギー、運動量です。エネルギーというのは、
「何にどれだけの仕事をさせられるか」を測るものさしです。お湯を温めたり、
モーターを回転させたりするその量がエネルギーです。運動量は、
「どのくらい重いものが、どのくらいの速度で動いているか」を示すものです。
波の伴う性質は、波の山がいくつあるのかという波数ベクトルk や周波数ωです。
これらを表す波動方程式を解くと出てくる解が平面波の式です。
海の波のように平行に進む波を「平面波」といい、波を理解するための最も重要な性質です。
粒子性と波動性との関係は、アインシュタイン─ド・ブロイ関係式で表せます。 電子や陽子,中性子などの素粒子,さらにそれらより小さい基本粒子のレベルで
諸現象を統制する理論体系。このレベルの世界では粒子と波動の二重性が顕著であり,
たとえば水素原子において原子核である陽子のまわりを回る電子は,エネルギーの確定した
運動をするとき,一定の軌道を刻々に速度を変えながらたどっていくのではない。
こうした粒子としての描像に代えてこの場合の電子は原子核のまわりに広がって振動する波動として表現される。
だからといって電子が分解して空間に拡散してしまったわけではなく,
電子の位置を観測すれば電子は(かけらではなく,まるまる)1点に見いだされることになり,
ここに粒子性が現れるのである。また光は,波動のようにふるまって回折したり干渉したりもするが,
たとえば電子に衝突する場合には一定のエネルギーと運動量をもったかたまり(光子,フォトン)の姿で現れる。
原子が光をだす場合にも,光はじわじわとにじみ出るのではなくエネルギーのかたまりとして瞬間的に出るのである。
このように,電子や光子,陽子,中性子などはかりに粒子的な名で呼ばれてはいるが,
〈ときに波動の姿で現れ,ときに粒子の姿で立ち現れるあるもの〉とでもいうほかない。
量子力学は,粒子と波動のことばをつかいながら,その両側面に統一的な記述をあたえる。
統一のための橋渡しをするのが量子力学の確率解釈である。 量子力学的な粒子(たとえば原子の中の電子)の運動は波動で表現することができる。
波動というものは,水面におこる波のようすから想像されるように,空間に広がり刻々に
形を変えていくのが一般である。量子力学的な粒子について,その運動を表す波動の
一時刻tにおける形−−その瞬間にシャッターを押して撮った写真−−を,
その粒子の時刻tにおける〈状態〉とよぶ。粒子の状態とは,古典力学だったら,
その時刻tにおける粒子の位置と速度のことである。この二つが知れると以後の
時刻におこることがニュートンの運動方程式から完全に決まるからである。
同様に,量子力学においても,運動を表現する波動に対して,一時刻tにおける
その形から以後の移りゆきを完全に決める方程式があり,それを提出した
人の名をとってシュレーディンガーの波動方程式とよばれる。空間の各点に
おける波動の値(複素数)をあたえる関数は波動関数とよばれる。
波動方程式は波動関数に対する偏微分方程式である。 量子力学的な粒子の運動が波動で表されるといっても,粒子が粉々になって空間に拡散するわけではない。
前にも述べたとおり,一時刻tに粒子の位置を観測する実験をすれば1点に確定した結果が得られる。
ただ,それがどこになるかは,その時刻の状態(その時刻tにおける波動関数ψt)が知れていても
観測より前に予言することはできない。 予言できるのは,〈ここに粒子が見いだされる確率はこれだけ,あそこに見いだされる確率はこれだけ,……〉
ということのみであって,一般に空間の位置rに見いだされる確率はその点における波動関数の値ψt(r)の
2乗であたえられる 正確にいえば,点rの近傍の微小体積dvに粒子の見いだされる確率は|ψt(r)|2に体積dvをかけて得られるので,
|ψt(r)|2自身は粒子の存在確率密度とよばれている。
