猫と長井♫仲良く喧嘩しな
長井のための日本語矯正塾
>>kanon 381
「狼藉を受けた!」という発言、どう受け取りますか?
相手の意見に対して反論できなかった人が、「お前のは狼藉だ!」「俺は被害者だ!」
こういう風に言ってくること、ありますよね。
一見すると正義感に満ちた反撃に見えるかもしれません。でも、こういう発言をする人の内面、実はものすごく単純です。
これは「論理」で勝てないときに出てくる、典型的な心理的回避行動なんです。
人は、自分が「論理で負けた」ことを認めたくないとき、「道徳」で勝とうとする。
つまり、相手に論理では勝てない。でも負けたくない。
そこでどうするか?「アイツはルールを破った」「マナー違反だ」と、倫理の問題にすり替えるんです。
心理学の言葉で言えば、「認知的不協和の解消」ですね。
自分が「論破された」という現実と、「自分は賢い」という自負がぶつかると、心の中にモヤモヤが生まれます。
そのモヤモヤを解消するために、
「いや、あいつの言い方が悪いだけだ!」
「俺が引いたのは礼儀のためで、負けたわけじゃない!」
…と、自分を正当化するストーリーを作り始めるんです。
そして、そういうときに出てくるのが、古臭い強い言葉、そう、「狼藉」なんです。
「狼藉を受けた」って、日常会話ではほぼ聞きませんよね?
現代日本語では、ほぼ時代劇か歴史小説の中だけの表現です。
それをわざわざ使う理由。それは、「こんな大きな被害を受けたんだ!」と、自分の立場を誇張するためです。
でも、それを言ってる人の心の奥には、「本当は反論できなかった」という悔しさ、そして自分への言い訳が見え隠れしています。
まとめ。
「狼藉を受けた」というのは、論破されたことを正面から受け止められない人が、倫理の土俵に逃げ込んで自己正当化している証拠。
強い言葉に逃げた瞬間、その人はもう「言葉の勝負」から降りている。
つまり、「負けました」と言っているのと同じなんです。 長井のための日本語矯正塾
>>kanon 381
「謝罪すれば、ちょっとは話を聞いてやるつもりになるかもしれない」
見た目はそれっぽいけど、日本語としては非常に不自然な言い回しですね。
❶態度が定まらない「グラグラ構文」
この文章、何がいけないのかというと、とにかく話し手の立場が定まっていない。
たとえば、「話を聞いてやる」。
これは明らかに上から目線の言い方です。
ところが、そのあとに続くのが、
「つもりになる」→ 気分の話
「かもしれない」→ 推測の話
つまり、「聞くぞ!」という断言から始まっておきながら、最終的には「…かも?」と自己否定に近い曖昧な語尾で終わっている。
これ、例えるならこんな感じです。
「先生、明日絶対やります!やるつもりっす。…たぶん。」
こんな返事をしたら、僕だったら間違いなく言いますよ。
「やるの?やらないの?どっち?」
そう、行動を示唆しておきながら、気分レベルの予測で逃げてるんです。
この文も同じです。
「聞いてやる」→ 態度を見せる
「つもりになるかもしれない」→ 態度を撤回する
このグラグラ加減が、日本語としてとても不自然なんですね。
❷結局、伝えたいことが分からない
この文の一番の問題は、伝えたいことが伝わらないという点。
謝れば聞くの?
いや、聞かないかもしれないの?
そもそもその気があるの?
こういう不明瞭な態度表現は、大人の日本語としては信頼されません。
本当に聞く気があるなら、
「謝れば話ぐらいは聞いてやるよ」
「まず謝れ。それから話を聞く」
など、明快に言えばいいんです。
逆に、聞く気がないなら、
「謝ったところで聞く気はないね」
と、言い切った方が潔い。
日本語というのは、特にこういう「他人との駆け引き」の場面では、回りくどさよりも態度の明確さが重視されます。
これ、覚えておいてください。
結論
「謝罪すれば、ちょっとは話を聞いてやるつもりになるかもしれない」
この文が不自然なのは、
・態度を見せたようで見せていない
・決意を語ったようで語っていない
・上から言ってるようで逃げ腰
つまり、言葉の重みがゼロだからなんです。
言葉っていうのは、自分の思考と覚悟が透けて見えるもの。
曖昧な語尾、責任をぼかした表現は、結果として相手に何も伝わらないんです。
「言うなら言う」「逃げるなら黙る」。
日本語では、このくらいの“態度の潔さ”が大切です! 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/693
❶ 文構造と意味の矛盾
「自称筑波大学卒の性犯罪者ねこたん蛆」
「天下の筑波大学を自称とはいえ、卒業したとのたまう男が…」
ここが最大の問題点。
まず、「自称」と「卒業したとのたまう」の両立が論理的に破綻してるんです。
・「自称」と言った時点で、卒業を否定してるはず。
・しかし次の文で、「卒業した」と明言する人物として扱ってる。
これ、文脈が自己矛盾してるんですね。さらに「とのたまう」という語の使い方も皮肉を込めているようですが、主張自体がぶれていて、説得力に欠けます。
❷ 冗長な表現と無駄な反復
この文章、同じ情報や言い回しが繰り返されているのも目立ちます。
「筑波大学を自称」
「筑波大学卒業生なら」
「天下の筑波大学」
同じ「筑波大学」というワードを連呼してるけど、内容に新しい情報がない。これは日本語で非常に嫌われる表現パターンです。
加えて、次のような言い回しも不自然。
「この替え歌の作詞」
「この程度の低い替え歌作詞」
「程度の高い気品に満ちた大人の替え歌の作詞」
「替え歌の作詞」という語が名詞化されすぎて不自然。しかも、全く同じ語が繰り返されていて耳障りです。日本語としては、「替え歌を書く」や「こんな替え歌しか作れないのか」といった自然な言い回しを使うべきです。
❸ 論理の飛躍と中学生的推論
「筑波大卒なら、もっと気品ある替え歌を書くはずだ」
いやいやいや、それ全く論理的じゃないんですよ。
筑波大学を出たからといって、全員が「気品ある替え歌」を書くとは限らない。
そもそも替え歌の「気品」って何? 替え歌って本来ユーモアや皮肉が目的でしょう?
