SM界における緊縛術に正史を持ち出してもどうかな?
古武道の捕縛術に縛って相手を喜ばせる術等無いのだから。
職業的に的屋は遊女の次に出きたとの説も有ります。
人が集まれば問題が起きるそれらを仕切るのが的屋の仕事です。
又 古代から物を縛る事は普通に行われてきました。
俵を縛る、樽を縛る等普通の人達が行っていました。
必然的に人を縛る時にも応用された事は必然です。
それらを集めて統系づけ発展させたのが捕縛術なのでは。
又 武道等道を付けるようになったのは世の中が落ち着いてきた近代に成ってからだと思いますが?
塚原卜伝が旅に出る時キラビヤカな共を大勢引き連れていた事は多くの人の常識です。
それは 宣伝であり術を見せること=興行のためです。その様なところで取り仕切るのがテキ屋です。
江戸時代に入り罪人等不浄な者と直接接するのは武士では無く浅草 浅草寺の裏に住んでいた者達です。
浅草辺りの地理に明るければ先に書きました地名が頭に浮かぶと思います。
教科書に書かれた正史だけではなく一般庶民の歴史も存在するのです。
ましてSMは表の世界ではなく 裏の物なのですから