自分が小学生の頃のエロい体験を語ろう
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すげぇクズだな!
顔つきも人間じゃないぞ
だれかAA作ってくれ だれか俺のチンコなめて、そのあとベロチューしようよ 女子更衣室でフェラしてもらった中3の先輩に(自分は中1) 小学生の時のエロい体験はこれだな。
小3の2学期始まったばかりの頃、行動範囲も広くなってきたおれは家から遠い友だちの家に遊びに行くため、非合法な近道(他人の家の庭先を歩いたり、どぶ川を渡ったり)を通っていた。
その日も町内子ども会長をしていた美奈子さんの軒先を通ろうとしていた。
美奈子さんは当時6年生。髪が長くて背も高く、学校対抗バレーボール大会の選手もしていた。何より小3から見れば小6女子は体も成長しており、立派な大人の女性に見えた。
ふと気がつくと、ちょうど目の高さくらいのところに細長い窓があった。
興味をそそられたおれは窓から中を覗き込むと・・・・なんとその中はトイレの個室だった。
(昭和の頃の家に見られたトイレ掃除のゴミの掃き出し窓だったのだ)
しかも、ちょうどその時、白いソックスを穿いた誰かが便器にまたがった瞬間だった。
(つづく) 便器にまたがったその人は腰を下げて便器にしゃがみ込んだ。
丸出しになった白いムッチリとした尻、薄く陰毛が生えたアソコ。
町内子ども会長の美奈子さんが、下半身を丸出しにして便器にしゃがみ込んだのだ。
いきなり、シィーーーーーーーーーーーーーー!と音を立てて、美奈子さんのアソコからおしっこが噴き出した。
ルビー色の陰肉の中からすごい勢いで噴き出すおしっこ。飛び散るおしっこのしぶき。
初めて間近で見る女性のおしっこのすごさ&エロさに、完全に固まって呆けたように美奈子さんの放尿を見つめるおれ・・・・
(つづく) と、うつむいておしっこする美奈子さんと放尿を覗くおれの目が合ってしまった。
美奈子さんの清楚な顔が恐怖で歪み、
「キャッ!キャーーーーーーーーーーー!」とつんざくようなソプラノの悲鳴が上がった。
美奈子さんは立ち上がってパンツを穿こうとしたが、おしっこは急には止められず、アソコから噴き出すは美奈子さんの脚に伝うは、トイレの床が見る見るうちにおしっこでビショビショになってしまった。
当然、美奈子さんの純白パンツも黄色いおしっこでビシャビシャに・・・・
我に返ったおれは脱兎の如く逃げ出したが、この変態行為がバレてはいないかと学校に行くのが怖かった。
翌日の美奈子さんは、気のせいか元気がないような気がしたが、トイレを覗いていたのがおれだとは気付かれずに済んだようだ。
(つづく) 美奈子さんはその後、地元の大学の教育学部に進学し、小学校の先生になった。
そして職場の同僚と結婚して、県内の他の町へ移り住んだ。
何年か前、夫と一緒に里帰りしている美奈子先生を見たが、清楚な婦人になっていた(男の子が二人いた)。
今でも、美奈子さんのおしっこと恐怖に立ち上がった時にビシャビシャとトイレの床に飛び散ったおしっこをありありと思い出すほど、強烈な体験だった。 ちょと長いけど。
もう相当前になるけど小学校4年の時の帰り道で自宅付近の林に囲まれた
歩道で2人組の女の痴漢にあった。相手は2人共私服で中学生なのかどうかは
わからなかったけど、2人の前を通り過ぎようとしたら話しかけてきて
少し会話した後に「ボク〜、おちんちん見せてよ」って感じになった。
別に不良でもない普通のかわいい感じのお姉さんだったのは覚えているけど
その当時は言うとおりにしないと何されるかっていう、恐怖心からか逃げるに
逃げれずチンコなんて出したくないから固まっていたんだけど、優しい口調で
「怖くないからね〜」って感じで話しかけながら簡単に脱がされ、しゃがみ込んで
