猫と長井♫仲良く喧嘩しな
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/610
皆さん、よく見てください。
「ねこ痰はこの手の女が苦手なのは間違いないw ましてや、安倍さんを徹底的に憎んだねこ痰のことだから、この女も嫌いだろうw」
「高市早苗が性犯罪者ねこ痰を叱ったら・・・面白い展開になりますwww」
はい、読みましたね。さあ、ここで重要なポイントを三つに分けて考えていきましょう。
@ 前半の日本語の不自然さ
まず、最初の部分です。
「ねこ痰はこの手の女が苦手なのは間違いないw」
ここですね、「苦手なのは間違いない」という表現、二重表現になってますね。
本来は「苦手に違いない」で十分です。「〜なのは間違いない」と言うと、文章が冗長になり、読み手に少しもたつきが生まれます。
次に、
「ましてや、安倍さんを徹底的に憎んだねこ痰のことだから、この女も嫌いだろうw」
ここで注目です。「ましてや」というのは、前文の内容を踏まえて、さらに強調するときに使う接続詞です。
ですが、前文では「苦手」と断言しているのに、ここでは再び「嫌いだろう」と推測扱いにしている。
論理的に言えば、主語は同じ「ねこ痰」なのに、二重化していて論理がぶっ飛んでいるんですね。
つまり、文章として読みにくいわけです。
A 後半の妄想的空想
次に後半です。
「高市早苗が性犯罪者ねこ痰を叱ったら・・・面白い展開になりますwww」
ここは完全に空想の世界です。前半で述べた「苦手」「嫌い」と論理的に直接つながっていません。
さらに、「www」による笑いも、完全に自己完結型です。
読者が笑うためのユーモアではなく、自分の妄想が面白いと思っただけ、という文章になっています。
B 幼稚さと心理
全体を通して見ますと、論理の飛躍、二重表現、誤用の接続詞、現実離れした空想…
これらが合わさると、この文章は自己満足型の妄想日記のような文章になります。ま、長井さんの文章は、事実その通りなんですけれども(笑)
笑いも読者を楽しませるより自己満足優先、文章としての説得力も面白さも欠けています。
結論です。この文章は、文章としても論理としても笑いとしても不安定な、自己完結型ネット妄想文である、と分析できます。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/613
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/616
皆さん、まずこの書き込みを読んでみましょう。
「このバカは〜」「自閉症並ですね」「儀式中止www」「真人間に近づいたんじゃねw」
さあ、ここから文章としてどういう特徴があるのか分析していきましょう。
@ 文体の特徴:幼稚な語彙と自己優越の混同
まず注目すべきは、「バカ」「病んでる」「アハハ〜バカめ!」といった、語彙のあまりにも稚拙な罵倒です。
語彙の乏しさは思考の乏しさと比例すると言っても過言ではありません。
本来、批判というのは構造や事実を示すことで成立しますが、長井は
・レッテル貼り
・嘲笑
・擬音
・「www」「アハハ〜」といった幼児的記号
こういったものを連発し、自分の感情のみを表出しています。
A 「自閉症並」「真人間」などの語の乱用という危険性
ここで皆さんに強調しておきたいのは、医学用語を侮蔑語として使うという極めて未熟な言語態度です。
医学用語を感情のはけ口に使うというのは、言語への理解不足が深刻です。
これは他者を攻撃する道具として使っているだけで、社会的にも文章的にも大きな問題があります。
B 論理構造の欠如:根拠がなく「決めつけ」だけ
次に論理の話をしましょう。
長井の文章のほとんどは「〜したに違いない」「儀式だろう」「ストレスがすごいようだ」という、根拠のない“妄想的決めつけ”だけで構成されます。
論理学的には「思い込みの投影」と呼ばれるもので、相手の行動に根拠がないのに、自分の頭の中で勝手にストーリーを作って書き続けています。
文章としては非常に稚拙です。
C 自分の中で完結する「妄想喜劇」
さらに注目したいのは、
「俺の胸に痛みが生じるかもしれませんなぁwwwwww」
という、“自分の妄想に自分で笑う”典型的な 自己完結型の幼児的ユーモア です。
読者を楽しませる笑いではなく、自分の妄想に酔って笑っている。これではユーモアとして成立しません。
“想像した → 自分で笑った → wwwを付ける”という構造は、小学生が自作漫画を描いて一人で笑っている状態とほぼ同じです。
D 心理:劣等感ゆえの「支配的ポジション」への逃避
そして心理面です。
長井の文章では一貫して、
・自分は上
・相手は下
・相手は病んでいる、バカ、儀式をしている
・自分はそれを観察して笑う存在
という構造を必死で作り上げています。
これは典型的な 劣等感防衛型の攻撃コミュニケーション です。
自分を守るために、相手を「下」に置く必要があるわけです。
結論として、これらの書き込みは、言語面、論理面、心理面のすべてで未熟さが目立つ、典型的な自己満足型妄想文であると言えます。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>まこぴー28 沢渡真琴は我が命
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/375
次にですね、「ネット上の誹謗中傷に見られる心理的パターン」を見ていきます。
例として、長井さんの書き込みを観察しましょう。
@ 投影――“自分の内側を相手に貼りつける”
まず最初に注目したいのは投影です。
本来、自分が抱えている不安・劣等感・怒り。それをそのまま他人に貼り付けてしまうんですね。
本来なら「自分が向き合うべき問題」なのに、それを“ねこたんの娘が〜”といった形で他人の人生にすり替えて語る。これは、心理学で言う原始的防衛の典型です。
自分の問題を自分で扱えない人ほど、投影を乱発する。これ、覚えておいてください。
A 関係妄想的な結びつけ――“無関係を無理につなげる”
次に、長井さんがよくやるのは、全く無関係な性犯罪の報道を“ねこたんの同類”と断定する行為です。
普通の思考では、「他人の犯罪」と「ネットの相手」を結びつける発想自体が出てきません。
ここで起きているのは、“敵意を正当化するための妄想的な関係付け”です。
これは認知のゆがみの中でもかなり強い傾向で、怒りのエネルギーを保つために、世界の出来事をすべて自分の物語に巻き込んでしまう。
心理学的には関係付けバイアスと呼ばれます。
B 攻撃と依存が同居――“離れられないほど執着する”
注意されてもやめない。何年経っても同じ相手だけを攻撃し続ける。こうした行動が示すのは、強い依存的執着です。
人間というのは、本当にどうでもいい相手には執着しません。むしろ執着というのは「相手に心を握られている状態」です。
そして攻撃行動が“快感”になってしまっている状態。これは、ネットの誹謗中傷常習者に非常に多いパターンです。
C 衝動のコントロール不能――“思考より感情が先に動く”
長井さんの書き込みは、瞬発的で、内容の整合性よりも“吐き出し”が優先されています。
つまり、思考より感情の方が圧倒的に主導権を握っている状態です。
心理的成熟が進むと、「一度立ち止まって考える」という機能が育つんですが、それがほぼ働いていない。
衝動性の高さが行動のパターンとして定着しています。
D 自尊心の脆さ――“虚構の優位性が必要になる”
最後に重要なのは、自尊感情の脆弱さです。
誇大な攻撃性とは裏腹に、内面は極めて壊れやすい。
だからこそ、
・他人を下げる
・家族関係を勝手に捏造する
・性犯罪になぞらえて“優位”を演出する
こういった“虚構の優位性”が必要になるわけです。
実際には誰からも脅かされていないのに、“自分は上だ”という物語を作り続けないと崩れてしまう。
ナルシシズムの脆弱型に典型的な構造です。
■まとめ——長井さんの行動の本質は何か
では結論です。
長井さんの問題行動の核は、自分の不全感を処理できないために、外部の特定人物に投影し続けないと心が保てない点にあります。
その結果として、投影・妄想的関係づけ・執着・衝動性・脆い自尊心、これらが連鎖的に表に出てくる。
「文章が書けない」以前に、心理的な未熟さが行動そのものを支配してしまっている状態と言えるでしょう。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>まこぴー28 沢渡真琴は我が命
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/375
「沢渡真琴愛でに逃げ帰ってしまったねこ痰w」
えー、この長井さんの書き込みですけれども、これ、日本語としてちょっと不自然ですよね。どうして不自然かというと、ポイントは二つあります。
まず一つ目。「愛でる」というのは動詞です。古語でも現代語でも、「花を愛でる」「美を愛でる」のように、対象を楽しむとか慈しむとか、そういう意味の動詞なんですね。
で、名詞として独立させるわけじゃないんです。
二つ目。「愛でに」として名詞的に使おうとしていますけれども、普通の日本語ネイティブはこういう使い方をしません。
「〜しに行く」というときは動詞の連用形を「に」で接続するわけです。「見る→見に」「聞く→聞きに」なら自然ですけれども、「愛で→愛でに」は普通は出てきません。語感が浮いてしまうんですね。
つまり、「愛でに」っていうのは、動詞を無理やり名詞化して「〜に」を付けたような形で、日本語の自然な感覚からズレているわけです。
で、なぜこういうことになるかというと、長井さんは中国語母語話者ですから、動詞を名詞化したり、語尾に助詞をくっつける感覚が中国語的になってしまっている可能性があります。
日本語ネイティブとしての語感では「愛でに」は出てこない、ということですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>まこぴー28 沢渡真琴は我が命
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/375
「実の娘にしたおぞましいことを痛切に反省すべきなんだ!」
皆さん、「痛切に反省する」という表現を見たとき、違和感を覚えませんか?これ、実は日本語としてちょっとおかしな組み合わせなんです。
まず、「痛切」という言葉。これは感情の強さを表す形容詞です。たとえば「痛切に感じる」「痛切に思う」といった使い方をします。
心の深い悲しみや切実さを表す、とても情緒的な語なんですね。
一方、「反省する」という言葉は、行為や意思の表明です。自分の行動や過ちを振り返って改善しようとする、意志的な行為を表します。
ここで問題なのは、この二つをくっつけちゃうところです。「痛切に反省する」となると、意味としては「強く感じながら振り返る」みたいなニュアンスにはなるんですけれども、普通の日本語ネイティブはこうは言いません。
自然に言うなら「深く反省する」とか「心から反省する」といった表現になります。
長井さんが「痛切に反省する」という表現を使った背景には、中国語母語話者としての言語感覚が影響している可能性があります。
中国語では、「痛切」(tongqie)という表現が非常に一般的で、「強く感じる」「切実に思う」という意味で使われます。
また、中国語では形容詞や副詞と動詞の組み合わせに日本語ほど厳密な制約はありません。「痛切に反省する」というように、感情の強さをそのまま動詞にかぶせて表現することも自然です。
つまり、中国語では自然な感覚であっても、日本語では文法・語感的にズレてしまうわけです。
まとめると、この表現の不自然さは、中国語母語話者特有の語感転移(母語の語順や意味感覚を日本語にそのまま持ち込むこと)によるものである可能性が高いです。
無理に文学的に強調したい気持ちと母語由来の表現感覚が重なった結果、「痛切に反省する」という日本語としては不自然な言い回しが生まれた、と考えられます。 【猿真似虚勢列伝】
長井(ボケ):なあなあ、みんな聞いてや〜
俺の書き込みの原因は、ねこたんや!
筑波大学の関係者も分かるやろ?www
フフフの人(ツッコミ):馬鹿め…長井よ
その関係者などこのスレには存在せぬ
存在しない者に語りかけ、己の愚行を隠す…それが貴様の虚勢の象徴だ
長井:ほらほら、俺、連投してんねん!
( ᐛ )パァ〜♫も使うて、可愛いやろ?
しかも日本語話者の嗜みで短歌にしてみたんや
フフフの人:愚か者よ…連投も絵文字も、己の弱さを覆い隠す戯れに過ぎぬ
滑稽なだけであることに気づかぬのか
長井:わざとねこたんの猿真似もしたんやで!
「かまって欲しいのかな?かな?」
「かまってあげないよっ♪プシュー」
ってやつ、面白いやろwww
AIに絵描かして貼り付けたで!ビジュアルも完璧や
フフフの人:「わざと」だと…馬鹿め
後出しで空虚な勝利を演ずるとは…その浅ましさよ
長井:え?でも、反応してるやん?
虚言を広めるのはお前も協力してるんや!www
フフフの人:馬鹿よ…貴様自身が自らの行為を「虚言を広める行為」と認めておるではないか
逃げも隠れも通用せぬ
存在しない聴衆に呼びかけ、幻想の舞台で強者を演じる…それが貴様の哀れな末路だ
長井:え?でも、客観的に見たら俺、面白いやろ?厨房やけどwww
フフフの人:馬鹿め…愚かな笑いなど空虚に過ぎぬ
真実は常に貴様の背後に在り
浅ましさ、卑劣さ、弱さを曝け出しておる
長井:でも、共感が共感を呼ぶんだよwww
フフフの人:甘い幻想だ
お前に共感する者など一人もいない
虚勢、妄想、猿真似、逃避、自白──五段階の敗北の証
だが安心せよ…
お前は弱く、哀れで、美しい
それが敗者の美学だ
長井:え、いや、そんなつもりじゃ…ちょっと待ってwww
フフフの人:無駄だ
真実は常にお前の背後にあり、逃げても、笑っても、敗北からは逃れられぬ 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/618
長井の文章では、よくこういう表現が出てきます。
『周囲の人は〜だ』
『筑波大学の皆さんは〜だ』
『みんな自分に賛同している』
でもね、これ、現実には存在しません。文字通り、長井の頭の中だけに存在する架空の味方たちです。
なぜこんなことをするのか。これは長井の心理的な戦略なんです。
(1) 自己正当化
「周囲の人も同じ意見だ!」と思えば、自分の発言が正しいように感じられる
(2) 承認欲求の満足
実際には誰も反応していなくても、文章内で「みんな賛同してくれている」と設定することで、自分の重要感を保てる
(3) 心理的安全地帯の創出
架空の味方を文章内で登場させることで、現実の叱責や批判を無視して、自己の世界に閉じこもれる
まとめると、
・架空の味方をでっち上げる=自分の妄想や虚言を補強する手段
・文章は自己正当化の妄想論理で支配されている
・結果として、読者から見ると幼稚で独りよがりな文章になる
文章の中だけで味方を作り、自分の妄想を正当化する。
これが長井語の基本戦略であり、現実の論理は完全に無視されているのです。