V奪回への分岐点は8月2日だった。京セラドーム大阪での試合前、球場の監督室にサファテが現れた。守護神は前日1日にサヨナラ弾を被弾。先発陣の早期降板が続き、報道陣を前にぶち切れていた。
一夜明け、サファテは面と向かって「申し訳ない」と謝罪してきた。36歳ながら、4連投も8回からの回またぎも志願してくるサファテに、工藤監督は「そんなやつ、ほかにはいない」と全幅の信頼を置く。そんな右腕に頭を下げたのは、逆に指揮官だった。
「こちらこそ申し訳ない。お前にそういうことを言わせてしまった。俺は反省している」−。一選手に言わせてはいけない言葉を吐かせたことを悔いたからだった。「あれから、さらにサファテと俺の距離も近づいた」と、対話の意義を前向きに話した。

 西武での現役時代、工藤監督にも「造反」とされた一件があった。88年10月、近鉄とのデッドヒートの中、当時の森監督の中3日登板指令に反発したと報じられた。工藤監督には「頼むぞ工藤、と言ってくれれば気持ち良くいけたのに」との思いがある。
「投げられないのか」と言われたことに腹を立てただけと、約30年前に感じた選手の気持ちを思い出す。今は監督として、選手の士気を下げることは避けようと決めていた
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◆工藤監督“舌禍事件” 西武が、近鉄に166日ぶりに首位を譲った88年10月5日。当時の森監督の「中3日登板もありうる」との発言を報道陣から伝え聞いた工藤が「中3日じゃ100%の力なんか出せないよ」などとコメントして騒動になった。
翌6日に森監督に謝罪。辻を中心にナインも「工藤を救ってやろう」と一丸に。工藤は同9日の南海戦で完封勝利。3年連続の日本一へつなげた。