衣類ゴミからお宝探し(下着他) 15袋目 ロリ以外
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/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ', おじちゃん
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてスレをあらすの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー'一''丶 ヽ ヽ 天下りを根絶する方法は非常に簡単です
各都道府県条例で、天下り税・渡り税の徴収を義務付ければいいのです
天下り役人達の給与や退職金に対して、重税を課せばいいのです
結果的に天下った先の方が手取りが減るのならば、早期退職をしてまで天下る役人など
現れるはずがないのです
麻生太郎議員が天下りについての国会答弁で、『憲法22条で職業選択の自由が
保障されているから、官僚が退官後に、どこに再就職しようが勝手』と発言されていました
憲法のどの条文を読んでも、『許可なく女性のスカートの中にスマートフォンを差し入れて、撮影を
してはいけません』という文言はありません
それならば、この行為は憲法に違反をしていないので、自由に行ってもいいのか?というと、
当然の事ながら実際には、禁止行為となっています
それは、各都道府県が迷惑防止条例違反として定めているからです
新しい技術が開発され、新たな犯罪の手口を実行する人間が現れるたびに、憲法や法律を
改正するのは非常にコストが掛かるでしょう
つまり、天下りを禁止にするために憲法や法律を制定・改正しなくても、天下り役人の方達に
重税を課すという都道府県条例を制定すればいいのです
京都では放置された空き家に、重税を課すという条例が作られました
各都道府県が、天下り役人達に重税を課すという新たな条例をつくればいいのです
本当に国家や民間企業の発展のために、退官後に再就職をしたいと希望されているのであれば、
税金が上がっても問題はないはずです
民間企業や業界団体・政府の外郭団体に行政指導をするのであれば、各省庁に籍を置いたまま
出向してやればいいのです
沢山税金を払いたくないのであれば、退官せずに定年退職まで勤め上げればいいのです
この世界には、何もしない方が国益に適う、国の経済成長の阻害をしないという方もおられるのです
上の方が天下って居なくなっても業務に支障を来さないというのであれば、最初から役人の方の
採用人数を減らせばいいのです
そもそも、わざわざやる必要のない政策を実行に移しているから、官僚は激務・人手不足になるのです
某官能小説と天下り官僚・天下り役人・天下り都議、一体どちらが公共の福祉に反していて、
国家にとって害悪かなんて、小学生でも分かるはずです 国会議員や天下り官僚・大企業経営者の方やそのご親族の方達に、10人のお子さんがおられますか?
仮にそうなったとしても、富裕層の方が断然数が少ないのですから、少子化問題は解決をしません
富裕層だけを優遇したとしても、日本の少子化問題が解決するはずがない事は明白です
日本は昔のように、一億総中流社会を目指すべきなのです
『高収入の方達に、もっと沢山納税をして頂かないと、他にどこから税金を徴収するのでしょうか?』
沢山納税をしたくないのであれば、低賃金の職に就けばいいのです
高収入の職には、どうせ他の誰かが就くでしょう
株や不動産から得る収入を総合課税にして、富裕層税・超富裕層税を徴収すべきだと思います
人よりも沢山納税をしたくないのであれば、株や不動産を手放せばいいのです
売却された株や不動産は、どうせ他の誰かが購入するでしょう
富裕層・経営者の皆様方は、沢山納税をした後も沢山お金を残して、今まで通りの優雅な暮らしを
続けたいと望むのであれば、今以上に努力をして、もっと沢山お金を稼げばいいのです
普段の『親ガチャなんて存在しない!人生は努力次第!』という言葉は嘘だったのですか?
税金はお金の有る所から、多少増税されても多少社会保険料を引き上げられても、生活に
一切支障を来さないところから、もっと沢山徴収をすればいいのです
『富裕層に対する税制を強化すると、金持ちや大企業が海外脱出をするぞー!』
このように仰る方が時々いらっしゃいます
言葉も文化も違い、治安が悪く医療費が高額な海外に勝手に行ってください
外国人労働者は日本人の様に低賃金労働はしてくれないでしょうし、不平不満があると、すぐにストや
デモを行うでしょう
彼らは、サービス残業なんてしてくれないでしょう
大企業や富裕層の海外脱出が多発すれば、出国税を今以上に徴収すればいいのです
富裕層の方達がご高齢者になって、医療費が安い日本に戻ることを望まれた際には、
再入国税を徴収すればいいのです
何故なら、日本の税金で造られた学校や病院に通い、日本の道路や橋を通ってこられたからです
そもそも、普段から保守的で右寄りの発言をされておられる、愛国心溢れる大企業経営者や
富裕層の皆様方が、日本を見捨てて海外脱出されるはずなんてありませんよね? >>1
【2024年最新版】早稲田と慶應「ダブル合格者」はどちらを選ぶ?
