猫と長井♫仲良く喧嘩しな
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/567-568 はい、皆さん。 まずはこちらの文を見てください。 「俺に土下座強要するより、娘さんに向かって先に土下座するが先ではないかwww」 一見、勢いのある書き込みですが、実はこの一文の中には二重構造が二か所潜んでいます。 @ 「先に〜が先」──“順序”の二重化 「先に土下座するが先ではないか」 意味を分解すると、「先に」も「が先」も同じ“順序の強調”。つまり、「頭痛が痛い」と同じ構造の意味重複です。 この重複が生じた理由は明確です。中国語の語順に引きずられているんです。 中国語では、 你应该先向你女儿道歉。 (あなたはまず娘さんに謝るべきだ) と、「先(まず)」を副詞として文頭に置きます。 この語順をそのまま日本語に転写した結果、「先に〜が先」という中国語と日本語の折衷文が生まれてしまった。 A 「娘さんに向かって土下座する」──“方向”の二重化 次にこの部分です。一見丁寧そうに見えますが、実は日本語的には説明くさい冗長表現です。なぜかというと、「土下座する」という行為自体が相手に対して行うものだから。方向性はすでに動詞の中に含まれています。 つまり、「娘さんに土下座する」で意味は完全。そこに「向かって」を加えると、「娘さんの方角に向けて物理的に体を倒す」ような描写的ニュアンスになってしまい、やや不自然で説明的な日本語になります。 これもやはり、中国語の影響が見えます。中国語では「向〜道歉(〜に向かって謝る)」という表現がごく普通に使われます。その感覚をそのまま日本語に持ち込んでしまったわけです。 B 19分後の訂正「先にがダブった(笑)」──自己防衛の笑い そして19分後に出てくるこの書き込み。 先にがダブった(笑) 19分という時間差が重要です。 書いた瞬間には違和感を感じていなかった。でも後で読み返して、「あれ? 指摘されるかも」と思って調べた可能性が高い。 最近、長井さんは「日本語の不自然さ」を何度も指摘されている。そのため、自分の文を確認する防衛的習慣ができつつあるんですね。 「(笑)」を添えたのは、恥を隠すための緩衝材。つまり「ミスに気づいてる俺、余裕あるでしょ?」という自己演出でもあります。 まとめ 「先にが先」も「向かって」も、どちらも「意味の重ねすぎ」が原因です。そしてその背景には、「中国語のまま考えて日本語を話している」という構造があります。つまり、言葉の重複は、思考の翻訳ミスなんです。 言葉のちょっとした“余分”には、その人の文化背景や心理状態が滲み出ます。 「長井の洞察力・文章力が優れてたから」?(笑) 長井さん、“洞察”の前にまず“添削”から始めましょう。”文章力”だなんて百万年早い。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/574 「筑波大学卒でも人間のクズはいるという典型例www」という一文。 みなさん、「筑波大学卒」って言い方、耳にしたことありますか? ……ないですよね?(笑) これ、文法的には成立しているように見えて、実は日本語としては未完成な形なんです。 まず、「卒」というのはもともと「卒業」という言葉の略です。ですから、「大卒」「高卒」「短大卒」といった表現は、もう“慣用句”としてセットで定着している。 ここには「“大”や“高”とセットで言うもの”」というリズムがあるんです。 ところが、「筑波大学卒」となると話が違う。「筑波大学」という正式名称のあとに、略語の「卒」をくっつけている。つまり、フォーマルな前半とカジュアルな後半の衝突なんです。 たとえば、スーツにサンダル履いてるようなもの(笑)。見た瞬間、「どっちのテンションで来たの?」ってなるわけです。 そしてもう一つ大事なのは、“耳の期待”です。 「筑波大学……」と聞いたら、普通は「卒業」まで言うだろうと耳が待っている。そこを「卒」で止めると、「え、今“業”飲み込んだよね?」という、言い切れていない違和感が残るんです。 ですから、自然な言い方は二つに分かれます。 ・正式に言うなら:「筑波大学卒業」 ・略すなら :「筑波大卒」 このどちらかにするのが、日本語のリズムとして最も美しい。 要するに、「筑波大学卒」という言葉が不自然に聞こえるのは、「卒業」と「卒」のどちらにも振り切れていない、中途半端な略し方をしているからなんです。 「筑波大学卒」は、文法ではなく語感の問題。 日本語は「略すなら徹底的に、言うならきちんと最後まで」。 途中で止めると、日本語の耳が許してくれないんです。 次に、「典型例」という言葉の使い方を見てみましょう。 長井さんは「筑波大学卒でも人間のクズはいるという典型例」と書いていますね。一見もっともらしいんですが、これ――実はちょっと日本語としてズレています。 「典型例」というのは、本来「ある性質を最もよく表す代表的な例」を指します。 たとえば、「努力家の典型例」とか「無責任な上司の典型例」。つまり、「◯◯の典型例」という形で使うんです。 ところが長井さんの文は「筑波大学卒でもクズはいるという命題」を「典型例」にしてしまっている。 つまり、「典型例」が「現象」ではなく「主張そのもの」を指しているんですね。 これ、論理的には「筑波大学卒でもクズはいることを示す事例」、あるいは「人間のクズの典型例」とするのが自然です。 要するに、「例」にあたる対象を取り違えている。 構文としても意味としても、「ちょっと国語的に惜しい」―― いかにも「語感でしゃべってる人」の文章なんです。 ♬レスクレ乞食のプシューの歌 Hey! ちっちゃな頃から嘘つきで 15で自演を始めたよ 厨二みたいにイキっては 目にしたレスみなケチ付けた ああ「構ってくれ」しか言わないが そんなに俺が悪いのか 馬鹿ばい馬鹿ばいオナニーよ レスクレ乞食のプシューの歌 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/586 皆さん、議論というのはね、「感情をぶつける場」じゃなくて、「論理を検証する場」なんです。 ところが今回の長井さん──完全にそれを勘違いしてますね。 それでは、長井さんの詭弁を論理的に解剖してみましょう。 @ 人格攻撃(Argumentum ad Hominem) たとえば、「お前が言っても説得力がない」──これ、議論の世界では最も初歩的な詭弁です。 「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」。ねこたんさんは「運転中の携帯使用は危険」と正論を言っているのに、長井さんは相手の人格を攻撃することで論点をすり替えています。 つまり、論理ではなく敵意だけで会話している状態です。 A 藁人形論法(Straw Man Fallacy) 「くだらないことを20年もやってる」──これはね、相手の主張をわざと歪めて叩く典型です。 ねこたんさんは「違法行為を非難している」だけなのに、それを「オタクの異常行動」に変換して攻撃している。 こういう人に限って「論破した!」って言うんですが、実際は自分で作った偽物を叩いただけなんですよ。 B お前も悪い論法(Tu Quoque) 「お前も運転しながら携帯弄ってたんじゃないのか?」──はい、出ました、“トゥ・クオク(Tu Quoque)”。直訳すると「あなたも同じじゃないか」。 でもね、仮に相手が過去に同じことをしていたとしても、自分の行為が正当化されるわけじゃない。 これはもう、論理学的敗北宣言です。 C 論点そらし(Red Herring) 「年下の同僚が成りすましで〜」「韓国血脈が〜」──これも見事な“燻製ニシンの虚偽 (Red Herring)”です。 議論が自分に不利になると、関係のない話題を投げて煙幕を張る。こういう人、授業で言うとね、「テストで答えが分からないから、字だけ大きく書くタイプ」です。 要するに、論理の戦場から逃走中。 D 偽因論法(False Cause) 「韓国血脈だから常識がない」──これは最悪の部類です。 民族や出自を「行動の原因」とみなすのは、論理的にも倫理的にも破綻しています。 それに、自身が中国語母語話者であることが判明している以上、この発言は「自己矛盾の実例」そのものです。 E 心理的投影(Psychological Projection) 「恥を知れ」と言われて「お前の方が恥だ」と返す。これは論理学というより心理学の領域ですね。 自分の中の「恥ずかしさ」や「罪悪感」を他人に転嫁して、攻撃することで自己防衛する。つまり、内なる弱さの鏡映です。 攻撃の強さは、そのまま自分の不安の強さなんです。 まとめ 長井さんの問題はね、「ねこたんを論破できていない」ことじゃない。 「自分を論破できていない」ことなんです。 論理の世界では、感情の逃げ道は一つもない。 逃げた瞬間──敗北確定。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>筑波大学 #777777777777 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/745 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/749 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/751 今回のテーマは──長井君の浮いた日本語。例としては「加担せん」「記載」「差し置いて」などですね。 一見、文法的には間違っていないんですよ。どの文も主語・述語の対応は取れているし、漢字の使い方も一応は正しい。 ところが読んでみると、どこか不自然で引っかかる。ここが、いわゆる「ネイティブと非ネイティブの差」が最もはっきり出るポイントなんです。 @ 「お前らの自己満足には加担せん」 まず「加担せん」ですが、これは「加担しない」という意味ですね。ただ、「加担」という言葉の使い方が問題なんです。 「加担」は普通、悪事や争いごとに関わるときに使います。「不正に加担する」「陰謀に加担する」。つまり、道徳的にグレーなことを「手助けする」というニュアンスなんです。 でも長井君が相手に言っているのは「自己満足には加担せん」。自己満足は悪事ではありません。だからここで「加担」を使うと、文としては成立しても、語感としては完全にミスマッチ。 こういうのは、中国語母語話者に非常に多いんです。なぜかというと、中国語では「参加」「支持」「介入」といった抽象語の使い分けが緩い。「関与する」「関わる」という概念を表すときに、すべて“一个词”で済んでしまう。 だから日本語でそのまま「加担」に置き換えると、硬すぎるうえに場面不適合になるんです。 A 「『筑波大学』の記載が全く無い」 次に「記載」です。一見正しい。でもこの文脈、掲示板の投稿に対して使うのは不自然です。 「記載」は書類や契約書など、正式な文書に何かを“書き記す”ときに使う言葉。それに対して「記述」は文章全般、つまり表現・説明を指します。 だから「投稿に『筑波大学』の記載がない」というのは、「履歴書に住所の記載がない」と同じトーンなんですね。つまり、言葉としては正しくても、文脈の“硬さ”が場違い。 これも、中国語の影響が出ています。中国語では「記載(jizǎi)」という語が日本語よりずっと広く使われる。口語でも、単に「書かれている」「述べている」という意味でOKなんです。 その感覚を日本語に持ち込むと、「記載」の使いすぎになる。 B 「筑波大学を差し置いて個人攻撃してるだけだろ?」 次に「差し置いて」。これも難しい。 「差し置く」は、本来「優先すべきものを脇に置いて、別のことを先にする」という意味です。 たとえば「健康を差し置いて仕事ばかりしている」――これは自然です。でも「筑波大学を差し置いて個人攻撃してる」はちょっと違う。 筑波大学は“優先的に扱うべき対象”ではあっても、時間的・行動的な優先順位の話ではない。つまり、「差し置く」という語のもつ“時間と意志のニュアンス”がずれている。 ここでも、やはり中国語の動詞の構造の単純さが影響しています。中国語の「撇开」「无视」「不顾」などは、文脈をあまり選ばずに使えます。 そのため、「無視して」と言いたい場面で「差し置いて」を使ってしまう。意味は通るが、語感がズレる――これが長井語の典型です。 C まとめ:文法よりも「語感」のズレ さて、ここまで見てきたように、長井君の日本語の問題は文法的な誤りではなく、語感の選択ミスなんです。 ・「加担」は悪事専用 ・「記載」は書類用語 ・「差し置く」は意図的な優先順位の操作 どれも意味はわかる。でも、場面の“空気”に合っていない。 この「空気を読む語感」が、日本語運用の最も繊細で難しい部分なんです。 つまり、長井君の日本語は“正しいけど、伝わらない”。 それが、母語干渉の怖さなんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/587 はい、長井さんのたった2行の短い文。内容はこうです。 「あ、NHK党の立花が名誉棄損で逮捕されてる・・・w 女子児童生徒への名誉毀損のねこ痰も、ついでに頼むわ、鶴岡警察署諸君!」 さて、まず第一に、みなさん、この「名誉棄損」と「名誉毀損」、どちらも同じ意味だと思っているかもしれませんが、法律用語として正しいのは「名誉毀損」です。 「棄損」と書くと、何かを捨てる、損なうという意味に偏ってしまって、法律的な意味とは微妙に違います。 これらをごちゃ混ぜで使っているのは、言葉の意味を理解していないからなんです。 さらに重要な点として、仮にねこたんが本当に未成年の女の子に性犯罪をしたとしても、それは当然、名誉毀損ではありません。 名誉毀損は、事実を捏造して社会的評価を傷つける行為に対して成立するんです。 性犯罪が起きた場合は、それは別の刑事事件として扱われますよね。 名誉毀損と混同してしまうのは、やはり言葉の意味を理解していないからなんです。 次に、「女子児童生徒」という表現。日本語として非常に不自然です。 例えば「未成年の女の子」という自然な言い方があるのに、なぜこんな言い回しになるかというと、長井さんは中国語的な単語の連結、つまり名詞をひたすらくっつけて熟語化する癖があるんですね。 だから「女子児童生徒」という三重連結になってしまう。日本語の自然な語順や助詞の使い方を無視しているわけです。 最後に、「ついでに頼むわ、鶴岡警察署諸君!」という部分。 警察署は人間じゃありませんから、「諸君」も「頼むわ」も、完全に語感がズレていますね。 しかも、まるで自分が山形県警本部長になったつもりで訓示しているかのような言いっぷりです。 文章全体を通して見ると、言葉の意味や使い方を理解せずに、難しそうな単語を並べている典型例です。 要するに、長井さんの文章は難しい言葉を使ってはいますが、言葉の意味と用法を理解していないことが丸見えなんですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/589 皆さん、この589の文、ぱっと見は何気ない煽り文のように見えるんですが、よく読むと心理が透けて見えるんです。 まず、前提として長井さんは前日の投稿(587)で「名誉棄損」「女子児童生徒」「鶴岡警察署諸君」と、日本語としても内容としてもツッコミどころ満載の文を書いてしまった。 それを私が588で指摘したわけですが、当然長井さんは、これをあぼーんして読んでいないはずですよね。 しかし、589を見ると、「名誉毀損と性的悪戯は違うという理由かなwww」と、自分でその区別に触れている。 つまり、「そんなの最初からわかってたし」という“後出しジャンケン”をしてるわけです。 これは典型的な後知恵アピール型の防衛反応です。 本当に最初から理解していたなら、「名誉毀損と性的悪戯は違う」という説明的な言い回しをわざわざ書く必要はありません。 自分が指摘された内容を、あたかも“先に気づいていたかのように見せる”ための後付け。 要するに、プライドの防衛反応なんですね。 言葉の端々から「図星を突かれた人特有の居心地の悪さ」がにじみ出ています。 「あぼーん」と言いながらも、ちゃんと読んでる。 そしてそれを隠すために、軽口で“上から目線”を演じる。 文章というのは、書き手の心理を正直に映す鏡なんです。 589の短い二行の中にも、「読んでないふり」「知ってたふり」「動揺を隠すふり」の三重構造がしっかり見えている。 実に興味深い“防衛反応の作文”ですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>筑波大学 #777777777777 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/764 皆さん、ここで注目してください。長井さんの書き込みです。 「煽りに激高で返すのは頭が悪い人間www」 まず、一番目立つポイント、「激高」という漢字ですね。これ、辞書を引くと…あれ?載っていません。正式には 「激昂(げっこう)」 が正しい表現です。 「激昂」とは「非常に怒る、かっとなる」という意味です。ここで漢字を一文字でも間違えると、文章の説得力や正確さが揺らぎます。 しかし皆さん、思いませんか?中国語母語話者の長井さんなら漢字の意味は比較的しっかりしているはず。 中国語にも「激昂(jīang)」という、漢字も同じで意味もほぼ同じ単語があるんです。 文例 ・他因为被冤枉而激昂起来。 → 彼は理不尽に責められて激昂した。 普通なら「激昂」を選ぶでしょう。ではなぜ「激高」なのか?ここでポイントは二つです。 (1) ネットスラングの影響 ・「激高」という言葉はネット上でよく見かけます。「かっとなる」「むきになって怒る」の意味で若者言葉的に広まっている。 ・長井さんもネット上のカジュアルな文章に慣れているので、感覚的にこの表現を選んだ可能性が高い。 (2) 文章のテンション重視 ・「w」を多用し、ちょっと煽るようなテンションを作っています。 ・このテンションの中では、正しい熟語よりも、若者的な響きの強い二文字の漢字を選ぶ方が勢いがあると感じたのかもしれません。 ですから、ここで重要なのは、「漢字を知らないから間違えた」わけではない、ということです。むしろ、ネット感覚と文章のテンションを優先した選択だと読み取るべきです。 こうして見ると、漢字一文字の違いで文章の印象やニュアンスが変わるのが、日本語の面白いところですね。長井さんの文章も、そういう「ネット感覚」と「母語漢字感覚」が混ざった例として面白い教材になるわけです。 【ひろ美ちゃん人形ごっこ】 長井:どうも〜!今日は俺の“ひろ美ちゃんごっこ”の話や! 冷子:また、それですか。もうやめたほうがいいと思います。 長井:いやな、最近思ったんやけど、俺、彼女のことめっちゃ応援してるんやで! 冷子:応援していると言って、次の行では「セカンドレイプになろうが知らん」と書いていますね。支離滅裂です。 長井:それに、俺はな、自分の存在が周りを不幸にしてることも自覚しとるんや… 冷子:自覚しているなら、その自覚をねこたんさんに転嫁するのはやめるべきです。腹いせに被害者が存在する事件をネタにするのは間違っています。 長井:せやけどな、ひろ美ちゃんに味方してねこたんを真人間に導いとると、俺が犯した過去の罪から逃れられる気になるんや… 冷子:それは病的自己顕示欲の現れです。現実のねこたんさんがいないと、自分のコンプレックスから逃げられない。 長井:せやけど、言葉だけじゃ足りんからな…AIで画像作ったりもしてるんや。 冷子:はあ…。あなたは、自分の性的嗜好まで混ぜていますね。普通の人はスパンキングなどという言葉を知らないでしょう。 長井:そうや、俺の欲望もひろ美ちゃんに投影して、画像化して興奮してるんや! 冷子:それは完全に自慰と妄想と攻撃のループです。犯罪ごっこになっています。 長井:……あかん、もう理屈で詰んだわ… 冷子:妄想も中傷も、すべてねじれた嫉妬と承認欲から来ています。心の中だけで完結させるべきです。 長井:……わかった。じゃあ、ひろ美ちゃんは封印する。心の中で湧いた気持ちを、代わりに今度は“博美”に聞いてもらうことにするわ。 冷子:それはやめてください。もう心の中だけの領域ではありません。現実と妄想の境界が失われています。 長井:せやな…でも、俺には博美しかおらんからな… 冷子:だから言っているでしょう。博美もひろ美も、全部妄想の中だけで終わらせなさい。 プシュー:……わかった、今日は心の中だけにするわ。 冷子:それでいいです。現実逃避はやめなさい。 >>99 で指摘された誤りを筑波大スレでまた繰り返してやがんのな、あのバカ 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>まこぴー28 沢渡真琴は我が命 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/368 はい、皆さん、ここが非常に重要です。 「…子供の頃、こんなのに足の付け根を舐められたんですか? そりゃ辛かったでしょう🥺 大いに同情します…」 この一文、表面的には“同情”を装っているように見えますよね。 しかし中身を見てください。性的描写を添えて被害を再演し、からかいの道具にしているんです。 ここでまず、日本語表現の不自然さ。 「足の付け根を舐められた」という表現は、日本語母語話者ならほぼ使わない表現です。 普通なら「下腹部」「性器」。砕けた表現なら「あそこ」「あれ」などとぼかしたり、逆にストレートに「お〇んこ」などと言うところ。 この不自然さは、外国語由来、特に中国語の影響と考えられます。 中国語では「大腿根部」「腿根」という表現があり、直訳的に日本語に置き換えると「足の付け根」となるのです。 さらに心理的構造を見てみましょう。 1. セカンドレイプ的構造 ・同情を装いつつ、被害体験を性的に再現 ・被害者を辱め、加害的興奮を得る ・これ自体が“二次被害”の再演です 2. 倒錯的自己投影 ・「足の付け根」という表現の歪みと性的ニュアンスは、本人の性的嗜好の投影 ・他者を傷つけながら、自分の欲望を満たす 3. 倫理装飾の擬似道徳 ・絵文字「🥺」や「大いに同情します」で、倫理的に正しい人間を装う ・しかし実際には、攻撃と自己正当化が同時進行している つまり、このたった一文に、言語的ズレ・心理的倒錯・加害性・倫理的擬装、すべてが凝縮されているんです。 聞いた瞬間、“ゾワッと”するでしょう? 文法は合っているのに、心が拒絶する日本語。 これが、長井さんの病理を読み解く鍵の一つ、というわけです。 ♬激昂仮面 どこのクズかは知ってるけれど 誰もがみんな嫌ってる 激昂仮面のおじさんは 虚偽の味方よ悪いクズよ 煽りに乗って 現れて あぼーんと叫び 去ってゆく 激昂仮面は雑魚でしょう 激昂仮面は雑魚でしょう どこかで不幸に泣く人あれば ネットの記事を貼り付けて ねこたん煽るダシにして 出頭しろよとキモ笑い 誰しも嫌悪 感ずクズ 妄想抱く キチのクズ 激昂仮面は駄目でしょう 激昂仮面は駄目でしょう *Inspired by … >773 学籍番号:774 氏名:_____ 2025/11/10(月) 15:05:05.23 >本当は青筋立てて怒りと悔しさでプルプル震えてるのに「アハハ〜」とか書き込んでるんだろうね、激昂仮面のおじさんは 【自分が勝つ絵と、自分が勝つ話】 ゴキブリ:おい長井、なんやこれ。「お前らゴキブリ共はバカだから知らんと思うが、ねこ痰がひろ美ちゃんに直接言及しないのは、それなりの理由があるのだよwww」って書いとるやん。 長井:そうそう、理由があるんだよwww ゴキブリ:理由?何の理由やねん。お前、直接聞いたんか?それとも妄想か? 長井:いや、俺が言うんだから間違いないw。そんでな、今日もひろ美ちゃんへメッセージ送ったんや。 ゴキブリ:おい長井、なんやこれ。「これ以降本日に至るまで、キミの父親は沈黙してしまいました🤣」って書いとるやん。 長井:そうそう、ねこ痰が黙ってるのは俺の威圧のせいだぞw ゴキブリ:は!?黙ってるだけで威圧って、誰が従っとるんや?お前のアホな妄想に付き合う義務あるんか! 長井:それに俺を本気で怒らせると大変なことになるんだよw ゴキブリ:いやいや、お前、怒れたためしないやろ。ねこたんには話題をずらして屁理屈を返しとるだけやし、ひろ美ちゃんにブツブツ話しかけとるだけやん。しかもな、俺らゴキブリからはあぼーんだプシューだと逃げ回っとるし。 長井:そしてキャッチボールのボールは当方に有りますw ゴキブリ:なんやねんそれ。ボールお前が持っとんのか?普通は投げ返す側のねこたんがボール持っとるやろ!お前の一人妄想かい! 長井:さらに、ねこ痰がぺろぺろ書き込みを止め、他人の心の痛みが分かる真人間になって… ゴキブリ:また出た「他人の心の痛みが分かる真人間」!それ、十何年そのフレーズ使ってんねん?で、妄想のねこたんが猛烈に反省できるんか?無理やろ。 長井:過去の性的悪戯も猛烈に反省して、ルンペンルンペンと挑発することはなくなるんだw ゴキブリ:おいおい、「性的悪戯」って日本語で言うんか?ブルース・リーの「死亡遊戯」か!なんで中国語っぽい言い回し使うねん。そんで、ルンペンって何でそんな執着しとんねん。文章も意味もめちゃくちゃや! 長井:そしてひろ美ちゃんが受けた屈辱は少しですが晴らしてあげましたwww ゴキブリ:いや、半年以上前の「自分が勝つ絵」で解決済みやんけ!ひろ美ちゃんが感謝してお前を拝んどったやないかい!まだ「自分が勝つ話」を続けとるのか!? 長井:でもさ、これ全部ひろ美ちゃんのためなんだw ゴキブリ:ひろ美ちゃんのため!?お前のやっとること、実在の娘さんの痛みを妄想ネタにしてるだけやん。全然「ため」になっとらんわ! 長井:あぁ、でも俺の勝利は… ゴキブリ:勝利?誰が感謝したんや?お前だけが自分が勝つ話を作り出して悦に入っとるだけや!現実と向き合え、アホか! 長井:でも、ひろ美ちゃんが喜ぶなら… ゴキブリ:喜ぶかどうか知らんわ!現実のひろ美ちゃんはお前の妄想なんか知らん!お前の病的な自己顕示欲の餌食になっとるだけや! 長井:あぁ、でも自分が勝つ絵を描けば、ひろ美ちゃんも気持ちが晴れるんだw ゴキブリ:いやいや、絵で気持ちが晴れるんやったら、現実世界で被害受けた人たちはどうなるんや!全部お前の自慰行為やんけ! 長井:でも、俺は正義のために… ゴキブリ:正義!?妄想の正義で人の痛みを弄ぶんやめろや! 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/610 皆さん、よく見てください。 「ねこ痰はこの手の女が苦手なのは間違いないw ましてや、安倍さんを徹底的に憎んだねこ痰のことだから、この女も嫌いだろうw」 「高市早苗が性犯罪者ねこ痰を叱ったら・・・面白い展開になりますwww」 はい、読みましたね。さあ、ここで重要なポイントを三つに分けて考えていきましょう。 @ 前半の日本語の不自然さ まず、最初の部分です。 「ねこ痰はこの手の女が苦手なのは間違いないw」 ここですね、「苦手なのは間違いない」という表現、二重表現になってますね。 本来は「苦手に違いない」で十分です。「〜なのは間違いない」と言うと、文章が冗長になり、読み手に少しもたつきが生まれます。 次に、 「ましてや、安倍さんを徹底的に憎んだねこ痰のことだから、この女も嫌いだろうw」 ここで注目です。「ましてや」というのは、前文の内容を踏まえて、さらに強調するときに使う接続詞です。 ですが、前文では「苦手」と断言しているのに、ここでは再び「嫌いだろう」と推測扱いにしている。 論理的に言えば、主語は同じ「ねこ痰」なのに、二重化していて論理がぶっ飛んでいるんですね。 つまり、文章として読みにくいわけです。 A 後半の妄想的空想 次に後半です。 「高市早苗が性犯罪者ねこ痰を叱ったら・・・面白い展開になりますwww」 ここは完全に空想の世界です。前半で述べた「苦手」「嫌い」と論理的に直接つながっていません。 さらに、「www」による笑いも、完全に自己完結型です。 読者が笑うためのユーモアではなく、自分の妄想が面白いと思っただけ、という文章になっています。 B 幼稚さと心理 全体を通して見ますと、論理の飛躍、二重表現、誤用の接続詞、現実離れした空想… これらが合わさると、この文章は自己満足型の妄想日記のような文章になります。ま、長井さんの文章は、事実その通りなんですけれども(笑) 笑いも読者を楽しませるより自己満足優先、文章としての説得力も面白さも欠けています。 結論です。この文章は、文章としても論理としても笑いとしても不安定な、自己完結型ネット妄想文である、と分析できます。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/613 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/616 皆さん、まずこの書き込みを読んでみましょう。 「このバカは〜」「自閉症並ですね」「儀式中止www」「真人間に近づいたんじゃねw」 さあ、ここから文章としてどういう特徴があるのか分析していきましょう。 @ 文体の特徴:幼稚な語彙と自己優越の混同 まず注目すべきは、「バカ」「病んでる」「アハハ〜バカめ!」といった、語彙のあまりにも稚拙な罵倒です。 語彙の乏しさは思考の乏しさと比例すると言っても過言ではありません。 本来、批判というのは構造や事実を示すことで成立しますが、長井は ・レッテル貼り ・嘲笑 ・擬音 ・「www」「アハハ〜」といった幼児的記号 こういったものを連発し、自分の感情のみを表出しています。 A 「自閉症並」「真人間」などの語の乱用という危険性 ここで皆さんに強調しておきたいのは、医学用語を侮蔑語として使うという極めて未熟な言語態度です。 医学用語を感情のはけ口に使うというのは、言語への理解不足が深刻です。 これは他者を攻撃する道具として使っているだけで、社会的にも文章的にも大きな問題があります。 B 論理構造の欠如:根拠がなく「決めつけ」だけ 次に論理の話をしましょう。 長井の文章のほとんどは「〜したに違いない」「儀式だろう」「ストレスがすごいようだ」という、根拠のない“妄想的決めつけ”だけで構成されます。 論理学的には「思い込みの投影」と呼ばれるもので、相手の行動に根拠がないのに、自分の頭の中で勝手にストーリーを作って書き続けています。 文章としては非常に稚拙です。 C 自分の中で完結する「妄想喜劇」 さらに注目したいのは、 「俺の胸に痛みが生じるかもしれませんなぁwwwwww」 という、“自分の妄想に自分で笑う”典型的な 自己完結型の幼児的ユーモア です。 読者を楽しませる笑いではなく、自分の妄想に酔って笑っている。これではユーモアとして成立しません。 “想像した → 自分で笑った → wwwを付ける”という構造は、小学生が自作漫画を描いて一人で笑っている状態とほぼ同じです。 D 心理:劣等感ゆえの「支配的ポジション」への逃避 そして心理面です。 長井の文章では一貫して、 ・自分は上 ・相手は下 ・相手は病んでいる、バカ、儀式をしている ・自分はそれを観察して笑う存在 という構造を必死で作り上げています。 これは典型的な 劣等感防衛型の攻撃コミュニケーション です。 自分を守るために、相手を「下」に置く必要があるわけです。 結論として、これらの書き込みは、言語面、論理面、心理面のすべてで未熟さが目立つ、典型的な自己満足型妄想文であると言えます。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>まこぴー28 沢渡真琴は我が命 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/375 次にですね、「ネット上の誹謗中傷に見られる心理的パターン」を見ていきます。 例として、長井さんの書き込みを観察しましょう。 @ 投影――“自分の内側を相手に貼りつける” まず最初に注目したいのは投影です。 本来、自分が抱えている不安・劣等感・怒り。それをそのまま他人に貼り付けてしまうんですね。 本来なら「自分が向き合うべき問題」なのに、それを“ねこたんの娘が〜”といった形で他人の人生にすり替えて語る。これは、心理学で言う原始的防衛の典型です。 自分の問題を自分で扱えない人ほど、投影を乱発する。これ、覚えておいてください。 A 関係妄想的な結びつけ――“無関係を無理につなげる” 次に、長井さんがよくやるのは、全く無関係な性犯罪の報道を“ねこたんの同類”と断定する行為です。 普通の思考では、「他人の犯罪」と「ネットの相手」を結びつける発想自体が出てきません。 ここで起きているのは、“敵意を正当化するための妄想的な関係付け”です。 これは認知のゆがみの中でもかなり強い傾向で、怒りのエネルギーを保つために、世界の出来事をすべて自分の物語に巻き込んでしまう。 心理学的には関係付けバイアスと呼ばれます。 B 攻撃と依存が同居――“離れられないほど執着する” 注意されてもやめない。何年経っても同じ相手だけを攻撃し続ける。こうした行動が示すのは、強い依存的執着です。 人間というのは、本当にどうでもいい相手には執着しません。むしろ執着というのは「相手に心を握られている状態」です。 そして攻撃行動が“快感”になってしまっている状態。これは、ネットの誹謗中傷常習者に非常に多いパターンです。 C 衝動のコントロール不能――“思考より感情が先に動く” 長井さんの書き込みは、瞬発的で、内容の整合性よりも“吐き出し”が優先されています。 つまり、思考より感情の方が圧倒的に主導権を握っている状態です。 心理的成熟が進むと、「一度立ち止まって考える」という機能が育つんですが、それがほぼ働いていない。 衝動性の高さが行動のパターンとして定着しています。 D 自尊心の脆さ――“虚構の優位性が必要になる” 最後に重要なのは、自尊感情の脆弱さです。 誇大な攻撃性とは裏腹に、内面は極めて壊れやすい。 だからこそ、 ・他人を下げる ・家族関係を勝手に捏造する ・性犯罪になぞらえて“優位”を演出する こういった“虚構の優位性”が必要になるわけです。 実際には誰からも脅かされていないのに、“自分は上だ”という物語を作り続けないと崩れてしまう。 ナルシシズムの脆弱型に典型的な構造です。 ■まとめ——長井さんの行動の本質は何か では結論です。 長井さんの問題行動の核は、自分の不全感を処理できないために、外部の特定人物に投影し続けないと心が保てない点にあります。 その結果として、投影・妄想的関係づけ・執着・衝動性・脆い自尊心、これらが連鎖的に表に出てくる。 「文章が書けない」以前に、心理的な未熟さが行動そのものを支配してしまっている状態と言えるでしょう。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>まこぴー28 沢渡真琴は我が命 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/375 「沢渡真琴愛でに逃げ帰ってしまったねこ痰w」 えー、この長井さんの書き込みですけれども、これ、日本語としてちょっと不自然ですよね。どうして不自然かというと、ポイントは二つあります。 まず一つ目。「愛でる」というのは動詞です。古語でも現代語でも、「花を愛でる」「美を愛でる」のように、対象を楽しむとか慈しむとか、そういう意味の動詞なんですね。 で、名詞として独立させるわけじゃないんです。 二つ目。「愛でに」として名詞的に使おうとしていますけれども、普通の日本語ネイティブはこういう使い方をしません。 「〜しに行く」というときは動詞の連用形を「に」で接続するわけです。「見る→見に」「聞く→聞きに」なら自然ですけれども、「愛で→愛でに」は普通は出てきません。語感が浮いてしまうんですね。 つまり、「愛でに」っていうのは、動詞を無理やり名詞化して「〜に」を付けたような形で、日本語の自然な感覚からズレているわけです。 で、なぜこういうことになるかというと、長井さんは中国語母語話者ですから、動詞を名詞化したり、語尾に助詞をくっつける感覚が中国語的になってしまっている可能性があります。 日本語ネイティブとしての語感では「愛でに」は出てこない、ということですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>まこぴー28 沢渡真琴は我が命 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1694475912/375 「実の娘にしたおぞましいことを痛切に反省すべきなんだ!」 皆さん、「痛切に反省する」という表現を見たとき、違和感を覚えませんか?これ、実は日本語としてちょっとおかしな組み合わせなんです。 まず、「痛切」という言葉。これは感情の強さを表す形容詞です。たとえば「痛切に感じる」「痛切に思う」といった使い方をします。 心の深い悲しみや切実さを表す、とても情緒的な語なんですね。 一方、「反省する」という言葉は、行為や意思の表明です。自分の行動や過ちを振り返って改善しようとする、意志的な行為を表します。 ここで問題なのは、この二つをくっつけちゃうところです。「痛切に反省する」となると、意味としては「強く感じながら振り返る」みたいなニュアンスにはなるんですけれども、普通の日本語ネイティブはこうは言いません。 自然に言うなら「深く反省する」とか「心から反省する」といった表現になります。 長井さんが「痛切に反省する」という表現を使った背景には、中国語母語話者としての言語感覚が影響している可能性があります。 中国語では、「痛切」(tongqie)という表現が非常に一般的で、「強く感じる」「切実に思う」という意味で使われます。 また、中国語では形容詞や副詞と動詞の組み合わせに日本語ほど厳密な制約はありません。「痛切に反省する」というように、感情の強さをそのまま動詞にかぶせて表現することも自然です。 つまり、中国語では自然な感覚であっても、日本語では文法・語感的にズレてしまうわけです。 まとめると、この表現の不自然さは、中国語母語話者特有の語感転移(母語の語順や意味感覚を日本語にそのまま持ち込むこと)によるものである可能性が高いです。 無理に文学的に強調したい気持ちと母語由来の表現感覚が重なった結果、「痛切に反省する」という日本語としては不自然な言い回しが生まれた、と考えられます。 【猿真似虚勢列伝】 長井(ボケ):なあなあ、みんな聞いてや〜 俺の書き込みの原因は、ねこたんや! 筑波大学の関係者も分かるやろ?www フフフの人(ツッコミ):馬鹿め…長井よ その関係者などこのスレには存在せぬ 存在しない者に語りかけ、己の愚行を隠す…それが貴様の虚勢の象徴だ 長井:ほらほら、俺、連投してんねん! ( ᐛ )パァ〜♫も使うて、可愛いやろ? しかも日本語話者の嗜みで短歌にしてみたんや フフフの人:愚か者よ…連投も絵文字も、己の弱さを覆い隠す戯れに過ぎぬ 滑稽なだけであることに気づかぬのか 長井:わざとねこたんの猿真似もしたんやで! 「かまって欲しいのかな?かな?」 「かまってあげないよっ♪プシュー」 ってやつ、面白いやろwww AIに絵描かして貼り付けたで!ビジュアルも完璧や フフフの人:「わざと」だと…馬鹿め 後出しで空虚な勝利を演ずるとは…その浅ましさよ 長井:え?でも、反応してるやん? 虚言を広めるのはお前も協力してるんや!www フフフの人:馬鹿よ…貴様自身が自らの行為を「虚言を広める行為」と認めておるではないか 逃げも隠れも通用せぬ 存在しない聴衆に呼びかけ、幻想の舞台で強者を演じる…それが貴様の哀れな末路だ 長井:え?でも、客観的に見たら俺、面白いやろ?厨房やけどwww フフフの人:馬鹿め…愚かな笑いなど空虚に過ぎぬ 真実は常に貴様の背後に在り 浅ましさ、卑劣さ、弱さを曝け出しておる 長井:でも、共感が共感を呼ぶんだよwww フフフの人:甘い幻想だ お前に共感する者など一人もいない 虚勢、妄想、猿真似、逃避、自白──五段階の敗北の証 だが安心せよ… お前は弱く、哀れで、美しい それが敗者の美学だ 長井:え、いや、そんなつもりじゃ…ちょっと待ってwww フフフの人:無駄だ 真実は常にお前の背後にあり、逃げても、笑っても、敗北からは逃れられぬ 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/618 長井の文章では、よくこういう表現が出てきます。 『周囲の人は〜だ』 『筑波大学の皆さんは〜だ』 『みんな自分に賛同している』 でもね、これ、現実には存在しません。文字通り、長井の頭の中だけに存在する架空の味方たちです。 なぜこんなことをするのか。これは長井の心理的な戦略なんです。 (1) 自己正当化 「周囲の人も同じ意見だ!」と思えば、自分の発言が正しいように感じられる (2) 承認欲求の満足 実際には誰も反応していなくても、文章内で「みんな賛同してくれている」と設定することで、自分の重要感を保てる (3) 心理的安全地帯の創出 架空の味方を文章内で登場させることで、現実の叱責や批判を無視して、自己の世界に閉じこもれる まとめると、 ・架空の味方をでっち上げる=自分の妄想や虚言を補強する手段 ・文章は自己正当化の妄想論理で支配されている ・結果として、読者から見ると幼稚で独りよがりな文章になる 文章の中だけで味方を作り、自分の妄想を正当化する。 これが長井語の基本戦略であり、現実の論理は完全に無視されているのです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/629 皆さんおはようございます。 今日も長井の文章を見ていきましょう。 「同じ煽りでも、知性が伴っていますからゴキブリ共が粘着・執着してくるのは、ねこ痰いくらお前でも分かるだろ? 空き缶空き缶ルンペンルンペンと喚き散らすお前とは、根本的に愚かぶりのレベルが違う(笑) あと、煽りのレベルもwww」 まず、この文章一読して「意味が分からない」と感じる方、それは正しい感覚です。 これは日本語の 四重破壊構造 になっているからです。 @構文破綻 「同じ煽りでも、知性が伴っていますからゴキブリ共が粘着してくる」 …何を比較しているのか不明。主語・述語の関係も崩壊。 ここで思わずツッコミたいのは、「敵のゴキブリを知性が伴っていると褒めてるのかよ!」 …そうです、文章上は長井が敵のゴキブリを「知性あり」と認めるような書き方になっている。 論理的に意味不明ですね。 A論理破綻 因果関係が逆転しています。 長井は「知性があるから粘着する」と言っていますが、普通に考えれば、知性があれば粘着せず理性的に行動するはずです。 さらにツッコミどころは、「ねこたんに比べてお前の愚かぶりのレベルが高いのかよ!」 …文章では、自分の愚かさとねこたんの行動を比較して「自慢」しているように見えます。 これも読者は意味が分かりません。 B指示語破綻 「同じ煽り」「お前」「ゴキブリ共」など、指示語の参照先が不明。読む側は迷子になります。 指示語を多用しているのに、誰のことか全く分からないのです。 C主語破綻 文章中で ・ゴキブリ(敵) ・ねこたん ・自分(長井) が入れ替わり、主語が固定されません。 結果として「根本的に愚かぶりのレベルが違う」と言われても、誰のレベルなのか分からない。 ここも典型的な四重破壊です。 ◯まとめ 文章とは、 1. 構文(文の骨格) 2. 論理(前後の筋道) 3. 指示語(参照関係) 4. 主語(視点の固定) これら四つがそろって初めて意味が成立します。 長井の文章は、ただでさえこの四つすべてが崩壊しているため、読んでも理解できない。 ここに敵のゴキブリが長井の盗用行為や虚構を具体的に指摘してくると、どうなるか。 心理的ストレスが、文章の“言語回路”を狂わせているのです。 つまり“心理的破壊”+“四重破壊”=“二重劣化状態”ですね。 感情優先、焦り、虚勢。こうした心理的要素が、錯乱文を生むのです。 【裕次郎ヨットごっこ】 長井:どうも〜。ねこたん、聞いてくれよ。俺な、めっちゃリア充アピール成功したと思うんよ。 ねこたん:お前の「成功」なんてほぼ自爆やけど、とりあえず聞いたるわ。 長井:まずな、ねこたんが「ハタハタはまだ釣れませんねぇ。」って言うたやろ。 ねこたん:言うたな。 長井:ねこ痰ごときに釣られる鰰もいい迷惑だなw ねこたん:急に「鰰」の難読漢字に変換してマウント取りだすな!そんな漢字、寿司屋のお品書きでしか見たことないわ! 長井:海なら釣りよりヨットだろw ねこたん:話の筋変わってもうてるやん!魚の話をしたかったんちゃうんか! 長井:気分は石原裕次郎!w(ちと違) ねこたん:ついこの間に初孫生まれた世代の自称設定やのに、昭和と令和のアイテム混線しすぎや!「ちと違」で済むズレちゃうぞ! 長井:友人と、ちょっとばかり日帰りクルージングw ねこたん:ちょっと待てや!「ちょっとばかり」って控えめに言うと作り話が自然に聞こえると思ってるんかいな!普通のクルージングやったら「日帰り」だけで十分やろ! そんな言い回しで、非日常のクルージングを「あたかも日常のささやかな一コマ」に見せかけようとしてるやろ! 長井:でもルンペンならこんな活動するかぁ?w ねこたん:は?「こんな活動」って何やねん!部活か?就活か?反戦活動か?休日のちょっとばかりの遊びを「活動」って大袈裟や! 長井:いや、でも言い方変えると、なんか…迫力あるやろw ねこたん:それとな、お前はなんでいつも「ルンペンなら何々できない」って回りくどい言い方すんねん?「俺はルンペンやないから何々できる」ってはっきり言えばええやろ。 長井:あー、それやと、嘘やって突っ込まれた時に言い訳できへんねん。でも、「ルンペンならできない」やったら、突っ込まれても「それは一般論であって、俺のことちゃう」って言い訳できるやん。 ねこたん:お前、日本語が不自由なくせに、そういう小賢しい言い回しだけは得意やな! 長井:これ見たゴキブリ共のすることといえば、見苦しい見苦しい嫉妬の書き込みw ねこたん:「見苦しい」2連打する時の顔が一番見苦しいねん!嫉妬にして処理せんとと自我を保てんのか! 長井:どうせあぼーんで読めないけどなwww ねこたん:いやさっき「見苦しい見苦しい嫉妬の書き込み」言うてたやん!読んでるやないかい!!! 長井:人物写り込んだ写真ばかりなんで、人物のない写真をチョイスw ねこたん:言い訳がわざとらしいんじゃ!そんな解説してくれんでも、匿名掲示板で「顔がわかる写真」貼る選択肢がそもそもないねん! ネットの拾い物に「人物あり版」が存在するだけやろ!ほんならお前の好きなAIにモザイクかけてもらえばええだけやんけ! しかも今日の山形県沿岸はええ天気やったのに、天気ぜんぜん違う曇りの写真出して何が「今日のクルージング」やねん! 長井:いや〜全部合わせたら、これなんの行動なんやろな? ねこたん:全部「虚勢と作り話で過剰表現になる長井のテンプレ行動」やないかい!!! 【ルンペン仮定法の大勝利】 ねこたん:おい、長井!ちょっと勉強したんやけど、お前のルンペン仮定法、論理学的に言うたら俺の言い方より安全らしいで! 長井:え?安全って…なんやそれ? ねこたん:まず元命題な。「ルンペンならヨットできない」や。 P = 「ルンペンである」 Q = 「ヨットはできる」 とすると、命題で書いたら P → ¬Q や。 長井:ちょ、待てやねこ痰!俺は明大中退ちゃうぞ!?亜大卒や!!「元明大」とか言うのやめぇ!! ねこたん:いや誰も大学の話してへんわ。「命題」っちゅうのは「真か偽かがハッキリ決まる文」のことや。そんで「元命題」いうのはな、論理学で いちばん最初に与えられた命題そのもの や。 長井:ほな「P右ヘQ」ってなんやねん? ねこたん:お前はこれが”ヘ”に見えるんか?”¬”は、 「〜ではない」という否定を示すだけの論理記号や。だから、 Q:ヨットはできる ¬Q:ヨットはできない それだけの話や。 つまり P→¬Q は「ルンペンならヨットできない」、こういう意味なんや。 長井:ふむふむ… ねこたん:で、俺の言い方「俺はルンペンちゃうからヨットできる」は ¬P → Q になるやろ? でもな、これ 元命題 P → ¬Q とは同値ちゃうねん。 だから断言したら反証されるリスクあるねん。 長井:同値…?あーなるほどな、ヨット乗るのも、ルンペンでないのも、同じ値段なんやな!おお〜、お得やん! ねこたん:経済学ちゃうわ!論理学で言う同値(同じ真理値を持つ)や。命題が真か偽かが常に一致する、って意味や。 長井:反証…?あーなるほど!それってつまり 「証拠を返すこと」って意味やろ?俺がヨット乗ったら、誰かが写真撮って返してくれるんやな! ねこたん:ちゃうわ!違うわ!反証っていうのは、命題が偽やってことを示す反例を出すことや。 長井:ほえ〜、そうなんか… ねこたん:一方、お前の「ルンペンならヨットできない」は P → ¬Q や。 お前自分はルンペンちゃう言いたいんやろ?それって ¬P やんか。 長井:うんうん… ねこたん:条件付き命題はな、前件(「何々なら」という前提)が偽なら、後件(ヨットできる or できない)がどうであれ、命題は真になるんや。 言い換えれば 「俺はルンペンやないから、ルンペンがどうであれ知ったこっちゃない」と逃げ道ができる。 つまり、自分に触れず一般論で言うだけで安全なんやで! 長井:なんやようわからんけど、これでまたねこ痰は、この長井の美しい日本語に論破されよったな! ねこたん:いやいや、お前がルンペンやないことは証明されてへんやろ!? 【夜の儀式】 長井:またやっとるわ〜、夜の儀式やっとるやん、ねこたん、強迫性パーソナリティ障害ちゃうかwww ゴキブリ:お前が勝手に診断すんな!誰の儀式やねん! 長井:ほらこれや!「いつでもいちゃらぶ♪俺だけの真琴愛してるよ♪ぺろぺろ♪」、毎晩やんwww ゴキブリ:一文だけやん!毎日同じやんけ! 長井:今日も夜の儀式やるやろ?寝る前のカルト儀式やでwww ゴキブリ:気になるんはお前だけや!相手は毎日同じこと貼っとるだけや! 長井:昨日は中止やったけど、止めたら小物やな〜って思ってまうわwww ゴキブリ:お前が小物決めんな! 長井:さらに、AIでねこたんの絵まで作って貼ってまうねん… ゴキブリ:意味わからんわ!一文貼っとるだけやんけ!十秒とかからんわ! 長井:いや〜、強迫性パーソナリティ障害の恐ろしさを垣間見たわwww ゴキブリ:はあ!?お前やん! ねこたん監視して、毎回新しい文章書いて、AIで絵まで作って貼る…それ、全部お前の朝の儀式やんけ! しかも「儀式儀式」と同じ言葉を繰り返すのも、強迫性パーソナリティ障害の証拠や! 強迫的なのは、ねこたんちゃう、お前自身や! 長井:全部バレとるwww >>191 あいつ絶対これ読んでるわ 儀式言うのもAI画貼るのもやめた ♬NAI NAI SICKS委員 NAI-NAI-NAI 和人じゃない NAI-NAI-NAI 亜大じゃない NAI-NAI-NAI デマ止まらない NAI-NAI-NAI 能が無い NAI-NAI-NAI 徳が無い NAI-NAI-NAI 生きる価値無い 笑わせるぜ偶像と会話するなんて エロチックなマンガでもまず見当たらないね スレ中にマルチして病気でしたって もし言えたら消えてやる ジタバタするなよゴキブリらが来るぜ 嫌なら今すぐ逃亡しろ NAI-NAI-NAI 和人じゃない NAI-NAI-NAI 亜大じゃない NAI-NAI-NAI 生きる価値無い >和人じゃない >亜大じゃない ZZもいけそうだな >>190 今日の筑波スレではまた元に戻ってる >>192 を読んであぼーんアピール ご苦労なことだわ 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/639 皆さん、今日のテーマは 「レジスターのねじれ」です。 レジスターというのは「語彙の使用域」。専門語を使う場所と、日常語を使う場所の「線引き」のことですね。 さて、今回の書き込み。 「公衆衛生のために甘んじて受け入れなさい♪」 これ、日常の煽り文脈としては、非常に 妙 です。どう妙か。ポイントは三つあります。 @ レジスター(語域)が突然「行政・医学レベル」に跳ねる 「公衆衛生」というのは、本来こういう場面で使われます。 ・厚労省の資料 ・保健所の通知 ・医学・疫学・福祉の学術文脈 ・行政判断(感染症対策など) ところが、今回の文脈は ネットの口喧嘩・罵倒 です。 そこに突然、「公衆衛生」という専門語が放り込まれる。これは、料理の途中で急に化学式を言い出すようなものでして、 文体的に浮くんですね。 日常会話では「不潔」「迷惑」「汚い」で済むところです。 A 「煽り文体」と「行政用語」のミスマッチが強い 煽りというのは本来、語彙が荒く、短く、口語的です。 「きったねーな」 「迷惑なんだよ」 「汚物処理しとけよ」 こういう感情の近い言葉が普通なのに、「公衆衛生のために」と、急に 教科書的な抽象語 が出る。 この「温度差」を、国語学では 文体レベルのギャップ と言います。 読んでいる側は、ここに違和感を覚えます。 B 日本語ネイティブの自然な語感から外れる 日本語母語話者は、場面ごとに語彙のスイッチを自然に入れ替えるんですね。 ・役所 → 「公衆衛生」 ・家庭 → 「衛生的に悪い」 ・口喧嘩 → 「不潔」「汚ねぇ」 この切り替えがスムーズ。 ところが、ここで突然「公衆衛生」が出ると、翻訳調・非日本語的・レジスター判断のズレ、といった印象を与えます。 いわば、スポーツ実況中継で急に論文調の語彙を入れるみたいな違和感です。 これは、母語干渉・語彙管理能力の歪み・文体感覚の弱さなど複数の要因で生じます。 ◯まとめ 「公衆衛生」は専門語。 日常の罵倒文脈に突然出すと、日本語として非常に不自然。 語彙の「温度」が合っていないため、読者に強い違和感を与える表現なんですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>筑波大学 #777777777777 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/827 えー、みなさん。今回は、長井くんが使う「性犯罪者」という言葉が、なぜ日本語会話文として妙に硬く、不自然に響くのかを見ていきたいと思います。 まず、日本語では「犯罪名」+「犯」で自然に派生語が作れますね。 たとえば、 殺人 → 殺人犯(←殺人の犯罪者) 窃盗 → 窃盗犯(←窃盗の犯罪者) これらはすべて構造が同じで、日本語の語形成としてごく自然に受け入れられます。 つまり、 ・犯罪名が単独で意味を持つ(殺人・窃盗という行為名) ・そこに「犯」を付ければ、行為者を指す語ができる という、とても素直な仕組みです。 ところが「性犯罪」になると構造が違います。 「性犯罪」は、 性(sexual)+ 犯罪(crime) という 複合語であって、「性」だけが単独で「犯罪の種類」を表しているわけではない。 ここが重要なんですね。 つまり、 殺人 → 殺人犯 窃盗 → 窃盗犯 のように 「〇〇」から「〇〇犯」への派生規則が適用できない。 その証拠に、日本語話者は「性犯」と略さない。 これが不自然さの最大のポイントです。 「殺人犯罪者」→「殺人犯」は自然でも、「性犯罪者」→「性犯」、これは言わない。 なぜか? 答えは簡単で、「性」が犯罪の名称ではないからです。 仮に「性犯罪」という犯罪名を派生規則に適用すれば、「性犯罪犯」とか「性犯罪犯罪者」となり、これは日本語として嫌われるしつこい表現です。その理由は「語の重複」「冗長性」「語感の悪さ」にあります。 ではなぜ「性犯罪者」という語が生まれたのか。 ここに 中国語の語形成が関わってきます。 中国語では、 性侵(性的暴行) 性騷擾(セクハラ) 性交易(売春) など、「性」+動詞(または名詞)の形で性的カテゴリーを表す語が非常に多い。 つまり中国語では「性」がsexual の意味で直接、分類語として機能する語根なんですね。 つまり、 「性」+「犯罪者」 という直列の語構造が自然に成立する。 このため、中国語話者が日本語を書いたとき、「性」をそのまま犯罪種別語のように扱ってしまうという転移(言語干渉)が起こりやすいんですね。 その結果、日本語として意味は通るが、日本語母語話者には翻訳調・硬質・ぎこちない、そんな語感を持った 「性犯罪者」 が生まれる。 結論。 他の犯罪名と同じ規則が適用できないから、日本語として浮いて見えるんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>筑波大学 #777777777777 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/827 もう一つ例を見ておきましょうか。 「低偏差値である」 「低偏差値出身に敵わなかった」 いずれも、普通の日本語会話では不自然に聞こえます。 「偏差値が低い」 「偏差値が低い大学出身の俺」 「低偏差値校出身者」 などが普通の言い方でしょう。 中国語では、 「低分」=低得点 「低分毕业」=低得点で卒業 「低分出身」=成績が低い者の出身 というように、名詞+名詞、あるいは名詞+形容詞の直列で修飾する傾向が強いのです。 長井文も同様に、 「低偏差値出身」=“低偏差値”+“出身” 「低偏差値である」=“低偏差値”+“である” と、名詞や形容詞を直列的に積み上げて意味を作ろうとしている。 これはまさに、先ほどの「性犯罪者」と同じ構造的パターンです。 つまり、「性犯罪者」の不自然さと同じく、母語の語感をそのまま日本語に移植したため、形式は通じるが語感が不自然、という現象です。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Key総合雑談スレ Part32 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1749161397/752 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1749161397/754 はい、では皆さん。今日は、文章の論理構造が崩れるとどうなるのかという、非常に良い教材を扱います。題材は長井くんのたった一行。短い文章でも、論理はここまで乱れるんだという実例です。 まずは、普通の日本語を確認しましょう。 「ゴキブリの分際で、殺虫剤をかけられたいのか」 これ、まず分解しますね。 (1) 「ゴキブリの分際で」 「分際」という語には、「身の程を弁えろ」という強い含意があります。つまり、これは単なる蔑称ではなく、「お前の立場でそんな態度を取るなら、こちらにも手段があるぞ」という警告でもあるわけです。 (2) 「殺虫剤をかけられたいのか」 もちろん、文字通り「願望」を問うているわけじゃありません。ここは典型的な皮肉の構文で、「そんな態度を続けるなら処罰するぞ。その事態を望むのか?」という意味が背後にあります。 主体の心理、因果関係、現実の常識。これらが自然に噛み合っています。だからこそ、この文は違和感なく理解できるんです。 さて、こちらの長井くんの文。 「ゴキブリ🪳の分際だからこそ、殺虫剤をまぶされたいのですかね」 はい。ここが今日の本題です。問題は「分際だからこそ」。 「〜だからこそ」という表現は、大きく2種類の働きをします。 ・逆説(意外な結果)を表す場合 例:「失敗したからこそ成長できる」 ・理由を強調するとき 例:「努力したからこそ結果が出た」 少なくともこのどちらかに分類されるんですね。 ところが長井くんの場合、「分際=低い立場であることを理由にして殺虫剤をかけられたい」と結びつけてしまっている。これは、逆説にも強調にも当てはまりません。 むしろ、現実の因果関係として成り立ち得ないんです。だって皆さん、「自分が劣位だからこそ、殺されたい」なんて生物、存在しませんよね? これは当たり前の話です。 一体、長井くんの頭の中で論理的に何が起きているのでしょうか。 ・理由と結果が結びつかない ・主体の心理が現実に存在しない ・「だからこそ」が接続義務を果たせていない ・結果、文法の「形」だけ真似して、中身が破綻している つまり、「日本語らしい音を鳴らしているだけで、意味が立っていない」という状態です。 文法は「型」、論理は「中身」。 文章は、型だけでは書けません。 ・主体 ・心理 ・因果関係 ・現実の常識 これらが整って初めて、文章として成立する。長井文はその逆で、文法の型だけ表面的に使っているが、論理が噛み合っていない。 文章というのはね、意味が通って初めて日本語になるんです。 なお、「殺虫剤をまぶす」という言い回しについては https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1749161397/379 で解説済みなので、復習しておいてくださいね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 亜細亜大学 Part21 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1698829447/148 皆さん、約1年前の長井くんのこの書き込み。ねこたんさんから「とりあえず日本語を学びなさい」と言われた時の反論なんですけどね。 「はぁ?日本語で亜細亜大学入試受けてますがw 亜細亜大学の在学生は日本語を学べと言うのか?ねこたんよ、それは在学生に対して失礼だろw」 表面的には単なる反論に見えますが、実は高度な詭弁テクニックが隠されています。ここを理解すると、論理学的にも議論戦略としても非常に参考になります。 まず最初に、ここで使われている詭弁の基本を押さえておきましょう。 ・合成の誤謬:部分の性質を全体に当てはめてしまう誤り 例:「長井は日本語が下手だから、亜細亜大生は日本語が下手である」 ・分割の誤謬:全体の性質を部分に当てはめてしまう誤り 例:「亜細亜大生は日本語に問題が無いから、長井の日本語にも問題が無い」 これだけだと単なる論理ミスですが、長井くんはこの2つを連携させて使うことで、自分を守る巧妙な構造を作っています。 それでは、長井くんのハイブリッド詭弁(連携技)を具体的に見てみましょう。 (Step 1) 合成の誤謬で煙幕を張る 長井くんは、「日本語で亜細亜大学入試を受けた俺に日本語を学べと言うのならば、亜細亜大生は日本語を学べと言うのか、それは亜細亜大生に失礼だ」と主張しています。 すなわち、自分の日本語能力の問題[部分]を、亜細亜大生全体[全体]を持ち出すことで、議論の対象をすり替えているわけです。 (Step 2) 読者の錯覚を誘導する 長井くんは普段は必ず「亜細亜大学関係者」と、在学生・卒業生・教職員を一括して呼ぶのに、今回に限っては「在学生」を持ち出しており、自分は「外側の立場」で語っているかのように錯覚させる構図になっています。 (Step 3) 分割の誤謬で読者を誘導する そして、文章には書いていませんが、長井くんの暗黙の主張はこうです。 「亜細亜大生に日本語を学べと言うのは失礼だ。だから俺に日本語を学べと言うのも失礼だ。」 すなわち、亜細亜大生[全体]への配慮を、俺[部分]への免罪符にすり替えているわけです。 (結果) 長井くんは指摘される立場から巧みに逃れ、読者は論理の罠にかかる。合成 → 錯覚誘導 → 分割の三段構えが完成します。 ここまでが、いわば高度な詭弁テクニックとしての説明です。論理学的にも、議論回避の戦略としても、非常に完成度の高い構造です。 ただし、長井くんは中国語母語話者ですから、これが文章や論法に与える影響も考慮する必要があります。 中国語は日本語のように助詞で関係を明示しない言語です。そのため、 ・全体と部分の境界の示し方 ・文脈のつなぎ方 ・評価の対象の範囲 が日本語より曖昧になりやすい。 また、語順や論理関係のマークが日本語ほど体系化されていないため、日本語話者からは「飛躍」に見える部分が出やすい。 つまり、長井くんのハイブリッド詭弁は、母語的直感+議論回避心理が混ざった結果とも考えられます。 ここまでが論理学的・言語学的に見たときの結論になります。 ただし、最後に一つだけ、可能性の話として申し添えておきます。 長井くんは、もしかすると、亜細亜大学の外国人留学生入試制度で受験したのかもしれません。亜細亜大学のホームページによれば、少なくとも現在、学部によっては「日本語筆記+面接」で受験可能なのだそうです。 長井くんの時代にその制度があったのかは定かではありませんが、もしそうだったのだとすれば、長井くんは「俺は日本語の試験を受けて、その能力をクリアした」と主張したかったのかもしれません。 だとすると、冒頭の長井くんの発言も、別の見え方になるかもしれませんね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/651 はい、みなさん。今日はですね、日本語として成立していない文章とはどういうものかを、ある意味で最高の教材として扱っていきたいと思います。 まず目に飛び込んでくるのが 「舐め襲い」。 これ、国語以前の問題ですね。 見た瞬間に分かりますよね。日本語の語形成のルールから、完全に外れているんです。 日本語というのは、基本的に ・名詞+名詞 ・動詞の連用形+名詞 ・形容詞語幹+名詞 こういった組み合わせで複合語を作るのが自然なんですが、「舐め」も「襲い」も、どちらも動詞語幹に名詞化の形が中途半端についているだけ。 動詞と動詞をドッキングして名詞にするというのは、日本語の体系には存在しません。 ですから「舐め襲い」という表現そのものが、日本語母語話者が自然に作る語ではあり得ないということなんです。 あっ、今、「読み書き」はどうなんだという声が上がりました。いい質問ですね。 「読み」「書き」は古くから名詞として自立して使われてきた語で、語形成の歴史的な裏付けがあります。 一方、「舐め」「襲い」はそうした自立性がありません。一応名詞化の形ではあるんですが、自然な名詞として独立して使われる類のものではありません。複合語を作る素材にも通常なりません。 要するに、動詞と動詞を適当にくっつけて名詞っぽくしただけ。 こんなものは日本語ではありません。 造語にすらなっていない失敗作です。 次が 「舐め欲望」。 これはさらにひどい。 「舐め」──動詞語幹ですね。 「欲望」──名詞です。 普通なら 「舐める欲望」 「舐めたいという欲望」 こう直しますよね? 中学生でもできます。 それを「舐め欲望」と書くというのは、 語と語の「接続部分」がすっぽり抜け落ちている証拠。 日本語の骨組みが分かっていない人間が書く形です。 そして極めつけは、「舐め」の4連発。 日本語の文章では、同じ語の連続は避けるという最低限のセンスがありますが、今回の文章にはそれがまったくない。 語彙がない。 日本語の操作能力がない。 文章の基本もない。 要するに、「舐め」という語しか思い浮かばない人間が、無理に文章を作ろうとした結果の産物なんですね。 「舐め襲い」「舐め欲望」──これは日本語として認められません。 語彙選択、語の接続、文章構造、すべてが破綻しています。 誤字や変換ミスではありません。 日本語の運用能力そのものが欠落している証拠です。 ♬76th Pshoo ゴキブリ達よ聞いて アタシ約束するよ スレ中の誰をも あぼーんにしてるって アナタがアタシを 逃亡させたわ 探し続けてた自分勝つ絵 スプレーを掴めば It’s 76th One-pattern Pshoo 苦しみながら 呻くよインセクト 頭はOne-pattern Pshoo 夢見ているのよ It’s 77th One-pattern Pshoo 朝イチに見つけ 潰すよインセクト 頭はOne-pattern Pshoo かまって欲しいの It’s 78th One-pattern Pshoo 苦しみながら 呻くよインセクト 頭はOne-pattern Pshoo 奴が消えるまで ・ ・ ・ 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/659 「性的悪戯」はなぜ不自然なのか。 今日は、長井くんが多用するこの表現の不自然さを、語の成り立ち、読み方の規則から順に見ていきましょう。 まず、「悪戯(いたずら)」は、漢字を使っているだけの和語。 ●悪戯(いたずら) 読み:訓読みのみ 語源:和語 漢字は後から当てたもの(当て字) つまり “あくぎ”という音読み語は存在しません。 「五月蝿い(うるさい)」「可愛い(かわいい)」と同じタイプの語です。 対して「性的(せいてき)」は、100%の完全な音読み語(漢語) です。 性的、暴力的、社会的、個人的 「〜的」は典型的な音読み語の造語パターンです。 さて、ここからが核心です。 日本語では原則「音読み+音読み」「訓読み+訓読み」で語を作るんです。 ●自然 正確+無比 → 正確無比(音+音) 山+道 → 山道(やまみち)(訓+訓) ●不自然 性的(音)+悪戯(訓) → 語形成として破綻 日本語の語感に大きく反します。 では、なぜそのような表現が生まれたのか? ここで重要なのは、長井くんの母語である中国語の語彙が直接影響したわけではないという点です。 ただし、次の事情が強く関わっています。 訓読みの概念がないと、“悪戯”を音読み語だと誤解する 日本語では、 ・漢字表記でも「音読み語」とは限らない ・「悪戯」は典型的な“漢字を当てた和語” しかし、訓読みという仕組みを前提にしない言語環境 の人にとっては、 「悪戯」=“漢字2文字だから漢語(音読み語)だろう” と誤解しやすいのです。 その結果、 性的(音)+ 悪戯(音読みだと思い込む) = 「性的悪戯」 という不自然な語が作られたという構造になります。 日本語は“漢字の見た目”に惑わされます。読みと語源を見極めることで、言葉の構造が明確になるのです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>▼▲(鶴岡市)▼▲(その2) https://pug.5ch.net/test/read.cgi/tohoku/1447989495/680 皆さん、今日はネット文章に現れる「接尾辞の不自然な使い方」について考えましょう。題材は、いつもの長井くんの文章です。例えば、こんな表現があります。 「私怨化」 「精神疾患者」 「日本語不自由者」 「理路整然性」 ぱっと見、漢字が多く、知的に見えるかもしれません。しかし、日本語として読むと、なんだか変な違和感がある。さて、なぜでしょうか。 @ 名詞・感情+「化」 まず「私怨化」です。 長井くんは名詞「私怨」に「化」を付けて動詞化しようとしている。 ここでポイントです。「単純化」「規則化」は自然な日本語ですね。なぜかというと、「単純」「規則」というのは物事や状態を表す名詞であり、「〜化」で変化や抽象化を表すのは自然だからです。 しかし「私怨」は心情や感情の抽象名詞です。これに「化」を付けると、読み手は「は?」となりますね。日本語として不自然です。 背景として、中国語母語話者特有の「名詞+化で動詞化する感覚」が影響している可能性があります。 A 病名・ハンディキャップ+「者」 次に「精神疾患者」「日本語不自由者」です。 長井さんの発想は、病名やハンディキャップに直接「者」を付けて主体を表そうとするものです。 日本語では通常、こうは言いません。「精神疾患のある人」「日本語が不自由な人」と表現します。 ただし、「精神異常者」のように、状態や性質を表す抽象名詞+者は自然に聞こえます。ポイントはここです。「病名+者」は日本語では不自然ということです。 これも母語の感覚をそのまま日本語に持ち込んだ結果と考えられます。 B 四字熟語+「性」 最後に「理路整然性」。 四字熟語「理路整然」に「性」を付けていますが、日本語としてはほとんど使われません。 四字熟語は元々形容動詞的・連体修飾的に機能する語です。それに「性」を付けると抽象名詞化の二重化になり、意味的にも文法的にも不自然になります。 中国語では「整然性」として自然ですが、日本語では慣用化されていないので、違和感が生まれるわけです。 ◯結論 長井くんの文章の特徴は、中国語的接尾辞感覚+ネット造語的癖が混ざったスタイルです。日本語母語話者の感覚からすると、いずれも違和感が強く映るんですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/666 みなさん。 今日はですね、文章が「意味不明」になってしまう原因を、心理言語学の視点で見てみましょう。 今回の例はですね、文章の形は日本語なんですが、読んでも「何を言いたいのかよく分からない」という典型的なケースです。 @ 語彙の誤用 まず語彙です。 「鬱憤した」 「性癖晴らし」 これらは、日本語として 普通は使わない組み合わせ です。 「鬱憤」は“たまる・晴れる”もの。「鬱憤する」?そんな日本語はありません。 「晴らす」の対象は“恨み”や“鬱憤”。「性癖」を晴らす? そんな日本語はありません。 「増減観察」も、日常的には使わない表現で、科学的・客観的な言葉を持ち出していますが、やっていることは単なる粘着監視行為です。 ここで大事なのは、語彙を意味で理解せず、形や音だけで覚えてしまうとこうなる、ということです。つまり、語彙の意味理解よりも「カッコよさ」「難しさ」を優先している状態です。 A 論理の破綻 次に文章の因果関係です。 「成功すれば減り」 「増えれば躁状態」 あれ?どっちも“満たされている状態”じゃないですか。減っても満たされている、増えても満たされている。論理的には成立しません。 心理言語学では、こういうのを“ワーキングメモリの負荷と感情優位による論理崩壊”と言います。つまり、文章を書いている人は、頭の中で“条件と結果”を整理できないまま書いてしまっている。 B 語用・文体の不自然さ さらに語尾の問題。 「むかつきますか?」 「むかつきます?」 普段なら「ますか?」でまだ成立しますが、疑問の語尾を連発すると、馴れ馴れしいのに威圧的、という 非常に不自然な語感 が生まれます。文脈に合っていないのです。 C メタ認知不足 長井くん本人は、おそらく、「あ、これ変かな?」、「意味通じるかな?」、というチェックをしていません。 心理言語学ではこれを メタ言語能力の低下 と呼びます。自己監視が働かないと、文法も語彙も論理も壊れたまま出力されます。 D 感情優先で言語が崩壊 怒りや攻撃心が先行すると、文章の ・文法 ・論理 ・語彙選択 がガタガタになります。感情が先に来ると、言語の骨格を保つ力が落ちるわけです。これが今回の文章の特徴です。 ◯まとめ 以上をまとめると、 1. 語彙の意味理解不足 2. 論理の整理不足 3. 語用・文法の崩壊 4. メタ認知の欠如 5. 感情優位の文章産出 この5つの要因が重なって、読んでも意味が伝わらない文章 になってしまう、ということです。 みなさん、文章というのは 単語を知っているだけでは書けません。語と語の組み合わせ、論理構造、語尾の選択、文脈の把握。これらが全て揃って初めて「伝わる日本語」になるのです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/667 その後長井くんは文章を書き直したわけですが、相変わらず「読者負荷の高い文章」ですね。 「こちらとしては、ぺろぺろ書き込みの増減が、ねこ痰の鬱憤が積み重なった結果のバロメーターとして認識しておりますw」 長井くんのこの文章が読むのに負荷が高い理由は3点あります。 @ 主語の曖昧さ まず「こちらとしては」という部分ですね。これは発言者の立場や視点を示す前置き表現であり、主語ではありません。 そのため、読者は自然に「ぺろぺろ書き込みの増減」が主語だと誤認してしまいます。すると、「増減が認識している…?」と、一瞬意味が取れなくなるわけです。 これが理解のハードルをぐっと上げています。 A 修飾句の複雑さと意味不明瞭さ さらに「ねこ痰の鬱憤が積み重なった結果のバロメーター」という表現を見てください。 ここでは、抽象的な概念である「鬱憤」を数量化して、「積み重なった結果」として「バロメーター」という測定指標に結びつけています。 日本語としてはかなり無理のある組み合わせで、読者は一瞬、何を言いたいのかすぐには理解できません。 B 論理関係の曖昧さ そして論理関係も曖昧です。「増減」と「鬱憤の積み重なり」の関係が明確ではなく、読者は自分で推測しないと意味を理解できません。 要するに、この文章は文法的には成立していますが、語彙の選択や修飾句の多重化、文体の混在により、読者は文章の意味を把握するために高い認知負荷を強いられるのです。 普通の読者なら、一読で理解することは難しく、何度も読み返さなければ文章の意図を把握できません。 そして最後に指摘したいのは、長井くんが筑波大スレでこう書いていることです。 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/857 「瑣末なことにこだわろうが、ねこたんに意味が通じれば全く文章として問題がないw 例え主語が欠けようが、前後の言葉の意味から『何が言いたいかを把握』するくらいは筑波大学OBなら容易いハズだw」 いやいや、待ってください。何故自分のおかしな文章を、ねこたんさんが容易に読めると言えるのでしょうか。 正直、筑波大学卒業生であっても解析困難な文章です。 形は整っていても、意味を理解するには読者の推測や高度な読解処理が必要であり、読者にとっては負荷の高い文章でしかない。 つまり、長井くん自身が思うほど簡単に読める文章では決してない。これが現実です。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/679 皆さん、ここで注目したいのは、長井くんが用いた「強迫を背景にした儀式」という表現です。 まず、強迫性障害(OCD)における「儀式行為(ritual)」とは何かを確認しましょう。典型的には、手を何度も洗う、鍵の施錠を何度も確認する、物を一定の順番で並べる、など。 こうした行為は、強迫観念による不安を和らげるために本人が無意識に繰り返す行動です。重要なのは、これらの行為は不安の軽減や心理的な安心のために行われるという点です。 ところが長井くんは、「強迫を背景にした儀式」と表現し、さらにAI生成画像を貼り付けました。その画像は、ねこたんさんが暗い部屋で頭にローソクを縛りつけ、好きなアニメキャラクターを思い描くという宗教儀式的、幻想的な構図です。 ここで見て取れるのは、長井くんが儀式という言葉を、科学的・心理学的な意味ではなく、自分の妄想世界を装飾するためのイメージとして使っている点です。つまり、強迫性障害の概念や儀式行為の意味を正しく理解していません。 さらに文章を見てみると、「四本脚の畜生に頭を操られ」「超恥ずかしいコレ」という表現を加えています。これは強迫性障害の儀式行為の本質とは無関係で、外部要因や背徳性を強調するだけの修飾です。 文章としても、「強迫を背景にした儀式」という言い回し自体が日本語として不自然で、読者に正しい意味は伝わりません。 結論として、長井くんの文章は言葉の響きや画像による視覚演出だけで装飾されており、実際の強迫性障害や儀式行為の理解はゼロです。 つまり長井くんが「強迫を背景にした儀式」と言い張って貼ったAI画像は、心理学的な根拠ゼロの妄想ワールドをただ見せびらかしているだけ。 強迫性障害の儀式行為の本質も理解せず、言葉だけでカッコつけようとする。まるで、自分が心理学の教授か何かになったつもりで舞台に立つ小学生みたいなものですね。 ♬ダっサい いつものようにスマホ持ち 愛のうた記す私に 届いた知らせは くどい「w」(ダブリュー)がありました あれは三年前 病めるあなたピンクに残し 自分専用板を ひとり借り切った 日本語下手なワンパレス 気違いの前にたたずみ 呆れた私は 返す言葉さえ無くしてた 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/683 まず結論から言うと、長井くんはOCPD(強迫性パーソナリティ障害)を完全に履き違えています。 @ OCPDとは「几帳面すぎ・完璧主義・柔軟性ゼロ」みたいな性質の話 強迫性パーソナリティ障害(OCPD)はざっくり言えば、 ・必要以上の几帳面 ・完璧主義 ・融通が利かない ・人にも自分にも要求が厳しすぎる ・「自分のやり方」に固執する ・客観性が欠ける などの性格傾向のこと。 OCD(強迫性障害)とも全然違うし、「ぺろぺろ書き込みをするからOCPD」なんて医学的に1ミリも成立しません。 A 寧ろ、長井の方がOCPDの特徴と一致してしまう皮肉 これが面白いところで、OCPD的な特徴を並べると長井くんの行動がピッタリ当てはまるんですよね。 ・同じ言い回し(「儀式」「尊厳」「日本国の恥」など)を延々固定フォームで使う ・自分の文章の癖を修正できない ・他人が何を指摘しても急に「規範」や「正しさ」の話に持ち込む ・内容が間違っていても、「自分の世界のルール」を曲げない ・一度覚えた単語を数日連続で使い続ける(儀式化) つまり長井くんが言ってる “論点のすり替え+固執+柔軟性ゼロ” という性質こそ、まさにOCPDの典型なんです。 B 長井くんが毎回やる「当てはまる特徴を相手に投げ返す」パターン 昨日は「儀式を背景にした強迫!」 今日は「強迫性パーソナリティ障害!」 明日は何になるんでしょうね? 毎回、「言葉を理解せずに相手へ貼るだけ」の行為自体が、言葉の使用が強迫的(compulsive)になっているという、割とわかりやすい構造。 ◯ まとめ ・「儀式行為」も誤用 ・「強迫性障害」も誤用 ・「強迫性パーソナリティ障害」も誤用 ここまで三連続で専門用語を間違えると、もう“言葉に飛びつく強迫的行動”と言われても仕方ないレベル。 【牛たんより薄い男】 えー、現代のネットというのは、妙な人間模様が渦巻いておりまして、 今日は長井という男の、まぁ、牛たんより薄い男の噺を一つ。 ◆ とあるスレに、長井という男がふらっと現れまして—— 長井:久々に仙台出張や!牛タン食うて帰るでぇ〜w これを聞いた名無し。素直な子でして、すぐに乗せられます。 名無し:ほぉ〜、仙台で牛たん?ええのう〜。羨ましいこっちゃ。 長井:ほれっ、この写真見てみぃ!牛たんや!味音痴のねこ痰には食わせへんでw 名無し:うわぁ、うまそうや! そこへ、ねこたんという若旦那がひょっこり現れて言う。 ねこたん:どうせ他人のブログの写真盗んできたんやろ これに長井、顔色変えて反論。 長井:貧乏人の僻みですわw 名無し:いやいやいや。調べたらな、グルメサイトの写真、丸パクリやぞ。 長井、急に声が裏返る。 長井:し、ストーカーちゃうか!?箸袋拡大したやろ!ストーカーや! 名無し:なんでパクったお前が、一番箸袋気にしてんねん! すると長井、わけのわからんことを言い出す。 長井:仙台駅東口のビックカメラの一階の店や! 名無し:仙台にビックカメラ無いわ!! 慌てた長井、すぐ訂正。 長井:ご、ごめん!ヨドバシカメラマルチメディア! 名無し:ヨドバシをそんなフルネームで呼ばんのや!! ◆ さて、ここでねこたんが写真を出して尋ねる。 ねこたん:はいこれ。この写真、何のイベントや? 長井、パッと見て分からない。 いや、仙台行ってたなら分かるはずなんですが。 そこで長井、妙な行動に出る。 なんと別の「山形市スレ」へ行き、こっそり聞く。 長井:質問!この写真はどこの、なんのイベントでしょうか? 山形スレ住人:場所は北朝鮮かな。イベント名は自分で調べて。 スレへ戻ってきた長井、何食わぬ顔。 長井:知らん、音楽イベントかなんかやろw 名無し:アホ!「光のページェント」や!仙台の名物や! ねこたん:仙台来たことないの、また露呈やねぇタマ☆無し君。 長井、苦し紛れ。 長井:いや、仕事で寄っただけやし!みぞれ混じりやった! 名無し:アメダス“雨”や。みぞれ降ってへん。 長井:遊びで行ったんちゃうし!勘違いすんな! 名無し:ねこたんそんな事ひと言も言っとらん! ◆ さてさて、牛たんの話はまだ続いておりまして。 若旦那が一言。 ねこたん:食べたってんならレシート出しゃ早いやろ。証拠は紙一枚で済む話や。 長井、さらに追い詰められ—— 長井:レシートは……その……確かコンビニのゴミ箱に捨てたわ(笑) 名無し:なんやその「確かに捨てたような気がする設定」は!! 長井:写真の箸袋拡大するヤツが悪い!俺は国家の品格守っとる! 名無し:お前の写真パクり行為が一番、品格無いわ! 長井、最後にこう言い残しまして。 長井:ワイが撮った写真やって!店名忘れんように箸袋入れたんや! 名無し:せやから、お前のスマホは写真に位置情報が入らんのかい!! ◆ ——というわけで、 行ってもいない仙台の牛たんを自慢し、光のページェントも知らず、箸袋に異様にこだわる、なんとも噛めば噛むほど味のしない長井の一席でございました。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/725- この書き込みで漫画家のイラストを無断で使い、ゴキブリさんたちに次々に論破された挙げ句の果てに、長井くんは別のスレッドから「そんな些細なことで訴えられるわけが無い」という発言をしていますね。信じられない遵法精神の欠如ですよ。 さて、それはさておき、今日はですね、日本語のことは一切触れず、「なぜアニメの女の子の目は大きいのか?」という、日本のサブカルを理解する上で避けて通れない話をします。 まず平安絵巻を見てください。 「引目・鉤鼻(ひきめ・かぎばな)」と呼ばれる、線でスッと描いた細い目。 あれ、なぜああいう描き方かというと、 人物の“内面”を絵では描かず、物語本文で説明する文化だったからです。 つまり絵には、「感情の演技」、「キャラ性の表現」、これらは求められていないんです。 言ってみれば、“雰囲気のある一場面のスナップショット”、そういう役割だった。 次に浮世絵の美人画。 目が細いでしょう? これは「日本人が細い目を美しいと思っていたから」……ではないんです。 “その時代の様式化された美人の型”がそうだっただけ。 歌麿を例に出すと、彼は首の長さや顔の輪郭、ポーズに個性を出すのであって、目を大きく描いて感情表現する必要はなかった。 つまり浮世絵は、デフォルメの軸が目ではなかったというわけですね。 ではアニメはどうでしょう。 人間は、表情を見るとき顔のどの部分を最初に見るか? 「人の顔」の中で、いちばん情報量が多いのはどこか? これはもちろん、目なんです。 驚いたら開くし、悲しいと潤むし、怒ると鋭くなる。 人間は目から得てる情報がとても多い。 アニメは「動く絵」です。しかも作画コストの制約が常にある。映像の時間尺にも制約がある。 だから、目を大きく描くと、喜怒哀楽を爆速伝達できる。 ・目が潤む → 可愛い ・目がキラッ → 元気 ・目がしょぼん → 落ち込む 情報量が圧倒的に多い「表現装置」として、目が肥大化したわけです。 「目を大きくする=表現の効率を高める」という非常に合理的な選択になるんですね。 もう一つ。歴史的理由です。 日本の少女漫画・アニメに大きな影響を与えたのが手塚治虫なんですね。 手塚治虫は、当時のディズニーアニメ、特にベティ・ブープなど、目の大きいキャラクター表現を取り入れた。 その影響が広がり、「大きな目=可愛い・感情表現が豊か」という「文化的コード」になったんです。 つまり「感性の変化」ではなく『必要性の変化』。 ・平安絵巻 → 感情は文章で説明 ・浮世絵 → 美は様式化された“型” ・アニメ → 目でキャラの情報を高速伝達 時代ごとに、絵に求められる役割が違っただけなんです。 だからアニメの目が大きくても不思議じゃない。 むしろアニメに細い目を使うと、「このキャラは冷静・無表情」みたいな記号として扱われやすい。 つまり今のアニメでも、「細い目=キャラの属性」「大きい目=表情の強化」のように、用途が分かれているということです。 まとめ ✔ 日本人の感性が変わったのではない ✔ 絵に求められる役割が時代で違う ✔ 感情を一瞬で伝える必要がある現代では「大きな目」が最も効率的だった 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 では 「萌え絵の巨大な目はなぜ生まれ、どう定着したのか」 このテーマを、歴史・技術・心理の三方面から解説していきます。 結論から言えば、“巨大な目”というのは偶然の産物ではなく、文化・技術・市場が作り出した最適解である。 この一点をまず押さえてください。 @ 少女漫画の影響(1950〜70年代) まず源流は 少女漫画 です。 1950年代、水野英子さんや牧美也子さんが「瞳に光を入れる」という革新を行います。 60〜70年代に入ると、萩尾望都さん、竹宮惠子さんらがさらに“瞳を巨大化”し、瞳の中で星を輝かせたり、宇宙を描いたりと、「感情そのものを瞳に語らせる」という手法が完成する。 つまり“でかい目”というのは「夢、憧れ、少女性の象徴」として定着したわけですね。この少女漫画の文法が、後のテレビアニメに丸ごと輸入されます。ここから巨大化の流れが始まる、と。 A アニメ制作上の制約(80年代) 続いて80年代。ここで重要なのは 技術の制約 です。当時のアニメはセル画で、低予算。1秒に8〜12枚しか描けないという状況でした。ではどうするか? 目を大きくすると、動かさなくても感情が伝わる。 ・口を動かさなくても喋っている感が出る ・動かないカットでも生きて見える ・キャラの識別がしやすくなる こうした理由から、巨大な目は、コストを下げつつ、可愛さと情報量を最大化する手段として最適化されていきます。構造的必然、というわけですね。 B 90年代以降の「萌え化」で決定的に巨大化 90年代、萌え文化が爆発します。 ・Leaf/Key系の美少女ゲーム ・ときメモのようなギャルゲー ・深夜アニメの隆盛 ここで「巨大な瞳+極小パーツ」の比率が一気に極端化する。なぜか? 「幼さ」、「無害性」、「親密さ」、この三点を最大化するために、目だけがどんどん肥大化していく構造が完成したわけです。この時代に生まれた“萌え記号”は今でも現役です。 ・巨大な瞳 ・点のような鼻 ・小さな口 ・頬のチーク 今の萌え絵の半分は、この90年代の遺産と言ってよいでしょう。 C デジタル作画(90年代後半〜2000年代)で巨大化に拍車 そして90年代後半。アニメはセル画からデジタル作画へと移行します。これにより、 ・グラデーション ・瞳のレイヤー分け ・複雑なハイライト ・光の反射表現 こうした処理が格段に簡単になりました。結果として、“目に情報を詰め込む”ことが可能になり、目がさらに大きく描かれるようになった。 ハイライトを3つ入れる、瞳に模様を描く──こうした手法によって、「大きい目=可愛さの象徴」という構造が決定的になるわけです。 D 最終形:比率が“方程式化”する 現在の萌え絵は、実は非常に論理的です。比率がほぼ方程式化されている。 ・目:顔の35〜45% ・鼻:点 ・口:目幅の1/3以下 ・顎:短く丸い ・頭身:2.5〜6頭身 これは感情伝達と可愛さの最大化を、アニメ制作の仕組みの中で最適化した結果です。 つまり、今日の“巨大な目”は、文化・技術・市場心理・制作環境、これらが何十年も積み重なって作った、非常に合理的な記号だと言えます。 ♬崩壊人間プシュー 板に巣食って生きる 長井は崩壊人間なのさ 人に粘着やめられぬ マダニのようなその頭 「早く日本人になりたい!」 臭い駄文をぶちかませ 「プシュー」「サッサ」「あぼーん」 崩壊人間 ルンペンルンペンルンペン♪ 哀れなルンペン乞食はルンペンルンペンルンペン♪ 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Key総合雑談スレ Part32 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1749161397/804-806 はい、では今日は少し変わった題材を扱います。長井くんに見られる「4+n」表現を、歴史数学論的に読み解いていきましょう。 私たちは学校で「10進法」を唯一の正解のように学びますが、実は人類の歴史において、数の表し方はかなり多様なんですね。それには大きく分けて、 ・純粋位取り型(10進法など) ・加算型/混合基数型(x+yで表す体系) の二系統があります。 「4+1」「4+2」といった加算型数表現自体は、決して突飛なものではありません。歴史的には、 古代メソポタミア: 60進法だが、実際の計算や記録では基数+加算 の混合運用が頻繁に行われていた。 算盤文化(東アジア): 五玉一珠という構造は、まさに「5+n」を視覚化した道具。 ヨーロッパ諸語: 特にフランス語の quatre-vingt-dix(4×20+10=90)などは、典型的な混合基数的残滓。かつてガリア(現在のフランス)にいたケルト系民族には、手と足の指(20)を1まとまりとして数える体系があった。 つまり、「4+n」という発想そのものは、人類史的に見れば十分にあり得る。 ところがですね、長井くんの「4+n」は、これらとは決定的に違う。 歴史的な加算型数表現には、必ず 身体性(指・玉・単位) 実用性(計算・取引・記録) 共同了解(社会的共有) が存在します。 では長井くんの「4」という基準はどこから来るのか。ここがポイント。 象徴的な「区切り」としての「4」なんです。 ・4匹までは「まとめて処理」 ・5匹目は「追加処理」 この「4+1」という扱いは、数を量としてではなく、「4」を「儀式」の行為単位として見ている証拠です。 ここでよくある誤解が出ます。 「民族的感性では?」 「文化的差異では?」 いいえ。 民族や文化に帰すには、あまりにも個人的すぎる。むしろこれは、数や言語を 「意味を組み立てる道具」ではなく 「相手を殴るための小道具」として使っている その結果として現れた、即席・断片的・象徴操作に過ぎません。 ◯ まとめ 数の歴史は人類の知性の結晶ですが、知性が伴わないところでは、ただの「数っぽい何か」に成り下がってしまうんです。 脳内勝利絵師を擁護する気は更々ないけど、単に5匹バージョンを作ってなかったか レイアウトの問題で作れなかったか、あるいは4匹バージョンを作って書き込む間に >>803 の書き込みが新たにあったというだけの話だと思うよ 12ってのは世界で昔から使われてきたかなりのパワーナンバーだよな 1ダース 12個 elevenとtwelveだけteenが付かない 十二支 12星座 十二×四で四十八手 そーいやソロモンの鍵が映画ZIPANGのキャラ替え移植された時に十二星座が十二支に変更されてたなー 実は私も>>218 さんの説が正解だと思っているんです。 ただ、最近長井くんの書き込みに、(その内容は別として)純粋に日本語としてのツッコミどころが減ってきているため、ネタ作りに苦労しているところなんです。 それで、少しフィクションに入り込んでしまった次第です。 そういうのはダメ 嘘をでっちあげてまで他人を叩いてるような奴を批判・非難する時に自分も嘘をでっちあげるのは一番アウト 菅野ひろゆきと味塩ロケッツ(門倉敬介)の見苦しい争いを思い出す 今にして思えばあいつらも長井同様の精神疾患持ちだったんだなと思うけど 脳内勝利絵師ワロタ 「絵師」じゃなくて「脳内勝利絵」師 【長ロア理論】 ゴキブリ:どうも〜、ゴキブリです〜。今日はね、相方が「自分はフランスの数学者の生まれ変わりや」言うてまして。 長井:そうそう。オレな、気づいてもうてん。ガロアの生まれ変わりやって。 ゴキブリ:最初に言っとくけど、お前が最後に計算したの、「ゴキブリ5匹 − 4匹 = プシュー2回」やぞ。 長井:それが高度なんや。オレはな、有限体、GF(4) を使ってあぼーん儀式をやってる。 ゴキブリ:もう出た出た、最初だけ本物っぽい単語出すやつ! 長井:せやからな、オレの理論は、「長井=ガロア理論」略して「ナガロア理論」や。 ゴキブリ:あぼーんに理論持ち込むな! 長井:いやいや、要素は4つ、循環して、反転して、全部が規則正しい。 ゴキブリ:お前の人生だけ規則外れてる! 長井:ほんでな、オレは「ねこたん」という女性を賭けてお前と決闘することになった。 ゴキブリ:急に文学入れるな! 長井:ガロアはな、決闘の前夜、「明日ワシは死ぬ」って分かりながら、友人に理論のアイデアを伝える手紙を書いたんや。「僕にはもう時間がない。だから証明は書けない。だが、結果だけでも理解してくれ。」 ゴキブリ:そこはほんまに史実や! 長井:ワシも書いた。「僕にはもうこれ以上ゴキブリ共を相手をする気力はない。それでは4匹まとめて♫プシューw」ってな。これがNF(4) の誕生や。 ゴキブリ:全然違う! 長井:決闘の結果はな……オレは敗れた。 ゴキブリ:そらそうやろ!お前の「自分が勝つ絵」見て俺が苦しむ思うとるんか! 長井:そしてオレはその翌日、二十歳という若さでこの世を去る。 ゴキブリ:設定だけはガロアに寄せてくるな!! 長井:だがな……オレの理論は死なない。 ゴキブリ:いや急にカッコよく言うな! 長井:ナガロア理論は、暗号化技術、情報社会、現代社会の根幹を支えている。 ゴキブリ:支えてへんわ!!お前が支えてるのはimgurだけや!! 長井:分からん者には分からん。天才とは孤独なものだ。 ゴキブリ:孤独ちゃう!全員に否定されてるだけや!! 長井:数学は爆発だ。 ゴキブリ:違う!爆発しとるのはお前の頭や!! 二人:どうもありがとうございました〜! 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/753 今日は 「同じ言葉が、誰の口から出るかで意味を変える例」 を扱います。 テーマは、「敬愛」という言葉です。 日本語での「敬愛」は、非常に重い言葉です。 敬:上下関係や規範的な尊重 愛:人格や生き方への親近・好意 両方を同時に成立させるには、 ・深い理解 ・長期的関係 ・個人や対象への尊重 が必要です。普通は師、先人、思想家など、人生レベルで影響を受けた対象にしか使いません。 長井くんがこれまでに「敬愛する」の目的語とした対象は、性質が全く違います。 明治天皇:歴史的象徴 靖国神社:政治・宗教施設 安倍晋三:現代政治家 江口寿史:漫画家 ねこたん:自分の粘着ストーキング相手 聖・俗、公・私、歴史・現代、権威・同列が全てフラットに並んでいる点が異常です。 ◆長井の思考回路@ 「敬愛」は価値語ではなく、陣営語 長井氏にとって「敬愛」は、「対象の人格や中身を評価する言葉」ではありません。 「誰がそれを敬愛しているか」、これだけが重要なんです。 ・自分が敬愛する → 正しい側 ・敵(ゴキブリ共)が敬愛する → 間違った側 つまり長井くんにとっての「敬愛」は、価値判断ではなく、敵味方を分けるラベルなんですね。 ◆長井の思考回路A 自分の敬愛は「格上げ」、敵の敬愛は「貶め」 ここが決定的です。 ・自分が敬愛する → 自分の立場・思想・格を引き上げる ・敵が敬愛する → 「ああ、あいつらはそんなものをありがたがる連中だ」 同じ「敬愛」という語が、 ・自己側では正当化の装置 ・敵側では嘲笑の材料 として使われている。 つまり、ねこたん本人の中身は関係なく、敵の愚かさを示すための“看板”になっているわけです。 ◆ここで「敬愛」という言葉の軽さが露呈する 本来、「敬愛」とは、誰が言っても同じ重さを持つ重い言葉です。しかし長井くんの使い方では、 ・自分が使えば肯定 ・敵が使えば否定 という二重基準が成立している。この瞬間、言葉の意味は消え、立場だけが残る。 長井くんの「敬愛」は、 ・尊敬の深さを表す言葉ではない ・愛情を示す言葉でもない ・対象を理解している証でもない 「誰がどちら側か」を示す陣営記号。 言葉が軽薄になる瞬間というのは、語彙が雑になるときではありません。同じ言葉が、立場によって真逆の意味を持たされるときです。長井くんの「敬愛」は、まさにその典型例です。 【オカンが好きな宇宙人】 ゴキー:どうもー!ガイチューズでーす!お願いしますー! ダニー:お願いしますー。 あのな、聞いてくれる?うちのオカンがな、好きな宇宙人がおるらしいんやけど、その名前を忘れたらしいねん。 ゴキー:好きな宇宙人て、もうわけわからんやん。 ダニー:ヒントはくれてん。「古代アンデスに降り立った宇宙人」やって。 ゴキー:おー、文明系やな。 ダニー:さらに、「ナスガィの地上絵は全部ワシが作った」って自慢するらしい。 ゴキー:名前からしてもう本人やん!長井やな。 ダニー:指の数が地球人と違ってて、片手に4本、両手で8本なんやて。 ゴキー:なるほど、8進法か4進法文明の証拠やんか。 ダニー:そんでな、その宇宙人はゴキブリを退治する時に「一匹、二匹、三匹、十匹、十一匹」て数えるんやって。 ゴキー:ほな4進法や。せやからゴキブリが5匹おる地上絵が無いんやな。地球人でも、10円玉は作っても11円玉なんか作らんもんな。 ダニー:ほんで、その宇宙人が作ったゴキブリの地上絵の順番がな、最初は1匹、次が4匹、その後2匹、最後に3匹なんやって。 ゴキー:ほうほう、「1423」か。それが何やねん。 ダニー:その宇宙人がな「この1423、実は素数や」って教えてくれたらしい。「素数は宇宙の秩序と不変性を示す。だからゴキブリの数にも意味がある」って。 ゴキー:ゴキブリに宇宙の法則当てはめるなや!ん?いや、光栄なことかも。 ダニー:しかも、1423の素数パワーを使って退治するらしく、「1は始まり、4は頂点。2は継続、3は伝承。」ってお祈りするらしい。 ゴキー:相変わらず意味不明な儀式やな! ダニー:そんでな、その宇宙人は「4は全宇宙の真理や!」ってずっと言うてるらしい。だから地上絵の動物は全部4本足やって。 ゴキー:思想が強すぎるやろ!俺の脚は6本や!地上絵の蜘蛛さんも怒っとるで! ダニー:でもな、その宇宙人、めっちゃ上から目線なんやって。 ゴキー:完全に長井や! ダニー:「地球人は10進法に縛られて可哀想」「真人間になりたいなら4進法に従え」言うてくるらしい。 ゴキー:オカンに好かれる要素どこやねん! ダニー:ほな、その宇宙人の名前は―― ゴキー:ほな、ふたりで同時に言おか!宇宙人の名は!せーのっ! ゴキー:ハライセイジン! ダニー:ヒョウロンカキドリ! ゴキー:指4本っての、鳥やったんかい! ダニー:そうや。宇宙で一番屁理屈垂れる鼻つまみモンの鳥や。 ♬クレイジープシュー・メドレー ♬ 俺はこの板で一番 気色悪いと言われた男 レスバ負けたら逃げ出して 他所から愚痴言うスタイル ♬ ちょいと一回のつもりで自演 いつのまにやらはしご自演 気が付きゃID変え忘れ自爆 これじゃ精神にいいわきゃないよ わかっちゃいるけどやめられない ( * )あっほーれ スイスイスープラサッサ スラスラスップップー スイスイスープラサッサ スラスラスップップー スイスイスープラサッサ スラスラスップップー スイスイスープラサッサ スープラサッサプーシュー 狙った奴とのレスバに敗れ 頭かっと来てAI画像連投 気が付きゃ別スレの八つ当たりバレバレ 逃げでレスバに勝った奴ぁ無いよ わかっちゃいるけどやめられない ( * 繰り返し) 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/759 『鶴岡警察』という言い方は日本語として自然か? まず結論から言います。日本語母語話者が日常的に「鶴岡警察」とは、ほぼ言いません。 @ 日本の警察組織の呼称ルール 日本の警察は、 組織名:警視庁、○○(道府県名)警察本部、またはその略称(山形県警など) 施設名:○○警察署、またはその略称(○○署) この構造で呼ばれます。 したがって自然な言い方は、 ・「鶴岡警察署」または「鶴岡署」 ・文脈次第で「山形県警」「県警」 ・単純に「警察」 このいずれかです。 A なぜ「鶴岡警察」は違和感が出るのか 「鶴岡警察」という言い方は、行政組織名として中途半端。日本語の公的機関命名規則から 逸脱しています。 日本語では「警察」単体は 組織全体(県警・警視庁) を指す語であって、市町村名+警察 という形は基本的に取りません。 だから耳にすると、「あれ?日本の警察制度、ちゃんと分かってる?」という引っかかりが生まれるわけです。 B それでも「山形県警」とは言えている点 ここが重要です。 長井くんは、「山形県警」という正しい上位組織名は使えている。 つまり、 ・日本の警察制度を全く知らないわけではない ・しかし、下位組織の呼称だけが崩れている このズレは何を意味するか。 C 日本語話者の感覚というより「翻訳的発想」 「鶴岡警察」という言い方は、 ・英語の Tsuruoka Police 的直訳 ・中国語・韓国語圏の「地名+警察(警察局)」型表現 に非常によく似ています。 これはつまり、日本語の制度語を“感覚”ではなく、“単語の組み合わせ”として扱っている状態だと考えられます。 「山形県警」と言えているのに下位組織だけ崩れるのは、言語感覚のちぐはぐさを示しています。 日本語は「意味が通じる」だけでは足りません。 制度と言葉の“型”を身体で知っているかが、母語話者かどうかを分けるんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/759 「日本男児らしからぬ、ぺろぺろと気持ちの悪いことをしてるから、報いを受けるのだw」 一見、難しそうな言葉を使っていて「言えてる感」はあります。ところが、文法的に分解すると破綻がはっきり見えるんですね。 @ 「らしからぬ」はどこにかかる? まず「らしからぬ」。これは連体形で、必ず名詞を修飾します。ここで修飾されている名詞は何かというと、唯一あるのは「こと」です。つまり構造上は、 日本男児らしからぬ【こと】 になります。 A では「ぺろぺろと」は何にかかるのか? 次に副詞句「ぺろぺろと」。副詞は原則として、動詞を修飾します。この文で「ぺろぺろと」がかかる動詞は一つしかありません。「してる」。つまり論理的には、 ぺろぺろと【してる】 という関係になります。 B ここで決定的な違和感が生じる 整理すると、文の骨格はこうです。 名詞:こと 修飾語@:日本男児らしからぬ 修飾語A:気持ちの悪い 副詞:ぺろぺろと 動詞:してる 結果として意味はこうなる。日本男児らしからぬ「こと」を、ぺろぺろと「している」。 C なぜ「超不自然」に感じるのか 「ぺろぺろという気持ちの悪い書き込み」であれば自然です。なぜなら、「ぺろぺろという」が名詞「書き込み」を修飾しており、動作と対象が明確だからです。 ところが長井くんの文では、 ・「ぺろぺろと」→ 動詞「してる」に直結 ・何を「ぺろぺろしている」のかが不明 ・しかも対象は抽象的な「こと」 結果として、単語同士が意味的につながらず、スパゲッティ状態になるわけです。 D なぜこういう文が生まれるのか これはよくあるパターンです。 ・難しそうな言葉(らしからぬ、日本男児) ・感情的な罵倒語(気持ち悪い) ・擬態語(ぺろぺろ) これらを勢いで並べてしまい、文法的な接続を確認していない。つまり、「言いたい気持ち」が先にあって、「文の構造」が後回しになっている。結果、意味は伝わるようで、実は日本語としては破綻している。 ◯まとめ ・「らしからぬ」は名詞修飾 → かかり先が曖昧 ・「ぺろぺろと」は動詞修飾 → 対象不明 ・抽象名詞「こと」と具体動作が衝突 ・結果:日本語として極めて不自然 語彙が難しいかどうかと、日本語が正しいかどうかは別問題。むしろ、「それっぽい言葉」を使おうとすると、こうした破綻が起きやすい、という好例ですね。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/765 はい、では今日は「image と『イメージ画像』という日本語」。これを扱います。 英語の image は、実に幅が広い。 視覚像(picture) 心象(mental image) 印象(brand image) 比喩的イメージ 想像上の姿 つまり英語では、imageは、実体でも、概念でも、頭の中でもOK。「脳内のイメージ」も「実在の写真」も、全部ひっくるめて image」なんですね。 MRI画像も image ですし、広告写真も image、心に思い浮かべた妄想も image。英語では文脈で勝手に決まる。 ところが日本語の「画像」はどうか。 画像 → 物理的に存在する視覚情報 写真、CG、スクショ、ファイル ここでズレが生じます。 ・イメージ = 心(頭)の中の像 ・画像 = 目に見える情報 これを足すと?「ねこ痰頭の中のイメージ画像」、日本語として読むと、「ねこたんの脳内に存在する視覚情報」になってしまう。MRIか?脳波か?という話になる。 意味が一段階ズレてるんです。 ところで、皆さんはストックフォト(stock photo)、ご存知ですよね。あらかじめ撮影・制作された写真やイラストを「在庫(stock)」として蓄積し、誰でもライセンス条件の範囲で使える素材のことです。 広告、Web、資料、プレゼン、チラシ……「とりあえずそれっぽい絵が欲しい」という需要のために存在します。 ストックフォトは原則として、 ・特定の人物・事件・事実を示さない ・象徴的・一般的・無難 である必要があります。 だから必ず「イメージ画像」言う呪文を使うんです。これは論理的に言うと、「image(像)+ image(像)」という、像の二乗みたいな言葉です。でも意味は明確で、 「これは現実そのものではない」 「説明用・雰囲気用・代表例です」 「これを事実だと思わないでください」 という 責任回避の札なんですね。 つまり、 医師の写真 → 実在の医師ではない 工場の写真 → 実際の工場ではない 家族の写真 → 本人たちの実話ではない という 法的・倫理的防護壁。実に合理的です。 でも、日常文脈で「イメージ画像」と言う人はほぼいない。使うとしたら、広告・出版・不動産・ECサイトといった、用途や業界が限定された人工語なんです。 では話を戻して、長井くんの例の「ねこ痰頭の中のイメージ画像w」。これを論理的に分解すると、 (1) 頭の中(=心象) (2) イメージ(=心象) (3) 画像(=物理データ) 同じ階層の言葉を三重に重ねている。だから結果として、「頭の中にあるイメージデータファイル」みたいな意味不明な日本語になる。 普通の日本語なら、こう言います。 ・想像図 ・再現イラスト ・コンセプトビジュアル ・仮想図 ・イメージ図 これで全部足ります。 長井くんはストックフォトの素材を、著作権法や利用規定を無視して「無料で好き勝手に使える」ものと勘違いして、しばしば盗用・改変しますよね。だから、「イメージ画像」が彼にとって馴染み深い語彙であるのは確かです。 ですからこれは知性の問題ではなく、語彙のレジスター(使う場面)を理解していないという話です。 【伏見桃山陵写真の怪】 えー、この世には不思議がございまして。なかでも長井という与太郎のやることは、だいたい説明がつかない。 長井:へい旦那! わたくし昨日、伏見桃山陵へ参拝してまいりまして! 旦那:へぇ、それはご立派だ。 だがな、与太郎。 昨日の朝から晩までお前さん、京都のこと一言も触れずあぼーんあぼーんと四連投して、今日の夕方になったら突然、山形空港経由で長井に戻ったって言い出したな。 長井:へっへぇ〜、飛行機でぴゅーっと。ついさっき帰ってまいりやした。 旦那:そのぴゅーっとが問題なんだよ。 お前さん、飛行機に乗るときスマホどうした? 長井:そりゃあ機内モードで……。 旦那:だろうな。機内モードにすりゃ、お前さんのスマホは地上の基地局とは通信が切れる。普通ぁ、IDは前後で変わるもんだ。 長井:えっ……。 旦那:だが、与太郎。 お前さんのIDは、今朝の京都での書き込みから、夜の山形に戻ったって書き込みまで、一文字も変わらねぇ。つまりな、お前さん、一歩も空を飛んでない。 旦那:さらに御陵の写真だ。二月だってのに影が夏至の頃みてぇに短い。どういう算段だ。 長井:いや、夏至なら芝の緑がもっと濃いはずで、奥の木々も新緑的に映えてるはずで……だから不自然じゃねぇんでさ〜(爆笑) 旦那:爆笑じゃねぇよ。影の長さに季節が逆らっとるの。 旦那:画像サイズもおかしい。 縦横比が、一枚は16対9、もう一枚は16対10.3。 どう説明すんだ。 長井:アップロード先が見やすく自動調整したんでさぁ! 旦那:写真が勝手に太ったり痩せたりしたら世話ねぇよ。 そんなサービス聞いたことねぇ。 旦那:ほかの客にも言われてただろう? じゃあ長井駅で同じ操作してGoogleMapのスクショ撮れって。 簡単なはなしだ。 長井:そ、それは……明治天皇に敬意を表せない相手とは関わらないので……! 旦那:スクショ撮るのに天皇陛下を巻き込むな。 旦那:結局な、与太郎。 影は嘘つかねぇ、写真も嘘つかねぇ、IDも嘘つかねぇ。 嘘をつくのは── だいたい与太郎だけだ。 長井:う、うぅ……。 旦那:もっとも、与太郎には最後の逃げ道がある。 「爆笑」。 長井:それではあぼーん! 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/777 「新蕎麦&天ぷらうまひ! 日本人に生まれて良かった!」 という長井くんの表現。ここで注目すべきは、なぜ 「日本に生まれて良かった」 ではなく、 「日本人に生まれて良かった」 と書いたのか、という点です。 まず前提として、「日本に生まれて良かった」は、国土や文化、食べ物など、環境や生活体験に対する素朴な感謝の表現です。例えば、新蕎麦の香りや炊き立てのご飯、自然の恵みを味わったときの喜びを表す場合に自然に使われます。 一方で「日本人に生まれて良かった」となると、これは民族的な自己認識を伴った表現です。特定の民族に生まれたこと自体を価値判断に結びつけるニュアンスがあり、食文化の喜びとは直接関係しません。 つまり、文化や環境の体験の延長として出てくる表現ではなく、自己アイデンティティの優越感を示す表現になってしまうわけです。 では、長井くんがなぜあえて「日本人に生まれて良かった」と書いたのか、分析してみましょう。 1. 対立意識の形成 中国語母語話者である長井くんは、常々ねこたんさんを「朝鮮人」と根拠なくレッテル貼りしていることからわかるように、自己の民族的アイデンティティを強く意識していることが窺えます。 この意識が、虚構の「日本人である自分」と虚構の「朝鮮人であるねこたん」を比較して優位性を主張する動機につながった可能性があります。 2. 感情優先の文脈 掲示板の書き込みは、理屈よりも感情的なアピールが優先されます。「日本人であることを誇る」という形で自己の立場を示すことで、ねこたんを牽制したり、読者に自己の優越感を印象づけたりする意図があったと考えられます。 さらに、ここで使われている「うまひ」という言葉は古文にも存在しません。古典日本語では「うまし」が正しい形で、味覚や感動を表すときにはこちらが用いられます。 「うまひ」と書くことで、古文調を装おうとしているかのように見えますが、現代の日本語としては不自然で、文章全体の説得力や自然さを損なっています。 つまり、この文章では ・「日本人に生まれて良かった」という民族性に基づく表現の不自然さ ・「うまひ」という古文もどき表現の不自然さ の両方が重なっており、読者に違和感を与える文章になっています。 つまり、「日本人アピール」の失敗作なんです。 こんなこと書かれてまっせ /"\ / :; ヽ | ::ヽ / ; | .i ::ヽ / 彡 | | ミ ::ヽ ,,,,,,,...._,,,..-‐" /,, | | ミ ゙: : : : : : : i : : : : :: " i ( : : : : : : : : lト l ,! : : : : : ヽ /: : : : : l i l| i ' ' __ , : : : :ヽ /: : : ,..-ー--、 '" ̄ ` ヾ i ,i: / ` 、,, ;:. ` -''"_,,,.. : : :| /,| ,, ` 、_ _, '_ . : : :| /: :.| "" _,,, .. ! ; ` ニーi、‐-、 ,i ,!-―''" _ニ', 、__,,-'^ ー、,,..-'' ヾ ヽ`ー、/::.| |: : ' 、 -'' _// ` ,/ヽ: : | ,|: / / ` -/、_ _,,,,,... , , ' ヾ: :| i: : : ! ヾ`ー、-、_,,,-、,,,_,,.... i i: : | `ー|lヾ| 「|,,-‐" ヾ | |: : i `ー'~(( )) 、 ;: ヽ ,!: : : ;: ,∩、 ヾ ,: :: i /:: : :. ;; ,! ! .,, : : :.i、 i: : : :゙ 、  ̄ 、 ノ : : : ::.| i: : : : :... 、 、 ._,,..: : :.i \: : : : ... : :゙ - 、、 _,,,-ー":: : ::::_,ノ `ー---、、___,,- ` >長年の俺の書き込みから、当方が日本人であることくらい容易に断定できるでしょ? このタワケ笑わせよる♪ お前が朝鮮畜である事は捲れている。 それどころか今までの言動から支那畜とすら言われている。 お前の何処に日本人としての素養があるのか。 【嘘松戸籍】 長井:いやー、俺ね、明治初期からの謄本も取り寄せ済みでさ!曽祖父は武蔵国生まれの虎吉さん、高祖父は伊勢国出身なんだよねー。 ねこたん:ほな戸籍謄本、黒塗りでええわ、公開できるんやな? 長井:悪用を恐れる。 ゴキブリ:嘘つけ!明治初期って、壬申戸籍のことやろ?もう50年以上も前から閲覧禁止やん!封印されとるわ! 長井:でもさ、戦争中のどさくさで、日本人に成りすました人とかおったやろ?だから、ねこたんの祖父母や曽祖父がどさくさに紛れて日本国籍取得したという俺の推論も正しいんだよねー。 ゴキブリ:いやいや、戦争前から朝鮮人も台湾人も日本国籍持っとったから!どさくさで取る必要ないわ! 長井:でもさ、朝鮮戦争の混乱で、日本に再入国した朝鮮人も多かったやん? ゴキブリ:戦後の話か!それとお前の妄想関係あらへんわ! 長井:いやいや、ねこたんの祖父母や曽祖父母が内鮮戸籍持ってるかもしれんやん?無視できへん推論やで。つまり、ねこたんは、帰化した横浜出身の日本人であるw祖父母・曽祖父母あたりが半島の出自とみるw ねこたん:言うことがころっころ変わっとるやんけ!口から出まかせを勝手に垂れ流すな!嘘バレバレの日本人アピールしとる暇があったらお前自身の証明書出せや! 長井:いやー、でも長年の書き込みから、日本人であることくらい容易に断定できるでしょ? ねこたん:断定できるわけないやろ!お前の言動全部捏造やんけ!しかもお前の日本語、長年おかしいわ! 長井:いやー、でも…恨の文化とか…アンチテーゼとか…美しい日本語を使って説明してるんだけど朝鮮人にはわからんのかなー ゴキブリ:外来語でごまかすなや!何のアンチテーゼやねん!聞いとるこっちが混乱すんねん!そもそもお前は、「自分の国籍証明をしろ!」に対するアンチテーゼぶちかましとるやないかい! ねこたん: 人の先祖の戸籍云々言う前に自分の今の戸籍をアップせんかい!右上の「全部事項証明」という文書名と表の左側の1列目の項目名、それと発行元(市区町村)以外の個人情報は全部黒塗りでええ言うとるやろ! ゴキブリ:お前のトリップ(◆dKY5Eq8osE)を手書きするのも忘れんといてや! 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/792 はい、今日の問題表現はですね、「日本国籍者」。日本語としてほぼ使われない表現です。 日本語では「〜者(しゃ)」という語は、 ・行為主体 ・役割・職業 ・社会的立場 を表すときに使われます。 ただし今回は、「卑怯者」「道楽者」「田舎者」みたいな「〜者(もの)」の話とは別なので、その点は注意してくださいね。 たとえば、労働者、経営者、消費者、生産者、研究者、挑戦者。年金受給者、身体障害者、後期高齢者。さらには、自演者、自爆者、傍観者、当事者、逃亡者。 これらはすべて「何をする人か」「どんな立場の人か」が一目で分かります。 ところが「国籍」は行為でも立場でもありません。持っている属性です。つまり、 ・日本国籍を「する」わけではない ・日本国籍で「活動」しているわけでもない ・1億3千万人が持つ日本国籍という「立場」とは何? この時点で、「〜者」を付ける対象としてズレているんですね。 男の人に対して「男性者」と言うようなものなんです。 それでは、公的日本語ではどう言うか。実際の公文書や法令、報道を見てみましょう。 使われるのは必ず、 「日本国籍を有する者」 「日本国籍保持者」 です。 どんなに短くしても「保持者」、ここは絶対に崩れません。なぜなら「保持する」という動詞があるからです。 ここで置き換えてみましょうか。 金メダル保持者 → ✕ 金メダル者 運転免許保持者 → ✕ 運転免許者 宝くじ当選者 → ✕ 宝くじ者 ――言いませんよね。 「日本国籍者」も、まったく同じ構造の誤りです。 それでは、なぜこんな言い方をしてしまうのか。この表現には、強い感情的要因が見えます。 本来、日本人であれば自然に「日本人」と言います。それをあえて「日本人」と言えず「日本国籍者」と言い換えている。これは、 ・自分が民族的分類における日本人でない ・相手を日本人と認めたくない ・しかし国籍の事実は否定できない この心理的葛藤が、日本語の形に歪みとして現れた可能性が高い。言い換えれば、言語の問題というより、心情の問題なんです。 はい、ということで。 言葉というのはですね、その人の論理だけでなく、心理まで映す鏡なんです。 ♬🎅赤恥の怒長井🫎 真っ赤なお顔の怒長井さんは いつもみんなの笑い者 でもこの年のクリスマスの日 猫のおじたんは言いました 暗い粘着重ねても お前の為に役に立たぬのさ いつも泣いてた怒長井さんは 今宵こそはと旅立ちました 长井再见了.返回你的祖国. 祝你X-Day愉快! Farewell Nagai. Go back to your homeland. Have a nice X-Day! 【逃げ方の美学】 いやぁ皆さんね、日本語ってのはね、頭で考えるもんだと思ってるでしょ? 違うんですよ。 日本語はねぇ、下半身なんですよ。頭で理解してても、下がついてこないとダメなんです。逃げ方にもね、腰の入り方ってもんがある。 昔から言いますわな、三十六計逃げるに如かず。 これね、いきなりズボン下ろして逃げろって話じゃないんですよ? 勝ち目がないと分かったら、スッと腰を引く。これが大人の逃げ方。 将棋だってそう。「参りました」って言う時、あれ、下半身が静かなんですよ。 バタつかない。みっともなくならない。これがね、戦略的撤退。 腰が引けてるんじゃない。ちゃんと引いてる。 それからもう一つ。沈黙は金。 これも下半身の話ですよ。 余計なことを喋るってのはね、チャック開けたまま歩くようなもんです。 黙ってりゃいい。 触らなきゃ、出ない。 出なきゃ、恥もかかない。 ところがですよ。追い詰められると、いるんですよ。 急にこう言い出す人。「ゴキブリ共、殺虫剤でプシュー!」 それね、もう逃げ方じゃない。早漏です。 考える前に出ちゃった。 理屈が尽きた。 証拠もない。 そこで最後に噴射。プシュー!ってね。 勢いだけはいい。でもね、相手は冷めてる。終わってるのは本人だけ。 しかもこういう人に限って、「俺は余裕」「効いてない」って言う。 効いてない人はね、こんなに必死にプシューしません。 静かに去る。 黙って引く。 それができないから、スプレーだけは元気いっぱい。 いやぁ皆さん、殺虫剤は虫に使うもんであって、議論の代わりに使うもんじゃありません。 というわけでね、逃げるなら、賢く。黙るなら、静かに。 それができずに下半身だけが先走った結果。 これを議論界では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。 ……と、 わたくしは思うわけでございます。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>筑波大学 #777777777777 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/920 みなさん、新年一発目のテーマは「言葉の意味は知っていても、使いどころを間違えると台無しになる」という話です。 問題の一文、ここですね。 「今後も陸上競技人生を謳歌して欲しいものだ」 一見、立派そうに見えます。「人生」「謳歌」。難しそうで、賢そうで、前向きです。しかし、日本語は“雰囲気”で使うと失敗します。 まず語義です。「謳歌」とは何か。 謳歌とは、心ゆくまで楽しむこと。しかも、ある程度“まとまりのある期間”を振り返るときに使う語。典型例はこうです。 青春を謳歌した 栄華を謳歌した 第二の人生を謳歌している 共通点、分かりますか? そう、時間的に一区切りが見えている。あるいは、安定した状態にある。 では「大学陸上の現役選手」は? ここで問題文に戻ります。 ・対象:大学の体育会選手 ・状態:まだ現役、しかも「今後も」 ・期間:数年で終わる可能性が高い この段階で「謳歌」を使うと、言葉だけが先に老成してしまう。 要するに、まだ走っている最中なのにゴール後に使う言葉を投げているわけです。 さらに「競技人生」という言葉の重さ。 競技人生という語は、普通、 プロスポーツ選手 五輪・世界大会クラス 引退まで含めた長期キャリア に使います。 大学の体育会活動に使うとどうなるか。 意味は通じます。でも、言葉のサイズが合っていない。 子どものプールにオリンピック用の飛び込み台を持ち込んでいる。こういう感じですね。 なぜ「変に聞こえる」のか。理由は単純です。 文全体は罵倒と嘲笑。そこに突然「人生」「謳歌」という応援・美辞麗句が混ざる。 トーンが一致していない。これは日本語の問題というより、文章設計の失敗です。 覚えておいてください。 日本語で一番怖いのは「意味は合っているが、格が合っていない」言葉。 難しい言葉は、使えた瞬間に評価が上がるのではなく、外した瞬間に評価が下がる。 これ、入試でも、論文でも、掲示板でも同じです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/838 はい、みなさん。今日取り上げる長井文は、 「鎮静化して差し上げましょう」 結論から言います。かなり日本語としておかしいです。どこがおかしいのか。順に見ていきましょう。 @「鎮静化する」は誰の行為か? まず動詞「鎮静化する」。これは本来、 ・状態が自然に落ち着く ・医学・行政・事務的文脈で ・客観的に扱われる現象 に使う言葉です。たとえば、 症状が鎮静化する 市場の混乱が鎮静化する 事態を鎮静化させる(※組織・権限主体) ここで重要なのは、個人が他人の感情を勝手に「鎮静化してやる」ものではないという点です。 A 他人の「興奮」を「鎮静化して差し上げる」の違和感 日本語の感覚では、 興奮する → 本人の内面状態 落ち着く → 本人がそうなる つまり他人に対しては普通、「落ち着け」「冷静になれ」「少し頭を冷やせ」、こういう命令・促し表現になります。 ところが長井くんの文は、「鎮静化して差し上げましょう」。これは、上位者が、客観的対象に、処置を施す、ときの言い回し。人間を「処置対象」にしている日本語なんですね。 B 「して差し上げる」が決定的にズレている さらに問題なのがここ。「差し上げる」。これは謙譲語です。本来は、 ・相手に利益を与える行為 ・相手が歓迎する行為 にしか使えません。 ところが、「鎮静化して差し上げましょう」、これは、相手を侮辱し、相手を攻撃し、相手の感情を抑え込む、という加害的行為。 謙譲語と意味内容が真っ向から衝突しています。日本語母語話者なら、ここで強烈な違和感を覚えます。 C まとめ いいですか。 この文章が変なのは、 ・他人の感情を「鎮静化する」という発想 ・謙譲語「差し上げる」の誤用 ・人を処置対象として扱う語感 これらが全部重なっているからです。 結果として、 意味は分かるが、日本語として不気味 日本人の自然な発想から外れている そういう文章になっている。 言葉というのはですね、上下関係・距離感・人間観が全部出ます。この一文、日本語の問題というより、人の捉え方が、日本語からズレている。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>▼▲(鶴岡市)▼▲(その2) https://pug.5ch.net/test/read.cgi/tohoku/1447989495/767 今回はですね、鶴岡スレの768さんからの指摘をテーマに考えていきましょう。難しい法律の話ではありません。日本語の主体と意味の話です。 問題の文はこちら。 「過去の判例と整合性をとりながら、犯した罪に対する刑を決めるにあたって、裁判所は最終的に苦渋するだろうなwww」 この文では、「裁判所は … 苦渋する」となっています。 しかし「苦渋」とは何か。それは、 ・心理的な迷い ・感情を伴う葛藤 ・人の内面状態 を表す言葉です。 一方で「裁判所」は、 ・組織 ・制度 ・国家機関 であり、感情を持つ主体ではありません。ここで日本語は決定的に破綻します。 日本語では、「判断する」「決定する」のような結果行為は、裁判所を主語にしても成立します。しかし、「苦渋する」「悩む」「迷う」といった心理過程は、人間にしか背負わせられない。 だから、「裁判官が苦渋の決断をする」は成立するけれど、「裁判所が苦渋する」は成立しない。 これは修辞の問題ではなく、意味論の問題です。 さらに、そもそも致命的なのが「苦渋する」。 「苦渋」は名詞です。動作を表す語ではありません。 それを、「苦渋する」と書いた瞬間、この文章は文法的にも崩れます。 ・「苦悶」:状態語・動作語として振る舞える。「苦悶の表情」/「苦悶する」ともに自然。 ・「苦渋」:評価・性質を示す名詞。「苦渋の選択」は自然でも、「苦渋する」は不自然。 名詞に「する」をつければ何でも動詞になるわけではない。 理由は「慣用」ではなく、語の中身が違うからです。これは日本語の初歩です。 次に、「過去の判例と整合性をとりながら」という表現。 「整合性」は、 ・成立している状態 ・矛盾がないこと を指す概念語です。 したがって自然なのは、 整合性が取れる 整合性を保つ 整合性を確保する 「整合性をとる」という言い方は、意味が操作に追いついていない。 この一文で起きていることは、 ・心理語を誤って動詞化し ・感情を持たない主体に背負わせ ・抽象語を雑に扱い ・最後に「www」で逃げる これは、論理的に考えている文章ではなく、知的に見せようとしている文章です。 意味は推測できます。しかし、書いた本人が理解しているとは感じられない。それがこの文章の評価です。 日本語は、語彙力を誇る言語ではありません。主体と意味を一致させる言語です。「裁判所が苦渋する」と書いた瞬間、 その文章は日本語で考えることをやめているんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾 >>Kanon総合スレッドパート26 https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/841 今回のテーマは、次の長井文。 「突っかかってこず大人しくなった」 この日本語、どこがおかしいのか? 結論から言いますね。この文、日本語として二重におかしいです。 一つは文法、もう一つは文体(時代感覚)。 まず文法の問題。 普通の現代日本語なら、こう言います。 突っかかってこずに大人しくなった 突っかかって来なくなって大人しくなった つまり必要なのは、接続助詞「に」。なぜ「に」が必要か。 「〜ず」は否定の形ですが、そのまま次の動作に続ける場合、 〜ず に + 動作 という形を取ります。 例:文句を言わずに帰った 何も言わずに立ち去った 「突っかかってこず大人しくなった」は、接続の関節が外れている状態なんです。 次に、もっと根の深い問題。 実はこれ、単なる「助詞抜け」じゃありません。 問題の核はここ。「こず」。確かに「来ず(こず)」は、 カ変動詞「来(く)」の未然形+打消 古文では完全に正解です。でもね、現代日本語では、ほぼ使われません。 では、なぜ「せず」はOKで「こず」はダメなのか。ここ重要です。 勉強せず帰る → 自然 連絡もせず来た → 自然 一方で、 来ず帰った 突っかかってこず大人しくなった 急に古文っぽくなっちゃう。理由はこれ。 ・サ変「す」→ 現代語「する」も主力動詞で、「せず」も生き残った ・カ変「来」→ 「来ず」は完全に「来ない」に置き換えられた つまり、 ・「せず」=現役 ・「こず」=ほぼ化石 長井くんの文章全体で何が起きているのか。この文を分解すると、 「俺」「w」「ぶん殴って」「こず」 ネットスラング × 暴力語 × 古文(笑) 時代がバラバラなんです。文体が平安時代から5ちゃんねるまで時空跳躍している。 まとめると、この長井文の違和感は、 1. 「〜ずに」の「に」欠落 2. 死語寸前の古語「こず」を口語に混入 3. 全体の文体が統一されていない この三点セット。 だから読み手は無意識に、「あれ? 日本語だけど、なんか変だぞ」と感じるわけです。 日本語ってね、文法より先に“時代感覚”がバレる言語なんです。 そこを外すと、どんなに強い言葉を並べても、文章は急に“薄っぺらく”見える。
read.cgi ver 09.0h [pink] - 2025/10/27 Walang Kapalit ★ | uplift ★ 5ちゃんねる