2人で何か言いながらも、マジマジと見てた。 いくらオレがガキだとはいえ、その頃だと女にチンコ見られるのは凄く恥ずかしいし
本当は泣きそうな位に怖くて誰かが通りかかって助けてくれないか期待しながらも
我慢したんだけど、温かい手で触られているうちにボッキしてたし、あまりの痛みでついに
オレは泣いてしまい、「ごめんね〜」と言われて開放された。
その頃は分からなかったけど、どうやら皮を剥こうとしてたみたいで、無人の家に帰って
(両親共に仕事で帰宅してない)心配だからチンコ出して確認してみると亀頭の先が見え隠れしてた。
でもこの頃は中身が見えてしまっているから凄く心配になってしまい帰宅した母親に相談してしまったオレ。
しかし「痴漢」の事は恥ずかしかったので誰にも言ってない。 小学低学年の頃、独り遊びしていたら年上のちょっとヤンチャな女子学生や小学高学年の女子たちに
隅の方の建物の裏に連れて行かれて、石垣の上から意地悪そうな顔しながら
おしっこかけられた体験かな。
何回も同じ目にあったけど、一人っ子だたから兄弟は助けてくれないし、
クラスの仲間に見られたら馬鹿にされていじめられそうだったから、
毎回従った。
とにかくおしっこが温かく生臭かった。 叩かれたり、蹴られたりするわけではないし、お金を取られるわけではないので、
とにかく誰にもおしっこ浴びせられている様子を見られたくない一心で素直に従ったわけだが、
美形な子もいたのでいつの頃からかちょっとした快感に変わった。
もちろんチンチンも時々勝手に引っ張り出されて、ねじったり、思いっきり引っ張られたり、
抱っこシーシーで排尿を強要されたりしたな。
仰向けに寝るように言われたのでまたおしっこかけられるのかと思いつつ、従ったらおしっこ臭いパンツのままで
顔の上に乗ってグリグリされたことはあった。俺の性器を舐めたりモロに舐めさせられたりはなかった。 嫌だったシーンは、溝ん中に仰向けで入るように言われ、
またおしっこの標的かヤレヤレと思って入ろうとすると、
クモとかトカゲとかいるのですごく嫌だった。
服のおしっこが乾くまで適当に遊んでくれたのは良かった。
しゃがんで遊んでくれるので、
お姉さんたちの白い黄ばんだパンティはいつも丸見えだった。
1960年代。昭和の思い出。 昭和40年代。航空機利用が今ほどでなかった時代の話。
東京発西鹿児島行の急行屋久島はお盆直前であったため、早くから国鉄が用意した駅外のテント村で並んで待つほど混雑していた。
クソ暑いテントの中で尿意に我慢できずそこらでお尻を丸出しにする児童も散見されたが、
乗ったあともエロかった。
オンボロ客車の向い合せ4人がけの席には通常6人入った。2人は向い合せの席の真ん中で座るのさ。
席も1人が子供なら3人座れた。
通路もぎっしり。
俺は家族と離れて帰省の中高生お姉さんたちのボックスへ。
朝、目が覚めたらパンツ丸出しでマタ開いて寝てるお姉さんの股間にうつ伏して寝てた。
クーラーのない蒸し風呂の車内は暑く、汗ばんだ股間はおしっこと汗の匂いがした。 追記
長距離なので、何回かお姉さんが席を譲ってくれた。それでも小柄なお姉さんたちだったから3人ずつ座っているので
席に座ると隣のお姉さんと足と尻が密着した。
岡山を出たあたりだったろうか、一番年長と思われる今思えば高校生くらいのお姉さんが消防高学年のお姉さん2人を伴ってトイレに出かけた。
当時のオンボロ客車のトイレはあの垂れ流しのやつだ。
かなり時間かかって戻ってくると、通路は一杯で中々通れないわ、トイレも待たされるわで、お姉さんの1人は連結台で済ませたという。
あんな思いをするくらいなら窓からやったほうが早いと言い出したので、
残りのお姉さんは、やっとお尻がプリンと外に出るくらいに窓を調整してトンネルに入ったタイミングでおしっこをした。
飛沫が灰皿の上のテーブルにまで飛び散ってきたり、外から煽られた風で思いっきり尿の匂いがしたりした。
