猫と長井♫仲良く喧嘩しな
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>まこぴー28 沢渡真琴は我が命
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/360
はい、では今回は「中国語語順+助詞抜けの二重構造」について考えていきましょう。
「性的倒錯ねこたんに愛想尽きて」
短いですが、この中に日本語の自然さを壊す2つの要素が潜んでいます。
@【中国語語順】
まず、「性的倒錯ねこたん」。
本来なら「性的倒錯のねこたん」と言うべきですよね。
“の”が抜けている。
この構文、実は中国語や英語の語順に似ています。
たとえば中国語では「日本学生」、英語では “Japanese student”。
どちらも修飾語が名詞の前にそのままくっつく。
日本語は逆で、「日本の学生」と助詞でつなぐ必要があります。
つまり、長井さんの文は外国語の語感で日本語を組み立てたような不自然さを帯びているんです。
「性的倒錯ねこたん」などと書くと、日本語としては修飾関係が曖昧で、読んだ人は一瞬「性的倒錯って何? ねこたんを修飾してるの?」と戸惑う。
つまり、語順ミスによって意味の焦点がぼやけている。
A【助詞抜け】
次に、「愛想尽きて」。
正しい形は「愛想を尽かして」。
“を”が抜けています。
助詞“を”は、動作の対象を明確に示す日本語の命綱です。
これを抜くと、行為の方向が不明確になる。
たとえば「ご飯食べた」はまだ口語的に許されますが、「愛想尽きた」は慣用表現の崩壊に近い。
文法的にきちんと使うなら「愛想を尽かす」が正用です。
この“を”抜きの傾向も、中国語や英語の影響とよく似ています。
どちらの言語も、文中で目的語を明示的な助詞で示さないからです。
つまりね、長井さんのこの文、語順は中国語、助詞は英語という、いわば「ハイブリッド崩壊日本語」。
難しい言葉を使うわりに、日本語の基本構造――助詞と語順のルール――を守れていない。
言葉は思考の鏡です。
助詞と語順が乱れているとき、考え方もどこか直線的で粗雑になっている。
だからこそ、正しい日本語の筋トレが必要なんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/730
今日のテーマは、「崇拝」と「おだて」の区別がつかなくなった長井という男の文章についてです。
「やってなくても、やってるように見せかけてねこたんを発狂に導けたのは、俺の洞察力・文章力と協力者の賜物w
で、俺はエロセイルという偶像に祀り立てられたので、笑いを噛み殺す以外になかったw」
@ 「賜物」と言いつつ文が“賜り損ねてる”
「〜の賜物」という表現は、本来、一つの成果の原因をまとめる言葉なんです。「努力の賜物」「忍耐と工夫の賜物」など、抽象的な要素の並列が自然。
でも長井さんは「洞察力・文章力と協力者の賜物」と書いた。「協力者」は人、他は能力。カテゴリーが違う。つまり、抽象と具体を無理やり一皿に盛ったカレーうどん状態なんです。
要するに、「洞察力・文章力の賜物」までは良かったのに、「協力者」という具体名詞を足して文が倒壊。自慢したい勢いが先走って、日本語が息切れしてる。
A 「偶像に祀り立てられた」――助詞ひとつで崇拝が自演に変わる
「祀り立てる」っていうのはね、もともと「祀る」に「立てる」がついて、「必要以上に持ち上げる」という意味になります。だから「神を祀り立てる」ならまだしも、「偶像を祀り立てる」だともう半分は皮肉。「馬鹿を神棚に乗せてる」ようなニュアンスです。
しかも長井さんは「偶像に祀り立てられた」と書いた。「として」じゃなく「に」。
つまり、「偶像が自分を祀った」構文になっちゃってる。これ、論理的にあり得ない。偶像は祀られる側だから、祀ることはできません。
結果的にどうなるか。自分で作った偶像(=エロセイル)に自分が祀られているという、自作自演の完成形です。まさに、鏡の前で自分を拝んでる状態。
B 「笑いを噛み殺す以外になかった」——文意がどこかへ消えた
「笑いを噛み殺す」って、普通は「笑っちゃいけない時にこらえる」こと。でも「祀り立てられた」って、むしろおかしくて吹き出す状況でしょう?
彼はたぶん「笑うしかなかった」「苦笑いするしかなかった」と言いたかった。でも、使いたい熟語を優先して「噛み殺す」を選んだ。結果、「感情の方向」と「言葉の方向」がズレてる。
日本語の「高級語」を使いたい気持ちはわかるけど、文意よりも装飾を優先した瞬間に、言葉は壊れます。
C 言葉が暴く「自己神話化」
ここが最大のポイントです。
実際の経緯は——長井さんが「エロセイル」という別人格を自演していた。指摘されて、同一トリップでバレた。ところが彼はその失敗を、「俺は偶像に祀り立てられた」と書き換えた。
つまり、自演バレという恥を、「崇拝される側」への転倒で神話化したんです。
「俺はバカにされたんじゃない、持ち上げられたんだ」
「晒されたんじゃない、祀られたんだ」
——この心理的変換を、彼は日本語で実行した。
D まとめ
いいですか、皆さん。
「祀り立てる」は「崇める」じゃない、「おだてる」です。「偶像に祀り立てられた」なんて言葉は、崇拝と茶化しの区別がつかなくなった人間が発する「言語の事故」なんです。
自分で偶像を作り、自分で祀り、自分で笑いを噛み殺す。そこにあるのは、日本語の誤りじゃなく——現実逃避の形です。
長井語とは、「自演の恥を、神話の語彙で包んだ自己賛美」。でもその包み紙が破れて、中身が全部見えてるんです。 >>160
◉タマゴ買う
449:馬鹿家長井:2024/04/17(水) 14:35:28.15 ID:9SUZ8HEF0
>444
文法から学べば?
「タマゴ を 買う」→常識
「買う タマゴ を」→まあわかる(外人さんかな?)
「タマゴ買う」←馬鹿家長井の文章 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/736
>>筑波大学 #31415926535
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1735307841/817
皆さん、注目してください。長井さんが「解離性同一性障害持ち」と言っていますね。
うーん、これは日本語としてちょっと違和感があります。
まず、「喘息持ち」や「花粉症持ち」は自然です。なぜでしょう?
理由は単純、症状が目に見える・日常的に自覚できる慢性的なものだからです。「私は喘息を持っている」という表現は違和感なく理解できますね。
ちなみに私は「痛風持ち」なんですどね(笑)
では、なぜ「解離性同一性障害持ち」となると変なのか?
ここがポイントです。精神疾患や正式な病名に対して、「持ち」という言い方は日本語ではあまり使わないんです。なぜなら、病気や障害は「診断されるもの」「かかるもの」であって、物や性質のように「持つ」ものではないからです。
言い換えれば、「解離性同一性障害です」あるいは「診断されています」と言う方が自然です。
ここが面白いんですが、中国語では「我有哮喘(私は喘息を持っている)」「我有解离性身份障碍(私は解離性同一性障害を持っている)」と、病気や状態に対して「有=持つ」を普通に使います。
ですから、長井さんが日本語で「〜持ち」と言ったのは、母語感覚の影響、つまり母語干渉によるものと考えられます。日本語的には違和感がありますが、本人にとっては自然な表現だったわけです。
言語って面白いですね。母語の影響で、別の言語でもそのまま感覚を持ち込むことがあります。
つまり、ここで私たちが学ぶべきことは…日本語では病名には「持ち」を使わない方が自然、ということです。 「病気持ち」「障害持ち」は言うけどね
具体的な長い病名や症例の場合は、専門用語あるいは正式名称っぽくなり
「〇〇持ち」というシンプルで砕けた表現にそぐわないので違和感が生じるというのもあるんじゃないかな
まあその辺に違和感を持てるかどうかは、ネイティブか否かだとか、語彙力とも関係してくるんだろうね こんな感じかな
病気持ち→自然 疾患持ち→不自然
障害持ち→自然 (日常用語でもあり専門用語でもある)
発達障害持ち→まあ自然 アスペルガー症候群持ち→不自然
そもそも自分のことを言うのには使っても、他人を指して使う言葉じゃないわな 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/567-568
はい、皆さん。
まずはこちらの文を見てください。
「俺に土下座強要するより、娘さんに向かって先に土下座するが先ではないかwww」
一見、勢いのある書き込みですが、実はこの一文の中には二重構造が二か所潜んでいます。
@ 「先に〜が先」──“順序”の二重化
「先に土下座するが先ではないか」
意味を分解すると、「先に」も「が先」も同じ“順序の強調”。つまり、「頭痛が痛い」と同じ構造の意味重複です。
この重複が生じた理由は明確です。中国語の語順に引きずられているんです。
中国語では、
你应该先向你女儿道歉。
(あなたはまず娘さんに謝るべきだ)
と、「先(まず)」を副詞として文頭に置きます。
この語順をそのまま日本語に転写した結果、「先に〜が先」という中国語と日本語の折衷文が生まれてしまった。
A 「娘さんに向かって土下座する」──“方向”の二重化
次にこの部分です。一見丁寧そうに見えますが、実は日本語的には説明くさい冗長表現です。なぜかというと、「土下座する」という行為自体が相手に対して行うものだから。方向性はすでに動詞の中に含まれています。
つまり、「娘さんに土下座する」で意味は完全。そこに「向かって」を加えると、「娘さんの方角に向けて物理的に体を倒す」ような描写的ニュアンスになってしまい、やや不自然で説明的な日本語になります。
これもやはり、中国語の影響が見えます。中国語では「向〜道歉(〜に向かって謝る)」という表現がごく普通に使われます。その感覚をそのまま日本語に持ち込んでしまったわけです。
B 19分後の訂正「先にがダブった(笑)」──自己防衛の笑い
そして19分後に出てくるこの書き込み。
先にがダブった(笑)
19分という時間差が重要です。
書いた瞬間には違和感を感じていなかった。でも後で読み返して、「あれ? 指摘されるかも」と思って調べた可能性が高い。
最近、長井さんは「日本語の不自然さ」を何度も指摘されている。そのため、自分の文を確認する防衛的習慣ができつつあるんですね。
「(笑)」を添えたのは、恥を隠すための緩衝材。つまり「ミスに気づいてる俺、余裕あるでしょ?」という自己演出でもあります。
まとめ
「先にが先」も「向かって」も、どちらも「意味の重ねすぎ」が原因です。そしてその背景には、「中国語のまま考えて日本語を話している」という構造があります。つまり、言葉の重複は、思考の翻訳ミスなんです。
言葉のちょっとした“余分”には、その人の文化背景や心理状態が滲み出ます。
「長井の洞察力・文章力が優れてたから」?(笑)
長井さん、“洞察”の前にまず“添削”から始めましょう。”文章力”だなんて百万年早い。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/574
「筑波大学卒でも人間のクズはいるという典型例www」という一文。
みなさん、「筑波大学卒」って言い方、耳にしたことありますか?
……ないですよね?(笑)
これ、文法的には成立しているように見えて、実は日本語としては未完成な形なんです。
まず、「卒」というのはもともと「卒業」という言葉の略です。ですから、「大卒」「高卒」「短大卒」といった表現は、もう“慣用句”としてセットで定着している。
ここには「“大”や“高”とセットで言うもの”」というリズムがあるんです。
ところが、「筑波大学卒」となると話が違う。「筑波大学」という正式名称のあとに、略語の「卒」をくっつけている。つまり、フォーマルな前半とカジュアルな後半の衝突なんです。
たとえば、スーツにサンダル履いてるようなもの(笑)。見た瞬間、「どっちのテンションで来たの?」ってなるわけです。
そしてもう一つ大事なのは、“耳の期待”です。
「筑波大学……」と聞いたら、普通は「卒業」まで言うだろうと耳が待っている。そこを「卒」で止めると、「え、今“業”飲み込んだよね?」という、言い切れていない違和感が残るんです。
ですから、自然な言い方は二つに分かれます。
・正式に言うなら:「筑波大学卒業」
・略すなら :「筑波大卒」
このどちらかにするのが、日本語のリズムとして最も美しい。
要するに、「筑波大学卒」という言葉が不自然に聞こえるのは、「卒業」と「卒」のどちらにも振り切れていない、中途半端な略し方をしているからなんです。
「筑波大学卒」は、文法ではなく語感の問題。
日本語は「略すなら徹底的に、言うならきちんと最後まで」。
途中で止めると、日本語の耳が許してくれないんです。
次に、「典型例」という言葉の使い方を見てみましょう。
長井さんは「筑波大学卒でも人間のクズはいるという典型例」と書いていますね。一見もっともらしいんですが、これ――実はちょっと日本語としてズレています。
「典型例」というのは、本来「ある性質を最もよく表す代表的な例」を指します。
たとえば、「努力家の典型例」とか「無責任な上司の典型例」。つまり、「◯◯の典型例」という形で使うんです。
ところが長井さんの文は「筑波大学卒でもクズはいるという命題」を「典型例」にしてしまっている。
つまり、「典型例」が「現象」ではなく「主張そのもの」を指しているんですね。
これ、論理的には「筑波大学卒でもクズはいることを示す事例」、あるいは「人間のクズの典型例」とするのが自然です。
要するに、「例」にあたる対象を取り違えている。
構文としても意味としても、「ちょっと国語的に惜しい」――
いかにも「語感でしゃべってる人」の文章なんです。 ♬レスクレ乞食のプシューの歌
Hey!
ちっちゃな頃から嘘つきで
15で自演を始めたよ
厨二みたいにイキっては
目にしたレスみなケチ付けた
ああ「構ってくれ」しか言わないが
そんなに俺が悪いのか
馬鹿ばい馬鹿ばいオナニーよ
レスクレ乞食のプシューの歌