こういった主張は、学歴と人格・表現を安易に結びつける論理の飛躍であり、「後件肯定の誤謬」に近い思考ミスです。
❹ 全体の語調が感情的で説得力を欠く
この文章、表現が終始「怒り」や「侮蔑」に引っ張られているんです。
・「蛆(うじ)」のような侮辱表現
・「この程度」「気品に満ちた」などの上から目線の断定
・「〜するよな?」という嘲笑まじりの言い方
これらすべてが、「反論ではなく感情の発散」に読者の印象を引っ張ってしまいます。
こういうのはね、国語の文章じゃないんです。
ただの自己矛盾と、語彙の暴走。
相手を論破したいなら、もっとシンプルに、論理と日本語の基本に立ち返るべきなんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>筑波大学 #777777777777
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1736474684/699
「自称金属加工会社経営者だとのたまう韓国系のクソクズ」って、何がどうなってんの?
❶ 「自称」の使い方、わかってますか?
まず、「自称」というのは、 「自分でそう言ってるだけ」って意味です。つまり、
・自称 経営者
・自称 弁護士
・自称 天才
このように、名詞にかかる形で使うのが普通なんですね。
・自称金属加工会社経営者
ここまでは OK です。
❷ じゃあ、「〜とのたまう」って何?
これは本来、【相手が偉そうに言ってる】という皮肉・敬語のパロディなので、
・「◯◯だと、とのたまってましたよ(笑)」
・「君みたいなのが天才とのたまうとはねぇ…」
という風に、発話を引用する形で使います。
でも!
「自称」+「とのたまう」は論理破綻。
・「自称」は本人の自己申告
・「とのたまう」は他人の発言に対する揶揄的引用
なのに、これをくっつけると、「自称◯◯だとのたまう」
誰が言ったのか、どこからどこまでが引用なのか、完全に不明!
❸ さらに混乱する構造
「自称金属加工会社経営者だとのたまう韓国系のクソクズ」
こうなると、もはや読者には以下のような疑問が渦巻きます。
・「自称」してるのは誰?
・「とのたまってる」のは誰?
・「韓国系」は「自称」の対象?「のたまう」の主語?
完全に 修飾関係が崩壊 しています。
「私は、自称会社経営者です」って自己紹介する人なんかいる?
自分のことを「私は、会社経営者だとのたまう韓国系のクソクズです」と自称する人なんている?
文章っていうのはね、論理の筋道が命なんです。 中国系の長井(长井)さんのための日本語矯正塾
>>Key総合雑談スレ Part32
https://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/leaf/1749161397/583
「『疑いなく決め付ける』って、なんか変じゃない?」と思ったあなた。
その違和感、正解です。
そもそも「決め付ける」って、どういう言葉なのか?
辞書的に言うと「十分に検討したり確認したりせずに、ある事柄を一方的に断定すること」。
つまり、この言葉にはすでに
「他の可能性を疑わない」
「思い込みによる断定」
という「疑いのなさ」が含まれているんです。
では、「疑いなく決め付ける」はどうか?
ここに「疑いなく」なんてつけちゃうとどうなるか?
「疑いを挟まずに、一方的に断定する」
もうね、意味がダダかぶりなんです。
例えば「馬から落馬する」とか「頭痛が痛い」と同じで、
言葉のエネルギーが無駄に二重になってしまってる。
なぜこんな言い回しになるのか?
ここで興味深いのが、中国語との比較です。
中国語では、
「毫不怀疑地认定」
(=疑いもなく断定する)
という表現が、文法的にも意味的にも自然に成立してるんですね。
つまり、「疑わない」+「断定する」をあえて並べることで、より強く断定した感じを出すわけです。
でもね、それを日本語にそのまま持ち込むと——
✕「疑いなく決め付ける」
これ、不自然な強調構文になっちゃうんです。
まとめ
「疑いなく決め付ける」は、
意味が重なっていて冗長
翻訳調で不自然
本来の日本語のリズムに合っていない
日本語には日本語の、言葉の間合いというものがある。
それを崩してしまうと、どうしても「違和感」が生まれるんですね。
言葉って、意味だけじゃないんです。
「気持ちよさ」あも大事なんです。
それが、日本語を使う私たちの「感性」ってものなんですね。 ♬Abonticが止まらない
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