https://resemom.jp/article/2024/07/26/78168.html
2024年入試早慶ダブル合格選択データ
○早稲政経 55.6 - 44.4 慶應法●
○早稲政経 85.7 - 14.3 慶應経済●
●早稲田法 35.5 - 64.5 慶應法○
○早稲田商 56.0 - 44.0 慶應商●
○早稲田文 77.8 - 22.2 慶應文●
○早稲文構 70.0 - 30.0 慶應文●
○早稲基幹 66.7 - 33.3 慶應理工●
○早稲創造 71.4 - 28.6 慶應理工●
○早稲先進 66.7 - 33.3 慶應理工●
同系統学部ダブル合格選択トータル選択率
早稲田64.6% 慶應35.4% 勝間和代「奨学金返せず親子で自己破産」に苦言
「誰にでも奨学金を出すシステムが間違っている」「仕組みそのものが破綻」
「まず今、私立の大学を出たからといって800万円の奨学金を返せる就職口なんて正直無いんですよ!」
「本当の一流大学や本当のAIの技術者のような特別な人しか、用意されていないんです」
「言っては申し訳ないんですけど、就職成績が悪い私立大学に、
なんでもかんでも奨学金もらって突っ込めという仕組みが良くないんですよ」
「奨学金借りれば何とかなるって、なんとかならないんですよ!」 俺はFラン出身の1級建築士で自分で事務所やってるんだが、
工業大学に関しては元は工業高校からの進学先で、
普通科高校からの進学先ではなかったと思う。
それが経営難からか普通科高校からも入れるようにしたもんだから、専門課程は工業高校1年の内容になってしまった。
俺も工業高校から工業大学だったから、ガッカリしたね。
3年前にやって終わった事をもう一回やらされるんだから。
しかも、普通科高校から来た奴らが超低レベル。
微積分はできないし英文も読めない。
俺はやる気なくして単車乗って遊んでた。
それでも卒業できた。
工業大学は工業高校の専門レベルをマスターした生徒だけが入学できるようにするべきだと思う。
そうすれば、新卒入社でも戦力になると思う。 俺は>>131だけど、大学の専門課程は全て高校に下ろして、
大学院の専門課程を大学に下ろすべきだと思う。
当然、大学院は消滅することになり、大学はエリート養成機関になり、通常は高卒の18で社会に出ることになる。
理由は、実業高校の専門課程と大学の専門課程は同じだと分かったから。 技術の基本は同じだからだ。
文系も同じだ、高校生で理解できないことはないだろう。
高校は全て実業高校になり普通科は無くなる。
これも理由は簡単で、普通職なんて職業は無いから。
職業は全て専門職だから。 事務職は商業科で間に合う。
3年で足りなきゃ4年にすればいい。
社会に出るのは若い方が良い。 荒らし兄貴もう疲れたか…
じゃあいつものスレに戻ろうか おまえら戦利品厳重に保管してるか?
何かのきっかけで見つけられたりする可能性ないか 天下りを根絶する方法は簡単です
各都道府県条例で、天下り税・渡り税の徴収を義務付ければいいのです
京都では空き家に重税を課すという、都道府県条例が制定されました
仮に天下り税が9割課させることになり、手取り額が年間100万円程度になれば、早期退職を
してまで天下る役人の方など、現れるはずがないのです
つまり、天下りを禁止にするための法改正や憲法改正など、一切必要が無いのです
天下りや渡り行為をしても、私腹を肥やせないと、元役人の方達に思わせればいいのです
退職後は優秀な為政者や官僚の方達が考案された、100年安心の公的年金制度があるはずです
因みにですが、事務次官の退職金は7500万円だそうです
当然の事ながら、このお金は100%税金から支払われております
何故、天下りと渡りを繰り返す必要があるのでしょうか?
天下り役人の方達と、その既得権益を根絶しようと動いている国民の意見が一致するはずがないのです
天下り役人の方達に、『いい加減に目を覚ましてください。昔と今とでは、日本の生産年齢人口の数や
割合が、まるで違っているのです。天下りで税金を掠め取って私腹を肥やす事を、やめてください』と
説得したところで、一体何が変わるというのでしょうか?
全ての諍いを話し合いで解決できるのであれば、この世界に法律も条令も必要無いはずです
お金を受け取っている人間と、お金を受け取っていない人間の意見が一致するはずがないのです
天下り役人の方達、これから天下りを目論んでおられる役人の方達は、天下り税の徴収に、
強固に反対されるでしょう
しかしながら私は、民意が無意味だとは到底思えませんし、絶対に思いたくはありません
議員年金は廃止になりました
国という単位で見ると、水道民営化の流れは止まりました
貴族院・華族制度も無くなりました
民意が無意味なら、2030年に札幌五輪は誘致・開催が決定していたでしょう
民意が無意味なら、給食や我々、日本国民の食卓にコオロギが並んでいたでしょう
民意が無意味なら、自民党の裏金キックバック議員達は、全員公認されていたでしょう
税金を掠め取っている側でない方達、政府の税金の徴収方法や政策に疑問をお持ちの方は、
条例での天下り税・渡り税の徴収に、是非ともご賛同をしていただきたいと思っています 「Fラン大学」の暴走が止まらない…! グレーな手段で補助金を受け取り、政治家とベッタリな大学も
自民党「文教族」との蜜月
自民党の萩生田光一氏は落選中の2010~2012年、ボーダーフリー大学である千葉科学大学で客員教授を務めており、
その後の2019年には文部科学大臣に就任している。同大を運営しているのが、2017年に世間を騒がせた学校法人加計学園だ。
福沢諭吉からの警告
このままビジネス志向で経営される私大が日本中で増え続ければ、文科利権とさらに強固に結びつき、
不必要な大学や新設学部に税金が注ぎ込まれるおそれもある。 思考の抽象度を上げて本質的に物事を認識するためには、前提となる知識や教養が必要です。
「神は死んだ」
という言葉を聞いても、ドイツの哲学者ニーチェのことを知っているか否かで、その言葉が本当に意味していることを的確に捉えることはできません。
情報の意味を正しく捉えるためには前提知識・基礎教養が不可欠です。
そうした知識・教養を支えているのは強い知的好奇心です。
自分の知らないことに対する貪欲な態度、「わからない」ということに対する妥協なき追究が、結果的に知識・教養の豊かさにつながっています。 安く航空券を買おうとするとそれなりの苦痛を伴う
通常の方法よりも安い航空券が欲しければ面倒な事をしなければならない。
ネットでよく紹介されている例として以下の5点がある。
・航空券が安い時期を狙う
・ネットのIPアドレスを海外のモノに変える
・航空券セールの時期を狙う
・ハピタスを経由して買う
・マイルをお得に使う
まぁ、こういう事もやれば更に安く買えるんですよっていう話。
詳しいやり方はネットで調べればいくらでも出てくる。
だけどアナタは以下のような行動をやりましたか?
または実際にやりたいと思いますか?
・航空券が安い時期に会社の休みを取れる?
・IPアドレスを海外のモノに変えた?
・セール時期っていつか分かる?
・ハピタスやPexに登録した?
