等身大ぬいぐるみ ラブドール 6
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この式は,どんな関数ψに対してもつねに成り立つので,
p^xx^−x^p^xという演算子が−iħを掛ける掛算演算子と同等なことを示している。
一般にÂB^−B^Â≡[Â,B^]と書き,[Â,B^]が0ならÂとB^は可換,
0でないなら非可換であるという。位置座標と運動量の他の成分についても計算すると,
[p^x,x^]=−iħ,[p^x,ŷ]=0,……,
[p^x,p^y]=0,[x^,ŷ]=0,……
となり,位置座標と運動量との同じ成分どうしは非可換,他の組合せはすべて可換であることがわかる。
これを一括して正準交換関係とよぶ。 量子力学で位置座標と運動量に演算子を対応させるしかたは,
先に記したもの以外にもいろいろある。
この対応は正準交換関係をみたすものである限り
どれを用いても実験と比較できる量の計算結果には
差がでないことが証明される。
これは正準交換関係が量子力学にとって真に基本的な要素であることを示している。 ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学を柱とする古典物理学は,
天体の運動と地上の諸現象を解き明かし,一時は,残る課題は諸定数の
有効数字を増すことのみとさえいわれた。 X線の発見(W.C.レントゲン,1895)とその波動性の確認(M.vonラウエ,1912)も,
電子の粒子性の発見(J.J.トムソン,1897)も古典物理学によってなされたのだった。 L.ボルツマンの気体分子運動論が予言した気体の比熱は実験値より大きく,
分子が回転すべくして回転しないことを暗示していた。
P.K.L.ドルーデの金属電子論(1900)は,一定温度の下で金属の電気伝導率と熱伝導率の比が
金属の種類によらず一定になるというウィーデマン=フランツの法則を首尾よく説明したが,
金属の比熱の計算値は実験とけた外れに違ってしまった。 ラジウムの発見はエネルギーの保存をはじめとして
力学,熱力学を根底からゆるがした。放射能が原子の崩壊によることが明らかになった
Egon Ritter von Schweidlerは単位時間当りの崩壊数に見られるゆらぎから
これがまったく偶然に支配されていることを読みとった
これは古典物理学の土台をなす因果律,決定論の破綻を意味する。 古典物理学の限界をしるす作用量子hの発見(1900)は,しかし熱放射の研究から生まれた。
溶鉱炉のような高温の炉をみたす光はどの波長で強くどの波長で弱いか。
そのスペクトル分布が炉壁の温度のみにより材料によらないという普遍性をもつことは,
熱力学により証明されていた(キルヒホフ,1860)。 スペクトル分布の実測曲線は,気体分子運動論との類比から推測したウィーンの公式に短波長側でしかあわず,
これを統計力学のエネルギー等分配の法則から批判し光と音波の類比に頼って導いたレーリーの公式には
長波長側でしかあわなかった。M.プランクは両者を熱力学的考察により内挿し,
一つの定数の値を調節すれば実測曲線に正確に一致するという公式(プランクの放射則)を得た(1900)。
調節の結果,その定数は,
h=6.55×10⁻27erg・sと決定された。 この定数こそ今日プランク定数とよばれるものである(今日の値は6.58×10⁻27erg・s)。
彼は新しい放射公式の含意をさぐって,緊張の1週間の後,電気をもった調和振動子が放射を
吸ったり吐いたりしてこれと平衡し,振動子は温度Tの熱平衡状態にあるが,
ただし振動数νの振動子のエネルギーはhνの整数倍に限られるというモデルをさがし当てた。 振動子のエネルギーがhνの整数倍という不連続な値しかとらないことは,
古典物理学からは理解しにくい謎であったが,
プランクは荷電粒子による光の放出の機構に未知の部分があり,
それが明らかになればなぞも解けるだろうとする立場をとって,苦闘を続けた。 光量子プランクの公式の革命的な含意をくみとったのはアインシュタインであった。
1905年に彼は論文《光の発生と変換に関する一つの発見法的観点》を書き,
振動数νの光はhνというエネルギーの粒子(光量子)の流れであるとして(光量子仮説),
こう主張した。すなわち,これまで光はマクスウェルの方程式に従う電磁場の波動であるとされてきたが,
光学的観測では〈瞬間的な値ではなしに時間的平均値が問題にされてきた〉にすぎず,
波動像が回折,反射,屈折,分散の現象で完全に証明されているとしても
〈光の発生や変換に適用したら実験に矛盾することもありうる〉。 アインシュタインは,光の変換の例として光ルミネセンスと光電効果をあげ,
前者に対するストークスの法則と後者に対するレーナルトの法則が光量子の観点から
直截的に理解されることを示した。しかし,光電効果において金属板から飛び出してくる
電子のエネルギーの最大値をhν−Pとしたアインシュタインの公式(Pは電子が金属から脱出するのに使うエネルギー)が
実証されたのは16年であり,R.A.ミリカンによる。
また光が実際にエネルギーと運動量のかたまりとして電子と衝突することが
コンプトン効果により実証されるのは23年になってからである。 粒子と波動の二重性光量子はエネルギーの表式hνに振動数を含み,波動ぬきでは語れない。
アインシュタインは,プランクの放射式を用いて空洞内の小体積のエネルギーのゆらぎを計算し,
粒子の出入りで解釈される項と波動の干渉で解釈される項の和になることを示した(1909)。 同じ年にG.I.テーラーは,干渉計の中に同時には2個以上の光量子が存在しないくらい微弱な光でも
長い時間かければ干渉縞をつくることを実証した。
これは干渉を多数の光量子の相関によると見るアインシュタインの観点を否定するものであった。 力学現象の量子化電磁場が量子性を示すなら力学現象も示すはずだという考えから,
アインシュタインは1907年に,固体をつくっている分子の調和振動もhνおきの
離散的エネルギー値のみとりうるとして固体の比熱を計算した(アインシュタインの比熱式)。 固体の比熱は気体定数をRとして高温では1mol当り3Rだが(デュロン=プティの法則),
温度を下げると減少し絶対零度で0になるという彼の結論は,
彼の入手できたダイヤモンドなどの測定結果とよく一致した。 この理論には,熱力学の第3法則を発見して低温の熱現象の実験を精力的に
進めていたH.W.ネルンストが注目し,比熱の実測により強く支持したので,
ネルギー量子のアイデアが広く受け入れられるようになった。 量子化の規則の探究人々の関心は調和振動子に限らず一般の系の運動を量子的にする規則の探究にむかった。
1911年にプランクは1自由度力学系が位相空間に描く軌跡の囲む面積をhの整数倍とし,
13年にP.J.W.デバイも同調した。 この年にP.エーレンフェストは単位時間当りの回転数がνの
二次元回転子のエネルギーを,として量子化し(因子1/2はこの系が位置エネルギーを欠くのでつけた),を得た
(Iは回転子の慣性モーメント)。
これによって水素ガスの比熱が低温で分子の回転なしの値になること(A.T.オイケン,1912)を
説明したのである。16年にはプランクとP.シェラーが同様にして並進運動を量子化した。 原子の構造原子の力学的モデルをつくる試みは早くからあったが(長岡半太郎の土星模型,J.J.トムソンの陽球模型),
実験的基礎を得たのはE.ラザフォードによる原子核の発見(1911),
N.ボーアによる原子内電子数の決定(1913)のときである。 ボーアは質量と電気素量だけでは原子の大きさを導くのに不足であることを次元解析から知り,
原子構造論におけるプランク定数の役割を見抜いた。またマクスウェルの電磁気学によれば,
原子核のまわりを公転する電子は,その加速度のゆえに放射をだしエネルギーを失って
瞬時に核に墜落することから,電磁気学の原子内への適用をやめた。 彼は,原子内の電子に対し次の仮定をおく。電子は定常状態とよぶ特別の運動のみをし,
その状態では加速度があるにもかかわらず放射をしない。
電子はエネルギーEnの定常状態から,より低いEnのそれに遷移することがあり,
そのとき,で決まる振動数νの光を放出する。 電子の運動はニュートンの運動方程式に従うが,しかし初期条件に応じて運動はさまざまになるという
古典力学の特徴は失われ,量子条件をみたす運動だけが定常状態として実現する。 ボーアは,電子が核を中心として円運動するものとして,
運動方程式から単位時間当りの公転数νとエネルギーEの間に
関係があることを導き,定常状態のE=En,ν=νnは量子条件で
選ばれるものとしてを得た。 振動数条件から得られる光の振動数,が水素原子のスペクトルとして知られていた
バルマー系列(n′=2),パッシェン系列(n′=3)を正しく再現することを示したのである。
このボーアの三部作《原子と分子の構成について》は,さらに多電子原子の安定性や分子の
結合エネルギーなどを論じている。 翌1914年にはJ.フランクとG.ヘルツが電子で原子をたたき,
電子のエネルギー損失がちょうど原子の定常状態間のエネルギー差に相当する
離散的な値になることを実証した(フランク=ヘルツの実験)。
これはエネルギーの離散的な定常状態が光との相互作用に局限されない
実在性をもつことを示すものであった。 15年にはA.ゾンマーフェルトが量子条件を多重周期の運動に一般化し,
水素原子の定常状態をすべて決定した。ここで原子の角運動量が
離散的な方向のみをとること(方向量子化)が見いだされ,
一方では座標軸は任意の方向に設定できるので,
理論はパラドックスに逢着したことになる。
→原子 →原子スペクトル 遷移確率アインシュタインは原子における一つの定常状態から
別の定常状態への電子の遷移は確率的におこるとし,
その確率を電子に当たる光の強度に比例する部分(誘導遷移)と
光なしでも残る部分(自発遷移)に分けた(1916-17)。 ここで,古典統計力学で用いられてきた人間の無知の表現としての確率でなく,
内在的な確率が物理学に導入された。その予兆をシュワイドラーが
放射性崩壊に見いだしていたことは前に述べた。 遷移確率アインシュタインは原子における一つの定常状態から
別の定常状態への電子の遷移は確率的におこるとし,
その確率を電子に当たる光の強度に比例する部分(誘導遷移)と
光なしでも残る部分(自発遷移)に分けた(1916-17)。 古典統計力学で用いられてきた人間の無知の表現としての確率でなく,
内在的な確率が物理学に導入された。その予兆をシュワイドラーが
放射性崩壊に見いだしていたことは前に述べた。 対応原理ボーア=ゾンマーフェルトの理論は,原子の出す光について,
その振動数は正しくあたえたが,しかし強度も偏りもあたえることができなかった。 ボーアは,たとえば水素原子の場合,電子の軌道が量子数nの増大とともに大きくなり,
巨視的となることに注目し,n′=n−τとnの大きい軌道間の遷移で出る
光の振動数,が,古典電磁気学のあたえる振動数,に漸近することを確かめた。 原子サイズの現象を支配する法則の未知の部分も,
サイズを大きくした極限で古典的法則につながることを期待させる。
ボーアは,これを対応原理とよんで巧妙な推理によって逆向きにつかい,
原子が出す光の強度や偏りの公式を,対応する古典的な公式から導き出した。 原子のなかでの電子の定常状態は量子数nで決まる。
単位時間当りの公転数もnで決まるνnで,
古典的にはこの電子が出す光の振動数はその整数倍のτνnになるが,
これは実際にはn→∞で漸近的に正しいだけで(対応原理),
原子が出す光の振動数はのように二つの整数n,n′で決まる。 強度も偏りも同様である。W.ハイゼンベルクは,
古典的な量を二つの添字をもつ量の集り{Ann}で
おきかえるという方針で,対応原理を推し進め,
《運動学的および力学的関係の量子論的解釈変更について》
と題する論文(1925)を書いた。 ここでは電子の座標も二つの添字をもつ複素数となり,
その絶対値の2乗によって光の強度をあたえるという役はするが,
もはや軌道運動は記述しない。 ハイゼンベルクは〈電子の位置や公転時間のような量を観測するという希望をまったくあきらめ,
……観測できる量のみが現れるような力学をつくる〉という立場をとった。 彼の見いだした算法は行列算にほかならぬことがわかり,
彼の着想はM.ボルンとP.ヨルダンの協力によりマトリックス力学(行列力学)に
仕上げられた。 マトリックス力学は,水素原子のスペクトルを正しくあたえることが
1926年にW.パウリとP.A.M.ディラックとによって証明されたとき,
一般に受けいれられた。 物質波1924年,ド・ブロイは光における波動と粒子の二重性を
電子にまで及ぼすことを考え,電子は体内振動をもつ粒子だとして
ボーアの量子条件に解釈をあたえた。
この考えは,結局,エネルギーEと運動量pをもつ電子に
振動数ν=E/hと波長λ=h/pの波動を付随させることに落ちつき,
この波動は物質波ないしド・ブロイ波とよばれることになった。 物質波1924年,ド・ブロイは光における波動と粒子の二重性を
電子にまで及ぼすことを考え,電子は体内振動をもつ粒子だとして
ボーアの量子条件に解釈をあたえた。
この考えは,結局,エネルギーEと運動量pをもつ電子に
振動数ν=E/hと波長λ=h/pの波動を付随させることに落ちつき,
この波動は物質波ないしド・ブロイ波とよばれることになった。 波動力学ド・ブロイは物質波の位相しか問題にしなかった。
波動を扱うなら波動方程式をというP.デバイの示唆にこたえて,
1926年にE.シュレーディンガーが波動力学をつくった。
ここでは電子の定常状態は波の固有振動の形をとるので,
彼の四部作は《固有値問題としての量子化》と題されている。 彼は,水素原子の問題を解き,それに電場をかけたときにおこる
スペクトル線のずれ(シュタルク効果)が古典量子論より
よく説明されることを示すなど多くの成果をあげた。 シュレーディンガーは,マトリックス力学が運動の時間的,空間的に
連続な記述を断念したことに物理学の武装解除だとして反発し,
量子飛躍を波動ψの連続的変化でおきかえようとしたのである。 電子のような粒子も,実は空間の小さな領域にかたまって
その外では0であるような波動(すなわち波束)であるという
波動一元論を主張したが,そのような波束は一瞬のうちに
拡散してしまい粒子とはみなせなくなるというローレンツの批判に屈した。 それと同じ26年にボルンが波動関数の確率解釈を提出し,
これによればシュレーディンガーの方程式からラザフォードの
散乱公式が自然に導かれることを示した。 こうした成功の反面,たとえばウィルソンの霧箱の中での電子の運動が
ニュートンの力学で正しく記述される事実との関係が問題になった。 27年にハイゼンベルクは不確定性関係を発見して
古典力学的記述の適用限界を明らかにし,エーレンフェストは波束ψt(r)の
中心の運動が〈それのおかれた力の場の|ψt(r)|2を重みとする
平均に等しい力がおこすニュートン力学的運動〉に一致することを証明した。
→不確定性原理 量子力学の成立1926年,波動力学とマトリックス力学の同等性を
シュレーディンガーが示唆した。
どちらも同一の構造の異なる表現形式と見るべきもので,
それらのほかにも表現形式は無数にあって相互に変換できる。 このことをディラックやヨルダンの変換理論が明示したとき
量子力学が成立した。ボルンの確率解釈も粒子の位置以外の
一般の物理量に拡張されたが,さらに後の観測の理論により
補強されねばならなかった。 方向量子化のパラドックスはここで解決したのである。
量子力学の数学的基礎は,フォン・ノイマンが大枠を描いたが,
実質を盛る仕事は原子・分子系のハミルトニアンが
自己共役であることを示した加藤敏夫の研究(1955)に始まる。 量子力学の展開重要な発展の一つは2個以上の粒子を含む系の扱いであり,
ここには古典量子論がついに扱いえなかったヘリウム原子の問題が含まれる。 1926年から27年にかけてハイゼンベルクとディラックは独立に,
粒子の座標の交換に関してフェルミ粒子系の波動関数は
反対称(ψ(r1,r2)=−ψ(r2,r1)),
ボース粒子系では対称(ψ(r1,r2)=+ψ(r2,r1))と
なるべきことを導いた。 パウリの原理の量子力学的表現であるが,
これらの深い意味をパウリが
明らかにするのは40年になってからで,
それには相対論的な場の理論の発展が必要であった。 量子力学は誕生してから2年たらずで基礎が整い,
原子と分子の構造から固体電子論へと華々しい成功の道を進む。
原子核への応用は,1928年にG.ガモフがα崩壊をトンネル効果として
説明したのが最初であるが,β崩壊の解釈でなぞに出会い核の内部は
量子力学の適用限界外かと疑われもした(1931)。 28年にディラックは電子の波動方程式を相対論の要請にあう形に改め
電子のスピンの自然な説明を得たが,負のエネルギーをもつ解があって,
その状態に電子が落ちこむという問題に出会うことになった。
そして,これらの困難を解決する努力の中から,
素粒子論生まれ,場の量子論へと発展することになる。 原子、分子や光などの現象を理解するため、
ニュートンの運動法則やマクスウェルの
電磁法則などの古典論にかわる
新しい運動法則がみいだされ、
一つの力学の体系となった。
これが量子力学である。 量子力学では古典論と比べて運動状態や物理量の扱い方がまったく異なっている。
量子力学における運動状態を量子的状態という。
その結果、われわれが日常経験して疑いえないと思われてきた考え方の多くが、
原子などの領域でそのままでは成り立たないことが明らかになってきた。 微視的という用語は、一般に古典力学あるいは量子力学に従って運動する
粒子の集団の状態を個々の粒子の状態にまで立ち入って論ずる場合に用いられるが、
この場合、原子、分子や素粒子などの現象が量子力学的に進行することを強調して用いることが多い。 微視的に対して巨視的という用語は、個々の粒子の運動に立ち入らず
これら莫大(ばくだい)な数の粒子の集団全体の物理的特徴に注目するとき用いる。
この場合、粒子集団の運動は古典的となる。また、量子力学的運動を強調して
微視的という用語を用いることが多い。これらの事情のため巨視的という用語は
古典論的という意味合いをもっている。微視的をミクロスコピック、
巨視的をマクロスコピックという。 量子力学的法則の認識は1900年のプランクの放射公式に始まるといってよい。
この法則の意味をアインシュタインが分析し、この公式が光に波動性と粒子性の
二つを同時に付与したことになっていることを示すとともに、光のエネルギー量子、
すなわち光量子仮説を提唱した。1913年ボーアは、古典力学を用いて得られる
水素原子の電子軌道のうち現実に軌道として可能なものを選択する条件すなわち
量子条件と、光放出の新しいメカニズムを導入した。 ハイゼンベルクは1925年ボーアの理論を出発点としてこれを新しい力学につくりかえ、
ここに量子力学が誕生した。これとは別に1923年ド・ブローイは電子もまた波動性を
もつべきことを予見した。これを一般化して1926年シュレーディンガーが任意の
ポテンシャルの作用を受けた粒子の波動方程式をみいだした。 やがてこの方程式がハイゼンベルクの提起した運動方程式と
同等であることが示されて、量子力学の基礎が確立した。
その後今日まで、原子の安定性、原子的見方に基づく物質の性質、
原子核、素粒子および宇宙線の現象が量子力学に基づいて研究されてきた。 一方、電磁場や中間子場などの場を対象とする量子場、すなわち場の量子論が展開されたが、
光の放出・吸収など場に関するさまざまな方程式の解に発散が生ずるなどの困難な問題が現れた。
このため量子力学を超える次の理論の試みもしばしば提起された。
しかしながら、量子力学の適用の限界を端的に示す事実は現在みいだされていない。 水素原子内電子(以下、電子という)は中心の陽子からe2/r2
(eは単位電荷、rは電子と陽子間の距離)の引力の作用を受け、
その結果−e2/rのポテンシャルエネルギーをもつ。 運動エネルギーはp2/2m=(px2+py2+pz2)/2m
(mは電子の質量、pxなどはxなどの方向の電子の運動量)であるから、
その全エネルギーはp2/2m−e2/rとなる。 量子力学ではすべての物理量にそれぞれ演算子が対応している。
x方向の運動量の演算子は、−iħ(∂/∂x)(ħはプランク定数hの2π分の1)であって、
この結果電子のエネルギーの演算子Hはとなる。 ある定まったエネルギーをもつ電子の量子的状態はH∅(x,y,z)=E∅(x,y,z)という
偏微分方程式の解で表される。これがシュレーディンガーの波動方程式である。
関数∅を状態関数または波動関数という。この方程式は電子のエネルギーが
一定であるという古典力学の関係に対応している。 この偏微分方程式を解く場合、状態関数にさまざまな条件を与える。
これらの条件は、電子が遠方にまで広がっていないなどの物理的条件に対応するもので、
この結果シュレーディンガー方程式の解は常数の位相因子を除いて一義的に決まるが、
E<0の解が存在するのはある特定のEの値の場合のみとなる。 数学的にいえば、先のシュレーディンガー方程式はエネルギー演算子Hの固有方程式で、
関数∅は固有関数、Eは固有値である。∅で表された状態はHの固有状態である。
こうして求めた水素原子のエネルギー値を示す。 同じように量子力学の角運動量は古典力学の角運動量x=ypz−zpyなどの
運動量pxなどを微分演算子−iħ(∂/∂x)などで置き換えて得られる こうして得られた演算子xなどの2乗の和2は角運動量という物理量の大きさの2乗の演算子である。 したがって水素原子の場合に限らず角運動量の大きさλの2乗とその状態関数∅は
固有値方程式2∅=λ2∅から決まる。
∅は特定の角運動量の大きさλをもつ量子的状態を表す。 粒子はつねに定まった角運動量を有しているとは限らない。
水素原子の場合、電子は定まったエネルギーをもつとともに
定まった角運動量を有している。このことが可能であるのは、
エネルギー演算子Hと角運動量の大きさの2乗の演算子との間に
交換可能という特別の関係H=Hが成り立つからで、
この関係を可換という。2個の演算子A、Bが共通の固有関数χ
すなわちAχ=aχ,Bχ=bχをもつための必要十分な条件は
AとBとが可換なことである。 水素原子内の電子は定まった運動量を有する状態
すなわち運動量の固有状態ではない。
実際、電子の運動量の演算子−iħ(∂/∂x)などは
先ほどのエネルギー演算子Hと交換可能ではない。 それではこの場合、電子の運動量はどうなっているのであろうか。
運動量の固有関数は−iħ(∂/∂x)∅=px'∅などを満たす。
ここでpx'はx方向の運動量の固有値である。
この微分方程式は容易に解くことができ、
固有関数は波長2πħ/px'の平面波∅px'を表す関数となる。
ところで、エネルギーEをもつ電子の状態関数を、
運動量の固有関数の重ね合わせで表すことができる。
重ね合わせの係数すなわち重みをa(p)とすれば
積分の代わりにΣで表している。 このとき電子は運動量pを|a(p)|2の確率で有している。
同様に、状態関数(x,y,z)は電子が点(x,y,z)にある状態関数
すなわち位置の固有状態の重ね合わせの係数とも考えられるので、
電子は点(x,y,z)に|(x,y,z)|2の確率で存在することになる。 状態関数1・2を重ね合わせた=c11+c22も
また量子的状態を表す状態関数である。
量子的状態はχの物理的性質を割合で有している。物理量は演算子の形をとる。
この物理量をオブザーバブルという。オブザーバブルは古典論の物理量の
運動量pxなどを−iħ(∂/∂x)などで置き換えて得られる。
物理量のとる値はオブザーバブルの固有値のみである。 量子的状態はiħ(∂/∂t)=Hに従って時間的に変化する。
ここでHはエネルギー演算子で、この方程式もシュレーディンガー方程式という。
運動量pxが微分演算子とすれば、位置xとの間に交換関係xpx−pxx=iħ
すなわちxpx∅(x)−pxx∅(x)=iħ∅(x)という関係が成り立つ。 位置と運動量は特別な関係にある一組の物理量であって、
この物理量を用いてニュートンの運動法則を書き換えると、
質量すなわち粒子の属性が現れない。 位置xと運動量pxのかわりにそれぞれ−pxとxとを用いても同様のことがいえるので、
この両者の関係は共役(きょうやく)であることがわかる。
この関係を正準共役という。一般に正準共役の関係にある物理量の
オブザーバブルA、Bの間にはAB−BA=iħの関係が成り立つ。 状態関数のかわりに演算子が時間的に変化すると考えて
シュレーディンガー方程式を書き換え、
まったく同じ確率分布を得るようにすることができる。
この場合、演算子を行列として表現することが多い。
こうして得られた力学の形式を行列力学という。
ハイゼンベルクが1925年にみいだしたのは、
正準共役な物理量の間の交換関係の行列表現である。 シュレーディンガー方程式を数学的に解くことが困難なため、
変分法、ハートリー‐フォックの方法、WKB法、摂動論など
さまざまな近似法が用いられる。
WKB法は状態関数をプランク定数のべき
級数(整級数)展開で求める方法である。 量子力学運動電子が水素原子内でとる位置の確率を示している。
注意すべきことは、図Bは、電子が瞬間瞬間特定の位置にあって
ある有限時間にとる電子の位置の全部を図示したもの、
すなわち古典統計的な分布を示したものではないということである。
この場合、電子は同時に各位置にそれぞれ異なる確率で存在している。
運動量についても同様である 位置と運動量のオブザーバブルは互いに交換可能ではない。
したがって、ある特定の位置を有し、かつ同時にある特定の
運動量をもつ量子的状態は存在しない。 古典力学の粒子の状態が位置と運動量とを同時に与えることによって
定まるのと比べてきわめて対照的である。
一般に粒子はある範囲Δxの位置に同時にあり、
かつ、ある範囲Δpxの運動量の値を同時にとる。 この場合ΔxとΔpxとの間には不確定性関係ΔxΔpx≧ħ/2が成り立つ。
位置の固有状態では位置が定まっているのでΔxは0である。
したがってΔpxは∞となり運動量はまったく不確定となる。 この不確定性関係は正準共役な二つの物理量の間につねに成り立つ。
この不確定性関係は正準関係にある物理量の交換関係から導き出されるものであり、
この意味で客観的なものであって、主観の関与によって成り立つものではない。 この不確定性関係を粒子の実際の位置の測定に即して示したものが
ハイゼンベルクのγ(ガンマ)線顕微鏡である
水素原子の状態の位置と運動量分布を一つにまとめると、
分布が有限な広がりをもつことがわかる。これは不確定性関係を示す。 一般に対象の測定観測データから対象の状態をみいだす過程の理論を観測の理論という。
量子的状態の場合、測定観測装置が古典論の法則に従いながら対象が量子的状態にあるため、
この対応にさまざまな問題が生じる。 この問題についてアインシュタインとボーアの間で物理的実在に関する論争が行われた。
シュレーディンガーのネコはこの種の問題の一例であって、
主観の客観に対する作用として哲学の論争の材料ともなった。 量子的状態では状態関数の重ね合わせが可能であり、
古典的状態は正準共役の物理量の値の組で表現しうるものである。 したがって、測定観測過程のどの段階でどのような条件のもとに
この移行が行われたかを、量子力学的過程の結果として示すことが
観測の理論の内容であるが、現在まだ十分な解決をみていない。 ネコの放射線を受けて毒瓶が壊れるという客観的過程によって
ネコの状態は生と死の状態関数の重ね合わせから、
いずれか一方に量子力学的に変化したのであって、
この変化は主観に基づくものではない。 量子コンピュータは、情報が重ね合わせ可能であるとして情報変換を行うもので、
特定の演算においては現在のスーパーコンピュータよりもはるかに大きな演算速度で
行えることが理論的に示されている。このほか、電子あるいは光量子1個の変化による
情報処理が構想されている 前期量子論の困難をシュレーディンガーの波動力学,ハイゼンベルクらの
マトリックス力学を二つの表現形式とし,ディラック,ヨルダンの変換理論によって
両者を融合統一した理論体系。 古典力学と根本的に異なる点は,ある種の物理量
(たとえば原子内電子のエネルギー,角運動量など)が
連続的な値をとり得ずとびとびの値しか許されないこと(量子化),
また一定の状態である量を測定しても一定値が得られるとは限らず,
同じ状態で多数回測定を繰り返した場合の期待値
(あるいは一定値の得られる確率)だけが定まることである。 したがって量子力学による記述は本質的に確率的・統計的であり,
古典力学の決定論的因果性と対立する。また物質や光にみられる粒子性と波動性,
粒子の運動状態を決定する位置と運動量などの間に相補性が存在し,
不確定性原理が成立する。 これらの特性はすべてプランク定数hの存在と深いつながりがあり,
古典力学は量子力学でh→0とした極限ともみられる。 量子力学は相対性理論をとり入れない限りでほぼ完成した理論とみられ,
原子・分子等微視的対象の行動を統一的に記述でき,
物理学・化学をはじめ広範囲の科学・技術に応用され,
また思想にも大きな影響を与えている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています