屈辱の美女アスリート 屈辱の三軍
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屈辱の美女アスリート 鈴野奈穂子(すずのなおこ) 屈辱の三軍
一
鈴野奈穂子(すずのなおこ)は、名門○○大学の女子陸上競技部の三年生である。
中等部、高等部時代から陸上競技部のエースとして活躍し、大学へ進学すると、一年生からレギュラーとして活躍していた。
二年生の時は補欠部員の教育係として面倒見もよく、才色兼備の奈穂は下級生からも慕われ憧れの的だった。
選手としての実力の点でも、人望の点でも、次期キャプテンは間違いないと言われていた。
実際、二年生の秋に四年生が引退すると、奈穂子は教育係から副キャプテンのひとりに選ばれた。
副キャプテンはふたりいて、ひとりは四年生、もうひとりは三年生から選ばれるのが慣習である。
陸上部の慣習として、三年生で副キャプテンになった者は、怪我などでリタイアせざるを得なくなった者を除いて
ほとんどが翌年キャプテンに選ばれていた。
しかし好事魔多し、ゴールデンウィーク明け頃から、何故か奈穂子の記録が伸びなくなった。
それどころか成績は低下する一方で、その後の大会は惨敗続きの結果となった。
個人のレースだけならまだしも、100mX4のリレーなどの団体競技でも、奈穂子が足を引っ張り、チームは惨敗してしまったのだ。
夏休み前のある日、奈穂子は、四年生の幹部たちに呼び出された。
「奈穂子、用件はわかっているよね」
「はい」
「あさってのミーティングで、『レギュラー組、鈴野奈穂子、特別補欠組(通称、三軍)へ降格』を発表するからね。覚悟を決めて、心身ともに準備を整えるように」
とうとうくるべき時が来たのだ。 ひとつ、使用する体操服は、同じく昔中等部で使っていた同じ色の縁取りが首回りと袖口にある体操服。 ひとつ、体操服はブルマの中に入れ、ブルマがよく見えるようにする。 ひとつ、体操服の前後に「四軍、学年、名前」「大学名、学年、名前」の入ったゼッケンをつけること。 ひとつ、四軍は、合宿期間中、休日の練習、一二軍の試合の応援も、24時間練習時間中とみなし、ブルマ体操服を着用のこと。 ひとつ、四軍は、三四軍の試合出場の際にも、ブルマ体操服を着用のこと。 ひとつ、四軍は、練習時間外の寮生活、自宅でもブルマ体操服着用のこと。
外出(買い出し、雑用)はもちろん、大学の講義に出席する時もブルマを着用のこと。
ひとつ、四軍は、一軍から三軍までの部員を、例え下級生であっても、「先輩」と呼び、尊敬し、敬語で話すこと。
ひとつ、四軍は、一軍から三軍の「先輩」の指示、命令には絶対服従すること。 ひとつ、四軍は、自分からすすんで「先輩」の雑用(買い出し、パシリ、洗濯、掃除、雑用等)をこなすこと。
案の定、高等部のキャンパスに近づくにつれて、
大学四年生にもなって、スクールブルマ体操服姿のはるかは、
たちまち高校生たちの目にとまってしまった。
「キャー、あれ、何?」
「ブルマじゃない、それも陸上で使うやつじゃなくて」
「そう、昔の小学生みたいなブルマ」
「多摩女子大のひとみたいよ」
「大学生が小学生みたいなブルマ穿くの?」
「今時小学生でも穿かないわよ」
「あなたたち知らないの。
あのひとしょっちゅうこの辺をロードワークしているよ」
なんか寒くなると、冬空の下でブルマ着用でしごかれる女子のスレが恋しくなる
筆者さん、続きお願いしまーす 通りすがり??のアラ##女です。
小、中、高の12年間、冬でもブルマーでしたよ。
近畿地方の比較的温暖な地域でしたけど・・・。 >>766
大学ではブルマ穿かれなかったのですか? 小説も誇張されているけど、実話でもあったそうですよ。 彼女の友人の話だが、大学の部活でも、昔の先輩たちの時代は。
一軍も二軍もブルマとお揃いのTシャツとかで練習していたそうだ。
全国的なブルマ廃止の動きの中で使わなくなり、
三軍や四軍だけブルマで練習する制度ができた。
背景に、三軍や四軍は大学生以下で部にいなくても良い存在ということで、
上級生でも一年生よりも下の扱いを受ける。
入部以来万年補欠の部員は、たいてい二年生の秋になると退部してしまう。
なぜかというと、三軍や四軍の指導は最初は二年生の一二軍部員が行うが、
夏休みの練習あたりから一年生も加わり、
秋に四年生が引退すると、一年生が指導員になるからで、
下級生の指導を受けるのは耐えがたい屈辱だそうだからだ。 ただ、学費の関係で、運動部に所属することを条件に入学、学祖免除のAO入学の場合、
部活を辞めると、その後の学費はもちろん免除されていたそれまでの学費も払わなければならない場合もあり、
簡単に退部というわけにはいかないそうだ。
マネージャーのような後方スタッフにしたもらうにしても、定員があるし、
部内に派閥があって、系列の高校出身の子が優先されるそうだ。 このスレの小説のように、一軍部員がいきなり三軍や四軍に降格ということはないが、
一年生の頃は一軍で期待されていたのに、
上の学年になるにつれ調子を落とし、
三年生や四年生でとうとう三四軍降格というひとがまれにいるそうだ。
一番多いのは、万年二軍で、三四年生になって、ついに三四軍降格というケースだそうだ。
いずれの場合でも、一年生の指導員から指示、命令、指導、教育、シゴキを受けるのは、耐えがたい屈辱で、
全寮制の場合だと、私生活にまで及ぶので、精神的にもきついそうだ。
ブルマも練習中だけではなく、寮生活、自宅の場合だと行き帰りにもブルマ着用を命じられたりするそうだ。 3軍あたりだともう練習参加も自由の同好会扱いになる いえ、コートの中に入れてもらえないどころか、屋外で基礎錬やロードワークだそうです。 ブルマで部活するのはきついですよ。
異性よりも同性の目の方がきつくって。 >>783
何の部活でブルマを穿かされたんですか? >>784
お返事遅れてすみません。
競技は内緒です。
ただ、昔も今も試合でブルマを穿く競技でないことは確かです。
ご想像にお任せします。
大学生にもなってスクールブルマはきつかったです。 ブルマとは無縁の競技にもかかわらず、ブルマをはかなきゃいけないなんて屈辱だね。
ブルマは何色? 濃紺無地か濃紺に白線二本です。
いかにも昔の中学生みたいなブルマです。 >>788
ブルマとは無縁の競技という以前に、大学生の頃にはブルマとは無縁の時代になっていましたので。
。。 >>791
私の場合、小学生までです。
小学校の五六年生位からブルマが廃止される学校が増え、中学校はハーバンでした。
ただ、まだブルマを穿いている中学校も多かったです。
高校時代は、ブルマの学校が少数派になっていました。
どちらにしても大学時代は、ブルマ穿く大学生はいないですね(笑)。。。 ハーパンの快適さを味わってしまった後に、ブルマをはかなきゃいけないのは辛いだろうなぁ。
中学高校で6年間ご無沙汰していたブルマを久々にはいた時の感想は? ブルマを穿いた感想というよりブルマを穿かなければならなくなった感想ですね。。。
投稿の小説にあるように補欠のまた補欠に落ちてしまったからなんですけど。 >>794
ブルマをはかされても辞めなかったのは偉いな。
もし俺がその立場だったら部活なんて辞めるわ。
だって、パンツ1枚で運動させられるようなもんだろ? >>795
下級生の「先輩」指導員にもよく言われました。
「大学三年生(四年生)にもなって、よくブルマなんか穿けるよね」
「しかも小学生が穿くようなブルマだし」
「今じゃ小学生も穿かないけど」
「三年生(四年生)にもなって三軍に落ちるような奴にはちょうどいいんじゃない」
夏休みの合宿の練習では、ちょうど今の時間帯は朝練の真っ最中で、
もう汗みどろになっている頃で、「先輩」たちの罵倒が耳に入る余裕もありませんでした。
>>795
>だって、パンツ1枚で運動させられるようなもんだろ?
そうですね、私たちの世代の感覚でも、「下着」のイメージですね。
スカートの下に穿いていても見られたら恥ずかしいですね。
その姿を部外、学外のひとには見られるのは物凄く恥ずかしかったです。
ハミパン、ハミ尻はし放題ですし。
他の学生も通りそうなところで、スクワットや空気椅子をするのはきつかったです。
>>799
> その姿を部外、学外のひとには見られるのは物凄く恥ずかしかったです。
もしかして大学の外でもブルマを穿かされたの? >>800
三軍の練習着はスクールブルマ体操服です。
練習にはロードワークもありますので、
キャンパスを通って、キャンパスの周辺を走ることもあります。
>>799
ブルマでスクワットやったら、すぐにハミパン・ハミケツするでしょ。
頻繁に食い込みを直なおさないといけないから、忙しかったのでは?