ただし,|ψt(r)|2dvを全空間にわたって寄せ集めた値は1になるようにしておくのである。 必要ならψtの大きさを全空間で一定の倍率で縮小または拡大するわけで,これを規格化という。
時刻tに観測が行われ,粒子が位置r=aに見いだされた上は,もう一度その直後に粒子の位置を
観測するとr=aとほとんど違わない結果になる。 これは初めの観測で,波動関数がr=a以外の場所では0であるような形に変えられたことを意味する。
観測による波動関数のこの変化を点aへの波束の収縮とよぶ。
それ以後,波動関数は点aからシュレーディンガーの波動方程式に従って広がっていくことになる。 シュレーディンガー方程式の解のなかには,波動が空間のあらゆる点で
いっせいに足並みそろえて振動するようなものがある。
これは,2点の間にピーンと張った弦の振動の場合なら固有振動に相当するもので,
量子力学の波動の場合にもその振動数は特定の一連の値(固有振動数)ν0,ν1,……に限られる。 こうしたψの固有振動は,それぞれ量子力学的粒子のエネルギー確定の運動を表し,
それをしている粒子は定常状態にあるといわれる。
定常状態のエネルギーはそれぞれの振動数にプランク定数hをかけたhν0,hν1,……であたえられ,
系のエネルギー準位とよばれる。 たとえば水素原子の電子のエネルギー準位は−13.6eV/n2と書ける(n=1,2,……)。
量子力学的な系のエネルギーのとりうる値はその系のエネルギー準位の値E0=hν0,E1=hν1,……に
限られ,多くの場合とびとびになる。 原子をはじめ量子力学的な系のだす光が多くの場合に線スペクトルをなすのはそのためである。
実際,系がエネルギーEnの定常状態からより低いEnの定常状態に遷移するときにでる光の振動数は,
エネルギー保存則からで決まり,nとn′に応じたとびとびの値になる。このとき定常状態で
固有振動する波動関数をψnと書けば,系が光をだす場合,その波動ψがある時刻に
急にψnから別のψnに変わるのではなく,ψは両者の重ね合せαnψn+αnψnで
時間の経過につれてαnが小さくなりαnが大きくなっていく。 こうした変化は考える系と放射の場との相互作用を考慮に入れて初めておこることで,
全系に対するシュレーディンガー方程式で決められる。
そして考える系が時刻tにまだ光をださず最初の状態にとどまっている確率が|αn|2であたえられ,
すでに光をだして下の状態に遷移している確率は|αn|2であたえられる。
こうして量子力学は光の放出という瞬間的な遷移(時間的に不連続な過程)を
確率を介して波動関数αnψn+αnψnの時間空間的に連続な変化に直して記述している。 観測量と固有関数のシュレーディンガー方程式は一般に,という形をしている(i2=−1,ħ=h/2π)。
Ĥは,たとえば水素原子の電子の場合でいえば,電子の質量をm,電荷を−e,真空の誘電率をε0として,
の形であり,電子の位置座標に相当するr=(x,y,z)の関数ψt=ψt(x,y,z)に作用して
これを別の関数に変える働きをもつ。 この種の働きをもつものを一般に演算子とよぶ。
そのもっとも単純なものは関数をxで微分する微分演算子∂/∂xである。
また上のĤの中に見える,は関数ψt(x,y,z)をV(x,y,z)ψt(x,y,z)に変える掛算演算子である。 シュレーディンガー方程式に現れるĤは
ハミルトニアン演算子とよばれるが,
上の例では2階の微分演算子と掛算演算子の和になっており,
一般に波動関数ψtを複雑なしかたで変えることが想像されよう。 シュレーディンガー方程式の解のうちでとくに定常状態にあたるものは,
という固有振動に特有の形をしており,unは,
Ĥun=Enun をみたす。 つまりunは,Ĥを作用させてもEn倍される以外に
関数形が変わらないという特別の性質をもっている。
どんな関数がこの性質をもつかは演算子Ĥによって違うが,
非常に限られた種類のものであることは確かなので,
それらを一括して演算子Ĥの固有関数とよぶ。 そしてĤを作用させたときの倍率Enを固有値とよぶ。
前項に述べたことと併せていえば,
量子力学的な系のエネルギーがとりうる値は,
この系のハミルトニアン演算子Ĥの固有値に限られる。 その系が時刻tに状態ψtにあるときエネルギーの観測をするものとすれば,
観測前に予言できることは,観測値はĤの
固有値E0,E1,……,En,……のどれかに限られ,
このうちのEnが得られる確率は|γn|2だということまでである。 ただしγnはψtを,ψt=γ0u0+γ1u1+……+γnun+……
のようにĤの固有関数で展開したときの展開係数であって,前項のαnとは,
γn=αnexp{−iEnt/ħ}の関係があり|γn|2=|αn|2である。 量子力学には,エネルギーに限らず他の力学量に関しても同様の構造がある。
すなわち粒子の位置,運動量,運動エネルギー,……といった力学量の
それぞれに特有の演算子が対応し,それぞれの観測値と観測値ごとの確率は
固有値と固有関数から上のようにして決められる。 粒子の位置座標には, x^=x・, ŷ=y・, ẑ=z・
という掛算演算子が対応し(x・はxを掛けることを表す),運動量には,
いう微分演算子が対応する。さきに記したエネルギーの演算子Ĥが,古典力学のエネルギーの式,
のpxをp^xで,……,xをx^で,……,おきかえれば得られるこ 量子力学において力学量に対応する演算子を構成するには,
その力学量の古典力学的な表式をとって位置座標と運動量を対応する演算子でおきかえればよい。
たとえば,粒子の角運動量Lの古典力学的な表式は,x成分でいえば,Lx=ypz−zpx
であるから,量子力学でこれに対応する演算子は,となる。 この種の構成において座標と運動量の演算子の非可換性(次節で述べる)か
ら問題がおこる場合があり,演算子の自己共役性を目標とする数学的考慮が必要となる。
そのため,古典力学的なすべての力学量が量子力学のなかに対応する演算子をもつとは限らない。
またスピンのように古典力学のなかに対応する量がないものもある。 量子力学において自己共役な演算子をもつ物理量をとくに観測量(オブザーバブル)とよぶ。
なお,物理量に対応すべき演算子に自己共役性を要求する物理的根拠は,この特性が次のことを
保証し観測の確率解釈を可能にするところにある。 その演算子の固有値がすべて実数になる,その演算子の固有関数が任意のψtを
展開できるだけ十分にたくさんある(完全系をつくる)こと。
正準交換関係
一般に二つの演算子の積はその順序によって働きが違う。
たとえば,位置座標と運動量の演算子の場合,となり,演算の結果に,
(p^xx^−x^p^x)ψ=−iħψ
だけの差がでる。 この式は,どんな関数ψに対してもつねに成り立つので,
p^xx^−x^p^xという演算子が−iħを掛ける掛算演算子と同等なことを示している。
一般にÂB^−B^Â≡[Â,B^]と書き,[Â,B^]が0ならÂとB^は可換,
0でないなら非可換であるという。位置座標と運動量の他の成分についても計算すると,
[p^x,x^]=−iħ,[p^x,ŷ]=0,……,
[p^x,p^y]=0,[x^,ŷ]=0,……
となり,位置座標と運動量との同じ成分どうしは非可換,他の組合せはすべて可換であることがわかる。
これを一括して正準交換関係とよぶ。 量子力学で位置座標と運動量に演算子を対応させるしかたは,
先に記したもの以外にもいろいろある。
この対応は正準交換関係をみたすものである限り
どれを用いても実験と比較できる量の計算結果には
差がでないことが証明される。
これは正準交換関係が量子力学にとって真に基本的な要素であることを示している。 ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学を柱とする古典物理学は,
天体の運動と地上の諸現象を解き明かし,一時は,残る課題は諸定数の
有効数字を増すことのみとさえいわれた。 X線の発見(W.C.レントゲン,1895)とその波動性の確認(M.vonラウエ,1912)も,
電子の粒子性の発見(J.J.トムソン,1897)も古典物理学によってなされたのだった。 L.ボルツマンの気体分子運動論が予言した気体の比熱は実験値より大きく,
分子が回転すべくして回転しないことを暗示していた。
P.K.L.ドルーデの金属電子論(1900)は,一定温度の下で金属の電気伝導率と熱伝導率の比が
金属の種類によらず一定になるというウィーデマン=フランツの法則を首尾よく説明したが,
金属の比熱の計算値は実験とけた外れに違ってしまった。 ラジウムの発見はエネルギーの保存をはじめとして
力学,熱力学を根底からゆるがした。放射能が原子の崩壊によることが明らかになった
Egon Ritter von Schweidlerは単位時間当りの崩壊数に見られるゆらぎから
これがまったく偶然に支配されていることを読みとった
これは古典物理学の土台をなす因果律,決定論の破綻を意味する。 古典物理学の限界をしるす作用量子hの発見(1900)は,しかし熱放射の研究から生まれた。
溶鉱炉のような高温の炉をみたす光はどの波長で強くどの波長で弱いか。
そのスペクトル分布が炉壁の温度のみにより材料によらないという普遍性をもつことは,
熱力学により証明されていた(キルヒホフ,1860)。 スペクトル分布の実測曲線は,気体分子運動論との類比から推測したウィーンの公式に短波長側でしかあわず,
これを統計力学のエネルギー等分配の法則から批判し光と音波の類比に頼って導いたレーリーの公式には
長波長側でしかあわなかった。M.プランクは両者を熱力学的考察により内挿し,
一つの定数の値を調節すれば実測曲線に正確に一致するという公式(プランクの放射則)を得た(1900)。
調節の結果,その定数は,
h=6.55×10⁻27erg・sと決定された。 この定数こそ今日プランク定数とよばれるものである(今日の値は6.58×10⁻27erg・s)。
彼は新しい放射公式の含意をさぐって,緊張の1週間の後,電気をもった調和振動子が放射を
吸ったり吐いたりしてこれと平衡し,振動子は温度Tの熱平衡状態にあるが,
ただし振動数νの振動子のエネルギーはhνの整数倍に限られるというモデルをさがし当てた。 振動子のエネルギーがhνの整数倍という不連続な値しかとらないことは,
古典物理学からは理解しにくい謎であったが,
プランクは荷電粒子による光の放出の機構に未知の部分があり,
それが明らかになればなぞも解けるだろうとする立場をとって,苦闘を続けた。 光量子プランクの公式の革命的な含意をくみとったのはアインシュタインであった。
1905年に彼は論文《光の発生と変換に関する一つの発見法的観点》を書き,
振動数νの光はhνというエネルギーの粒子(光量子)の流れであるとして(光量子仮説),
こう主張した。すなわち,これまで光はマクスウェルの方程式に従う電磁場の波動であるとされてきたが,
光学的観測では〈瞬間的な値ではなしに時間的平均値が問題にされてきた〉にすぎず,
波動像が回折,反射,屈折,分散の現象で完全に証明されているとしても
〈光の発生や変換に適用したら実験に矛盾することもありうる〉。 アインシュタインは,光の変換の例として光ルミネセンスと光電効果をあげ,
前者に対するストークスの法則と後者に対するレーナルトの法則が光量子の観点から
直截的に理解されることを示した。しかし,光電効果において金属板から飛び出してくる
電子のエネルギーの最大値をhν−Pとしたアインシュタインの公式(Pは電子が金属から脱出するのに使うエネルギー)が
実証されたのは16年であり,R.A.ミリカンによる。
また光が実際にエネルギーと運動量のかたまりとして電子と衝突することが
コンプトン効果により実証されるのは23年になってからである。 粒子と波動の二重性光量子はエネルギーの表式hνに振動数を含み,波動ぬきでは語れない。
アインシュタインは,プランクの放射式を用いて空洞内の小体積のエネルギーのゆらぎを計算し,
粒子の出入りで解釈される項と波動の干渉で解釈される項の和になることを示した(1909)。 同じ年にG.I.テーラーは,干渉計の中に同時には2個以上の光量子が存在しないくらい微弱な光でも
長い時間かければ干渉縞をつくることを実証した。
これは干渉を多数の光量子の相関によると見るアインシュタインの観点を否定するものであった。 力学現象の量子化電磁場が量子性を示すなら力学現象も示すはずだという考えから,
アインシュタインは1907年に,固体をつくっている分子の調和振動もhνおきの
離散的エネルギー値のみとりうるとして固体の比熱を計算した(アインシュタインの比熱式)。 固体の比熱は気体定数をRとして高温では1mol当り3Rだが(デュロン=プティの法則),
温度を下げると減少し絶対零度で0になるという彼の結論は,
彼の入手できたダイヤモンドなどの測定結果とよく一致した。 この理論には,熱力学の第3法則を発見して低温の熱現象の実験を精力的に
進めていたH.W.ネルンストが注目し,比熱の実測により強く支持したので,
ネルギー量子のアイデアが広く受け入れられるようになった。 量子化の規則の探究人々の関心は調和振動子に限らず一般の系の運動を量子的にする規則の探究にむかった。
1911年にプランクは1自由度力学系が位相空間に描く軌跡の囲む面積をhの整数倍とし,
13年にP.J.W.デバイも同調した。 この年にP.エーレンフェストは単位時間当りの回転数がνの
二次元回転子のエネルギーを,として量子化し(因子1/2はこの系が位置エネルギーを欠くのでつけた),を得た
(Iは回転子の慣性モーメント)。
これによって水素ガスの比熱が低温で分子の回転なしの値になること(A.T.オイケン,1912)を
説明したのである。16年にはプランクとP.シェラーが同様にして並進運動を量子化した。 原子の構造原子の力学的モデルをつくる試みは早くからあったが(長岡半太郎の土星模型,J.J.トムソンの陽球模型),
実験的基礎を得たのはE.ラザフォードによる原子核の発見(1911),
N.ボーアによる原子内電子数の決定(1913)のときである。 ボーアは質量と電気素量だけでは原子の大きさを導くのに不足であることを次元解析から知り,
原子構造論におけるプランク定数の役割を見抜いた。またマクスウェルの電磁気学によれば,
原子核のまわりを公転する電子は,その加速度のゆえに放射をだしエネルギーを失って
瞬時に核に墜落することから,電磁気学の原子内への適用をやめた。 彼は,原子内の電子に対し次の仮定をおく。電子は定常状態とよぶ特別の運動のみをし,
その状態では加速度があるにもかかわらず放射をしない。
電子はエネルギーEnの定常状態から,より低いEnのそれに遷移することがあり,
そのとき,で決まる振動数νの光を放出する。 電子の運動はニュートンの運動方程式に従うが,しかし初期条件に応じて運動はさまざまになるという
古典力学の特徴は失われ,量子条件をみたす運動だけが定常状態として実現する。 ボーアは,電子が核を中心として円運動するものとして,
運動方程式から単位時間当りの公転数νとエネルギーEの間に
関係があることを導き,定常状態のE=En,ν=νnは量子条件で
選ばれるものとしてを得た。 振動数条件から得られる光の振動数,が水素原子のスペクトルとして知られていた
バルマー系列(n′=2),パッシェン系列(n′=3)を正しく再現することを示したのである。
このボーアの三部作《原子と分子の構成について》は,さらに多電子原子の安定性や分子の
結合エネルギーなどを論じている。 翌1914年にはJ.フランクとG.ヘルツが電子で原子をたたき,
電子のエネルギー損失がちょうど原子の定常状態間のエネルギー差に相当する
離散的な値になることを実証した(フランク=ヘルツの実験)。
これはエネルギーの離散的な定常状態が光との相互作用に局限されない
実在性をもつことを示すものであった。 15年にはA.ゾンマーフェルトが量子条件を多重周期の運動に一般化し,
水素原子の定常状態をすべて決定した。ここで原子の角運動量が
離散的な方向のみをとること(方向量子化)が見いだされ,
一方では座標軸は任意の方向に設定できるので,
理論はパラドックスに逢着したことになる。
→原子 →原子スペクトル 遷移確率アインシュタインは原子における一つの定常状態から
別の定常状態への電子の遷移は確率的におこるとし,
その確率を電子に当たる光の強度に比例する部分(誘導遷移)と
光なしでも残る部分(自発遷移)に分けた(1916-17)。 ここで,古典統計力学で用いられてきた人間の無知の表現としての確率でなく,
内在的な確率が物理学に導入された。その予兆をシュワイドラーが
放射性崩壊に見いだしていたことは前に述べた。 遷移確率アインシュタインは原子における一つの定常状態から
別の定常状態への電子の遷移は確率的におこるとし,
その確率を電子に当たる光の強度に比例する部分(誘導遷移)と
光なしでも残る部分(自発遷移)に分けた(1916-17)。 古典統計力学で用いられてきた人間の無知の表現としての確率でなく,
内在的な確率が物理学に導入された。その予兆をシュワイドラーが
放射性崩壊に見いだしていたことは前に述べた。 対応原理ボーア=ゾンマーフェルトの理論は,原子の出す光について,
その振動数は正しくあたえたが,しかし強度も偏りもあたえることができなかった。 ボーアは,たとえば水素原子の場合,電子の軌道が量子数nの増大とともに大きくなり,
巨視的となることに注目し,n′=n−τとnの大きい軌道間の遷移で出る
光の振動数,が,古典電磁気学のあたえる振動数,に漸近することを確かめた。 原子サイズの現象を支配する法則の未知の部分も,
サイズを大きくした極限で古典的法則につながることを期待させる。
ボーアは,これを対応原理とよんで巧妙な推理によって逆向きにつかい,
原子が出す光の強度や偏りの公式を,対応する古典的な公式から導き出した。 原子のなかでの電子の定常状態は量子数nで決まる。
単位時間当りの公転数もnで決まるνnで,
古典的にはこの電子が出す光の振動数はその整数倍のτνnになるが,
これは実際にはn→∞で漸近的に正しいだけで(対応原理),
原子が出す光の振動数はのように二つの整数n,n′で決まる。 強度も偏りも同様である。W.ハイゼンベルクは,
古典的な量を二つの添字をもつ量の集り{Ann}で
おきかえるという方針で,対応原理を推し進め,
《運動学的および力学的関係の量子論的解釈変更について》
と題する論文(1925)を書いた。 ここでは電子の座標も二つの添字をもつ複素数となり,
その絶対値の2乗によって光の強度をあたえるという役はするが,
もはや軌道運動は記述しない。 ハイゼンベルクは〈電子の位置や公転時間のような量を観測するという希望をまったくあきらめ,
……観測できる量のみが現れるような力学をつくる〉という立場をとった。 彼の見いだした算法は行列算にほかならぬことがわかり,
彼の着想はM.ボルンとP.ヨルダンの協力によりマトリックス力学(行列力学)に
仕上げられた。 マトリックス力学は,水素原子のスペクトルを正しくあたえることが
1926年にW.パウリとP.A.M.ディラックとによって証明されたとき,
一般に受けいれられた。 物質波1924年,ド・ブロイは光における波動と粒子の二重性を