俺は笑いを取るため、わざと駅を通過してる時にした。通過確認の駅員さんにかかったことだろう。
消防中学年の子も面白がって真似して駅を通過中にしてたww
そんなこんなで仲良くなって股間でうつ伏して寝ることも当たり前のような状態だった。 お姉さんたちは10代であることは間違いないが、
私服なので学年や年齢は想像して書いた。
顔を思い出した想像で言えば、
工房〜厨房くらいが5人、消防2人くらいじゃなかったかと思う。
途中で向こうの席から消防中学年の俺と同じくらいの子が退屈だったのか入ってきたので1人と入れ替わった。
最年長のお姉さんは大学生か短大生だったかもしれない。すごく綺麗な人だった。
あとのお姉さんはブスではなく十人並くらいかな。
でも、みんな目がパッチリで愛嬌があった。
当時は、髪の長い目のパッチリした子が好みだったから、
みんな条件は満たしていた。
色々な環境が当時と違うので今だと絶対ないな。あの時代以前の特権。 思い出した以上の話をさっき鉄道に詳しい友達にさっそく話したら、
それは急行屋久島ではなく、急行桜島・高千穂だそうです。
訂正します。
鹿児島と屋久島に行った旅行だったから列車名とごっちゃになり勘違いしました。
午前中に東京を出発して大阪あたりまでは、蒸せ返るような暑さと汗の臭いの中で
少し気分が悪くなりながらも席を譲ってくれたお姉さんのご厚意に甘えて
寝てたので記憶がありません。
目を覚ましたのは日が暮れてからでした。
お姉さんたちとトランプをしたりシリトリをしたりうるさく遊んで、
夜も更けてから朝までまた寝落ちました。
お姉さんの股間を最初は枕にしてましたが、
いつしかお姉さんの股間に顔をうずめて。。。 小学生のときボキはティラノザウルスの肛門が食べたくなって浅草までいきました
でもそこでイジメにあい僕はトリケラトプスの小便を飲みました >>95のような感じの道で4年生の時ならオレもあった。
でもオレのは明らかに野ションしてるのを見せてくれてる内容。
惜しい事にその事のオレはマセてないから「んだよ、汚ねーな」位に
しか感じなかったはずだし、やはり怖いので逃げ腰で通過した
しかも暗くて見えないし。 男でも小学生までなら女の露出に出くわす時があるな。
オレにもそういうのはあったけどその頃だと毛が生えてるなーくらいにしか
感じない 中学生になってすぐのことであるが、夢精で汚したパンツを5枚くらい押入れに隠していたが、
ある日そのパンツを母親に見つけられた。
母親は文句を言うことなく「夢精は男の子の健康な証拠なので、汚れたパンツは毎日出しなさい」
と言われた。
1週間くらいして母から1冊の中学生用の性教育の本を渡され、よく読んでおくように言われた。
数日後にその本は勉強になったかどうか聞かれたので、女の人の身体の構造は見たことがないので
あまり理解できなかったと答えると、母から「勉強の為に真面目に見るのだったら、見せてあげるけど」
と言われ「真面目に見たいので見せて欲しい」と言うと、母は笑いながら「後でシャワーを浴びてから見せて
あげるから」と言って、僕の部屋から出て行った。
部屋でドキドキしながら待っていると、シャワーを浴びた母がバスタオルを巻いて入ってきた。
布団を敷いてそのうえで母はバスタオルをとって全裸になってくれた。
母の陰毛は薄くワレメの上の方にしかなかったので、母のワレメは小学生の女の子のように丸見えだった。 >>108の続き
ワレメのクリトリスに近い部分からは直径3センチ半径1.5センチくらいの半円形のヒダ(小陰唇)がワレメの中から外に出ていた。
その部分から下は子供のワレメのようにスジマンであった。
まず始めにワレメから閉じた状態で出ているヒダ(小陰唇)を左右に開くと内側は綺麗なピンク色をしていた。
次に両手の親指でワレメをパックリと開くと、ワレメの内部は薄いピンク色で想像していたよりもかなり綺麗だった。
勉強の為に母のワレメを開いて内部を見せてもらっているので、横に性教育の本を開いて女性器の図面を見ながらワレメの内部を
観察させてもらい、膣口とか尿道口とかをじっくりと見せてもらった。
次に膣口の左右に両手に親指を当てて膣口を1.5センチくらい開いて膣の内部も入口から3センチくらい奥まで見せてもらった。
その日は何度も閉じたり開いたりして30分くらい観賞させてもらった。 >>109の続き
ワレメを開いて見せてもらった後で、母から「今日見せてあげたので女性の身体の仕組みはよく
解ったでしょう、見せてあげるのは今回だけでいいのね」と言われたので、僕は正直に「女性の
身体の仕組みはよく解ったけど、アソコを開くとピンク色の綺麗な宝石でも見ているようで、
また何度でも見せてほしい」と答えた。
母は少しニヤニヤしながら「そんなに気に入ってもらえたんだったら、また見せてもいいけど」と
OKしてくれた。
これからは毎週土曜日か日曜日に毎週一度のペースで見せてくれることになった。
母は「私のアソコはそんなに見る価値があるのかしら」と言いながら何故か嬉しそうだった。
当時母は35才くらいで、タレントの山本梓によく似ている美人で脚の綺麗な女性だった。 >>106
女も中学、高校生くらいだとチンコを見せろとか露出のターゲットは
ガキ相手がいいみたいだよな。
しかも小3、4年位がターゲットにされやすい傾向はあるね。
下校時の明るい時間帯で犬を連れた中高生くらいのお姉さんに
「ボク〜」と呼ばれて犬が好きかとかの会話をした後に
その犬がオシッコしたかと思うと「ボクもして見せてよ」と。
もちろん断ったけど、お姉さんもするとこ見せるからというし
(結構強引だし怖かった)周囲に誰も居ないのを確認してからションベンした。
犬に噛まれそうで怖いのをよそにお姉さんに見えない角度でションベンするも
どうしてもオレのチンコを覗いてくるから嫌で嫌で全部出し切らないうちに
やめてしまいブリーフがビチャビチャになったのを覚えているけど、そのお姉さんは
嘘つきでスカートをあげてピンク色っぽいパンツを脱ぐふりしかしてくれなかった。
まぁガキにマ○コは早すぎるからこんなもんだね >>111
成人女性のマンコなんて見れたモノじゃない。その女性も
惜しくて見せなかったんじゃないと思う。万が一見せたら
ショック受けて不能になる可能性高いからなぁ。 女性に美人とブスがいるように、マンコも美マンコとグロマンコがある。
美マンコとグロマンコは年齢には関係なく、美マンコの女性は40歳くらいでも
美マンコを維持している。
若い頃からグロマンコの女は年齢と共に増々グロマンコになっていく。
顔が美人でもグロマンコの女は不幸な女だと思う。
美人で美マンコの女性のマンコは何百回見ても飽きることはない。 童顔の友達のパンツを脱がしてそれを見ながらオナニーした。まぁ数日前だけどね 美人の女性の綺麗なマンコを開いて見ていると時間を忘れて見とれてしまう。 美マンコを開いて観賞しながら、ブランデーをオンザロックで飲むなんて最高だろうな! 3つ上と2つ上の姉がいるんだけど小学生の頃は風呂場でくぱぁ見放題だった
当時はエロい感覚無かったけど今思い出すとおかずになる
まだ全然くすみがなくて綺麗な美マンコだったよ(JSだからあたりまえか) 美マンコでもワレメを開いた時に膣口も開いて見えなければあまり価値がないと思う。
ワレメを開いて一番見る価値のあるのは少し開いた膣口であると思っている。 >>119
開いた時に内部が綺麗なピンク色で、膣口も自然に5〜8ミリくらい口を開いて
見えるマンコが美マンコである。
もちろん開く前からワレメとかワレメから少し出ている小陰唇が綺麗であるという前提はあるが・・・
またクリトリスより下の部分(大陰唇)はパイパンでなければならない。 小学六年生の時プールであった話
ある女の子がいたんだけどその娘は少し小柄だったのが夏前に急に胸や身長が大きくなってた
でももう六年生で水着を買い換えるのがもったい無かったのか今まで来てた小さい水着を着てたから
ものすごい股関の所に水着が食い込んでしまっていて割れ目が浮き出て見えるレベルだった
何だか教師がチラチラ見てるがやたらとよく分かった記憶がある
その娘はおとなしい娘だったから恥ずかしそうに股関の所に手を当てて軽く隠すようにしてたけどそれが逆にエロくてやばかった 消防、厨房の時、小柄な俺は美形で非力でなよっとしていて、物語の頼りな系王子様みたいな風貌だったから、
クラスでも、町内会の祭の集まりでも、いつも女子の輪の中に入れられて、もてあそばれてた。
女子は俺を男性としての意識を持ってくれなくて、目の前で着替えやパンモロなんかは日常茶飯事で、
ついじっと見てると「何見てんのよ! 坊やにはまだ早いの!」って言いながらビンタしてきたり、椅子がわりにされたり、
まるでペットかおもちゃだった。
或る夏の暑い日だった。お祭りの準備会のあと、お宮の境内に連れ出され、いつものように女子の輪に囲まれていた。
そのうち、「あちーな。汗かいちゃった」と年上の女子が言うや「ほら。汗臭いだろ」ってパンティの上から汗やおしっこで臭いマンコの匂いを匂わされた。
すると次々マンコだのケツだの匂わせる子が出始め、みんなで俺の反応を楽しんでいるようだった。
その頃はあんまり意識しなかったが大人になって思い出すと勃起ものだった。 >>108
あなたのお母さんはMっ気があり、あなたにワレメを開いて見せることを楽しんでいたのでは? 何で誰も俺の創作文を評価してくれねぇんだよ
3時間考えたんだぞ >>127
ワレメを開いて見せてもらっているときに、母から「もうそろそろ飽きたんじゃないの」と
聞かれたが「いつ見ても綺麗なので全然飽きていない」と答えると、母は「もう飽きたと
言われたら女性としてショックなので、良かった」と言っていた。
いつも見せてもらっている時に同じようなことを母から聞かれたが、いつも「見れば見るほど
綺麗なので全然飽きない」と答えると、母は嬉しそうだった。
結局母のワレメを開いて見せてもらう儀式は週一くらいのペースで大学生になるくらいまで
続いた。
僕が大学生になる頃は母は40歳くらいになっていたが、ワレメの中は初めて見せてもらった時と
それほど変化している様子はなくいつまでも綺麗だった。 >>128
どれかなぁ? 点数つけてあげようねぇ〜ww >>129
あなたのお母さんは自分のマンコの穴の中まで見られ放題だったようだが、見られることに
抵抗はなかったのだろうか? 童顔の友達の丸いお尻を見てたらチンチンが固くなった。 >>131
うちの母親に限ってと思っているが、初めてワレメを開いて見せてもらった時から
自分の息子が女性の性器を見てどのような反応を見せるのかを、逆に楽しみながら
観察していたかのように感じられ、全く恥ずかしい様子はなかったように思う。
また母のワレメを開いて見せてもらうまでは、母との関係は別に仲が良くも悪くも
なかったが、ワレメを開いて見せてもらうようになってからは、母と無茶苦茶仲のいい
親子になったように思う。
ただそれまでは家庭内で同格であったが、ワレメを開いて見せてもらうようになってからは
何故か母との家庭内の序列は母が親分で僕が忠実な子分のような関係になっていた。
結局母のワレメを開いて見せてもらう代わりに、母から見ると何でも言うことを聞く素直で
母に忠実な息子にさせられていた。 実を言うと、僕はもう40歳を過ぎているのだが、まだその関係は続いている。
女性経験のない(いや、生理的に嫌われている)僕にとって唯一の女性がうちの母親なのだ。 >>133
このお母さんは自分のマンコを見せて、自分の息子を完全にコントロールしていたんだな! >>132