三軍は1人だけ? >>802
はい。
ハミパン、ハミ尻はしょっちゅうでした。
小学生にまで指を指されて笑われました。
空気椅子をすると、ハミ〇〇になることも。。。
>>803
小学生に笑われた以外で、近隣の中高生や
同じ大学の学生からの反応は? 言うのも恥ずかしいのですが。。。
女子高生に大笑いされました。
遠くから指さされて笑われ、すれ違いざまに大笑いされました。
聞こえよがしに大声で話すひともいました。
男子高校生の中には、携帯を持って待っているひともいました。
そんなに笑い者にされても辞めなかったのは、何か辞めれない理由があったとか? >>807
おはようございます。
三軍のまま終わりたくなかったからです。
もう一度一軍に昇格したいと思ったからです。
>>807
一年生の夏休み前から二年生の秋の大会の直前には曲がりなりにも一軍に在籍していたので。。。
でも、三軍に落とされるのはそれなりの客観的理由があって、
私の身体能力が限界だということなのでしょうが、認めたくはなかったです。
一年生の台頭をはじめとして部員全体のレベルアップもあって、二年生の秋に二軍に落ち、
スランプなどもありますが、三年生の夏に三軍へ落とされました。
一軍復帰を目指して頑張ってのですが、考えが甘かったようですね。
>>795
ブルマ姿を見られるのはもちろん恥ずかしいですが、
三軍に落とされたことの方が屈辱的でした。
補欠以下の補欠の身分で、スクールブルマで練習させられているということが、
外部のひとにもよくわかると思うので、余計恥ずかしかったです。 内緒です。
団体競技でブルマを試合で使う種目ではないことだけは確かです。
大昔はわかりませんが。。。 その種目の選手としては、私の身長は低すぎるので。。。
高校時代までは敏捷性やテクニックでカバーしていたのですが、
大学に入って最初の頃はよかったのですが、
だんだん低い身長をマークされ、チームにも迷惑をかけるようになって。。。
だんだんスランプに陥るようになって、
一軍から二軍に降格後は二軍戦でもミスが続き、
ついに三年生の夏休みから三軍に。。。
練習着もハーバン、Tシャツから、濃紺のスクールブルマ、体操服で、
まるで昔の中学生みたいな姿になってしまいました。
>>815
おはようございます。
基礎練ばかりだと競技なんか関係ないです。
夏合宿だと今頃は朝練でしごかれている真っ最中でしょうね。
しかも三つも年下の三か月ほど前に入部したばかりの一年生にしごかれるのはきつかったです。
>>807
結局、三軍からは脱出できず、屈辱の一年半でした。 >>807
その時は恥ずかしかったですけれど、スクールブルマと体操服は、
一軍復帰目指して頑張った証のユニフォームなので、
当時を懐かしく思っています。
>>819
懐かしい三軍ユニフォームを今でも捨てずに持ってたりするの? >>819
はい、時々穿いて昔を懐かしんでいます。
>>819
大学を卒業した当初は見たくもなかったのですが、
数年経つと懐かしくなって、
人生や仕事でうまくいかない時に、
頑張った昔を思い出して穿いてみました。
今は時々穿いてエクササイズしています。
今でも下級生の「先輩」指導員の罵倒や嘲笑、
ありとあらゆるひとからの罵声が蘇ってきますね。
>>825
それはさすがに。。。
でも、お休みの日の早朝、今位の時間帯に、合宿の朝練をイメージしてエクササイズしています。
真夏でもお部屋にエアコンをつけずに汗を流しています。
>>825
着替える時に、三軍の降格式をイメージしています。
三軍降格の内示があって、私も承諾した後のミーティングで、
正式に発表され、三軍の練習着であるブルマ体操服に着替えることになりました。
部員全員の前で全裸になり、
部で保管していた代々の三軍部員の屈辱の汗と涙が染みついた
ブルマ、体操服、パンツ、ブラ、ソックス、運動靴、ハチマキなどを手渡され、
着替えることになりました。
>>827
伝統の三軍用ブルマの履き心地はどうだった? >>828
着替えが終わり、三軍部員としての挨拶をすると、
みんなから同じことを聞かれました。。。
答えは予め決められています。
「とてもいいです。
代々の三軍部員の思いが伝わってくるような気がします。
これを励みに頑張ります」
洗ってあるとはいえ、他人が穿いたお古のパンツやブラまでつけさせられて、
穿き心地がいいわけはありません。 >>830
ちっともよくありません。
最悪でした。。。 おはようございます。
>>830
夏休みの練習だと、半日でドロドロになるので、新品の替えもいくつか持っているのですが、
合宿の初日とか、一年生を迎えた時とか、遠征や一軍試合の応援の時とか、
区切りの日にはお古を着るよう命じられました。
ブルマのサイズは自由に選べたの?
あと、ハミパンやハミケツの思い出を聞かせて! サイズは自由でしたが、お古の場合、サイズが違うひとのものもありましたし、
スクールブルマは体に完全にぴったりしないので、
しかも下は白の綿のパンツで、スポーツ用のショーツやアンダーサポーターを認められなかったので、
ハミパン、ハミ尻し放題でした。
何をどう続けてよいのか。。。
忌憚なく、具体的なご質問、ご意見をください。 >>836
三軍降格式の模様をもう少し詳しく
あと三軍の練習の模様も >>837
降格式は三軍最初の屈辱の日でした。
同性とはいえ、年下の子もいる前で、全裸になるのは恥ずかしいものです。
なかなかブルマや体操服を手渡してもらえず、
全裸のまま色々なポーズをとらされたり、その場でくるっと回って見せるように言われたり、
「華菜(仮名)、良い体しているじゃない」
とか冷やかされたりしました。
やっとパンツとブラを渡されても、間があって、
またポーズをとらされたり、その場でくるっと回って見せたり、させられました。
他人のお古の下着をつけた姿を晒すのは、全裸と同じぐらい屈辱的でした。
やっとブルマと体操服が渡され、靴下や靴、ハチマキなどをつけると、
姿見の方を向いて自分の姿を見るように言われました。
私が小柄なこともありますが、周りを取り囲む他の部員のハーパンTシャツ姿と対照的に、
まるで昔の中学生の部活のような姿の私がいました。 >>838
「じゃあ、みんなに三軍部員として最初の挨拶をして」
と部長から言われ、あらかじめ決められていた挨拶をしました。
「三軍 三年生 〇〇華菜です。
今日から一軍から三軍に降格になりました。
一軍時代は私の成績不振でみなさんに大変ご迷惑をおかけしました。
今日からは三軍で精神面から弛んだ自分を鍛え直したいと思います。
みなさんも遠慮なく私のことをしごいてください。
特に下級生のみなさんは、私のことを上級生、先輩と思わずに、
下級生、後輩として扱っていただき、
遠慮なくしごいていただきたいと思います」 >>839
続きです。
さらに屈辱的なのは、
「次に、指導員の『先輩』ひとりひとりに挨拶をすること」
と言われ、下級生の「先輩」指導員(一軍)の数人に、ひとりひとり挨拶させられました。
三軍になると、上級生と下級生の上下関係がなくなり、一軍二軍と三軍の上下関係だけが優先されます。
年下の下級生の子を「先輩」と呼び、敬語を使って礼を尽くし、指示、命令には絶対従わなければなりません。
「〇〇先輩、三軍 三年生 〇〇華菜です。
今日から三軍の私を厳しくご指導ください。
昨日まで私が先輩上級生であったことなど忘れていただて、
私のことを後輩下級生扱いしてください。
遠慮なく私のことをしごいてください。
私も先輩上級生のプライド、元一軍のプライドを捨てて、頑張りますので、
ご指導のほどよろしくお願いいたします」
ひとりひとりに同じような挨拶をさせられて、最後のひとりの時は涙声になっていました。
>>840
続きです。
「じゃあ、今度は指導員の方から何か言葉をかけてやってもらおうか。
華菜も、三軍で屈辱に耐えて頑張るといっていることだし」
と部長がいいました。
指導員たちは事前に私が三軍降格を受け入れたことを知らされていたようですが、
それでも遠慮がちに、
「華菜先輩、いえ、華菜(私のことを呼び捨てにいなければならないので)、本当にいいの?
一切の自由はないですよ。二年も後輩の私たちにしごかれる毎日が続くんですよ」
「まさか私のことを指導してくれた華菜先輩、いえ、華菜のことをしごく立場になるとは思ってみませんでした。
後輩の私たちにしごかれるのはさぞかし屈辱的なことだと思いますが、頑張ってくださいね」
などと言われました。
もう、これ以上は恥ずかしいです。
これ以上に、何をお聞きになりたいのですか? うーん、何度やっても恥ずかしいのは、やはり挨拶ですね。
三軍最初の日は、朝一番に部室に来て、ブルマ体操服に着替えました。
姿見に映った自分の惨めな姿を改めて実感しました。
そのうちに二軍の子たちが次々と登校してきて、
三軍の私は彼女たちにも、
「〇〇先輩、おはようございます!」
と挨拶しなければならず、
彼女たちは私の姿をみてクスクス笑いました。
練習開始前に、下級生の「先輩」指導員たちに、
「三軍 三年生 〇〇華菜
本日より三軍部員として練習に励みます。
厳しくご指導ください」
と深々と頭を下げて挨拶しました。
小学生ですら穿かなくなったスクールブルマと体操服姿の私と
ハーパンとTシャツ姿の下級生の「先輩」指導員、
練習着を見ても身分の差は明らかです。。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています