猫と長井♫仲良く喧嘩しな
中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Kanon総合スレッドパート26
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1750460561/586
皆さん、議論というのはね、「感情をぶつける場」じゃなくて、「論理を検証する場」なんです。
ところが今回の長井さん──完全にそれを勘違いしてますね。
それでは、長井さんの詭弁を論理的に解剖してみましょう。
@ 人格攻撃(Argumentum ad Hominem)
たとえば、「お前が言っても説得力がない」──これ、議論の世界では最も初歩的な詭弁です。
「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」。ねこたんさんは「運転中の携帯使用は危険」と正論を言っているのに、長井さんは相手の人格を攻撃することで論点をすり替えています。
つまり、論理ではなく敵意だけで会話している状態です。
A 藁人形論法(Straw Man Fallacy)
「くだらないことを20年もやってる」──これはね、相手の主張をわざと歪めて叩く典型です。
ねこたんさんは「違法行為を非難している」だけなのに、それを「オタクの異常行動」に変換して攻撃している。
こういう人に限って「論破した!」って言うんですが、実際は自分で作った偽物を叩いただけなんですよ。
B お前も悪い論法(Tu Quoque)
「お前も運転しながら携帯弄ってたんじゃないのか?」──はい、出ました、“トゥ・クオク(Tu Quoque)”。直訳すると「あなたも同じじゃないか」。
でもね、仮に相手が過去に同じことをしていたとしても、自分の行為が正当化されるわけじゃない。
これはもう、論理学的敗北宣言です。
C 論点そらし(Red Herring)
「年下の同僚が成りすましで〜」「韓国血脈が〜」──これも見事な“燻製ニシンの虚偽 (Red Herring)”です。
議論が自分に不利になると、関係のない話題を投げて煙幕を張る。こういう人、授業で言うとね、「テストで答えが分からないから、字だけ大きく書くタイプ」です。
要するに、論理の戦場から逃走中。
D 偽因論法(False Cause)
「韓国血脈だから常識がない」──これは最悪の部類です。
民族や出自を「行動の原因」とみなすのは、論理的にも倫理的にも破綻しています。
それに、自身が中国語母語話者であることが判明している以上、この発言は「自己矛盾の実例」そのものです。
E 心理的投影(Psychological Projection)
「恥を知れ」と言われて「お前の方が恥だ」と返す。これは論理学というより心理学の領域ですね。
自分の中の「恥ずかしさ」や「罪悪感」を他人に転嫁して、攻撃することで自己防衛する。つまり、内なる弱さの鏡映です。
攻撃の強さは、そのまま自分の不安の強さなんです。
まとめ
長井さんの問題はね、「ねこたんを論破できていない」ことじゃない。
「自分を論破できていない」ことなんです。
論理の世界では、感情の逃げ道は一つもない。
逃げた瞬間──敗北確定。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/745
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/749
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/751
今回のテーマは──長井君の浮いた日本語。例としては「加担せん」「記載」「差し置いて」などですね。
一見、文法的には間違っていないんですよ。どの文も主語・述語の対応は取れているし、漢字の使い方も一応は正しい。
ところが読んでみると、どこか不自然で引っかかる。ここが、いわゆる「ネイティブと非ネイティブの差」が最もはっきり出るポイントなんです。
@ 「お前らの自己満足には加担せん」
まず「加担せん」ですが、これは「加担しない」という意味ですね。ただ、「加担」という言葉の使い方が問題なんです。
「加担」は普通、悪事や争いごとに関わるときに使います。「不正に加担する」「陰謀に加担する」。つまり、道徳的にグレーなことを「手助けする」というニュアンスなんです。
でも長井君が相手に言っているのは「自己満足には加担せん」。自己満足は悪事ではありません。だからここで「加担」を使うと、文としては成立しても、語感としては完全にミスマッチ。
こういうのは、中国語母語話者に非常に多いんです。なぜかというと、中国語では「参加」「支持」「介入」といった抽象語の使い分けが緩い。「関与する」「関わる」という概念を表すときに、すべて“一个词”で済んでしまう。
だから日本語でそのまま「加担」に置き換えると、硬すぎるうえに場面不適合になるんです。
A 「『筑波大学』の記載が全く無い」
次に「記載」です。一見正しい。でもこの文脈、掲示板の投稿に対して使うのは不自然です。
「記載」は書類や契約書など、正式な文書に何かを“書き記す”ときに使う言葉。それに対して「記述」は文章全般、つまり表現・説明を指します。
だから「投稿に『筑波大学』の記載がない」というのは、「履歴書に住所の記載がない」と同じトーンなんですね。つまり、言葉としては正しくても、文脈の“硬さ”が場違い。
これも、中国語の影響が出ています。中国語では「記載(jizǎi)」という語が日本語よりずっと広く使われる。口語でも、単に「書かれている」「述べている」という意味でOKなんです。
その感覚を日本語に持ち込むと、「記載」の使いすぎになる。
B 「筑波大学を差し置いて個人攻撃してるだけだろ?」
次に「差し置いて」。これも難しい。
「差し置く」は、本来「優先すべきものを脇に置いて、別のことを先にする」という意味です。
たとえば「健康を差し置いて仕事ばかりしている」――これは自然です。でも「筑波大学を差し置いて個人攻撃してる」はちょっと違う。
筑波大学は“優先的に扱うべき対象”ではあっても、時間的・行動的な優先順位の話ではない。つまり、「差し置く」という語のもつ“時間と意志のニュアンス”がずれている。
ここでも、やはり中国語の動詞の構造の単純さが影響しています。中国語の「撇开」「无视」「不顾」などは、文脈をあまり選ばずに使えます。
そのため、「無視して」と言いたい場面で「差し置いて」を使ってしまう。意味は通るが、語感がズレる――これが長井語の典型です。
C まとめ:文法よりも「語感」のズレ
さて、ここまで見てきたように、長井君の日本語の問題は文法的な誤りではなく、語感の選択ミスなんです。
・「加担」は悪事専用
・「記載」は書類用語
・「差し置く」は意図的な優先順位の操作
どれも意味はわかる。でも、場面の“空気”に合っていない。
この「空気を読む語感」が、日本語運用の最も繊細で難しい部分なんです。
つまり、長井君の日本語は“正しいけど、伝わらない”。
それが、母語干渉の怖さなんです。