・マイルを貯めるために航空会社の言いなりになる
もっと安い航空券が欲しければ、そういう興味のない嫌な事もやらないといけない。 多くの人は 「お金を使うために費やす時間」 を軽視している
ではなぜお金を使わないのかというと、生活水準を上げたくないからです。ハードワークが基本だから使うヒマがないというのもあります。
僕がお金を使わないのは、お金を使うと損失が発生するからです。
「お金を使ったらそれは損失になるよね」 と思われるかもしれませんが、そうではないのです。
僕が考える、お金を使うことの一番の損失は 「お金が減ること」 ではありません。「お金を使うために費やす時間」 なのです。
たとえば100万円の買い物をするとします。そのときには100万円というお金だけでなく、時間を使って買い物をしているわけです。
その時間を使って本来稼げるはずのお金があったはずなのです。その時間を使ってしまったことが最大の損失なのです。 そもそも飛行機は現金で乗れます。
マイルはお客さんがもうからない仕組み
マイルは使用用途が限られるけど現金の使用用途は無限
マイルを貯めるよりも現金を貯めましょう
お金を払えば飛行機に乗せてもらえる
幼稚園でも分かる当たり前のこと
なのに大人は現金ではなくマイルで飛行機に乗りたがる人が多い。
大人が飛行機に乗る目的は,旅行のために遠くの都市に行くことではないのか?
できるだけお得に乗りたい,ほかの人とは違う優越感を味わうこと自体が目的になっているんじゃないかな?
マイル自体を使って外国に行くことが目的になっていませんか?
あなたは本当に行きたい国に行けていますか? 実は世界の真の為政者たちはこのことをわかっている。
世界中の人々はすでに飼いならされているに過ぎない
このような社会を打破するためには、自給自足経済を取り入れるしかなく、技術革新が極限まで進み、世界のすべての人々が自給自足(特にエネルギーと食料)できるようになれば
過度なグローバル資本主義(新自由主義による寡占)は崩壊し、その権化であるアメリカも崩壊する。
ただ、このようなことはアメリカのパワーエリートたちは百も承知であり、人々が自給自足できないよう
最近では日本の農業の企業化などで国民を農地(自給自足)から引き離し
それによって核家族化されて人に頼れなくなった人々が地方では生活できなくなり
都市へ半ば強制的に住まわされ、雇われサラリーマンとしてしか稼げないようになってしまっている。
電力、鉄道・道路、通信、物流、水道、銀行などの社会インフラの分割民営化や外資参入もすべて国民が自給自足できなくなることを目的に行われているもの。
とはいえ、このような逆境に屈することなく、真に自由主義、民主主義、自尊心の保持を希求しようとする者は、持ち得る限りの知恵を用いて自給自足経済の確立を目指し(最新の技術を取り入れ、都市生活とそん色ない形での自給自足)、
かつ、周囲の人々を善導し、資本主義の利権による従属関係を断ち切らなければならない。
そして、人々はその幸福、すなわち、人生の究極目標を快楽ではなく知的探求に求めるべく変わるべきだろう。
なぜなら、強い快楽を得るためには多くのお金が必要であるわけだが、
世界の真の為政者たちは低層階級の人々へ回るお金を出来るだけ少なくしようとしている故、低層階級の人々は低劣で質の低い快楽しか享受できず
(ビールではなく発泡酒だとか、恋人や妻ではなくデリヘルだとか、レストランではなくファストフードだとか、車だとかスポーツだとかパチンコだとか)
このような愚劣な快楽を追い求めるために身体を犠牲にしてまで必死に働くというのは馬鹿げているからである。
しかしながら、人生の究極目標を知的探求に求めるならば、それを行うのに大したお金もかからず、人々に真の美を得させてくれる
しかも人々を崇高かつ優れた人間にし、さらに理性も鍛え、くだらない嫉妬や妬みなどからも解放してくれる 賢い人同士で話し合っている場合は問題なく議論が進み、よりよい正解に近づいていく一方で、
賢い人とバカが話し合った場合、バカの論が尊重されやすく、間違いに進む傾向があるということです。
バカが賢い人を論破する理由
なぜ、こんなことが起きてしまうのでしょうか。
その秘密は、旧石器時代の濃密な共同体にあります。
地位を巡って競争している時に、能力が低いことを自ら認めることは致命的で、自分の能力を無意識に過大評価することは先ほど述べたとおり。
一方で、能力の高い人は、相手も自分と同等の能力を持っているだろうと、最初は見積ります。
これは、何の情報もないときに相手を見くびると、手広いしっぺ返をくらうことがあり、また共同体の中で目立ちすぎると排斥される恐れがあるからです。
結果として、能力に大きな違いがある2人が話し合うと、自分の能力を過小評価し、かつ相手の能力を過大評価する賢い人が、
自分の能力を大幅に過大評価するバカに引きずられて、間違った選択をしてしまうのです。
このように、話し合いの場ではバカが賢い人を論破するかたちとなり、バカの意見ばかりが通るようになってしまいます。 私の死生観が若者時代からまったく変わっていないのは、要は 「子供を持っていないから」 だ。
先にも書いたように、私のような死生観をもつ若者はまったく珍しいものではない。
それは、未来に残すモノを持っていないからだ。親ではないからだ。
私は大人だけれど親ではないから、若者時代と同じ死生観を、大人になったいまも変わらず保ち続けているのである。
親には子供を育てる責任がある。親が死ねば子供は不幸になるだろう。
これは死ねない理由になる。親が死んでも子供は未来の世界で生き続ける。
だから親にはよりよい世界を子供に残したいという未来へのモチベーションが発生する。
翻って子供がいない私には、そのようなモチベーションが存在しない。
残るモノが、残すべきモノが何もないからだ。私が死んだら代わりはいない。
しかし、残るモノもなにもない。ゆえに世界とはイコール私自身のことであり、私が死ねば世界は終わる。
だから私は世界のサステナビリティに興味がない。
私はべつに世界に恨みを抱えている訳ではないので積極的に世界を害したいという願望はないし、
私が死ぬまでの間くらいはせいぜい豊かで平和な世界が続いて欲しいと利己的に(ゆえに切実に)願ってはいるが、
私が死んだ後の世界のことなら、べつにどうなっても構わない。
私のこの刹那的で自己中心的な指向性は、「消極的破滅願望」 とでも呼べるものなのではないだろうか。
あるいは俗に言う「サイレントテロ」か。
40代も中盤を迎え子供を設ける可能性が限りなくゼロに近づいたいま、
私はいわゆる 「無敵の人」 にどんどん近づいていっていると、自分自身について感じている。 一方、5ちゃんねるを徘徊することによって、一時的にも自分がみじめな存在だと気づかないままなら、それはそれで幸せだからいいのでは?
と反論したくなる人もいると思います。
しかし、むしろ、5ちゃんねるは「最大のみじめさ」だというのです。
「5ちゃんねる」がみじめである理由の1つは、現実逃避するための「手段」であったはずのスレッド巡回自体が「目的」になってしまうことです。
例えば、多くの人は、仕事をして、終わったあとにスマホをいじることが楽しみだと思っています。
ところがいざ何もせず無職がいつでも自由に5ちゃんねるを見られるようになると、大して嬉しくはならないのです。
なぜなら、その人たちが求めているのは、自分のことを直視せずに夢中になれることだからです。
さらに、本人たちはそのことに気がついていません。
だからこそ、その人たちは、中毒になったかのように5ちゃんねるを徘徊する
また、「5ちゃんねる」がみじめであるもう一つの理由は、
5ちゃんねるは絶対的な問題解決を与えてくれないため、際限なく、スレッド巡回をしてしまうことです。 なんでも「問題」とするのは本スレの悪癖と言われるかもしれないが
これらの問題の到来は高い確率で社会構造の大きな転換を伴ってやってくるだろう。
それを乗り越えるには社会制度の対応だけでは対処できず
個人個人の意識改革も求められる。
未来は予測できないが備えておくことは可能である
複数のシナリオを準備しておけば機動的に人生の方向や戦略を意思決定することができるが
その時にいかにも心地よく、前のめりになれる「いい話」だけを並べてはならない。
思わず目を背けたくな不都合な未来も一緒に置き
冷静に観察することで本当の姿は見えてくる。 本スレの趣旨は、人間がいかに不合理であるかを声高に主張することではない。
また、スレ民に「正しい考え」を持つよう説教することでもない。
むしろ 「これまでとは違う視点で物事を考えてみてはいかがでしょう」とお誘いしていきたい。
実は極めて過小評価されているこの思考のスキルをみなさんと一緒に分かち合っていこうと思う。
「健康には運動が大切」と頭で理解しているだけでは健康になれないのと同じで、
「自分の頭のなかの仮説はよく検証しなければ」と言うだけでは判断力は向上しない。
自分のなかにある認知バイアスや誤りを認めなくては、なんの意味もないのである。
私も、自分自身の失敗や苦い経験を通じて
「人の判断力を低下させているものは、知識ではなくむしろ態度である」という大きな教訓を学んできた。
これは科学的研究によって裏づけられている。 >>280
一人暮らしだからモーマンタイ
建物内にゴミ捨て場があるファミリー向けマンションに一人で借りて住んでますわ 資源ごみの持ち帰りは犯罪だけど、可燃ごみなんかは即犯罪にはなりませんよね?
ゴミを散らかしたりしない限り問題ないでしょ すでに多くの人が感じているように、SNSや5chでの 「いいね」 ではインスタントな共感しか生まれません。
共感からは何も生まれない。
共感はコンフォートゾーンであり、あまりストレスを感じないかも知れません。
しかし共感から新しい考えが生まれたり、チャレンジの気持ちが駆り立てられることはほとんどないと思います
最悪なのは、同じレベルのもの同士で慰めあうパターン。
互いの愚痴を言い合う行為には、「自分たちは頑張っているよね!」と共感し合いたい、という心理が背景にある。
たしかに、「共感」は人間にとって心地よいものであり、ストレスの解消になるかもしれない。
だが、『共感』から新しい考えが生まれてきたり、チャレンジ精神が湧き出てくるようなことは、ほとんどないのが現実。
自分よりもレベルが高い人、自分にはないものを持っている人を友達にするとなると、該当者はかなり少なくなるはずだ。
お金持ちになる人は、このような結果として、付き合う友達の数が減ってくることになる。 本スレの趣旨は、人間がいかに不合理であるかを声高に主張することではない。
また、スレ民に「正しい考え」を持つよう説教することでもない。
むしろ 「これまでとは違う視点で物事を考えてみてはいかがでしょう」とお誘いしていきたい。
実は極めて過小評価されているこの思考のスキルをみなさんと一緒に分かち合っていこうと思う。
「健康には運動が大切」と頭で理解しているだけでは健康になれないのと同じで、
「自分の頭のなかの仮説はよく検証しなければ」と言うだけでは判断力は向上しない。
自分のなかにある認知バイアスや誤りを認めなくては、なんの意味もないのである。
私も、自分自身の失敗や苦い経験を通じて
「人の判断力を低下させているものは、知識ではなくむしろ態度である」という大きな教訓を学んできた。
これは科学的研究によって裏づけられている。 すでに多くの人が感じているように、SNSや5chでの 「いいね」 ではインスタントな共感しか生まれません。
共感からは何も生まれない。
共感はコンフォートゾーンであり、あまりストレスを感じないかも知れません。
しかし共感から新しい考えが生まれたり、チャレンジの気持ちが駆り立てられることはほとんどないと思います
最悪なのは、同じレベルのもの同士で慰めあうパターン。
互いの愚痴を言い合う行為には、「自分たちは頑張っているよね!」と共感し合いたい、という心理が背景にある。
たしかに、「共感」は人間にとって心地よいものであり、ストレスの解消になるかもしれない。
だが、『共感』から新しい考えが生まれてきたり、チャレンジ精神が湧き出てくるようなことは、ほとんどないのが現実。
自分よりもレベルが高い人、自分にはないものを持っている人を友達にするとなると、該当者はかなり少なくなるはずだ。
お金持ちになる人は、このような結果として、付き合う友達の数が減ってくることになる。 このような人間が、自分のみじめさから目をそらすために、辿り着いたのが「5ちゃんねる」なのです。
5ちゃんねるとは、趣味や遊びの板ももちろんですが、仕事板であろうが、雑談板であろうが、ニュース板であろうがなんであろうが、
現実を直視することから逃れることができるありとあらゆるスレッド群に人々が集まっている場所のことなのです。
人々は、老いも病も死もみじめさも貧困も免れることができないので、そんなことを考えずにすませることで幸せになろうとした。
そんな5ちゃんねるのクレジット板を見てポイントを掻き集めれば下り坂の後半生がうまくいくとでも思っているわけ?
そこに行けば自分と同じ貧乏で惨めな境遇の人たちがいて、自分はまだましだと安心出来るから、ついつい行ってしまうんじゃないの?
あなたの求めていることは現実逃避であり、問題の先送りです。 経済学の世界では、資本主義で自由な競争をやれば所得格差は縮まる。
そして、中産階級、中流階級が出てきて健全な社会になるんだというクズネッツ仮説が一時期、正しい考え方だと信じられていました。
このクズネッツという教授は、後にノーベル賞を受賞されました。
第一次大戦ぐらいから1970年ぐらいまでの時期をデータにとって、実際の所得分配のデータを見てみますと、確かに中産階級がどんどん出てきまして、所得分布は平等化していったという結果になっています。
第二次世界大戦後の実証経済学の分野ではそれが常識だった。
その後、レーガン政権、サッチャー政権が米英で誕生して以降、状況が変わりました。
所得格差が拡大し始めたのです。
戦後はそういう状況にあったわけですが、それでは、産業革命以降200年の歴史をトータルで考えたら、果たして資本主義体制は全体として所得格差の拡大をもたらしてきたといえるのかどうか。
普通は 「そんなのデータがないよ」 ということでみんなあきらめるのですが、ピケティさんはすごい粘り強い方で、いろいろなデータ(税務データ等)をかき集めて、
なんとか連続性のある時系列データをつくり、200年という長いスパンで所得格差が拡大しているかどうかを見てみたのです。
すると、やはり 「資本主義は格差を拡大するのだ」 という結論になったのですよ。 働きたくない気持はわかるけど
じゃあ働かなくなった後の人生を考えると、すっげーつまらなそう
「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述がある。
これは、言い得て妙である。人間が狩猟民族だった時代、人々はきっと楽しんで狩りに取り組んでいたはずだ。
しかし、農耕生活をはじめたことで、生きるために嫌でも畑を耕さなければならなくなった。
そのために人は個人から家族という集団で暮らすようになり、一家の住む土地に根を張って生きていくことを強いられ、結果として住む地域や仕事を選ぶ自由を失っていった。
確かに人間には働く遺伝子というかそういうのはあると思う
ただ、それは農作業や漁や猟であったり、職人やDIYみたいなもんであって、サラリーマンではないと思うんだよね
だから、不幸な人間が増えているんでしょう
仕事っていっても会社で上司に叱られながら嫌々働くのと、自分のペースで淡々と物を作り上げてる仕事は違うでしょう
働くのと現金収入を得ることはまったく異質だからね。
専業主婦や近所の公園の掃除や用水路のどぶさらいも仕事なのに
他人の金儲けの手伝いやってピンハネされてわずかばかりの見返り現金収入を得るという
極端に制限された仕事しか現代社会では仕事としてみなされないから、人間性が失われていくわけよ 多くの人は 「お金を使うために費やす時間」 を軽視している
ではなぜお金を使わないのかというと、生活水準を上げたくないからです。ハードワークが基本だから使うヒマがないというのもあります。
僕がお金を使わないのは、お金を使うと損失が発生するからです。
「お金を使ったらそれは損失になるよね」 と思われるかもしれませんが、そうではないのです。
僕が考える、お金を使うことの一番の損失は 「お金が減ること」 ではありません。「お金を使うために費やす時間」 なのです。
たとえば100万円の買い物をするとします。そのときには100万円というお金だけでなく、時間を使って買い物をしているわけです。
その時間を使って本来稼げるはずのお金があったはずなのです。その時間を使ってしまったことが最大の損失なのです。 ふと考えてみたんだが、デイトレーダーって 世間の人間に対して『惨めさ』を売るのが主な仕事なんじゃないか?
ネクタイ締めて満員電車に乗るのが嫌でドロップアウトし、相場の世界に流れ着いた人間が最後に売れるものってヒトとしての尊厳なんだと思う。
そうして『惨めさ』を売り、世間一般の労働者たちに優越感を与えるのが俺たち投資家の社会的役割なんだろう。
だとしたら『惨め屋さん』として誇りをもって惨めな役割を果たすのがおれたちデイトレーダーの最後の誇りだよ。
馬鹿にされるのが仕事だとしたら、おれたちを馬鹿にする全ての人たちに感謝すべきだと思う。
デイトレーダーなんて仕事は、それだけでも充分飯が食える。 テレビドラマ 「集団左遷」 は、主人公の働く大手銀行が外資系のネット企業に買われてしまうかもしれないという発想が斬新だった。
現実の世界でも店舗と行員の大幅なリストラをメガバンクが発表するなか、スケールダウンして生き残るというのはありそうなシナリオだ。
以前、メガバンクが 「商業銀行をやめる」 可能性に言及したが、各行は行員削減やATMの共同利用など、将来の大規模なリストラを予見させる施策を打ち出している。
もしメガバンクが今までのような形態から変わってしまうと、一般利用者は困るだろうか。
答えはノーだ。メガや大手銀行にとって、富裕層ではない零細個人や企業は、なくても困らない存在なので、いずれ彼らに無視されてしまうからだ。 嫌われる勇気で、自分の道を歩む
ぼくはみなさんのことなど基本的には考えていませんし、自分が書きたいことを書いているだけで、
そのスタンスのほうが幸せです。
嫌われることもありますが、ぼくは嫌われる勇気を持っている側なので全く気にしません。
このくらい割り切れないと、結局自分の道を歩むことはできないんですよ。
嫌われる要素は、どんな人にもあります。何をやっても一定の人からは嫌われるので、気にしたところで意味がありません。 メガバンクなどは、大手企業を重視していることは明らかで、個人客や中小企業は軽視していることは否めません。
表立っては言いませんが、「手数料が高いと感じるような人は解約してもらって構わない」 と考えているのかもしれません。
金融庁も利用者保護よりも金融システムの安定の方が大事だと考えているので、銀行が手数料を上げることは、むしろ、収益改善に繋がると好意的に考えているでしょう。
●キャッシュレス化や給与デジタル化は「諸刃の剣」の側面も
銀行は、現金をできるだけ取り扱いたくないと考えているので、キャッシュレス化には実は賛成の立場です。
しかし、この考えは、諸刃の剣であり、現金の扱いがなくなれば、銀行を利用する価値がなくなる可能性があります。
なぜなら、給与デジタル払いが解禁になったことで、電子決済で給与を支払う場合、振込手数料が掛からなくなるからです。
今後、電子決済で家賃なども含めほとんどの支払いができるようになれば、一切銀行を使わずに生活することができるようになります。そうなれば、少なくとも個人については、住宅ローンなどを利用しないのであれば、銀行を使う必要性はなくなります。 兵庫県知事の斎藤元彦で何が公職選挙法違反に当たるのかが明らかになった
・買収というのは被選挙人だけでなく、第三者でも成立する
・給与が発生している業務時間に投票依頼すれば完全な真っ黒となる
例えば仕事の延長線上での飲み会で公明党への投票を依頼すれば限りなく黒に近いグレーとなる
また、特定候補へ投票の依頼をするのはメールはNGだが、グループLINEならOKという勘違いはしないようにな
メールがNGとなったころにラインはその存在は知られていなかったというだけで、メールとLINEは実質的には同じものだ
金銭の授受の関係が発生している従業員やバイトに投票依頼すること自体が公職選挙法違反になる
メールだろうが、ラインだろうが、手紙だろうが、口頭だろうが、全て違反となる
それ以前に、自分が望まない党へ投票させるのはパワハラそのもので、人権意識やコンプライアンスが著しく欠落している
中居正広によるエントラップメント型の強姦で判明したように、組織内での権力差があれば嫌だとは言えなくなり、それと同じだ
公益通報者が不利益は被ることは一切ない
安心して選挙管理委員会に訴えよう
それでも心配だという人は文春リークスでもよい
いずれにせよ社会正義を行った告発者は悪質な会社から守られ、その素性が会社側に知られることはない
参院選や統一地方選のとき、ドン・キホーテの社員やアルバイトでそういう違法行為を呼びかけられた人は必ずしかるべきところへ告発しよう 荒らし兄貴冷えてるかぁ〜?
おう打ってこい打ってこい エセ荒らし兄貴もうダウンしてて草
なにが本スレ潰したーだよ
ハッタリホラ吹きキッズやん 経済学の世界では、資本主義で自由な競争をやれば所得格差は縮まる。
そして、中産階級、中流階級が出てきて健全な社会になるんだというクズネッツ仮説が一時期、正しい考え方だと信じられていました。
このクズネッツという教授は、後にノーベル賞を受賞されました。
第一次大戦ぐらいから1970年ぐらいまでの時期をデータにとって、実際の所得分配のデータを見てみますと、確かに中産階級がどんどん出てきまして、所得分布は平等化していったという結果になっています。
第二次世界大戦後の実証経済学の分野ではそれが常識だった。
その後、レーガン政権、サッチャー政権が米英で誕生して以降、状況が変わりました。
所得格差が拡大し始めたのです。
戦後はそういう状況にあったわけですが、それでは、産業革命以降200年の歴史をトータルで考えたら、果たして資本主義体制は全体として所得格差の拡大をもたらしてきたといえるのかどうか。
普通は 「そんなのデータがないよ」 ということでみんなあきらめるのですが、ピケティさんはすごい粘り強い方で、いろいろなデータ(税務データ等)をかき集めて、
なんとか連続性のある時系列データをつくり、200年という長いスパンで所得格差が拡大しているかどうかを見てみたのです。
すると、やはり 「資本主義は格差を拡大するのだ」 という結論になったのですよ。 働きたくない気持はわかるけど
じゃあ働かなくなった後の人生を考えると、すっげーつまらなそう
「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述がある。
これは、言い得て妙である。人間が狩猟民族だった時代、人々はきっと楽しんで狩りに取り組んでいたはずだ。
しかし、農耕生活をはじめたことで、生きるために嫌でも畑を耕さなければならなくなった。
そのために人は個人から家族という集団で暮らすようになり、一家の住む土地に根を張って生きていくことを強いられ、結果として住む地域や仕事を選ぶ自由を失っていった。
確かに人間には働く遺伝子というかそういうのはあると思う
ただ、それは農作業や漁や猟であったり、職人やDIYみたいなもんであって、サラリーマンではないと思うんだよね
だから、不幸な人間が増えているんでしょう
仕事っていっても会社で上司に叱られながら嫌々働くのと、自分のペースで淡々と物を作り上げてる仕事は違うでしょう
働くのと現金収入を得ることはまったく異質だからね。
専業主婦や近所の公園の掃除や用水路のどぶさらいも仕事なのに
他人の金儲けの手伝いやってピンハネされてわずかばかりの見返り現金収入を得るという
極端に制限された仕事しか現代社会では仕事としてみなされないから、人間性が失われていくわけよ 多くの人は 「お金を使うために費やす時間」 を軽視している
ではなぜお金を使わないのかというと、生活水準を上げたくないからです。ハードワークが基本だから使うヒマがないというのもあります。
僕がお金を使わないのは、お金を使うと損失が発生するからです。
「お金を使ったらそれは損失になるよね」 と思われるかもしれませんが、そうではないのです。
僕が考える、お金を使うことの一番の損失は 「お金が減ること」 ではありません。「お金を使うために費やす時間」 なのです。
たとえば100万円の買い物をするとします。そのときには100万円というお金だけでなく、時間を使って買い物をしているわけです。
その時間を使って本来稼げるはずのお金があったはずなのです。その時間を使ってしまったことが最大の損失なのです。 ふと考えてみたんだが、デイトレーダーって 世間の人間に対して『惨めさ』を売るのが主な仕事なんじゃないか?
ネクタイ締めて満員電車に乗るのが嫌でドロップアウトし、相場の世界に流れ着いた人間が最後に売れるものってヒトとしての尊厳なんだと思う。
そうして『惨めさ』を売り、世間一般の労働者たちに優越感を与えるのが俺たち投資家の社会的役割なんだろう。
だとしたら『惨め屋さん』として誇りをもって惨めな役割を果たすのがおれたちデイトレーダーの最後の誇りだよ。
馬鹿にされるのが仕事だとしたら、おれたちを馬鹿にする全ての人たちに感謝すべきだと思う。
デイトレーダーなんて仕事は、それだけでも充分飯が食える。 テレビドラマ 「集団左遷」 は、主人公の働く大手銀行が外資系のネット企業に買われてしまうかもしれないという発想が斬新だった。
現実の世界でも店舗と行員の大幅なリストラをメガバンクが発表するなか、スケールダウンして生き残るというのはありそうなシナリオだ。
以前、メガバンクが 「商業銀行をやめる」 可能性に言及したが、各行は行員削減やATMの共同利用など、将来の大規模なリストラを予見させる施策を打ち出している。
もしメガバンクが今までのような形態から変わってしまうと、一般利用者は困るだろうか。
答えはノーだ。メガや大手銀行にとって、富裕層ではない零細個人や企業は、なくても困らない存在なので、いずれ彼らに無視されてしまうからだ。 嫌われる勇気で、自分の道を歩む
ぼくはみなさんのことなど基本的には考えていませんし、自分が書きたいことを書いているだけで、
そのスタンスのほうが幸せです。
嫌われることもありますが、ぼくは嫌われる勇気を持っている側なので全く気にしません。
このくらい割り切れないと、結局自分の道を歩むことはできないんですよ。
嫌われる要素は、どんな人にもあります。何をやっても一定の人からは嫌われるので、気にしたところで意味がありません。 メガバンクなどは、大手企業を重視していることは明らかで、個人客や中小企業は軽視していることは否めません。
表立っては言いませんが、「手数料が高いと感じるような人は解約してもらって構わない」 と考えているのかもしれません。
金融庁も利用者保護よりも金融システムの安定の方が大事だと考えているので、銀行が手数料を上げることは、むしろ、収益改善に繋がると好意的に考えているでしょう。
●キャッシュレス化や給与デジタル化は「諸刃の剣」の側面も
銀行は、現金をできるだけ取り扱いたくないと考えているので、キャッシュレス化には実は賛成の立場です。
しかし、この考えは、諸刃の剣であり、現金の扱いがなくなれば、銀行を利用する価値がなくなる可能性があります。
なぜなら、給与デジタル払いが解禁になったことで、電子決済で給与を支払う場合、振込手数料が掛からなくなるからです。
今後、電子決済で家賃なども含めほとんどの支払いができるようになれば、一切銀行を使わずに生活することができるようになります。そうなれば、少なくとも個人については、住宅ローンなどを利用しないのであれば、銀行を使う必要性はなくなります。 営業担当者からチヤホヤされてよい気分になれるというメリットもあるし、その内容が的確かどうかにかかわらず手厚いアドバイスやサポートを受けられるので、
たとえ損をしていたとしても 『やっぱり野村證券がいい』 と思い込んでいるケースもあるだろう。
それほど目立った損が出ていないのであれば、営業担当者に言われるがままにやっていればよいし、面倒な手続きも証券会社側がやってくれるので楽ではある。
また、野村證券は大企業の上場の主幹事を務めることが多くIPO案件を数多く持っている。
こうした案件は対面で付き合いのある太筋の大口顧客に優先的に紹介されるといわれており、これに関しては野村を使うメリットの一つといえるだろう。
ただ、それなりに大きな額の資産を持っている顧客でないと、その恩恵を被ることができない。
逆にいうと、これら以外に対面型の証券会社を使うメリットはない。
自分で情報を収集してネット取引ができるようなリテラシーの高い投資家にとっては、手数料が高く、かつ会社側の都合で銘柄を推奨してくる対面型の証券会社を使うのはデメリットのほうが多い。
既存の大手証券会社はアナリストによるレポートの提供や、顧客の相続・ローンなど資産形成をトータルでサポートしてくれたり、
充実したサービスを受けられるのがメリットともいわれるが、
現在では取ろうと思えば深い企業情報は個人でも取れるし、相続なら高い専門ノウハウを持つ独立系の税理士などに相談すれば済むので、
繰り返しになるが、自分でいろいろ調べて行動に移せる人にとって、対面型の証券会社を使う理由はあまりない。
端的に言えば、都銀、野村證券、大和証券、みずほ証券とか使いたがるのはマネーリテラシーのない金融情弱ということ。 完全な自由を手に入れる
嫌な人と関わりたくない、人付き合いを避けたい。人間関係で悩む方は誰もがこう思うはずです。
承認欲求は「人から嫌われたくない」、「みんなから好かれたい」という欲望で、食欲や性欲と同じで本能的なものです。
しかし、人間関係での自由を手に入れるためには、この承認欲求を手放す必要があります。
例えば「食欲」で考えると、好きな食べ物を、好きなときに、好きなだけ食べられる状態が食欲の自由ではありません。
ラーメンを食べても満足、お米を食べても満足、パンを食べても満足、ピーマンを食べても満足、食事の量が多くても少なくても満足。
これが食欲から開放された完全な自由です。
性欲も同じで、若いJDとのサポ割り切りワンナイトでも満足、マンネリ女房とのセックスでも満足、1人でAVオナニーでも満足。
これが性欲に振り回されない完全なる自由です。
そして、承認欲求から開放された本当の自由とは、他者から好かれてもいい、嫌われてもいい、尊敬されてもいい、バカにされてもいい、怒られてもいい、笑われてもいい、ホメられてもいい。
「他者にどう評価されようが私は一向に構わない」
この姿勢が人間関係の本当の自由です。 なんでも「問題」とするのは本スレの悪癖と言われるかもしれないが
これらの問題の到来は高い確率で社会構造の大きな転換を伴ってやってくるだろう。
それを乗り越えるには社会制度の対応だけでは対処できず
個人個人の意識改革も求められる。
未来は予測できないが備えておくことは可能である
複数のシナリオを準備しておけば機動的に人生の方向や戦略を意思決定することができるが
その時にいかにも心地よく、前のめりになれる「いい話」だけを並べてはならない。
思わず目を背けたくな不都合な未来も一緒に置き
冷静に観察することで本当の姿は見えてくる。 ps://dol.ismcdn.jp/mwimgs/a/d/550/img_ee074b6b20aee29489805251496aa3a6236486.jpg
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頭を使い続けることが重要なんです。
私のように、丸一日頭をフル回転させ、一瞬の値動きに反応することが求められる生活を続けていれば、そうそう判断力が衰えることはありません。
私の周りにも、70歳をすぎて株を始めた友人がいます。たまたま知り合ったのですが、近所に住んでいたので、株を教えるようになりました。いまもよく私の家に来ては、ああだこうだと言いながら株取引をしています。
彼は始めるのが遅かったこともあり、なかなか最初のうちは勝てず、退職金を減らしたこともあります。ただし5年、10年と諦めずにやっていくうちに、少しずつ勝てるようになってきました。
彼ももう80歳を超えましたが、立派な投資家です。「もう自分は年をとっているから」というのは、逃げ文句だと私は思いますね。
今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。
お金を増やしたいのは二の次、ただただ楽しいから毎朝2時起きで株のことを考えている。
3台のPCモニターを前に、刻々と変わる株価チャートや板を見つめながら、売ったり買ったりを繰り返す時間です。
勝負は午前2時に幕開け
どの株が上がるかを見極めるためには、取引時間以外の時間が非常に重要です。
取引の準備をするため、私は毎日午前2時に起きます。働き盛りの会社員なら就寝するくらいの時刻かもしれませんね。
さすがに女房はまだ寝ています。もう何十年も目覚ましはかけていませんが、身体が覚えているので、時間になれば勝手に目が覚めてしまうんです。 ふと考えてみたんだが、デイトレーダーって 世間の人間に対して『惨めさ』を売るのが主な仕事なんじゃないか?
ネクタイ締めて満員電車に乗るのが嫌でドロップアウトし、相場の世界に流れ着いた人間が最後に売れるものってヒトとしての尊厳なんだと思う。
そうして『惨めさ』を売り、世間一般の労働者たちに優越感を与えるのが俺たち投資家の社会的役割なんだろう。
だとしたら『惨め屋さん』として誇りをもって惨めな役割を果たすのがおれたちデイトレーダーの最後の誇りだよ。
馬鹿にされるのが仕事だとしたら、おれたちを馬鹿にする全ての人たちに感謝すべきだと思う。
デイトレーダーなんて仕事は、それだけでも充分飯が食える。 専業をやっていると徐々に周囲の人(家族・友人・5ch)と話が合わなくなってくる、マジで。
まず専業やっている時点で奇異の目で見られる。
そして数百万単位で金が変動する生活を送っていると、
はした金で騒いでいる周囲の人の話が凄くどうでも良い事のように聞こえてしまって関心が無くなってくる。。
だんだん孤独になっている実感がある。
もはや普通の生活には戻れないだろう。
尤も今さら普通の生活に戻りたいとも思わないが。
「ヒエラルキー」だけでも知ってれば多数派が成功するなんて有り得ないって気が付くはずなんですけどね 営業担当者からチヤホヤされてよい気分になれるというメリットもあるし、その内容が的確かどうかにかかわらず手厚いアドバイスやサポートを受けられるので、
たとえ損をしていたとしても『やっぱり野村證券がいい』と思い込んでいるケースもあるだろう。
それほど目立った損が出ていないのであれば、営業担当者に言われるがままにやっていればよいし、面倒な手続きも証券会社側がやってくれるので楽ではある。
また、野村證券は大企業の上場の主幹事を務めることが多くIPO案件を数多く持っている。
こうした案件は対面で付き合いのある太筋の大口顧客に優先的に紹介されるといわれており、これに関しては野村を使うメリットの一つといえるだろう。
ただ、それなりに大きな額の資産を持っている顧客でないと、その恩恵を被ることができない。
逆にいうと、これら以外に対面型の証券会社を使うメリットはない。
自分で情報を収集してネット取引ができるようなリテラシーの高い投資家にとっては、手数料が高く、かつ会社側の都合で銘柄を推奨してくる対面型の証券会社を使うのはデメリットのほうが多い。
既存の大手証券会社はアナリストによるレポートの提供や、顧客の相続・ローンなど資産形成をトータルでサポートしてくれたり、
充実したサービスを受けられるのがメリットともいわれるが、
現在では取ろうと思えば深い企業情報は個人でも取れるし、相続なら高い専門ノウハウを持つ独立系の税理士などに相談すれば済むので、
繰り返しになるが自分でいろいろ調べて行動に移せる人にとって、対面型の証券会社を使う理由はあまりない」
都銀、野村證券、大和証券、みずほ証券とか使いたがるのはマネーリテラシーのない金融情弱 勝ち組が笑い、負け組が泣くシビアな世界
株式投資は、将来を見通せる人が利益を得る仕組みになっている。
そうした能力がない人は、指をくわえながら株価が上がっていくのをじっとみて悔しがるしかない。
株価の動向を予測するためには、数学や経済の知識を使いながら、社会の動きをかなり先まで見通さないといけない。
確実な予測は難しいし、勝ち組と負け組ではっきり差が出るシビアな世界だ。 経済学の世界では、資本主義で自由な競争をやれば所得格差は縮まる。
そして、中産階級、中流階級が出てきて健全な社会になるんだというクズネッツ仮説が一時期、正しい考え方だと信じられていました。
このクズネッツという教授には、私も昔ハーバード大学で教わったことのある高名な先生で、後にノーベル賞を受賞されました。
第一次大戦ぐらいから1970年ぐらいまでの時期をデータにとって、実際の所得分配のデータを見てみますと、確かに中産階級がどんどん出てきまして、所得分布は平等化していったという結果になっています。
第二次 世界大戦後の実証経済学の分野ではそれが常識だった。
その後、レーガン政権、サッチャー政権が米英で誕生して以降、状況が変わりました。
所得格差が拡大し始めたのです。
戦後はそういう状況にあったわけですが、それでは、産業革命以降200 年の歴史をトータルで考えたら、果たして資本主義体制は全体として所得格差の拡大をもたらしてきたといえるのかどうか。
普通は 「そんなのデータがないよ」 ということでみんなあきらめるのですが、ピケティさんはすごい粘り強い方で、いろいろなデータ(税務データ等)をかき集めて、
なんとか連続性のある時系列データをつくり、200年という長いスパンで所得格差が拡大しているかどうかを見てみたのです。
すると、やは り 「資本主義は格差を拡大するのだ」 という結論になったのですよ。