奴隷制度時代って興奮しない?Part.1 [無断転載禁止]©bbspink.com
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SMじゃないガチなやつだけど奴隷が合法だった時代に黒人奴隷が白人から
壮絶な拷問受けた話にめっちゃ興奮するんだけど同じ人いない?
白人の女性主が奴隷に拷問する話とか >>122
捕虜だとすると技術者のイメージではないな そもそも狗奴国とかの戦時捕虜がいたとして、それを後漢に送りつけるとか余計わけわからないだろう?
移送中や向こう着いてから反乱とか脱走とかされたら、邪馬壱国の責任になるだろうからそんな危ないもの献上できるかと思うけど。 奴隷って言うと、欧米の黒人奴隷みたいなのイメージしがちだけど
オスマン帝国みたいに皇族以外は全て奴隷みたいな国家もあり
奴隷を人間を家畜扱いするって思い込んでると、実態とかけ離れていたりもする だから奴隷だろ?
技術者なんけほざいているのは国粋主義者だけだよ でも、何も出来ないフリーターみたいなの贈られても迷惑だろう
技術は無くても力はあるとか、何か付加価値が無いと
意外と容姿とかね >>135を北朝鮮に転送
将軍専用大便器として献上 >>143
そうだとするとよっぽど屈強でマッチョな奴隷だったんだろうな 生口としか書いてないからね。
労働者の派遣みたいな話の可能性が高い。 >>152
遣唐使でさえ無事往復できたのは半分以下だったんだぞ
それより1000年近く昔に帰れると思って行く方が無理 奴隷って言うか、単純に労働者ってイメージが近いんでは
自由は無いけど、一生衣食住に困らない
奴隷より貧しい自由民ってのは、奴隷が存在する社会で普通に見られる だから、それだとその人達は脱走したり、反乱したりするモチベーションが山ほどある訳でしょ?
そんな爆弾よりヤバいもの山ほど積んで航海できるほど当時の海運は安定していないと思うよ。 奴隷が四六時中反抗していたわけではないことはアフリカからアメリカに来た奴隷が物語っている >>157
黒人奴隷に対しては、飴と鞭が巧みに使用された。
白人も鞭で躾されて育つんだが、
毎日打たれていれば、たまに打たれない一日というものが非常に有り難く感じられる。
一日あれば傷がかなり癒えるから。
そういう有り難さを知ってるか知ってないかで、飴と鞭の使い具合に差が出てくる。 そう、ただで働く、移動の自由が無い人達
学会で議論が分かれるとは言っても
基本的には、そう言う人々
ただ、現代の労働者一般を考えて
それほど、自由かと言うと 奴隷の定義をそれにしても結局生口が何かはわからんの? 奴婢ではなく生口と呼称する理由
@奴婢とは異なる人々だから
A奴婢と同じ人々だが状況が異なるから
B奴婢と同じ人々を生口とも呼ぶ
生口の元来の意味が、捕虜であるなら
皇帝に臣従を示す為に、自国民を捕虜として差し出すとの意味があるのでは
皇帝への贈り物である事を考えれば、価値のあるものでなければならないだろう
皇帝を不快にするものでは、絶対にあってはならない筈であり
壮健な身体と、見窄らしくない容姿が求められ
特に技能があるものでなければ、高齢者は考えられず
倭国からの渡海に耐えうる体力を有していなければならない
その為、殆どは若者であろうと思われる
そう考えると、その中に奴婢が含まれるとしても
奴婢とは、やや異なった性格の人々なのではないか
生口が、どの様な人々か推測する時
「皇帝への贈り物」である点が重要なのでは その通りだね。
でも、ここの連中にはそれでは面白くないのではないかな。 生口がその後どうなったかの記述があれば推測できるのに記録ないのは残念 三国の抗争を大きく凌ぐ、五胡十六国の時代だ。
海外の状況について、しっかり本にしておけというのはなかなか困難だよ。 後漢時代の歴史書は後漢書があるが、南北朝時代の編纂で、結果的に三国志より、よほど新しい。
結果的に三国志などの要約でしか倭国についての記述はない。 ナディーヤ・ムラードは故郷の村でイラクとイスラム国の男たちに捕まえられた
男たちはムラードを殴り、輪姦して苦しめ、性的奴隷にした
拉致されてから3ヶ月目 逃亡に成功した
2018年ノーベル平和賞の受賞が決まった
まもなくノーベル賞の授賞式 >>175
樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云
これしか書いてないよ。 >>173
三カ月で脱走できたのは相当運が良いね。
ボコハラムに誘拐された女子高校生は事実上12ドルで売られ、五年近く経った現在でも未だに数百名が帰還できていない。 >>176
>>178-179
朝貢するには何か持っていくだろ
奴隷というのはごく自然かも で、生口が何かという話に戻る。
で、何かはわからないという話が出て、この話ループ。
いい加減日本から離れたら? お前の妄想の中ではね。
宮刑はそもそも前漢時代には刑罰としてはなかった。 司馬遷が死刑でなく宮刑を願った時、そもそも宮刑は制度としてなかったというのは有名な話だな。 その場合の奴隷というのはどんなものを想定しているの?
例えば古代ローマの医師や会計士、官吏、教師はたいてい奴隷だったが、彼らは誰かが所有権を持っているというだけで、財産もあったし、部下や生徒に対する懲戒権もあったし、結婚とかも割と自由だった。
所有者は奴隷に対して名目上は生殺与奪を自由にできたが、奴隷は駆け込み寺みたいなところに逃げ込むことでそうした暴挙から逃げることができたから、江戸時代の妻女みたいな存在と言える。
江戸時代の妻は夫の所有物みたいなもので、だから駆け込み寺みたいな存在が重要だったが、現実的には夫との関係はケースバイケースだったと考えられている。 古代中国の趙高や十常仕なんかを見れば、宦官と奴隷は全く違うことがわかる。
彼らは多数の奴隷を有していたが、彼らが主人としていた人は事実としていない。皇帝は彼らにとっては自分達の指示に従うんものでしかない。 今だ!200ゲットォォォォ!!
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ズザーーーーーッ 時代と地域による。
古代ローマなら、適切な対応ができない所有者は改善を求められ、改善がなされなければ、奴隷を別な主人に譲ることになった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています