(2)対抗して円仁が主導して台密(高槻の例の二ヶ寺)で双身毘沙門法が作られる。意外とインパクトが弱かった。
(3)台密でも東密から聖天供を輸入。東密においてよりも盛んになる。
(4)その頃、東密ではマイナーに弁才天法・大黒天法・水天供が流行。
(5)台密が「三面大黒天」を作る。当たる。(東密…というより東寺でも台密から輸入してみる。)…台密、勢い余って禁断の外法「欲餅供」(この本当の意味は…想像してみてくれ…。)に手を出す。
(6)叡山、廃亡。(信長の焼き討ちのせいにする。)
(7)その頃、東密各寺院や挙げ句には真宗ハゲの本願寺でまで、一般信者向けではなく寺門興隆のための聖天供が続けられる。
(8)天海により新・台密=関東天台がブチ上げられる。叡山もその傘下に。聖天供が一般信者にまで売り出される。
(9)東密周縁部でも湛海を中心に聖天供を一般に開放してしまう。生駒や関西各所の売娼たちをとりこにする。