その気持ちわかるー。思わず自分のチンコ押し付けたくなる。 >>111
お姉さんも小便見せてくれる流れじゃないのかよ 低学年の頃、通学路だろうが何処だろうが街中の壁には普通に女性の全裸が映っているポルノ映画の宣伝ポスターが貼られている時代があった
ある日オッパイが縄で食い込んでるSM映画のポスターに興奮した俺だが、家の近所だし立ち止まって見る勇気はなく、それ見たさに勃起しながら何度も往復 >>137
いいな〜。俺も童顔デブ同級生の丸いお尻に顔埋めて
酸っぱ臭い肛門の匂い嗅ぎたかった。 >>142
中学の頃、放課後和式トイレの個室で童顔の同級生と色々話を
してたんだ。その時突然ジャージとパンツを脱ぎ出して
お尻を見せて来た。 続き
ふざけてお尻を見せて来た感じだったかな。その次に
和式トイレにしゃがんでウンチするポーズ取ってふざけてた。
なんかその丸いお尻を見てたら顔を埋めたい衝動に駆られて
ふざけたフリして思わず突きだしたお尻の谷間に顔埋めて
*に鼻押し付けて匂いを嗅いでしまった。 匂いはツーンと臭かったんだけど嫌な気分じゃなく、ドキドキして
少し幸せな気持ちだった。その出来事の後何回か 学校とか
遊びに行った公園のトイレの個室でお尻の穴の匂いを
嗅がせてもらってた。 小学一年生の時の話
俺はスカートめくりの常習犯で、女子からすごい嫌われ者で、特に中村さんとはいつも喧嘩していた
先生から注意受けてからはやらなくなった
スカートめくりしなくなってから、ある日中村さんが男子トイレに行きたいと言い出した
俺はわけもわからず連れてった 二人で個室に入って、鍵をしめる
中村さんはスカートを脱いで、ブルマ姿になった
突然俺の手を股間に押し当て、「どう?」とか聞いてきた
中村さんからは香水の良い香りもして、なんかヤバかった それから俺等は休み時間になると、人目のつかないとこに隠れていろいろ触らせてもらった
お尻揉みしだいたり、顔騎してもらったり、とにかく最高だった そんな事が当たり前になってたある日、中村さんが「今日はやめよう」と言った
俺は頷いて、その日以来俺と中村さんがそういう事はしなくなった 何で中村さんに「好きだ!」とかいってもっとやらなかったんだ?
はめなかったんだ!
だから君は何をやっても中途半端でダメなんだよ。。。 >>148
顔面騎乗してもらった時どんな香りした? 厨房時代、おれもそいつも全くそのけは無いのだが、
妙なことをした経験がある。
そいつは、まあ、好かれる顔なんじゃない?
顔立ちは良くていつも微笑三太郎だった。
子供なのに笑うと目尻にシワが出るタイプで、今なら年相応に一層その傾向が強まっているだろうwww
あれは科目は忘れたが授業中のこと。
そいつは俺の隣の席だった。突然ツンツンっとしてきた。
そして微笑みながら俺の手を持って自分のチソポを握らせた。かなり硬かった。
俺はしばらく握っていて、温かくドックンドックンという血流を感じた。
こすったら小声で笑いながら「ヤバくなるからやめろ」って言われたのでやめた。
そいういうことは数回あった。時には俺のも握ってもらった。
当然共学だったが笑えるちょっとだけエロい思い出。 小学校だと帰りは決まった道を通らないといけないので
遠回りだけど「通学路」を通って帰宅していた。
しかし3年にもなるとそれが段々とバカバカしくなり面倒なため
こっそりとそこを通るようになったんだけど、途中の家に住んでる
中学生のお姉さんに見つかると注意されるようになった。
もちろん見つからない日もあるんだけど、友人と思われるもう1人のお姉さんが
Hなのが嫌だった。通学路破りの「おしおき」として最初はスボンの上から金玉を
握る「金玉潰し」だったのが、見つかる度にエスカレートしてきて、フルチンで
チンコも玉も触られ放題触られてしまい、痛いし恥ずかしいのが嫌で最終的にはきちんと
通学路を守るようになったオレ。 小学6年生のとき
俺らの頃はブルマは廃止されてて短パンだったんだけど
掃除中にサボって座ってる女子達を眺めてた
そしたらうち一人の短パンの隙間からパンツが見えてすげーガン見してた でその子が視線に気づいて俺の事睨んできて姿勢を変えてしまった
俺は睨まれてるなんて知らずずっと短パンと太股ガン見してた 掃除終わったらその子が俺の席まで来て耳元で「パンツ見てたでしょ」と聞いてきて
気づかれてないって思ってたからマジにビビった
で「放課後ここにいて」って言われて俺は怒られると思ってビクビクしながらその教室で待ってた 俺とその子で二人きりになったらその子はスカートたくし上げてきてパンツを見せてくれた
短パンは履いてなかった
俺はこの時からかなりの変態嗜好だったから短パン履かせなおして隙間からパンツを見せてもらった 俺はすっかり短パンの虜になって短パンの上からお尻を揉みしだいたり、四つん這いにさせて短パンに浮き出るPラインを見せてもらってた >>154
通学路はどこの学校でもあるんだろうけどオレの時もあった。
方面からして帰りは1人だし、パンツを見せてくる「お姉さん」が
たまに現れる。多分時間帯でオレが通る頃合を見計らって現れるんだろうけど
オレが恥ずかしがって目を背けるのが堪らなかったんだろうね。
3年から4年の途中までは見れたけどいつの日か会えなくなった。
その当時はオレはマセてもないし、一応パンチラが見れたっていう
嬉しい半面、怖くも思えた。
でも4年の頃にはしゃがんでこちらを向いている見せ方が一番嬉しかったかなw
プックラとしている白いパンツが今でも目に焼きついているよ ttp://25.media.tumblr.com/tumblr_luvlg2bkK31qe1vnao1_1280.jpg 小5のプール授業担任の マキ先生 の水着▽ ハミ毛 かな。 小学生の頃近所の一つ上の女の子と裸になって毛布の中でだきあったり、風呂に入ったりしてたら母親が帰ってきてスゲー怒られた 小3の頃から、一部の男子が学校のトイレでウンチをするとき、必ず隣の個室からこっそりと覗いては、ビンビンに完勃ちするようになった。
そして、学年が進むと、排便姿をオカズに、シゴくようになった。 水泳授業がある時期の休み時間校舎内で鬼ごっこやってて鬼になったから他メンバーが逃げてってしばらく一人その場に残ってると
すぐ側の教室がその時間水泳授業やってる学年の女子の着替え教室になってることに気づいて
侵入後ドア付近の机の上に置かれた女子が脱いだ服の中からパンツを手に取り臭いを嗅いだら臭かった 小6の時、近所の若い奥さんが、胸に赤ちゃんを抱いて、手には買い物袋を下げて大変そうだったから、友達と二人で荷物を持ってあげて、家までついて行き、オヤツまでご馳走になったことがある。
おやつを食べてると、突然赤ちゃんが泣きだし、奥さんは何の戸惑いもなくペロンとおっぱいをだして赤ちゃんに吸わせた。
勿論俺達は内心大興奮で、凝視してたと思う。
奥さんはそんな俺達のイヤらしい視線を、エロい好奇心ではなく、おっぱいの味を知りたいという好奇心とかんちがいしたようで、俺達に、
「飲んでみる?おいしくないよ?」
ともう片方のおっぱいを差し出しました。
俺は頭が真っ白で硬直してたけど、友達は瞬足で、「おっぱい飲みたい!」と無邪気を装って奥さんのおっぱいに口を付けました。
友達は赤ちゃんの真似をして奥さんのおっぱいを両手で揉みながら乳首を吸っていました。
俺も飲みたいと言い出せず、見ていたけど、我慢できなくなって、「出てる?」と聞きながら、おっぱいが出やすくなるようにという体で、友達の手を払いのけ、奥さんのおっぱいを揉みました。 ボクはチビ1
ママはチビ2
パパはチビ3
チビ6ラーメン!! 小6の時、一個上の兄が友達を連れてきて、泊まっていくことになった。不細工でキモイ見た目だったけど、私は優しいお兄さんができたみたいで一緒にゲームしたりしてすごく楽しかった。でも兄の友達は私の思うような優しい人じゃなかった。
夜、眠っていると誰かとキスしてる夢を見た。まだキスなんてしたことなかったけど、その感触は凄くリアルに感じた。
リアルなはずだ。薄目を開けると部屋が明るくて、誰かの顔が見えた。その瞬間動けなくなって、とっさに寝たふりをしたけど、キスの感触は本物で、キスしてるのは兄の友達だった。
兄の友達は私のベッドに入り、ずっとキスをしてたみたい。
私は寝てる間にパジャマのズボンをとパンツを下ろされたらしく、アソコにいきなり素手で触れられた時は恐怖と驚きで声がでそうになった。
いつの間にかキスの感触はなくて、その代わり、体をゆっくりと裏返されて私はうつ伏せになった。 私の裸のお尻を両手で強くもんで、お尻の肉を押し広げた状態でしばらく動きが止まったかと思うと、今度は押し広げられた股間のあたりに鼻息がかかり、アソコとお知りの穴を舐められた。気持ち悪さと痛さで涙がでたけど気付かれないように我慢した。
その後、私のお尻を枕みたいにして、顔を乗せてみたり、お尻の割れ目に鼻を差し込んで深く息を吸ったりしてるらしかったけど、これで終わりだと思って我慢した。
でも終わりじゃなかった。
人間の体の一部であろう感触の温かい棒状の何かが私のアソコに押し付けられた。
ギュウギュウ押しつけられて痛かったけど、それはすぐおわって、また仰向けにされた。
そして、私に多い被さるとキスしながら私のアソコにさっきのあれを擦り付けてきた。
入れられはしなかったけど、本当に怖くて、次の日、母に相談した。どうなったか知らないけど警察にも行ったし、兄の友達の汚名はどうやったって覆せないだろうから今は何とも思わないけどね。
性犯罪撲滅キャンペーン。 「♪パァ〜ンシロォ〜〜ンで♪
♪パァンパァンパァァァ〜〜〜〜〜ン!!♪」 小5〜6年の頃に担任だったオバチャンにチンコをしごかれたり舐められたりしてた…
その頃は精通してなくて何となく気持ち良かった
たまにオマンコを舐めさせられるのは嫌だった 小学校5、6年の時クラスでスカートめくりとかエッチな事が流行ってた時、
ブルマー姿の女の子がブルマーにくいこんだアソコのワレメをスケベな男の子に
指先でチョンチョンとつっつかれたりしていた。
俺の好きな女の子がスケベな男の子にブルマーにくいこんだアソコのワレメを
指先でチョンチョンとつっつかれるのを見た時は、興奮して悩ましい気分になった。 ガキ時代に女対してエロ感じるのは、オッパイ、尻が基本だろうから、俺も先生の尻にエロ感じた時代あったわ。
トイレ掃除は50歳くらいの保健の先生と高学年の児童が担当だったから、先生が低学年向けトイレの洗面所を前屈みで洗う際に、
昭和時代のツルツル生地ジャージの尻に興奮して勃起したチンコを背後からツンツン押し付けたりして快感だったわ。
物静かな先生だったから何回も押し付け味わっても反応なく受け入れてくれて有り難かった。
成人になって何人ともセックスとして快感味わったけど、未だに当時の押し付け行為が記憶から消えない。
今は先生80歳くらいかもな 小学生時代に、親戚のオバチャンの家に行ってコタツに潜ったらオバチャンのパンスト爪先にフル勃起して触った瞬間からパンストフェチになった。
コタツに潜ってパンスト爪先を目の前で見ながらシコるのが好きだった。 書けた
小3の頃の水泳授業前の水着着替えの時のお尻丸出し&小5の時の部活着替えの時のおっぱいが見えた時かな
あとは好きな子が体育のストレッチで開脚前屈しての股えくぼとブルマが食い込んでお尻の皺がネズミの尻尾みたいになってた事 >>180
小3で女子が水着着替えの時にケツ丸出しになるとは・・・orz ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています