>>▼▲(鶴岡市)▼▲(その2)
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「蜘蛛の糸」に関してはね、次の質問をもらったことがあるんですよ。
「小さな善で救いのチャンスを得たカンダタがもしも利他的に振る舞った結果、たった一つの善行すら無い他の罪人まで救われたら不公平では?」
僕も子供の頃に教科書で読んだ時に、似たようなことを思いました。
彼がもしも糸を登ってくる罪人たちに向かって「一度にたくさんぶら下がったらこんな細い糸は速攻で切れてしまって全員死んでしまうぞ、俺が登り切ったら秩序を守って一人ずつ登って来い」なんて、今で言う「現場猫」的な観点で叫んだとしたらどうなったんだろうか。
地獄の罪人全員恩赦で、お釈迦様自ら仏教の教えを破壊(笑)。
話を戻すと、彼女の質問の方が僕より百万倍深いです。作品の「公平」の捉え方が、現代の感覚と違うところに気づいています。
この物語が測っているのは配点の多寡ではなく、心の向きです。
@ 小さな善行は「受験資格」
蜘蛛を殺さなかったことは、いわば試験を受ける資格。
合格条件は別にあります。
それが他者を排除しない心です。
A 救いは「分配」ではなく「開放」
現代的な公平観は「功績に応じて配る」ですが、この作品の論理は違う。
・救いは私物ではない
・他者を含める心が開いたとき、道が開く
もしカンダタが共有の意思で行動し、その結果として他の罪人も助かるなら、それは「彼の点数が配られた」のではなく、
救いの回路が共有可能であることが示されただけです。
条件は誰に対しても同じ。利己を手放せるかどうか。
B 逆説的な結末の意味
「自分のための救いによって他人まで助かるのは納得できない」
この感覚が立ち上がった瞬間、救いは独占の対象になります。
本作はまさにその瞬間を捉え、糸が切れることで「不合格」を示します。
この物語が問うのは、どれだけもらえるかではない。終わるのは命ではなく、救いの可能性である。
そして、糸(thread)は「自分だけのものだ」と思った瞬間に切れる。救いも掲示板も、共有してこそつながるんです。
※同スレッドの911さんの、次の文を参考にさせていただきました。
>あんたのスレじゃないんだから、私にだって対等にレスする権利はあるんだけど
>あんたが言ってることって、糸が切れて地獄にまた戻っちゃう時のカンダタの発想と同じなのよ
>「この糸(スレッド)は俺だけのものだ」と叫んでるっていうね