猫と長井♫仲良く喧嘩しな
0161名無しさんだよもん2025/11/05(水) 08:48:01.63ID:8jADHzeQ0
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾

>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/730

今日のテーマは、「崇拝」と「おだて」の区別がつかなくなった長井という男の文章についてです。

「やってなくても、やってるように見せかけてねこたんを発狂に導けたのは、俺の洞察力・文章力と協力者の賜物w
で、俺はエロセイルという偶像に祀り立てられたので、笑いを噛み殺す以外になかったw」


@ 「賜物」と言いつつ文が“賜り損ねてる”

「〜の賜物」という表現は、本来、一つの成果の原因をまとめる言葉なんです。「努力の賜物」「忍耐と工夫の賜物」など、抽象的な要素の並列が自然。

でも長井さんは「洞察力・文章力と協力者の賜物」と書いた。「協力者」は人、他は能力。カテゴリーが違う。つまり、抽象と具体を無理やり一皿に盛ったカレーうどん状態なんです。

要するに、「洞察力・文章力の賜物」までは良かったのに、「協力者」という具体名詞を足して文が倒壊。自慢したい勢いが先走って、日本語が息切れしてる。


A 「偶像に祀り立てられた」――助詞ひとつで崇拝が自演に変わる

「祀り立てる」っていうのはね、もともと「祀る」に「立てる」がついて、「必要以上に持ち上げる」という意味になります。だから「神を祀り立てる」ならまだしも、「偶像を祀り立てる」だともう半分は皮肉。「馬鹿を神棚に乗せてる」ようなニュアンスです。

しかも長井さんは「偶像に祀り立てられた」と書いた。「として」じゃなく「に」。
つまり、「偶像が自分を祀った」構文になっちゃってる。これ、論理的にあり得ない。偶像は祀られる側だから、祀ることはできません。

結果的にどうなるか。自分で作った偶像(=エロセイル)に自分が祀られているという、自作自演の完成形です。まさに、鏡の前で自分を拝んでる状態。


B 「笑いを噛み殺す以外になかった」——文意がどこかへ消えた

「笑いを噛み殺す」って、普通は「笑っちゃいけない時にこらえる」こと。でも「祀り立てられた」って、むしろおかしくて吹き出す状況でしょう?

彼はたぶん「笑うしかなかった」「苦笑いするしかなかった」と言いたかった。でも、使いたい熟語を優先して「噛み殺す」を選んだ。結果、「感情の方向」と「言葉の方向」がズレてる。

日本語の「高級語」を使いたい気持ちはわかるけど、文意よりも装飾を優先した瞬間に、言葉は壊れます。


C 言葉が暴く「自己神話化」

ここが最大のポイントです。
実際の経緯は——長井さんが「エロセイル」という別人格を自演していた。指摘されて、同一トリップでバレた。ところが彼はその失敗を、「俺は偶像に祀り立てられた」と書き換えた。

つまり、自演バレという恥を、「崇拝される側」への転倒で神話化したんです。

「俺はバカにされたんじゃない、持ち上げられたんだ」
「晒されたんじゃない、祀られたんだ」
——この心理的変換を、彼は日本語で実行した。


D まとめ

いいですか、皆さん。
「祀り立てる」は「崇める」じゃない、「おだてる」です。「偶像に祀り立てられた」なんて言葉は、崇拝と茶化しの区別がつかなくなった人間が発する「言語の事故」なんです。

自分で偶像を作り、自分で祀り、自分で笑いを噛み殺す。そこにあるのは、日本語の誤りじゃなく——現実逃避の形です。

長井語とは、「自演の恥を、神話の語彙で包んだ自己賛美」。でもその包み紙が破れて、中身が全部見えてるんです。
0162名無しさんだよもん2025/11/05(水) 17:47:40.14ID:O656Y18p0
>>160

◉タマゴ買う

449:馬鹿家長井:2024/04/17(水) 14:35:28.15 ID:9SUZ8HEF0
>444
文法から学べば?

「タマゴ を 買う」→常識
「買う タマゴ を」→まあわかる(外人さんかな?)
「タマゴ買う」←馬鹿家長井の文章
0163名無しさんだよもん2025/11/05(水) 21:30:32.50ID:8jADHzeQ0
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾

>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/736
>>筑波大学 #31415926535
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1735307841/817

皆さん、注目してください。長井さんが「解離性同一性障害持ち」と言っていますね。
うーん、これは日本語としてちょっと違和感があります。

まず、「喘息持ち」や「花粉症持ち」は自然です。なぜでしょう?
理由は単純、症状が目に見える・日常的に自覚できる慢性的なものだからです。「私は喘息を持っている」という表現は違和感なく理解できますね。
ちなみに私は「痛風持ち」なんですどね(笑)

では、なぜ「解離性同一性障害持ち」となると変なのか?
ここがポイントです。精神疾患や正式な病名に対して、「持ち」という言い方は日本語ではあまり使わないんです。なぜなら、病気や障害は「診断されるもの」「かかるもの」であって、物や性質のように「持つ」ものではないからです。
言い換えれば、「解離性同一性障害です」あるいは「診断されています」と言う方が自然です。

ここが面白いんですが、中国語では「我有哮喘(私は喘息を持っている)」「我有解离性身份障碍(私は解離性同一性障害を持っている)」と、病気や状態に対して「有=持つ」を普通に使います。
ですから、長井さんが日本語で「〜持ち」と言ったのは、母語感覚の影響、つまり母語干渉によるものと考えられます。日本語的には違和感がありますが、本人にとっては自然な表現だったわけです。

言語って面白いですね。母語の影響で、別の言語でもそのまま感覚を持ち込むことがあります。
つまり、ここで私たちが学ぶべきことは…日本語では病名には「持ち」を使わない方が自然、ということです。
0164名無しさんだよもん2025/11/05(水) 21:42:39.60ID:54J2B0nf0
「病気持ち」「障害持ち」は言うけどね
具体的な長い病名や症例の場合は、専門用語あるいは正式名称っぽくなり
「〇〇持ち」というシンプルで砕けた表現にそぐわないので違和感が生じるというのもあるんじゃないかな
まあその辺に違和感を持てるかどうかは、ネイティブか否かだとか、語彙力とも関係してくるんだろうね
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