衣類ゴミからお宝探し(下着他) 15袋目 ロリ以外
労働者
ps://images4.imagebam.com/9e/77/63/METAL89_o.jpg
Employee(労働者)
日本国内において、就業者に占める雇用者・労働者の割合は87%に上ります。
後ほど説明するB(ビジネスオーナー)に雇用されて、時間や労働力を切り売りすることで収入を得ているのがE(労働者)です。
Investor(投資家)
株・債券・不動産などに投資して利益を得ています。ビジネスの仕組みを考えるのが B(ビジネスオーナー)ですが、I(投資家)は仕組みすら考えません。
I(投資家)は自身の時間を使うことなく、他人のビジネスを利用し、お金を自分のために働かせて収入を得る人です。
自由な時間が多く持てます。
つまり、種銭の少ない貧乏人は意思決定権のないサラリーマンになって75歳まで労働者を続けるしかないということ。 株専業をやっていると徐々に周囲の人(家族・友人・5ch)と話が合わなくなってくる、マジで。
まずデイトレやっている時点で奇異の目で見られる。
そして数百万単位で金が変動する生活を送っていると、
はした金で騒いでいる周囲の人の話が凄くどうでも良い事のように聞こえてしまって関心が無くなってくる。。
だんだん孤独になっている実感がある。
もはや普通の生活には戻れないだろう。
尤も今さら普通の生活に戻りたいとも思わないが。 もしポイン卜乞食続けていたら、億を超える資産は築けなかった
株式投資を始める前はポイン卜をかき集める誘惑に駆られました。
でも、ポイ活をすると、株式投資に割く時間がほとんどなくなってしまいます。
それにポイ活はせいぜい100万円の1%程度。資産運用は1000万円に対して10%のリターン 。動く金額は100倍です。
今にして思うと、ここが大きな分岐点でした。
いまだにポイン卜乞食を続けて、クビにならないように、会社にしがみついて生きていくしかなかったでしょう。 断捨離は"断"が重要
断つからこそ、今あるものを大事しようとする
大事に大事を重ねてきたものが壊れたときには、自ずと次に買うものを厳選しようとするものだ
このような厳選を積み重ねることで、自分にとっての必要と無駄というものが分かってくる
このとき、初めて"離"の段階に到達する 本スレの趣旨は、人間がいかに不合理であるかを声高に主張することではない。
また、スレ民に「正しい考え」を持つよう説教することでもない。
むしろ 「これまでとは違う視点で物事を考えてみてはいかがでしょう」とお誘いしていきたい。
実は極めて過小評価されているこの思考のスキルをみなさんと一緒に分かち合っていこうと思う。
「健康には運動が大切」と頭で理解しているだけでは健康になれないのと同じで、
「自分の頭のなかの仮説はよく検証しなければ」と言うだけでは判断力は向上しない。
自分のなかにある認知バイアスや誤りを認めなくては、なんの意味もないのである。
私も、自分自身の失敗や苦い経験を通じて
「人の判断力を低下させているものは、知識ではなくむしろ態度である」という大きな教訓を学んできた。
これは科学的研究によって裏づけられている。 あなたが誰かに嫌われているということ。
それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。
たしかに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。
でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです。
自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。
そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。
自由になるためには嫌われる必要があるんです
何より俺のすごいところは、自分が常に正しいことを言っているという自信を一点の曇りもなく持っていることだ。
だから他人に嫌われることをまったく恐れない。
日本社会は、みな一緒に進まなければならないという同調圧力が強いが、この俺には関係ない。 実は友達や仲間がたくさんいる人ほど、成功から遠のくんです。
もしみなさんが、成功したいのであれば、友達や仲間を少なくすることをおすすめします。
お金持ちになりたいなら、友達ゼロでもいい
仲間や友達が多いほうが成功しそう! と思う人も多いかもしれません。
「そもそも成功とは何か?」を最初に定義しておくと、資本主義的な意味での成功です。要するにお金持ちになるということですね。
お金持ちという観点で成功をつかみたければ、友達や仲間はできるだけ少ないほうがいいです。
個人的にはゼロでもいいと思いますが、さすがに社会で生きている以上、ゼロはむずかしいかもしれません。
ゼロにできなくても、なるべく少なくする意識が大切です。
なぜかというと、友達や仲間が多ければ多いほど、様々なコストが上がるから。
まずコミュニケーションコストが上がります。LINEがたくさん来たり、週末飲みに行かないかと誘われたり、今度このカフェに朝活しに行かないか、という話になります。
非情に聞こえるかもしれませんが、その時間がもったいないとぼくは思いますね。
1人でやったほうが圧倒的に効率はいいですよ。確実に成功へ近づきます。
まず1人でやって、その後に必要であれば仲間を作っていく、あるいは後から来る人を応援すればいいだけ。
なのになぜか多くの人は、まだ何も始まっていない状態から仲間と一緒にやりたがります。
これは教育の失敗だと思っています。
ぼくらの社会は仲間というものを大事にしたがりますよね。
大事にしたほうが基本的にはいいですが、資本主義的な意味で成功したいのであれば、ある意味で出し抜かないといけない部分があります。
なのである程度1人でできないと、成功するのはむずかしくなるでしょう。
結局、孤独にがんばるしかない 完全な自由を手に入れる
嫌な人と関わりたくない、人付き合いを避けたい。人間関係で悩む方は誰もがこう思うはずです。
承認欲求は「人から嫌われたくない」、「みんなから好かれたい」という欲望で、食欲や性欲と同じで本能的なものです。
しかし、人間関係での自由を手に入れるためには、この承認欲求を手放す必要があります。
例えば「食欲」で考えると、好きな食べ物を、好きなときに、好きなだけ食べられる状態が食欲の自由ではありません。
ラーメンを食べても満足、お米を食べても満足、パンを食べても満足、ピーマンを食べても満足、食事の量が多くても少なくても満足。
これが食欲から開放された完全な自由です。
性欲も同じで、若いJDとのサポ割り切りワンナイトでも満足、マンネリ女房とのセックスでも満足、1人でAVオナニーでも満足。
これが性欲に振り回されない完全なる自由です。
そして、承認欲求から開放された本当の自由とは、他者から好かれてもいい、嫌われてもいい、尊敬されてもいい、バカにされてもいい、怒られてもいい、笑われてもいい、ホメられてもいい。
「他者にどう評価されようが私は一向に構わない」
この姿勢が人間関係の本当の自由です。 正直、僕はみなさんのために投稿しているわけではありませんw
普段から 「皆さんのために投稿しています」 とは言っていませんし、そもそも皆さんのために何かをしようと思っていません。
なぜ投稿しているかというと、自分がやりたいからやっているんです。
もちろん結果として、皆さんのためになるだろう! という期待はあります。
とは言っても、皆さんのためにやっているのではありませんし、こういうことを言うと嫌われますw
まぁ僕の場合は、他人から嫌われることを全く気にしていないので問題はありませんが。
むしろ、「皆さんのためではない」 と言うと、なぜ怒られるのか理解できません。
小説家は、読者のために小説を書いているわけではありませんよね。
映画監督も、自分が作りたいから作っているでしょう。
もし 「お客さまのために作っています」 と言っている映画監督がいたら、ちょっと疑いますよねw
結局、「お客さまのために」 という言葉は欺瞞なんです。ほとんどの場合はウソでしょう。
中には、お客さまのためにがんばれる人もいますが、世の中でよく使われる
「お客さまのために」 というのは、ただ嫌われたくないだけです。 がんばる必要がないものは継続できる
毎日継続することは、ぼくにとって当たり前のことなんですよ。
ただ、好きだからやっているだけの話です。継続しようと思って、継続しているわけではありません。
新しいことを始める初期はともかく、継続しているうちに自分の能力が上がり、
テンプレートならスクリプトを使えばいいし
徐々にがんばる必要がなくなってきます。
さらにつづけると「やらなければ気持ち悪い」状態になります。
ぼくはもう、5chでコピペしなければ気持ち悪いんですよ。
毎日やるのが当たり前になっている以上に、ぼく自身が書くことを欲しているんですよね。
自分を表現できる場、気持ちを吐き出す場を、ぼく自身が必要としている。 継続でスキルは上がり、やがて唯一無二になれる
やりたくて仕方がなくなると、どんなものでもスキルは上がりますよ。
レベルもどんどんアップしていく。
だって私はこれをやらないと具合が悪くなるんだ! 死ぬんだ! みたいな状態ですからw
磨き込んで円熟の域になり、さらに唯一無二のレベルになっていきます。
とは言っても、楽しいことでも継続している中で楽しくなくなる瞬間はあります。
ずっと楽しいなんて甘いものではありません。
スキルが停滞し、壁にぶち当たるんです。悩み、やめたくもなります。
そこで大切なのは壁にぶつかって楽しくなくなる瞬間すらも楽しめるものを選ぶことですね。 そもそも飛行機は現金で乗れます。
マイルはお客さんがもうからない仕組み
マイルは使用用途が限られるけど現金の使用用途は無限
マイルを貯めるよりも現金を貯めましょう
お金を払えば飛行機に乗せてもらえる
幼稚園でも分かる当たり前のこと
なのに大人は現金ではなくマイルで飛行機に乗りたがる人が多い。
大人が飛行機に乗る目的は,旅行のために遠くの都市に行くことではないのか?
できるだけお得に乗りたい,ほかの人とは違う優越感を味わうこと自体が目的になっているんじゃないかな?
マイル自体を使って外国に行くことが目的になっていませんか?
あなたは本当に行きたい国に行けていますか? 昔の私は、安い航空券やホテルにかなりこだわっていた。
色々な航空券サイトを巡回して何度もフライト検索していた。
酷い時は一日で50回以上検索する時もあった。
それはホテル選びでも同じ。
とにかく安いホテルにこだわって値段しか見ていなかった。
だけど、今の私ならそんな基準で飛行機やホテルを選ばない。
とにかく安いモノを求めて必死になる自分がバカらしい・・・って思う。
「とにかく安いモノを買うぞ!」と頑張る以前に大切な事があるでしょ?
自分がやりたい海外旅行を実現させる。
それにお金をかけるのが正しいお金の使い方。
お金なんて、日本の会社で真面目に働けばいくらでも稼げる。 人気の宿にはほぼ泊まれません
27日前で条件の良いホテルって残っていると思う?
そういうホテルはもう既に完売になっている。
27日前の時点では条件が悪かったりとかクソ高いホテルしか残っていない。
しかも人口の少ない都市ほどその傾向が強い。
例えば鳥取市。鳥取市のホテルは本当に少ない。
2ヶ月先の鳥取市のホテルを探してみたけど、一泊10000円以下のホテルはもうすでに完売になって予約不可になっていた。
残っているのは1泊2万円以上もするクソ高いホテルだけ・・・
あとは立地が悪いドミトリーしか残っていない そもそも旅行じたいが現実逃避だからな
本当に充実した人生になれば、旅行なんか行く必要がない
日々の淡々とした平穏に100%満足できるようになる
よくあるスローライフでしょ
俺も諸欲は無くなったのでミニマリストに毛が生えた程度で十分だな
ネット環境と本とささやかな息抜きでリゾートレジャーが出来れば
多くは望まない クレカホルダーの大半は 1年に1回海外に行くか行かないかレベルだろうけど
このスレは、あまりに海外数回渡航者向けのヨタ話ばかり紹介され続けてる。
俺も昔は海外に数回渡航して、通算すると2ヶ月は海外に居る計算の年が3年続いた。
しかも1か国の1つの地域に腰を下ろすんじゃなく飛び回って。
その中で 一番役に立ったのは
金でなくて良いから雨プロパー と やはり何でも良いからV と M 最低1枚だな。
保険が何とかと熱弁してる人いるけど、海外で医者に掛かって保険会社向けの申請書を書いてくれといっても
フォーマット書式や元の紙でも有るのか? と問われることがある。
その時々のスポットの海外旅行傷害保険加入時の冊子には、その用紙も付いてるし。
海外は 日本では想像できないトラブルもある。
俺も乗換便にキチンと荷物が乗ってると思ったら置き去りにされたことある。
まだ国によっては、荷物のタグがビニール製でない上にキチンとした接着剤が使われてなく、和紙みたいな紙のタグで糊レベルで止めてる場合もある。それだと直ぐ切れて外れる
あと、ホテルを高級ばかりにする人と 安宿も織り混ぜるのでは また違ってくる。
字ヅラや文言で 「こんなことも 保険が効きますよ」とあっても
海外にいたら何がお得か?なんて考えてる余裕なく 一番 早くトラブルが消える方法を選びたくなる。
その意味では、カードをどうするより 航空会社やホテルを選んだりする方がリスク軽減に。
「海外に行ってまでJAL ANAに乗るバカ居るか? 異国情緒も何もないだろ!」と よく言われるけど
トラブルが起きた場合は国際線でもJAL ANAは凄く助かるよ、腐っても鯛だよ。
カードの色が金だろうが、マイルがどうたら とかどうすれば得かとかトラブル時は どうでもよくなる。
海外拠点のスタッフも 本当に親身になって、他社が原因で起きたトラブルの相談にものってくれる。 経済学の世界では、資本主義で自由な競争をやれば所得格差は縮まる。
そして、中産階級、中流階級が出てきて健全な社会になるんだというクズネッツ仮説が一時期、正しい考え方だと信じられていました。
このクズネッツという教授は、後にノーベル賞を受賞されました。
第一次大戦ぐらいから1970年ぐらいまでの時期をデータにとって、実際の所得分配のデータを見てみますと、確かに中産階級がどんどん出てきまして、所得分布は平等化していったという結果になっています。
第二次世界大戦後の実証経済学の分野ではそれが常識だった。
その後、レーガン政権、サッチャー政権が米英で誕生して以降、状況が変わりました。
所得格差が拡大し始めたのです。
戦後はそういう状況にあったわけですが、それでは、産業革命以降200年の歴史をトータルで考えたら、果たして資本主義体制は全体として所得格差の拡大をもたらしてきたといえるのかどうか。
普通は 「そんなのデータがないよ」 ということでみんなあきらめるのですが、ピケティさんはすごい粘り強い方で、いろいろなデータ(税務データ等)をかき集めて、
なんとか連続性のある時系列データをつくり、200年という長いスパンで所得格差が拡大しているかどうかを見てみたのです。
すると、やはり 「資本主義は格差を拡大するのだ」 という結論になったのですよ。 人間は何もしないことが一番の苦痛になります。
なぜなら、何もせずにじっとしていると、思考がどんどん活性化していき、どんどん不幸になっていくからです。
事実、多くの人は1人で家に籠ってずっと何もせずにいることができないでしょう。
これは、何もせずにじっとしてることが苦痛であるからです。
だからこそ、色々なイベントが人生にはあります。
恋愛や仕事、趣味や人間関係など、人生には色々な出来事があります。
これらは全て、死に対する気晴らしに当たるのです。
死についてできるだけ考えたくないがために、色々なイベントを作り出して、意識を死から遠ざけることで、気晴らしをしているのです。
パスカルは次のような表現をしました。
人間は生まれた瞬間から死という壁に向かっている。そして彼らはその壁を見ないように、気晴らしをしているのだ。
人間は、何もしないでいると、自分が「か弱く」、「慰められないほどみじめ」な存在であることに気がついてしまいます。
だからこそ、私たちは独りでじっとしていられないのです。
人間の不幸は、現実を直視できずに逃避し、自分と1対1で向かい合うことができないことからやってくる。
このような人間が、自分のみじめさから目をそらすために、辿り着いたのが「5ちゃんねる」なのです。
5ちゃんねるとは、趣味や遊びの板ももちろんですが、仕事板であろうが、雑談板であろうが、ニュース板であろうがなんであろうが、
現実を直視することから逃れることができるありとあらゆるスレッド群に人々が集まっている場所のことなのです。
人々は、老いも病も死もみじめさも貧困も免れることができないので、そんなことを考えずにすませることで幸せになろうとした。
そんな5ちゃんねるのクレジット板を見てポイン卜やカードをかき集めて人生がうまくいくとでも思っているわけ?
そこに行けば自分と同じ惨めな境遇の人たちがいて、自分はまだましだと安心出来るから、ついつい行ってしまうんじゃないの?
あなたの求めていることは現実逃避であり、問題の先送りです。 私の本心を言えばこのスレを去ることで自分だけがいち早く辿り着いたゴールに鎮座しつづけることは可能です
しかしその一方で逃げてはならないとも考えているのです。
なぜなら正しい金融機関の選び方や資産を増やすマネープランやひいては人生設計の根幹的考え方を布教することで
より多くの人を老後破綻から救うことも意義深いことで
未熟者とお叱りを受けるかもしれませんが、迷い悩む日々を送っておりまして
これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします 基本的に誰が読んでも分かるように
物事をちゃんと説明しようとするなら長文が必要になる
文章は短文だと誤解を招く可能性がある
馬鹿用のお手軽説明なら短文でも良いけどね
一言の中に内容量が多く、凝縮したキレキレの短い文章は
相手が自分と同じ専門知識を持っている事を前提に成り立つ
プロ職人の現場での会話とか短歌や俳句の世界もその例
相手と自分のバックグラウンドが違う場合は、小学生相手に説明するように1からすべて言わないと話しは通じない
つまりお前ら相手には長文にならざるをえない こういう所でダラダラ書くのは そのほうがいろんな事に思いが至るからだ
それだけ枝葉末節が伸びているわけで
根拠はとくにないが個人的には、そのほうがネタ帳が太りやすい
つまりアイデアが思いつきやすいと思っている
これをシェイプアップすることはできるよ
大体長文なんてはっきり言って誰のものでも
最後の行だけ残してあと全部切ればそれで話は十分通じる
だけどそれだと自分の思考が伸びないし
他人のレスも少なくなってしまって思索が広がらないんだよ
これってなんで他人はわからないのかな
まあ脳のつくりが違うんだろう
別にいいけどね 人間は何もしないことが一番の苦痛になります。
なぜなら、何もせずにじっとしていると、思考がどんどん活性化していき、どんどん不幸になっていくからです。
事実、多くの人は1人で家に籠ってずっと何もせずにいることができないでしょう。
これは、何もせずにじっとしてることが苦痛であるからです。
だからこそ、色々なイベントが人生にはあります。
恋愛や仕事、趣味や人間関係など、人生には色々な出来事があります。
これらは全て、死に対する気晴らしに当たるのです。
死についてできるだけ考えたくないがために、色々なイベントを作り出して、意識を死から遠ざけることで、気晴らしをしているのです。
パスカルは次のような表現をしました。
人間は生まれた瞬間から死という壁に向かっている。
そして彼らはその壁を見ないように、気晴らしをしているのだ。 このような人間が、自分のみじめさから目をそらすために、辿り着いたのが「5ちゃんねる」なのです。
5ちゃんねるとは、趣味や遊びの板ももちろんですが、仕事板であろうが、雑談板であろうが、ニュース板であろうがなんであろうが、
現実を直視することから逃れることができるありとあらゆるスレッド群に人々が集まっている場所のことなのです。
人々は、老いも病も死もみじめさも貧困も免れることができないので、そんなことを考えずにすませることで幸せになろうとした。
そんな5ちゃんねるの投資板を見て人生がうまくいくとでも思っているわけ?
そこに行けば自分と同じ惨めな境遇の人たちがいて、自分はまだましだと安心出来るから、ついつい行ってしまうんじゃないの?
あなたの求めていることは現実逃避であり、問題の先送りです。 おそらく20代30代に貧乏だったであろうこのスレにいる氷河期世代が、
歳を重ねてからやっと手にした少しばかりの余裕とともに無料金というあまい蜜に誘われて
若い頃親が持っていてあこがれていたがずっと手に入れられなかったゴールドカードを目の前にして歓喜の声をもらす
そして、本来なら有り得るはずのない貧乏人相手にゴールドカードを発行するカード会社
この強欲なホルダーとイシュアは出会うべくして出会ったのだろうか?
見ていると妙にほのぼのとして、心やすらぐものさえ感じる
このような損得感情のせめぎあいこそ大衆社会の本来の姿なのでは?と思えるからだ ゴールド持ってる人の大半は無料だから持ってるだけだと思うよ。
公務員や大手企業勤めだとコーポレートカードじゃない私用のカードもゴールド年会費無料が当たり前だし。
今どき11000円とか払ってゴールド持ってる人はアホの極みだと思うけど
「定価1万円なのに無料で招待された俺スゴイ」 とかって、エリートのふりするとか目も当てられない
そこなんだよね
付帯サービスは貧乏人が金持ちの雰囲気を味わうためのもの
一部の外国では「お金持ちは多く払え」という価値観がありゴールドを出すと普通にぼったくられることも多く
その度に不快になることがありました。 そこで私がおすすめしたいのが、「小さな自由を手に入れられるくらいの、小さな資本家」です。
これが実現できれば、時間の自由を奪われることなく、小さな自由を手に入れることができるようになるからです。
また、私が大きな資本家よりも小さな資本家のほうをおすすめする理由として、社会的な立場の自由という点もあります。
私は大学生の頃、海外留学をする費用を稼ぐべくホステスのバイトをしていたことがあります。そのときに代々の資本家の方や経営者とかかわることもありましたが、たとえば代々の資本家であれば、「自分の代で資産を減らすわけにはいかない」というプレッシャーだったり、
経営者であれば人格者であることを求められたり、従業員も抱えているため責任も重そうだなぁと感じました。
私の人生のモットーは、「楽に楽しく生きる」です。
そのため、できる限り過度なプレッシャーや社会的地位は持ちたくないと思っています。ですから、億万長者になりたいとか、社会的に成功したいという方には、本稿の内容は参考にならないかもしれません。
一方、私のように「今よりちょっと自由に生きたいなぁ」と思っている方には、そのヒントになるのではないかと思います。 安く航空券を買おうとするとそれなりの苦痛を伴う
通常の方法よりも安い航空券が欲しければ面倒な事をしなければならない。
ネットでよく紹介されている例として以下の5点がある。
・航空券が安い時期を狙う
・ネットのIPアドレスを海外のモノに変える
・航空券セールの時期を狙う
・ハピタスを経由して買う
・マイルをお得に使う
まぁ、こういう事もやれば更に安く買えるんですよっていう話。
詳しいやり方はネットで調べればいくらでも出てくる。
だけどアナタは以下のような行動をやりましたか?
または実際にやりたいと思いますか?
・航空券が安い時期に会社の休みを取れる?
・IPアドレスを海外のモノに変えた?
・セール時期っていつか分かる?
・ハピタスやPexに登録した?
・マイルを貯めるために航空会社の言いなりになる
もっと安い航空券が欲しければ、そういう興味のない嫌な事もやらないといけない。 がんばる必要がないものは継続できる
毎日継続することは、ぼくにとって当たり前のことなんですよ。
ただ、好きだからやっているだけの話です。継続しようと思って、継続しているわけではありません。
新しいことを始める初期はともかく、継続しているうちに自分の能力が上がり、
テンプレートならスクリプトを使えばいいし
徐々にがんばる必要がなくなってきます。
さらにつづけると「やらなければ気持ち悪い」状態になります。
ぼくはもう、5chでコピペしなければ気持ち悪いんですよ。
毎日やるのが当たり前になっている以上に、ぼく自身が書くことを欲しているんですよね。
自分を表現できる場、気持ちを吐き出す場を、ぼく自身が必要としている。 人間は何もしないことが一番の苦痛になります。
なぜなら、何もせずにじっとしていると、思考がどんどん活性化していき、どんどん不幸になっていくからです。
事実、多くの人は1人で家に籠ってずっと何もせずにいることができないでしょう。
これは、何もせずにじっとしてることが苦痛であるからです。
だからこそ、色々なイベントが人生にはあります。
恋愛や仕事、趣味や人間関係など、人生には色々な出来事があります。
これらは全て、死に対する気晴らしに当たるのです。
死についてできるだけ考えたくないがために、色々なイベントを作り出して、意識を死から遠ざけることで、気晴らしをしているのです。
パスカルは次のような表現をしました。
人間は生まれた瞬間から死という壁に向かっている。そして彼らはその壁を見ないように、気晴らしをしているのだ。
人間は、何もしないでいると、自分が「か弱く」、「慰められないほどみじめ」な存在であることに気がついてしまいます。
だからこそ、私たちは独りでじっとしていられないのです。
人間の不幸は、現実を直視できずに逃避し、自分と1対1で向かい合うことができないことからやってくる。
このような人間が、自分のみじめさから目をそらすために、辿り着いたのが「5ちゃんねる」なのです。
5ちゃんねるとは、趣味や遊びの板ももちろんですが、仕事板であろうが、雑談板であろうが、ニュース板であろうがなんであろうが、
現実を直視することから逃れることができるありとあらゆるスレッド群に人々が集まっている場所のことなのです。
人々は、老いも病も死もみじめさも貧困も免れることができないので、そんなことを考えずにすませることで幸せになろうとした。
そんな5ちゃんねるのクレジット板を見てポイン卜やカードをかき集めて人生がうまくいくとでも思っているわけ?
そこに行けば自分と同じ惨めな境遇の人たちがいて、自分はまだましだと安心出来るから、ついつい行ってしまうんじゃないの?
あなたの求めていることは現実逃避であり、問題の先送りです。 そもそもNFC-VISAは決済音がわかりにくいから終わったのかどうかわかりにくい
WAONのほうがわかりやすい
WAONの音が恥ずかしいとか意味不明
精神病か?
しかもイオンでイオンカードの場合は2回タッチ(通信)することになるからな
WAONならそんな面倒なことする必要なしワンタッチで即決済
WAONのオートチャージも定期的に日常的に行えるからオートチャージできない他の店で残高不足になることもない
そもそもかざす前にNFCのVISA使えるレジかどうか確認する動作も増える
速いとか遅いとか以前の問題
使えそうだから 「クレジットカードで」 と伝えて、かざしていると
「挿し込んでください」 と言われる
「スマホを持って支払いしようとする+クレジットカード指定=スマホのクレカ支払いだからiDだ!」 と、間違った先読みをされる可能性も捨てきれない。
たくさんある電子マネー大国日本ではクレカの非接触決済は区別がつきにくい。
なにより、3面待ちの状態で非接触決済しようとしたら 「タッチはWAONです」と怒られた。
最終的に決済自体はできても、店員とのやり取りコストが発生する可能性がある。
そしてなにより、重たいスマホなんか持っていきたくない
スマホを手に持ってる奴はNFCやフェリカであってもそれだけで動作がのそい
スマホを出したりしまったりする時点で動作が増えてのそい
手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて自由になる。
財布すら持ち歩かない
シャツの胸ポケットにイオンカード1枚入れて歩いて買い物に行くだけ
精算が終われば折りたたんだレシートと重ねて一緒に胸ポケットにしまうだけで終了
さっさとサッカー台に移動して袋詰め あなたが誰かに嫌われているということ。
それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。
たしかに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。
でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです。
自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。
そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。
自由になるためには嫌われる必要があるんです 嫌われる勇気で、自分の道を歩む
ぼくはみなさんのことなど基本的には考えていませんし、自分が書きたいことを書いているだけで、
そのスタンスのほうが幸せです。
嫌われることもありますが、ぼくは嫌われる勇気を持っている側なので全く気にしません。
このくらい割り切れないと、結局自分の道を歩むことはできないんですよ。
嫌われる要素は、どんな人にもあります。何をやっても一定の人からは嫌われるので、気にしたところで意味がありません。 >>537
貧乏だからゴミ漁りをするわけでもないし、金持ちでも手に入れられない物を得られるのがゴミ漁り >>570
手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて自由になる。
財布すら持ち歩かない
が、ゴミは漁る >>569
ゴミの中からもメメント・モリを感じ取れる >>568
ただ、好きだからやっているだけの話です。継続しようと思って、継続しているわけではありません。
その好きなことが犯罪だと言われる人の気持ちについて考えてみよう >>567
ゴミ漁りでも調べることや工夫することはたくさんある
金のためではない、航空券を安く上げようという行動より、高潔だ >>565
ゴールドでも手に入らないのが素敵なゴミだよ >>549
お客様のためではなく、自分のためにやっているだけなのに嫌われるんだぜ
どう思う? >>544
そりゃ、いつでも手に入る物だからできることだ
あの子の今のゴミは今しか手に入らないんだ
ただただ集め続けるだけ >>545
私も、自分自身の失敗や苦い経験を通じて
「人の判断力を低下させているものは、知識ではなくむしろ態度である」という大きな教訓を学んできた。
これは科学的研究によって裏づけられている。
自分自身の失敗や苦い経験を通じて
「俺の判断力を低下させているものは、性欲ではなくむしろ知識である」という大きな教訓を学んできた。
リビドーに突き動かされて、勤勉にゴミの日に漁り続けることでしか得られないものがある >>542
甘すぎる
奇異な目で見られる?それがどうした
こっちは「ゴミ漁りをやっている」のがバレた時点でアウトだ
とっくの昔に普通の生活に戻らない覚悟をしてるんだ >>538
貧富の差に関わらず、スタートラインは横一線なのがゴミ漁り >>543
ポイントを貯めても株で儲けても、足でしか稼げないのが、とっておきのゴミ >>547
言われなくても、友達はいらないし、一人でやってる >>548
「他者にどう評価されようが私は一向に構わない」
この姿勢が人間関係の本当の自由です。
自由に活動しているが、完全に自由ではなく、評価以前にバレたら終わり
そういう性癖について考えたことある? >>552
君は本当に手に入れたいゴミを回収できていますか? >>560
1枚の写真で伝わる素晴らしいゴミもある >>573
これは真理だな
どんだけ金払っても手に入らないものが、タダで手に入る
それがゴミ漁り >>590
金払って安全に入手できるのなら、そうしたいけどね
どう考えても無理な話で…
なんでこんな性癖?趣味?になったのかわからないけど、なかなか止めたくてもやめられない
過去には学生アパートとかが多い地区でやっていたけど、今は職場にいる好きな子のゴミだけにしてる
ちょっと方向性は変わったけど、やってることは同じ
とはいえ、この変化は大きいよなぁと思ったり
好きな子のゴミだと、生ゴミ以外のゴミは、だいたいお宝になる >>590
金はかからないけど、マメさというか、努力は必要
そこは金持ちでも貧乏でも一緒
衣類とか買い取りに持っていくようなゴミを漁るのは金で手に入るものだろうけど、女の子が捨てたものは金では買えない。
仮に交渉して金で買ったとしても、それは無断で漁って手に入れたものとは、ちょっと別だしね 東京のJKJCくらいなら金欲しさに1年洗わずに来た制服とか100万も出せば喜んで譲ってくれそうではある >>593
それとこれとは違う気もする
相手に知られず持っているのも醍醐味だから ゴミとはちょっと違うんだけど、家の裏が資源ゴミ(新聞とか段ボールとか缶とか)の回収場所で、ある時から巡回してる
意外にあるのが、卒業アルバムと日記や手帳
運良く女の子の日記か手帳が手に入った場合、半分くらいの確率でデートの予定とか、いろいろ書いてある
今までに2冊だけだけど、Hのことまで書いてる手帳があった
日記だと、恋愛のことしか書いてない高校生もいて、これはネットで写真も見つけられたから抜けた 都市部だと役所の車が資源ごみ持ち去りパトロールしてるところもある
見つかると警察呼ばれるのかな
でも空き缶を持ち去る浮浪者はスルー JKの進路相談ファイルゲットしたことあるな
住所も母娘の携帯番号も書いてあった ゴミ収集業者が持って行ってるんよなあ
ただペアで協力しないと無理だろうけど 金払って捨ててる以上はそこに行政とゴミ捨てた奴の取引が存在してるからな
今風に言えば資源ゴミ持ち去りって他人の家の置き配の荷物パクってるのと変わらないからそりゃ捕まる 資源ごみはどこの自治体も条例あるからね
無いのは燃えるゴミ
これが無い理由は簡単で路上に落ちてるゴミまで規制する事が不可能だから 先生、ラブホの横の空き地に落ちてた巨乳ブラは
落とし物として警察に届けるべきですか? 同僚が捨てたゼクシィ
あちこちに付箋が貼ってあって「仕事の資料とおんなじだな、オイ」って思った
彼氏がいる気配はないんだけどね メガバンクなどは、大手企業を重視していることは明らかで、個人客や中小企業は軽視していることは否めません。
表立っては言いませんが、「手数料が高いと感じるような人は解約してもらって構わない」 と考えているのかもしれません。
金融庁も利用者保護よりも金融システムの安定の方が大事だと考えているので、銀行が手数料を上げることは、むしろ、収益改善に繋がると好意的に考えているでしょう。
●キャッシュレス化や給与デジタル化は「諸刃の剣」の側面も
銀行は、現金をできるだけ取り扱いたくないと考えているので、キャッシュレス化には実は賛成の立場です。
しかし、この考えは、諸刃の剣であり、現金の扱いがなくなれば、銀行を利用する価値がなくなる可能性があります。
なぜなら、給与デジタル払いが解禁になったことで、電子決済で給与を支払う場合、振込手数料が掛からなくなるからです。
今後、電子決済で家賃なども含めほとんどの支払いができるようになれば、一切銀行を使わずに生活することができるようになります。そうなれば、少なくとも個人については、住宅ローンなどを利用しないのであれば、銀行を使う必要性はなくなります。 営業担当者からチヤホヤされてよい気分になれるというメリットもあるし、その内容が的確かどうかにかかわらず手厚いアドバイスやサポートを受けられるので、
たとえ損をしていたとしても 『やっぱり野村證券がいい』 と思い込んでいるケースもあるだろう。
それほど目立った損が出ていないのであれば、営業担当者に言われるがままにやっていればよいし、面倒な手続きも証券会社側がやってくれるので楽ではある。
また、野村證券は大企業の上場の主幹事を務めることが多くIPO案件を数多く持っている。
こうした案件は対面で付き合いのある太筋の大口顧客に優先的に紹介されるといわれており、これに関しては野村を使うメリットの一つといえるだろう。
ただ、それなりに大きな額の資産を持っている顧客でないと、その恩恵を被ることができない。
逆にいうと、これら以外に対面型の証券会社を使うメリットはない。
自分で情報を収集してネット取引ができるようなリテラシーの高い投資家にとっては、手数料が高く、かつ会社側の都合で銘柄を推奨してくる対面型の証券会社を使うのはデメリットのほうが多い。
既存の大手証券会社はアナリストによるレポートの提供や、顧客の相続・ローンなど資産形成をトータルでサポートしてくれたり、
充実したサービスを受けられるのがメリットともいわれるが、
現在では取ろうと思えば深い企業情報は個人でも取れるし、相続なら高い専門ノウハウを持つ独立系の税理士などに相談すれば済むので、
繰り返しになるが、自分でいろいろ調べて行動に移せる人にとって、対面型の証券会社を使う理由はあまりない。
端的に言えば、都銀、野村證券、大和証券、みずほ証券とか使いたがるのはマネーリテラシーのない金融情弱ということ。 完全な自由を手に入れる
嫌な人と関わりたくない、人付き合いを避けたい。人間関係で悩む方は誰もがこう思うはずです。
承認欲求は「人から嫌われたくない」、「みんなから好かれたい」という欲望で、食欲や性欲と同じで本能的なものです。
しかし、人間関係での自由を手に入れるためには、この承認欲求を手放す必要があります。
例えば「食欲」で考えると、好きな食べ物を、好きなときに、好きなだけ食べられる状態が食欲の自由ではありません。
ラーメンを食べても満足、お米を食べても満足、パンを食べても満足、ピーマンを食べても満足、食事の量が多くても少なくても満足。
これが食欲から開放された完全な自由です。
性欲も同じで、若いJDとのサポ割り切りワンナイトでも満足、マンネリ女房とのセックスでも満足、1人でAVオナニーでも満足。
これが性欲に振り回されない完全なる自由です。
そして、承認欲求から開放された本当の自由とは、他者から好かれてもいい、嫌われてもいい、尊敬されてもいい、バカにされてもいい、怒られてもいい、笑われてもいい、ホメられてもいい。
「他者にどう評価されようが私は一向に構わない」
この姿勢が人間関係の本当の自由です。 なんでも「問題」とするのは本スレの悪癖と言われるかもしれないが
これらの問題の到来は高い確率で社会構造の大きな転換を伴ってやってくるだろう。
それを乗り越えるには社会制度の対応だけでは対処できず
個人個人の意識改革も求められる。
未来は予測できないが備えておくことは可能である
複数のシナリオを準備しておけば機動的に人生の方向や戦略を意思決定することができるが
その時にいかにも心地よく、前のめりになれる「いい話」だけを並べてはならない。
思わず目を背けたくな不都合な未来も一緒に置き
冷静に観察することで本当の姿は見えてくる。 ps://dol.ismcdn.jp/mwimgs/a/d/550/img_ee074b6b20aee29489805251496aa3a6236486.jpg
ps://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/1/670/img_a14cbd859c9141cacbffdc8a4176a0eb495156.jpg
ps://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/5/670/img_b545cdcc10e5600f8cdae7ae27c43449463014.jpg
頭を使い続けることが重要なんです。
私のように、丸一日頭をフル回転させ、一瞬の値動きに反応することが求められる生活を続けていれば、そうそう判断力が衰えることはありません。
私の周りにも、70歳をすぎて株を始めた友人がいます。たまたま知り合ったのですが、近所に住んでいたので、株を教えるようになりました。いまもよく私の家に来ては、ああだこうだと言いながら株取引をしています。
彼は始めるのが遅かったこともあり、なかなか最初のうちは勝てず、退職金を減らしたこともあります。ただし5年、10年と諦めずにやっていくうちに、少しずつ勝てるようになってきました。
彼ももう80歳を超えましたが、立派な投資家です。「もう自分は年をとっているから」というのは、逃げ文句だと私は思いますね。
今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。
お金を増やしたいのは二の次、ただただ楽しいから毎朝2時起きで株のことを考えている。
3台のPCモニターを前に、刻々と変わる株価チャートや板を見つめながら、売ったり買ったりを繰り返す時間です。
勝負は午前2時に幕開け
どの株が上がるかを見極めるためには、取引時間以外の時間が非常に重要です。
取引の準備をするため、私は毎日午前2時に起きます。働き盛りの会社員なら就寝するくらいの時刻かもしれませんね。
さすがに女房はまだ寝ています。もう何十年も目覚ましはかけていませんが、身体が覚えているので、時間になれば勝手に目が覚めてしまうんです。 ふと考えてみたんだが、デイトレーダーって 世間の人間に対して『惨めさ』を売るのが主な仕事なんじゃないか?
ネクタイ締めて満員電車に乗るのが嫌でドロップアウトし、相場の世界に流れ着いた人間が最後に売れるものってヒトとしての尊厳なんだと思う。
そうして『惨めさ』を売り、世間一般の労働者たちに優越感を与えるのが俺たち投資家の社会的役割なんだろう。
だとしたら『惨め屋さん』として誇りをもって惨めな役割を果たすのがおれたちデイトレーダーの最後の誇りだよ。
馬鹿にされるのが仕事だとしたら、おれたちを馬鹿にする全ての人たちに感謝すべきだと思う。
デイトレーダーなんて仕事は、それだけでも充分飯が食える。 専業をやっていると徐々に周囲の人(家族・友人・5ch)と話が合わなくなってくる、マジで。
まず専業やっている時点で奇異の目で見られる。
そして数百万単位で金が変動する生活を送っていると、
はした金で騒いでいる周囲の人の話が凄くどうでも良い事のように聞こえてしまって関心が無くなってくる。。
だんだん孤独になっている実感がある。
もはや普通の生活には戻れないだろう。
尤も今さら普通の生活に戻りたいとも思わないが。
「ヒエラルキー」だけでも知ってれば多数派が成功するなんて有り得ないって気が付くはずなんですけどね 営業担当者からチヤホヤされてよい気分になれるというメリットもあるし、その内容が的確かどうかにかかわらず手厚いアドバイスやサポートを受けられるので、
たとえ損をしていたとしても『やっぱり野村證券がいい』と思い込んでいるケースもあるだろう。
それほど目立った損が出ていないのであれば、営業担当者に言われるがままにやっていればよいし、面倒な手続きも証券会社側がやってくれるので楽ではある。
また、野村證券は大企業の上場の主幹事を務めることが多くIPO案件を数多く持っている。
こうした案件は対面で付き合いのある太筋の大口顧客に優先的に紹介されるといわれており、これに関しては野村を使うメリットの一つといえるだろう。
ただ、それなりに大きな額の資産を持っている顧客でないと、その恩恵を被ることができない。
逆にいうと、これら以外に対面型の証券会社を使うメリットはない。
自分で情報を収集してネット取引ができるようなリテラシーの高い投資家にとっては、手数料が高く、かつ会社側の都合で銘柄を推奨してくる対面型の証券会社を使うのはデメリットのほうが多い。
既存の大手証券会社はアナリストによるレポートの提供や、顧客の相続・ローンなど資産形成をトータルでサポートしてくれたり、
充実したサービスを受けられるのがメリットともいわれるが、
現在では取ろうと思えば深い企業情報は個人でも取れるし、相続なら高い専門ノウハウを持つ独立系の税理士などに相談すれば済むので、
繰り返しになるが自分でいろいろ調べて行動に移せる人にとって、対面型の証券会社を使う理由はあまりない」
都銀、野村證券、大和証券、みずほ証券とか使いたがるのはマネーリテラシーのない金融情弱 勝ち組が笑い、負け組が泣くシビアな世界
株式投資は、将来を見通せる人が利益を得る仕組みになっている。
そうした能力がない人は、指をくわえながら株価が上がっていくのをじっとみて悔しがるしかない。
株価の動向を予測するためには、数学や経済の知識を使いながら、社会の動きをかなり先まで見通さないといけない。
確実な予測は難しいし、勝ち組と負け組ではっきり差が出るシビアな世界だ。 経済学の世界では、資本主義で自由な競争をやれば所得格差は縮まる。
そして、中産階級、中流階級が出てきて健全な社会になるんだというクズネッツ仮説が一時期、正しい考え方だと信じられていました。
このクズネッツという教授には、私も昔ハーバード大学で教わったことのある高名な先生で、後にノーベル賞を受賞されました。
第一次大戦ぐらいから1970年ぐらいまでの時期をデータにとって、実際の所得分配のデータを見てみますと、確かに中産階級がどんどん出てきまして、所得分布は平等化していったという結果になっています。
第二次 世界大戦後の実証経済学の分野ではそれが常識だった。
その後、レーガン政権、サッチャー政権が米英で誕生して以降、状況が変わりました。
所得格差が拡大し始めたのです。
戦後はそういう状況にあったわけですが、それでは、産業革命以降200 年の歴史をトータルで考えたら、果たして資本主義体制は全体として所得格差の拡大をもたらしてきたといえるのかどうか。
普通は 「そんなのデータがないよ」 ということでみんなあきらめるのですが、ピケティさんはすごい粘り強い方で、いろいろなデータ(税務データ等)をかき集めて、
なんとか連続性のある時系列データをつくり、200年という長いスパンで所得格差が拡大しているかどうかを見てみたのです。
すると、やは り 「資本主義は格差を拡大するのだ」 という結論になったのですよ。 今のご時世、真面目にコツコツ一生懸命やる人は 「いい人」 とほめられても、評価されません。課長にもなれません。
途中で体調を崩すか、万年平社員です。
皆さん、薄々気づいているのではないでしょうか。
実際に活躍しているのは、眉間にシワを寄せて一生懸命働く人ではなく、涼しい顔でサクサク仕事を進めている人です。
結論を言います。努力はいりません。ラクに速く仕事をするほうが、結果が出て、さらに人生の選択肢も増えるのです。 たとえば、言い方はよくないですが 「貧乏が頭を悪くする」 というハーバード大学の研究があります。
頭が悪いから貧乏になるのではない。
「貧乏」が頭を悪くする
目の前のことに振り回されている限りは、人間は賢い人でもバカになる。
このことを、私たちはよくよく考えたほうがいい。 5chでの一般的な書き込みとしては長文の方なのかもしれませんが
仕事等で誤解や曲解される要素を減らすために必要な表現を加味したテキストを書いていると
これくらいの分量なるのはごく普通のことではないですかね。
もちろんビジネス用の書類やメールなどではこちらでの書き込みよりも文の体裁や注釈などにさらに神経を使っていますが笑
こういうところに短文の意見等を書くとご自身の反論に都合の良い解釈をされて
なんだかなあと思えるようなリアクションをされる人も少なからずいらっしゃるので
その「都合の良い解釈」に至りがちな穴を先に埋めておくというのが私の書き込みが長くなりがちな理由なんですかね。
書きながらそう思いました。
まあ短文でのくだらない罵り合いの応酬もまた、5chのような場所の魅力、面白さであることを否定はしませんが。 人生の後半になってまで食うために働くのは嫌だから
若い頃から資産形成に励み、40前半の今でも運用だけでも食えてはいるけど
要は自分なりの中長期の計画を立てて、やることやっとけばいい話
日本人の大半はマネーリテラシーが低く、人生を長期のスパンで俯瞰せず
無為に生きて食うための奴隷であり続けてるのがおかしいのさ 俺が仕事もせずに相場からむしり取った売買益や配当金で暮らすことができるのも
お前ら貧乏人サラリーマンが会社のためにせっせと働いて稼いでくれてるからだよ
日本という国は、特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払い
ボーナスポイン卜で糠喜びさせてボッタクリ価格の商品を買うように消費を煽られて成り立っているんです。
そういう特権階級の俺たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、
テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に通勤して、上司の言うことを大人しく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。 金融資産ヒエラルキー
ps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/umihiroya/20220213/20220213222258.png
「ヒエラルキー」の意味だけでも知ってれば多数派が成功するなんて有り得ないって気が付くはずなんですよ
専業トレーダーをやっていると徐々に周囲の人 (家族・友人・5ch) と話が合わなくなってくる、マジで。
まず専業やっている時点で奇異の目で見られる。
そして数百万単位で金が変動する生活を送っていると、
はした金で騒いでいる周囲の人の話が凄くどうでも良い事のように聞こえてしまって関心が無くなってくる。。
だんだん孤独になっている実感がある。
もはや普通の生活には戻れないだろう。
尤も今さら普通の生活に戻りたいとも思わないが。 自分よりもレベルが高い人、自分にはないものを持っている人を友達にするとなると、該当者はかなり少なくなるはずだ。
向上していく人間というのは、このような結果として、付き合う友達の数が減ってくることになる。
「ブレインストーミング」というのをやりますが、あれはただ素人が集まって言いたいことを言うだけの浮ついた会話です。
5chの多くのスレがそうであるように、ブレインストーミングというのは要するに「責任を持たない」ということであって、人間の生き方を問うわけではない。
それでは何も起こりません。形式化してしまうだけです。 数字や統計は真実を明らかにするうえで必要な素晴らしい道具だが、
人の信念を変えるには不十分だし、行動を促す力はほぼ皆無と言っていい。
では、どうして数字や論理はそれほど無力なのか。
その答えは、わたしたちが「事前の信念」(簡単にいえば先入観)を持っていることと関係している。
つまり、事前の信念が邪魔をして、わたしたちは事実を受け入れがたくなっているのだ。
人間は真実を知りたがらない、ということです。
真実は人を傷つける
自己愛は人間をありのままの状態から遠ざけ、不幸を生み出す原因であることが分かりました。
そしてこの事実からある現象を説明することができます。
それが、人間は真実を知りたがらない、ということです。 目の前に便器があったらそこにションベンやウンコをぶっかけるでしょ。
それが便器の役目。
その便器的な存在であれば、便器だからションベンやウンコをぶっかけられる。
人に対してそんなことをしたら失礼だけど、ネット上の便器的存在であればそれが妥当。正しい行為。 >>604
この汚れは拾った時点でそうだったのか、それとも…… 世間は冷たいよ。
5chは家族じゃない。
他力本願な発想が抜けないうちは、あなたにも、日本にも、未来は無い。
キミがいま自分でやれることをやりなさい。
独立自尊。 人間は二通りに分類出来ます。それは気付く人と気付かない人です。
気付く人は、書物や歴史、自分や他人の成功、失敗などから様々なことを学び、進歩します。
気付かない人は何が問題点なのか、自分が何を知っていて何を知らないのか分かりません。
一方は進歩し、他方は現状に留まり続ける。
1日の違いは僅かかも知れませんが、1年、3年、5年経ったらその差は計り知れません。 ぼくは昔から他人を気にしないタイプですが、
社会人として生きていくと、他人のために働く圧力がどんどん侵食してきますよね。
ぼくの場合、9割は自分のために働いて、他の人のためにやっていることは1割です。
逆に、他人のためにやることが9割だと成功しないでしょうね。
自分のお金を最大化するところまで繋がらないし、他人が望むようなモノしか作れないからです。
ぼくは、他人が望むことをする人に大きな価値はないと思っています。
なぜなら、他人が望むことを提供するのはぶっちゃけ誰でもできるからです。 孤高を貫くこと。基本「つるんでいるヤツたち」は弱い奴。
僕も仕事でいろんな人を見る機会があったけどリーダーはみんな孤高。距離を置いている。
「できる人間は皆から嫌われている」というのがベスト・ポジションだと思う、断然。 実は友達や仲間がたくさんいる人ほど、成功から遠のくんです。
もしみなさんが、成功したいのであれば、友達や仲間を少なくすることをおすすめします。
お金持ちになりたいなら、友達ゼロでもいい
仲間や友達が多いほうが成功しそう! と思う人も多いかもしれません。
「そもそも成功とは何か?」を最初に定義しておくと、資本主義的な意味での成功です。要するにお金持ちになるということですね。
お金持ちという観点で成功をつかみたければ、友達や仲間はできるだけ少ないほうがいいです。
個人的にはゼロでもいいと思いますが、さすがに社会で生きている以上、ゼロはむずかしいかもしれません。
ゼロにできなくても、なるべく少なくする意識が大切です。
なぜかというと、友達や仲間が多ければ多いほど、様々なコストが上がるから。
まずコミュニケーションコストが上がります。LINEがたくさん来たり、週末飲みに行かないかと誘われたり、今度このカフェに朝活しに行かないか、という話になります。
非情に聞こえるかもしれませんが、その時間がもったいないとぼくは思いますね。
1人でやったほうが圧倒的に効率はいいですよ。確実に成功へ近づきます。
まず1人でやって、その後に必要であれば仲間を作っていく、あるいは後から来る人を応援すればいいだけ。
なのになぜか多くの人は、まだ何も始まっていない状態から仲間と一緒にやりたがります。
これは教育の失敗だと思っています。
ぼくらの社会は仲間というものを大事にしたがりますよね。
大事にしたほうが基本的にはいいですが、資本主義的な意味で成功したいのであれば、ある意味で出し抜かないといけない部分があります。
なのである程度1人でできないと、成功するのはむずかしくなるでしょう。
結局、孤独にがんばるしかない 正直、僕はみなさんのために投稿しているわけではありませんw
普段から 「皆さんのために投稿しています」 とは言っていませんし、そもそも皆さんのために何かをしようと思っていません。
なぜ投稿しているかというと、自分がやりたいからやっているんです。
もちろん結果として、皆さんのためになるだろう! という期待はあります。
とは言っても、皆さんのためにやっているのではありませんし、こういうことを言うと嫌われますw
まぁ僕の場合は、他人から嫌われることを全く気にしていないので問題はありませんが。
むしろ、「皆さんのためではない」 と言うと、なぜ怒られるのか理解できません。
小説家は、読者のために小説を書いているわけではありませんよね。
映画監督も、自分が作りたいから作っているでしょう。
もし 「お客さまのために作っています」 と言っている映画監督がいたら、ちょっと疑いますよねw
結局、「お客さまのために」 という言葉は欺瞞なんです。ほとんどの場合はウソでしょう。
中には、お客さまのためにがんばれる人もいますが、世の中でよく使われる
「お客さまのために」 というのは、ただ嫌われたくないだけです。 僕は昔から他人を気にしないタイプですが、社会人として生きていくと、他人のために働く圧力がどんどん侵食してきますよね。
僕の場合、9割は自分のために働いて、他の人のためにやっていることは1割です。
逆に、他人のためにやることが9割だと成功しないでしょうね。
自分のお金を最大化するところまで繋がらないし、他人が望むようなモノしか作れないからです。
僕は、他人が望むことをする人に大きな価値はないと思っています。
なぜなら、他人が望むことを提供するのはぶっちゃけ誰でもできるからです。 革新的なイノベーションを起こすということは、『一般常識とは異なるビジョンを描き、それを実現する強い意志を持って猪突猛進で突っ走る』 ということ。
だから、世の中では 『個性的』 と言われたり、時に 『わがまま』 に見えたりするのでしょう。
何をもって 『人格』 と言うのかは解釈が分かれると思いますが、
『他人の気持ちを慮る』 ことが良い人格の構成要素なら、イノベーションを起こすような天才は人格的に問題があることが多い、とは言えるもしれません。 すでに多くの人が感じているように、SNSや5chでの 「いいね」 ではインスタントな共感しか生まれません。
共感からは何も生まれない。
共感はコンフォートゾーンであり、あまりストレスを感じないかも知れません。
しかし共感から新しい考えが生まれたり、チャレンジの気持ちが駆り立てられることはほとんどないと思います
最悪なのは、同じレベルのもの同士で慰めあうパターン。
互いの愚痴を言い合う行為には、「自分たちは頑張っているよね!」と共感し合いたい、という心理が背景にある。
たしかに、「共感」は人間にとって心地よいものであり、ストレスの解消になるかもしれない。
だが、『共感』から新しい考えが生まれてきたり、チャレンジ精神が湧き出てくるようなことは、ほとんどないのが現実。
自分よりもレベルが高い人、自分にはないものを持っている人を友達にするとなると、該当者はかなり少なくなるはずだ。
お金持ちになる人は、このような結果として、付き合う友達の数が減ってくることになる。 地頭力を対人感性力と比較すると、
「地頭力を発揮するためにはある程度『性格が悪く』なる必要がある」というのである。
つまり、こういうことだ。
地頭力では一貫性(論理的であること)を重視するのに対して、
対人感性力では相手の矛盾を許容することも大切です。
地頭力では「まず疑ってかかる」のに対して、対人感性力では「まず共感する」ことが求められます。
また、地頭力では「批判的に考える」のに対して、対人感性力では「批判はしない」のが求められる姿勢だからです。
地頭力の中心は、「結論から」 「全体から」 「単純に」 考える3つの思考力。
「結論から」 考えるのが“仮説思考力”であり、
「全体から」 考えるのが“フレームワーク思考力”、
そして「単純に」 考えるのが“抽象化思考力”。
そして、この3つの思考力と、そのベースとなる論理思考力、直観力、知的好奇心とを組み合わせ、
「地頭力」の全体像と定義づけている。 こんな性格をしていれば当たり前ですが、友達は多くありません。
否定のできない事実ですが、そこまで気にしていません。
積極的に前に出るタイプではありませんが主張が強いので、周囲から煙たがられることもしばしばあります。
最近はあえて言わないようにしていますが、ものごとの問題点がすぐに目についてしまうため、皮肉や小言をよく言ってしまいます。
また、人の気持ちより合理性を優先するあまり人を悲しませてしまうこともあります。
初対面のひとやそれほど仲の良くないひとには皮肉や物事の問題点をすぐに言わないようにしていますが、仲の良い人にはかなりストレートな物言いをしていると思います。 SONYのリストラ劇
p://enokidoblog.net/talk/2016/07/18020
ps://tonari-it.com/sony-restructuring/
ソニーの「リストラ部屋」に追い込まれた人々の凄惨な実態リポート
17年間で78,000人…SONYのリストラ劇からどのようなメッセージを受け取るべきか
「上司とそりの合わない者や 『とんがった』 エンジニアなどはしばしば人員削減のリスト候補に挙げられる。能力の劣る社員だけがリストラの対象になるわけではないのだ」。
「新しい世の中や画期的な発明、発見はたいてい異端者によってもたらされてきた。
日本企業のなかで異端の才能を最も評価していたのは、かつてのソニーであった。その異端者たちがリストラ部屋に収容されるところにその後のソニーの不幸があった」。
「自分の人生は自分で面倒見てくれ」という世の経営者たちからのメッセージなんですね。
そういうメッセージが常に発せられているのですから、それをちゃんと受け取ってみましょう。
「辞めて欲しい」 と言われたら、退職金もちゃんと受け取って、他の企業により高い評価で雇っていただけるように、日ごろから自らを磨いておけば良いということなんだと思います。
・リストラ部屋に在籍した社員はのべ数千人に上る。それだけの人々が無能ぞろいだったわけがない。
部下の個性と能力を知り、その業(わざ)を生かすのが管理職や会社の仕事だ。リストラ部屋行きを通告することで、その務め自体を放棄しているのだ」。 どこでどんな書き方をしようが、必ずそこには嫌がらせをしてくる奴はいる。
「長文だから」、そうでなければ「短文だから」と嫌がらせをされる。
だから嫌がらせをされないための自分の書き込みを内省しても無駄。
どうせ同じなんだから、自分が本当に書きたいことを書くのが賢明だな。 本スレの趣旨は、人間がいかに不合理であるかを声高に主張することではない。
また、スレ民に「正しい考え」を持つよう説教することでもない。
むしろ 「これまでとは違う視点で物事を考えてみてはいかがでしょう」とお誘いしていきたい。
実は極めて過小評価されているこの思考のスキルをみなさんと一緒に分かち合っていこうと思う。
「健康には運動が大切」と頭で理解しているだけでは健康になれないのと同じで、
「自分の頭のなかの仮説はよく検証しなければ」と言うだけでは判断力は向上しない。
自分のなかにある認知バイアスや誤りを認めなくては、なんの意味もないのである。
私も、自分自身の失敗や苦い経験を通じて
「人の判断力を低下させているものは、知識ではなくむしろ態度である」という大きな教訓を学んできた。
これは科学的研究によって裏づけられている。 荒らすのなら、何かゴミ漁りに関連した荒らし方をすればいいのに
そしたら、みんな読むよ 6月に好きだった子が引っ越してしまい、暮らしに張り合いがない