猫と長井♫仲良く喧嘩しな
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
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はい、皆さん。
まずはこちらの文を見てください。
「俺に土下座強要するより、娘さんに向かって先に土下座するが先ではないかwww」
一見、勢いのある書き込みですが、実はこの一文の中には二重構造が二か所潜んでいます。
@ 「先に〜が先」──“順序”の二重化
「先に土下座するが先ではないか」
意味を分解すると、「先に」も「が先」も同じ“順序の強調”。つまり、「頭痛が痛い」と同じ構造の意味重複です。
この重複が生じた理由は明確です。中国語の語順に引きずられているんです。
中国語では、
你应该先向你女儿道歉。
(あなたはまず娘さんに謝るべきだ)
と、「先(まず)」を副詞として文頭に置きます。
この語順をそのまま日本語に転写した結果、「先に〜が先」という中国語と日本語の折衷文が生まれてしまった。
A 「娘さんに向かって土下座する」──“方向”の二重化
次にこの部分です。一見丁寧そうに見えますが、実は日本語的には説明くさい冗長表現です。なぜかというと、「土下座する」という行為自体が相手に対して行うものだから。方向性はすでに動詞の中に含まれています。
つまり、「娘さんに土下座する」で意味は完全。そこに「向かって」を加えると、「娘さんの方角に向けて物理的に体を倒す」ような描写的ニュアンスになってしまい、やや不自然で説明的な日本語になります。
これもやはり、中国語の影響が見えます。中国語では「向〜道歉(〜に向かって謝る)」という表現がごく普通に使われます。その感覚をそのまま日本語に持ち込んでしまったわけです。
B 19分後の訂正「先にがダブった(笑)」──自己防衛の笑い
そして19分後に出てくるこの書き込み。
先にがダブった(笑)
19分という時間差が重要です。
書いた瞬間には違和感を感じていなかった。でも後で読み返して、「あれ? 指摘されるかも」と思って調べた可能性が高い。
最近、長井さんは「日本語の不自然さ」を何度も指摘されている。そのため、自分の文を確認する防衛的習慣ができつつあるんですね。
「(笑)」を添えたのは、恥を隠すための緩衝材。つまり「ミスに気づいてる俺、余裕あるでしょ?」という自己演出でもあります。
まとめ
「先にが先」も「向かって」も、どちらも「意味の重ねすぎ」が原因です。そしてその背景には、「中国語のまま考えて日本語を話している」という構造があります。つまり、言葉の重複は、思考の翻訳ミスなんです。
言葉のちょっとした“余分”には、その人の文化背景や心理状態が滲み出ます。
「長井の洞察力・文章力が優れてたから」?(笑)
長井さん、“洞察”の前にまず“添削”から始めましょう。”文章力”だなんて百万年早い。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
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「筑波大学卒でも人間のクズはいるという典型例www」という一文。
みなさん、「筑波大学卒」って言い方、耳にしたことありますか?
……ないですよね?(笑)
これ、文法的には成立しているように見えて、実は日本語としては未完成な形なんです。
まず、「卒」というのはもともと「卒業」という言葉の略です。ですから、「大卒」「高卒」「短大卒」といった表現は、もう“慣用句”としてセットで定着している。
ここには「“大”や“高”とセットで言うもの”」というリズムがあるんです。
ところが、「筑波大学卒」となると話が違う。「筑波大学」という正式名称のあとに、略語の「卒」をくっつけている。つまり、フォーマルな前半とカジュアルな後半の衝突なんです。
たとえば、スーツにサンダル履いてるようなもの(笑)。見た瞬間、「どっちのテンションで来たの?」ってなるわけです。
そしてもう一つ大事なのは、“耳の期待”です。
「筑波大学……」と聞いたら、普通は「卒業」まで言うだろうと耳が待っている。そこを「卒」で止めると、「え、今“業”飲み込んだよね?」という、言い切れていない違和感が残るんです。
ですから、自然な言い方は二つに分かれます。
・正式に言うなら:「筑波大学卒業」
・略すなら :「筑波大卒」
このどちらかにするのが、日本語のリズムとして最も美しい。
要するに、「筑波大学卒」という言葉が不自然に聞こえるのは、「卒業」と「卒」のどちらにも振り切れていない、中途半端な略し方をしているからなんです。
「筑波大学卒」は、文法ではなく語感の問題。
日本語は「略すなら徹底的に、言うならきちんと最後まで」。
途中で止めると、日本語の耳が許してくれないんです。
次に、「典型例」という言葉の使い方を見てみましょう。
長井さんは「筑波大学卒でも人間のクズはいるという典型例」と書いていますね。一見もっともらしいんですが、これ――実はちょっと日本語としてズレています。
「典型例」というのは、本来「ある性質を最もよく表す代表的な例」を指します。
たとえば、「努力家の典型例」とか「無責任な上司の典型例」。つまり、「◯◯の典型例」という形で使うんです。
ところが長井さんの文は「筑波大学卒でもクズはいるという命題」を「典型例」にしてしまっている。
つまり、「典型例」が「現象」ではなく「主張そのもの」を指しているんですね。
これ、論理的には「筑波大学卒でもクズはいることを示す事例」、あるいは「人間のクズの典型例」とするのが自然です。
要するに、「例」にあたる対象を取り違えている。
構文としても意味としても、「ちょっと国語的に惜しい」――
いかにも「語感でしゃべってる人」の文章なんです。 ♬レスクレ乞食のプシューの歌
Hey!
ちっちゃな頃から嘘つきで
15で自演を始めたよ
厨二みたいにイキっては
目にしたレスみなケチ付けた
ああ「構ってくれ」しか言わないが
そんなに俺が悪いのか
馬鹿ばい馬鹿ばいオナニーよ
レスクレ乞食のプシューの歌