中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾

>>筑波大学 #777777777777
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今回のテーマは──長井君の浮いた日本語。例としては「加担せん」「記載」「差し置いて」などですね。
一見、文法的には間違っていないんですよ。どの文も主語・述語の対応は取れているし、漢字の使い方も一応は正しい。
ところが読んでみると、どこか不自然で引っかかる。ここが、いわゆる「ネイティブと非ネイティブの差」が最もはっきり出るポイントなんです。


@ 「お前らの自己満足には加担せん」

まず「加担せん」ですが、これは「加担しない」という意味ですね。ただ、「加担」という言葉の使い方が問題なんです。

「加担」は普通、悪事や争いごとに関わるときに使います。「不正に加担する」「陰謀に加担する」。つまり、道徳的にグレーなことを「手助けする」というニュアンスなんです。

でも長井君が相手に言っているのは「自己満足には加担せん」。自己満足は悪事ではありません。だからここで「加担」を使うと、文としては成立しても、語感としては完全にミスマッチ。

こういうのは、中国語母語話者に非常に多いんです。なぜかというと、中国語では「参加」「支持」「介入」といった抽象語の使い分けが緩い。「関与する」「関わる」という概念を表すときに、すべて“一个词”で済んでしまう。
だから日本語でそのまま「加担」に置き換えると、硬すぎるうえに場面不適合になるんです。


A 「『筑波大学』の記載が全く無い」

次に「記載」です。一見正しい。でもこの文脈、掲示板の投稿に対して使うのは不自然です。

「記載」は書類や契約書など、正式な文書に何かを“書き記す”ときに使う言葉。それに対して「記述」は文章全般、つまり表現・説明を指します。
だから「投稿に『筑波大学』の記載がない」というのは、「履歴書に住所の記載がない」と同じトーンなんですね。つまり、言葉としては正しくても、文脈の“硬さ”が場違い。

これも、中国語の影響が出ています。中国語では「記載(jizǎi)」という語が日本語よりずっと広く使われる。口語でも、単に「書かれている」「述べている」という意味でOKなんです。
その感覚を日本語に持ち込むと、「記載」の使いすぎになる。


B 「筑波大学を差し置いて個人攻撃してるだけだろ?」

次に「差し置いて」。これも難しい。
「差し置く」は、本来「優先すべきものを脇に置いて、別のことを先にする」という意味です。

たとえば「健康を差し置いて仕事ばかりしている」――これは自然です。でも「筑波大学を差し置いて個人攻撃してる」はちょっと違う。
筑波大学は“優先的に扱うべき対象”ではあっても、時間的・行動的な優先順位の話ではない。つまり、「差し置く」という語のもつ“時間と意志のニュアンス”がずれている。

ここでも、やはり中国語の動詞の構造の単純さが影響しています。中国語の「撇开」「无视」「不顾」などは、文脈をあまり選ばずに使えます。
そのため、「無視して」と言いたい場面で「差し置いて」を使ってしまう。意味は通るが、語感がズレる――これが長井語の典型です。


C まとめ:文法よりも「語感」のズレ

さて、ここまで見てきたように、長井君の日本語の問題は文法的な誤りではなく、語感の選択ミスなんです。
 ・「加担」は悪事専用
 ・「記載」は書類用語
 ・「差し置く」は意図的な優先順位の操作
どれも意味はわかる。でも、場面の“空気”に合っていない。
この「空気を読む語感」が、日本語運用の最も繊細で難しい部分なんです。
つまり、長井君の日本語は“正しいけど、伝わらない”。
それが、母語干渉の怖さなんです。