電子にまで及ぼすことを考え,電子は体内振動をもつ粒子だとして
ボーアの量子条件に解釈をあたえた。
この考えは,結局,エネルギーEと運動量pをもつ電子に
振動数ν=E/hと波長λ=h/pの波動を付随させることに落ちつき,
この波動は物質波ないしド・ブロイ波とよばれることになった。 物質波1924年,ド・ブロイは光における波動と粒子の二重性を
電子にまで及ぼすことを考え,電子は体内振動をもつ粒子だとして
ボーアの量子条件に解釈をあたえた。
この考えは,結局,エネルギーEと運動量pをもつ電子に
振動数ν=E/hと波長λ=h/pの波動を付随させることに落ちつき,
この波動は物質波ないしド・ブロイ波とよばれることになった。 波動力学ド・ブロイは物質波の位相しか問題にしなかった。
波動を扱うなら波動方程式をというP.デバイの示唆にこたえて,
1926年にE.シュレーディンガーが波動力学をつくった。
ここでは電子の定常状態は波の固有振動の形をとるので,
彼の四部作は《固有値問題としての量子化》と題されている。 彼は,水素原子の問題を解き,それに電場をかけたときにおこる
スペクトル線のずれ(シュタルク効果)が古典量子論より
よく説明されることを示すなど多くの成果をあげた。 シュレーディンガーは,マトリックス力学が運動の時間的,空間的に
連続な記述を断念したことに物理学の武装解除だとして反発し,
量子飛躍を波動ψの連続的変化でおきかえようとしたのである。 電子のような粒子も,実は空間の小さな領域にかたまって
その外では0であるような波動(すなわち波束)であるという
波動一元論を主張したが,そのような波束は一瞬のうちに
拡散してしまい粒子とはみなせなくなるというローレンツの批判に屈した。 それと同じ26年にボルンが波動関数の確率解釈を提出し,
これによればシュレーディンガーの方程式からラザフォードの
散乱公式が自然に導かれることを示した。 こうした成功の反面,たとえばウィルソンの霧箱の中での電子の運動が
ニュートンの力学で正しく記述される事実との関係が問題になった。 27年にハイゼンベルクは不確定性関係を発見して
古典力学的記述の適用限界を明らかにし,エーレンフェストは波束ψt(r)の
中心の運動が〈それのおかれた力の場の|ψt(r)|2を重みとする
平均に等しい力がおこすニュートン力学的運動〉に一致することを証明した。
→不確定性原理 量子力学の成立1926年,波動力学とマトリックス力学の同等性を
シュレーディンガーが示唆した。
どちらも同一の構造の異なる表現形式と見るべきもので,
それらのほかにも表現形式は無数にあって相互に変換できる。 このことをディラックやヨルダンの変換理論が明示したとき
量子力学が成立した。ボルンの確率解釈も粒子の位置以外の
一般の物理量に拡張されたが,さらに後の観測の理論により
補強されねばならなかった。 方向量子化のパラドックスはここで解決したのである。
量子力学の数学的基礎は,フォン・ノイマンが大枠を描いたが,
実質を盛る仕事は原子・分子系のハミルトニアンが
自己共役であることを示した加藤敏夫の研究(1955)に始まる。 量子力学の展開重要な発展の一つは2個以上の粒子を含む系の扱いであり,
ここには古典量子論がついに扱いえなかったヘリウム原子の問題が含まれる。 1926年から27年にかけてハイゼンベルクとディラックは独立に,
粒子の座標の交換に関してフェルミ粒子系の波動関数は
反対称(ψ(r1,r2)=−ψ(r2,r1)),
ボース粒子系では対称(ψ(r1,r2)=+ψ(r2,r1))と
なるべきことを導いた。 パウリの原理の量子力学的表現であるが,
これらの深い意味をパウリが
明らかにするのは40年になってからで,
それには相対論的な場の理論の発展が必要であった。 量子力学は誕生してから2年たらずで基礎が整い,
原子と分子の構造から固体電子論へと華々しい成功の道を進む。
原子核への応用は,1928年にG.ガモフがα崩壊をトンネル効果として
説明したのが最初であるが,β崩壊の解釈でなぞに出会い核の内部は
量子力学の適用限界外かと疑われもした(1931)。 28年にディラックは電子の波動方程式を相対論の要請にあう形に改め
電子のスピンの自然な説明を得たが,負のエネルギーをもつ解があって,
その状態に電子が落ちこむという問題に出会うことになった。
そして,これらの困難を解決する努力の中から,
素粒子論生まれ,場の量子論へと発展することになる。 原子、分子や光などの現象を理解するため、
ニュートンの運動法則やマクスウェルの
電磁法則などの古典論にかわる
新しい運動法則がみいだされ、
一つの力学の体系となった。
これが量子力学である。 量子力学では古典論と比べて運動状態や物理量の扱い方がまったく異なっている。
量子力学における運動状態を量子的状態という。
その結果、われわれが日常経験して疑いえないと思われてきた考え方の多くが、
原子などの領域でそのままでは成り立たないことが明らかになってきた。 微視的という用語は、一般に古典力学あるいは量子力学に従って運動する
粒子の集団の状態を個々の粒子の状態にまで立ち入って論ずる場合に用いられるが、
この場合、原子、分子や素粒子などの現象が量子力学的に進行することを強調して用いることが多い。 微視的に対して巨視的という用語は、個々の粒子の運動に立ち入らず
これら莫大(ばくだい)な数の粒子の集団全体の物理的特徴に注目するとき用いる。
この場合、粒子集団の運動は古典的となる。また、量子力学的運動を強調して
微視的という用語を用いることが多い。これらの事情のため巨視的という用語は
古典論的という意味合いをもっている。微視的をミクロスコピック、
巨視的をマクロスコピックという。 量子力学的法則の認識は1900年のプランクの放射公式に始まるといってよい。
この法則の意味をアインシュタインが分析し、この公式が光に波動性と粒子性の
二つを同時に付与したことになっていることを示すとともに、光のエネルギー量子、
すなわち光量子仮説を提唱した。1913年ボーアは、古典力学を用いて得られる
水素原子の電子軌道のうち現実に軌道として可能なものを選択する条件すなわち
量子条件と、光放出の新しいメカニズムを導入した。 ハイゼンベルクは1925年ボーアの理論を出発点としてこれを新しい力学につくりかえ、
ここに量子力学が誕生した。これとは別に1923年ド・ブローイは電子もまた波動性を
もつべきことを予見した。これを一般化して1926年シュレーディンガーが任意の
ポテンシャルの作用を受けた粒子の波動方程式をみいだした。 やがてこの方程式がハイゼンベルクの提起した運動方程式と
同等であることが示されて、量子力学の基礎が確立した。
その後今日まで、原子の安定性、原子的見方に基づく物質の性質、
原子核、素粒子および宇宙線の現象が量子力学に基づいて研究されてきた。 一方、電磁場や中間子場などの場を対象とする量子場、すなわち場の量子論が展開されたが、
光の放出・吸収など場に関するさまざまな方程式の解に発散が生ずるなどの困難な問題が現れた。
このため量子力学を超える次の理論の試みもしばしば提起された。
しかしながら、量子力学の適用の限界を端的に示す事実は現在みいだされていない。 水素原子内電子(以下、電子という)は中心の陽子からe2/r2
(eは単位電荷、rは電子と陽子間の距離)の引力の作用を受け、
その結果−e2/rのポテンシャルエネルギーをもつ。 運動エネルギーはp2/2m=(px2+py2+pz2)/2m
(mは電子の質量、pxなどはxなどの方向の電子の運動量)であるから、
その全エネルギーはp2/2m−e2/rとなる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています